ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓

文字の大きさ
9 / 25
Episode.02

知られたくないこと、知ってほしいこと

しおりを挟む
 鷹也が病室で目を覚ました少し後、別の病室でも松本澄人も意識を取り戻していた。

 自分が個室のベッドに寝かされていることに気がついた澄人は、状況を確認しようと周囲を見回した途端、激しい頭痛とめまい、手足の軽い痺れに襲われた。視界が薄暗く回転し、起き上がることができない。続いて、胃を握り潰れるような痛みが、強烈な吐き気とともに襲ってきた。
 ナースコールボタンを押そうと探すが、体が思うように動かない。
 誰かが、澄人の上半身を抱え起こし、ゴミ箱のビニル袋が口元に当ててくれた。それから、背中を大きな手が優しくさすった。
 胃が空になると、ペットボトルの水が差し出され、それを受け取って、口の中をすすぐ。
 一息ついて、ベッドに仰向けに寝転がってから、澄人はお礼の言葉を口にした。
 「……ありがとうございます」
 「おう、そのまま寝てな」
 返事をしたのは医師でも看護師でもなく、医学部3年の上杉晃だった。
 「え? 上杉先輩?」
 驚いて起き上がろうとした澄人を、晃が止める。
 「いいから
 皆、有名人の方がいいらしいから、さ
 俺がこっちにいてやるよ」
 担当医は自分が呼ぶから、と、横になった澄人の、はだけた布団を直す。
 晃の気配で安心したのか、澄人の呼吸も落ち着き、すぐに寝息を立て始めた。

 ふたたび、澄人が目を覚ました時には、病室の窓の外はすっかり暗くなっている。薄明かりの中、室内を見回すと、壁の時計が目に入った。19時前。
 ベッドから少し離れた、小さなライトの下で晃が厚い医学書を読んでいる。彼は、澄人が目覚めたことに気づき、本を自分のカバンにしまう。
 「ゆっくり休めたか?」
 「あ、はい」
 「このまま泊まって行くか?」
 晃はそう笑うと、担当医を呼ぶために部屋を出た。

 いつもの、定期診断の担当医の診察が終わると、入れ替わりにまた、晃が病室へ入ってくる。
 「俺もここに泊まる
 誰かいた方が心強いだろ」
 「親族以外でもいいんですか?」
 「ホントはダメだけど
 でも、まぁ、そこは」
 晃が曖昧に笑う。
 言葉には出さなかったが、澄人も、一人で病室に残されることに不安があった。
 「……ありがとうございます…」
 「いや
 騒動の大元は、きっと、俺のせいだから」
 言葉の意味がわからず、澄人が首をかしげる。

 晃は、食堂にやってきた翔と瞬が何者であるか、なぜ澄人に暴言を吐いたのかを説明する。内容は、澄人が眠っている間に、様子を見に来た信彦から教わっていた。
 晃は、信彦には黙っていたが、翔と瞬が食堂で鷹也を見つけた理由に心当たりがあった。
 「俺が、医学部の連中に高遠さんのコイビトについて情報を流したんだ
 相手は先日の放火事件の被害者の1人だ、って
 で、あの兄弟の同期が現場動画をみつけてきて
 今朝、皆で動画を見て、
 三ツ橋くんの顔を確かめていたそうだ」
 「それで、あの2人が三ツ橋をみつけた、と?」
 「そいういこと」
 「でも、先輩に、三ツ橋が放火事件の被害者だ、って伝えたの、俺ですから」
 そうだったな、と晃が苦笑いをする。
 「俺は、高遠の被害には遭ってないけど、な」

 少し黙ってから、ベッドに横になって天井を見上げ、澄人が晃に尋ねた。
 「威嚇を放つ、ってどんな感じなんでしょう
 先輩も、アルファでしょう」
 晃もカミングアウトはしていない。が、標準的なアルファなのは明らかだった。ランクはB-。医学部内で最も人数の多い中間ランクだ。
 「俺は大昔、ガキの頃に1回っきりだから
 覚えてないな」
 晃の返事を聞いて、澄人が自嘲気味に笑う。
 「俺、威嚇、できないんですよ
 なのに、近くにいただけで、1番影響受けて重態になるって、理不尽ですよね
 自分に向けられたわけでもないのに」
 頭まで布団をかぶった澄人の声が、震えていた。

 「松本は、さ
 獣医になったどうするの?」
 不意に、晃が澄人に尋ねた。
 「え?」
 戸惑う澄人に、晃はそのまま言葉を続ける。
 「実家は開業獣医じゃないって言ってたよね、
 企業に就職?」
 「あ、いえ、
 できるだけアルファやオメガに会わないで住む職場を探すつもりです
 田舎の役場とかが理想かな
 獣医師の免許さえ取れれば、どこへでも行けるので」
 「ホントの田舎はやめておいた方がいい
 せめて、県庁所在地あたりにしておけ」
 それから、晃は澄人に聞かせるように、なんとなく、一人語りを始めた。

