ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓

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Episode.04

初めての留守番

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 永浜准教授のもと、鷹也の治療が始まって、半年が過ぎた。

 その日、裕二は実家から呼び出され、1泊の予定で部屋を空けることになっていた。鷹也と2人で暮らし始めてから、初めてのこと。

 珍しくスーツを着た裕二を、鷹也が玄関で見送る。
 「明日、昼過ぎには戻れると思うから」
 「慌てなくてもいいよ
 せっかく、家族水入らずなんだし」
 「どうだか」
 裕二が苦笑いをする。

 裕二が実家に戻る理由は、祖父の13回忌。会社を創立した曽祖父を助けたのち、バブル崩壊後の大不況の荒波を乗り切った2代目社長の法要だ。そのため、家族、特に先代社長の父親からは、三ツ橋鷹也を家族として同席させるよう、強く求められた。しかし、裕二はそれを固辞している。
 この法事は会社主催のため、参列者の主な目的は、4代目社長、現CEOの兄・高遠征一郎へ顔見せ、様子伺いだろう。そんな中、弟の番として三ツ橋鷹也を同席させたらどうなるか。参列者たちの好奇の目にさらされ、半年前の事件と過去のことを面白半分に蒸し返され、悪い噂を立てられることが、目に見えている。
 裕二は、ためらうことなく、家族に紹介するより、鷹也を守る方を優先した。
 法要の連絡が来た時、家族の揃う法要に招待されていることと、同席させたくない理由を、裕二は鷹也にはっきりと説明した。
 鷹也も、裕二の家族に挨拶し、その末席に座らせてもらうことより、過去の事件や自分の家族について詮索されたくない、という気持ちの方が強かった。

 裕二を見送ってから、鷹也はソファーに座り込んだ。そのまま少し、ぼんやりと過ごす。
 裕二には黙っていたが、実は、一昨日から怠く、今朝からは微熱があった。裕二を送る直前に、鷹也は寝起きのふりをしてシャワーを浴びたので、気づかれてはいない、と思っている。実際、心配性の裕二が体調不良の鷹也を残し、泊りがけの外出をするはずはないだろう。

 解熱剤を飲んで、もう一度シャワーを浴び、そのまま眠ろう、と立ち上がる。
 ふと、脱衣所で洗濯機前のカゴに放り込まれた、裕二のシャツが目に入った。思わず拾い上げ、抱きしめる。
 ほんのりと香る、裕二のフェロモンに、抱きしめられたような錯覚に陥る。
 足りない
 鷹也はそのまま、ウォークインクローゼットに向かった。持てるだけ、両腕いっぱいに裕二のシャツと下着をかかえ、裕二の寝室の前に立つ。
 ドアの鍵は、かかっていなかった。
 裕二のベッドに、シャツと下着を積み上げ、中へ潜り込む。さらに、その山の上から布団をかぶり、裕二の枕を抱きしめる。裕二の匂いに包まれ、鷹也は安心感と多幸感で、何も考えられなくなっていた。


 裕二がマンションに戻ってきたのは、翌日の夕方、日が落ちる直前だった。

 法事後の宴席で、裕二は家族と親族につかまり、鷹也について、警察の事情聴取さながらの、詳細な尋問を受けさせられた。親族として参列した永浜義登准教授は何も語らず、それを面白がって見ているだけ。
 おかげで逃げ出すことができず、最後まで宴席で接待をすることになった。


 玄関のドアを開けるとすぐ、鷹也は周囲に漂う香りに気がついた。
 ほんのり甘く、爽やかなジャスミンの香り。
 嗅いだ瞬間、心臓が大きく跳ねた。
 それは、初めて感じる、強い衝撃。

 廊下を進んで、入った広いリビング全体にも、甘い香りが広がっている。
 ネクタイを緩めながら、誘われるように、裕二は、より強く漂う香りの元を探した。
 これは、よく知るはずの、鷹也の香りだ。
 鷹也を抱きしめて、項に鼻をすりつけると、ほんのり漂い、安心させてくれる優しい香り。なのに、強く香るだけで、焦燥感と劣情を掻き立ててくる。
 本能でわかる、オメガの発情フェロモンだ。

 香りは、裕二の寝室から流れ出していた。焦る気持ちをなだめ、脅かさないよう、責めないように自分に言い聞かせながら、ゆっくりとドアを開ける。

 濃い、燻蒸の煙のように、ジャスミンの香りが、部屋に充満していた。

 正気を保つのがやっとの、窒息しそうなほど濃い香気が、裕二のベッドの、盛り上がった掛け布団の中から、あふれてくる。
 「タカ ヤ ?」
 バサッ と布団と服の山を跳ね飛ばし、鷹也が飛び起きた。紅潮した素肌に、ぶかぶかの裕二のシャツを羽織り、下半身は、何も履いていない。
 「ユージ サン ?」
 鷹也の声も、吐息も、潤んだ瞳も、何もかもが、裕二を甘く急き立てる。
 コレ は 俺だけ の
 裕二は、目の前の鷹也に、手を伸ばした。


 裕二が目覚めたのは、日も高く登った、昼を過ぎた頃だった。
 部屋中に散らばった大量のシャツと下着、乱暴に脱ぎ捨てた礼服。ベッドの横には、疲れて眠る全裸の鷹也。
 それらを見て、やっと、裕二は、昨夜のことを思い出した。
 慌てて、鷹也の項を確認する。
 背中から項にかけて、キスマークは数え切れないほど遺っているが、噛み跡は、なかった。
 2度見、3度見をして、本当に噛み跡がないかを、もう1度、確認する。
 仮に、裕二が項を噛んでいたとしても、鷹也は喜んで受け入れてくれるだろうし、2人を知る者は皆、祝福してくれるだろう。だが、前後不覚となった勢いで噛むのは違う、と裕二は思っていた。

 そうだ、と裕二は確信した。昨夜、鷹也を抱きつぶしたのは、オメガの発情フェロモンの煽られた、アルファのラット現象だ。
 裕二は今まで、抑制剤を飲まずに、フェロモンを垂れ流して誘惑するオメガに遭遇することが、多々あった。しかし、そのフェロモンに反応したことは全くない。ましてや、ラット状態となって抱いてしまうことなど、ありえなかった。

 裕二は、鷹也を起こさないようにベッドを離れ、風呂の準備をしてから、どこかへ電話をした。


 鷹也が目を覚ましたのは、風呂の、ジャグジーのついた広い湯船の中。事後の跡を洗われ、背中を裕二に抱きとめられた格好だった。
 「…… あれ ?」
 自分の状態、全裸で湯に浸かる状況が把握できず、鷹也はきょろきょろと周囲を見回す。そして、背中を抱く裕二と目があった。
 「あぁ、起きたか」
 「…… え? 裕二さん ??」
 もう1度見回して、鷹也は、自分が裕二に抱かれる格好で、風呂に入っていることを、確認する。
 「昨日のこと、覚えているか?」
 裕二に言われ、必死に思い出す。
 「…… えっと
 裕二さんが出かけたあと、シャワーを浴びようと思ったら、脱衣所にあった裕二さんのシャツが目に入って
 ……」
 「それから?」
 「…… ごめんなさい
 よく、覚えていない
 ただ、」
 「ただ?」
 「ぼんやりと、だけど
 なんか、好きな香りに包まれて、
 すごく幸せだったような」
 「それから?」
 裕二の問いに考え込んで、突然、全身を紅潮させ、鷹也が湯に潜った。
 言葉を聞かなくてもわかる。鷹也は昨夜の行為を思い出したのだ。
 「……
 ボク が  誘っ た んで しょう か ?」
 「だとしたら?」
 イジワルそうな、嬉しそうな、裕二。それは、戸惑う鷹也の反応を、楽しんでいるようにも見える。
 裕二の腕を振り払って、鷹也が再び、膝を抱えて湯船に潜った。
 間を置いて、ぶくぶく と泡を吐いて、裕二に背を向けたまま、鷹也が立ち上がる。
 「ご、ごめんなさい!」
 慌てて転びそうになる鷹也を、裕二が抱き止めた。
 素肌が触れ、昨夜の熱が全身に蘇ってくる。
 「あ、あの」
 「このあと出かけるから」
 鷹也とは正反対に、いつものように、裕二が笑った。
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