 「俺の実家は分家の分家
 田舎の名士の末端の、その端っこで ……」
 晃は一族の末端の、逃げ遅れた父親が仕方なく農家を継いでいるような家の生まれだ、と言った。
 田舎の分家では珍しいアルファ。本家を仕切る老人たちが、一族にアルファが生まれたのは戦後初だ、と歓喜したくらいだ。本家には嫡男が、晃の2歳上に立派な男子がいたというのに。その後も、子供の頃の晃は、事あるごとに本家に呼び出され、いずれは養子にも、という話まで、勝手に進められていた。
 そしてそれが、田舎らしい陰湿な嫉妬といじめの対象になった。

 「運悪く、IターンだかUターンだかでやってきた家族の娘さんが、その子は中学生で俺の1学年下だったんだけど、オメガだったんだ」
 忘れられた、時代に取り残された田舎にアルファとオメガが揃ってしまった。
 今はもう、彼女が運命だったのかどうか、確かめようがない、と晃が言った。
 「ランク検査の直前に、自殺したんだ
 思春期特有の不安定さがその原因、ってされた
 遺書もかなった、見つからなかったし」
 彼女の葬儀の場で、弔問に訪れた本家の嫡男に、友人顔をして悲しむふりをする、その取り巻きに激昂して、威嚇を使ってしまった、と。
 「彼女の両親は、その後すぐに村を出て行った
 俺の家も、居づらくなって、家族で東京に出てきた
 ……だから、ど田舎なんか、住むもんじゃないよ」
 布団に潜ったままの澄人に、晃の表情までは、わからなかった。
 「……
 俺も、高遠を見習って、コイビトを作るか」
 「相手は、いるんですか?」
 「松本が、立候補してくれるかい?」
 晃と澄人は、ようやく、笑うことができた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

その言葉を聞かせて

ユーリ
BL
「好きだよ、都。たとえお前がどんな姿になっても愛してる」 夢の中へ入り化け物退治をする双子の長谷部兄弟は、あるものを探していた。それは弟の都が奪われたものでーー 「どんな状況でもどんな状態でも都だけを愛してる」奪われた弟のとあるものを探す兄×壊れ続ける中で微笑む弟「僕は体の機能を失うことが兄さんへの愛情表現だよ」ーーキミへ向けるたった二文字の言葉。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

鈴木さんちの家政夫

ユキヤナギ
BL
「もし家事全般を請け負ってくれるなら、家賃はいらないよ」そう言われて鈴木家の住み込み家政夫になった智樹は、雇い主の彩葉に心惹かれていく。だが彼には、一途に想い続けている相手がいた。彩葉の恋を見守るうちに、智樹は心に芽生えた大切な気持ちに気付いていく。

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)
BL
 双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。  同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。  ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。  兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。  すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。 第1回青春BLカップ参加作品です。 1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。 2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)

あなたの家族にしてください

秋月真鳥
BL
 ヒート事故で番ってしまったサイモンとティエリー。  情報部所属のサイモン・ジュネはアルファで、優秀な警察官だ。  闇オークションでオメガが売りに出されるという情報を得たサイモンは、チームの一員としてオークション会場に潜入捜査に行く。  そこで出会った長身で逞しくも美しいオメガ、ティエリー・クルーゾーのヒートにあてられて、サイモンはティエリーと番ってしまう。  サイモンはオメガのフェロモンに強い体質で、強い抑制剤も服用していたし、緊急用の抑制剤も打っていた。  対するティエリーはフェロモンがほとんど感じられないくらいフェロモンの薄いオメガだった。  それなのに、なぜ。  番にしてしまった責任を取ってサイモンはティエリーと結婚する。  一緒に過ごすうちにサイモンはティエリーの物静かで寂しげな様子に惹かれて愛してしまう。  ティエリーの方も誠実で優しいサイモンを愛してしまう。しかし、サイモンは責任感だけで自分と結婚したとティエリーは思い込んで苦悩する。  すれ違う運命の番が家族になるまでの海外ドラマ風オメガバースBLストーリー。 ※奇数話が攻め視点で、偶数話が受け視点です。 ※エブリスタ、ムーンライトノベルズ、ネオページにも掲載しています。

【完結】浮薄な文官は嘘をつく

七咲陸
BL
『薄幸文官志望は嘘をつく』 続編。 イヴ=スタームは王立騎士団の経理部の文官であった。 父に「スターム家再興のため、カシミール=グランティーノに近づき、篭絡し、金を引き出せ」と命令を受ける。 イヴはスターム家特有の治癒の力を使って、頭痛に悩んでいたカシミールに近づくことに成功してしまう。 カシミールに、「どうして俺の治癒をするのか教えてくれ」と言われ、焦ったイヴは『カシミールを好きだから』と嘘をついてしまった。 そう、これは─── 浮薄で、浅はかな文官が、嘘をついたせいで全てを失った物語。 □『薄幸文官志望は嘘をつく』を読まなくても出来る限り大丈夫なようにしています。 □全17話

処理中です...