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第7章
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就職先が決まったその週の金曜日の夜、ゼミの同期で集まって就活終了のお祝いをしてもらうことになった。
つい四日前まで「まだ決まらない」と愚痴と泣き言を吐いていたから、親も友人も、こんなに早く就活が終わるなんて、最初は冗談だと思って信じてくれなかった。親に至っては「本当に大丈夫な会社なのか」と、決まった先が四年も働いて生活費を稼いでいたバイト先だというのに、今さらな心配をしてくる。
「そんな就職の仕方ってやっぱあるんだね」
「結局さぁ、何事もコツコツやってる奴が一番強いよ。教授もあんたが一番に決まらないのは絶対おかしいって言ってたもん」
「あー、言ってたね」
立ち飲み形式のスペインバルで白ワインのグラスを傾けて、揚げパスタをポリポリと噛んでいる友人達がしみじみと言う。ゼミの中で私だけがなかなか決まらず、やっぱり教授にも心配をかけていたらしい。
テーブル代わりの大樽に置かれたタパスを一口かじる。バケットに載ったアンチョビの絶妙な塩分が、久しぶりに外出して夏バテ気味になっている体に染みた。
「これで一緒に卒業できるね」
「まだ卒論あるけどねぇ」
「袴着よう。予約しちゃおう」
「八月ならまだ可愛いのあるかな」
口々に言い合いながら、酔いも手伝って高くなったテンションで着物レンタルのサイトを見る。色とりどりの袴を眺めていると卒業が現実味を帯びてきて、ユウマくんとはこのまま会わなくなっても大丈夫な気がしてきた。
後は卒論を提出するだけ。
サークルには行かなきゃいいだけ。
(……会わなければ、どうってことない)
久しぶりに人と会って飲んだお酒は気分を高揚させて、なにがあっても大丈夫だと、自分が万能になった気にしてくれる。酔った勢いで来週末、袴を見にいく約束をしてしまい、行き先なんて決まらないまま卒業旅行もしようなんて言い合った。
二時間しっかり食べて飲んで、お互いまだ意識を保ちつつ、しっかり立っていられる状態で解散した。
風が一つも吹かない、湿度の高いジメジメとした夜道を歩く。
(——そういえば去年はサークルのみんなで花火大会に行ったんだっけ)
屋台で色々買って、途中でユウマくんと抜けて、慣れない草履で足を擦りむいたから彼の腕を掴んで歩いて。そういう小さいことが嬉しかったし、ただ純粋に楽しかった。というか、私は、体の関係なしでユウマくんとそういうことがしたかった。
(……あぁ、ダメだ。気づけばまたユウマくんのことを考えてしまう)
今頃、サークルでもまた毎週恒例の飲み会をしているんだろうな。
部長じゃなくなった元彼も、今は私と同じように就活が忙しくなったようで、前までしつこいくらいに個別にきていた飲みやイベントの誘いは、六月あたりからぱったりと来なくなった。
立っているだけで汗が吹き出してくる熱帯夜を、ふらふらになりながら歩く。やっとの思いでアパートに着くと、部屋の前に人影が見えた。
やたらと高い身長と薄い体つきのせいで、誰なのか一瞬でわかってしまって、共用廊下のいちばん手前で足が止まる。
私の部屋の前でドアを背にしながらスマホを触っていたユウマくんがこちらを向いた。
「……なんでいるの」
自分でも驚くくらい低い声が出る。ユウマくんも一瞬、たじろいで目を泳がせた。だけど大きく息を吐いて、まるで決意表明のようにこちらをじっと見据えてくる。
「先輩、俺、彼女と別れた。だいぶ前、ていうか先輩に怒られたその日に。報告したくて何回も電話したのに出てくれなかったけど」
「……あぁ、そう、なの」
「だからまた部屋に行ってもいい?」
「もう来てるじゃん」
「うん。誰とも付き合ってなかったらいいんだよね?」
こちらがぶっきらぼうに話していても、前と変わらない様子で笑うユウマくんを見て泣きそうになった。
ユウマくんが、彼女と別れて私のところに戻ってきてくれた。勝ち負けじゃ無いのに、彼女より私も選んでくれたんだと、嬉しくて、自惚れそうになる。
抱きつきたくなる衝動を抑えて、鍵を開けて中に入れる。
「……とりあえず、どうぞ」
「お邪魔します」
前までなら誰よりも先にベッドに飛び込んでいたのに、今日のユウマくんは大人しく遠慮がちに私の後ろをついてきた。
真っ直ぐキッチンへ行き、冷蔵庫を開けてお茶のペットボトルとエナジードリンクを取り出す。ユウマくんが来なくなってずっとここにあったものだ。私は飲まないけど、捨てるのも踏ん切りがつかなくて、そのままになっていた。
振り返って渡そうとした瞬間、抱きつかれて落としそうになる。
「わ、あぶなっ……ちょ、ちょっと待って!」
「うん、なに?」
汗でベタベタに張り付いた服ごと抱きしめられて焦る。だけどそんなことは気にしていないのか、ユウマくんが私の髪に顔をうずめてきた。身じろぎしながら持っていたペットボトルや缶をシンクに置いてユウマくんの腕に触れる。一瞬、ぴくっと動いて腕の力がますます強くなった。
「なんでそんながっついてくるの!」
服に手を入れられそうになって大きな声を出してしまった。
「久しぶりだから」
慌てふためく私に笑いかけて、腕がゆるんだ。その隙に抜け出して、向かい合う。だけどユウマくんの手は懲りずに私の腰へ伸びて、避けようとした背中が真後ろの冷蔵庫に当たった。
つい四日前まで「まだ決まらない」と愚痴と泣き言を吐いていたから、親も友人も、こんなに早く就活が終わるなんて、最初は冗談だと思って信じてくれなかった。親に至っては「本当に大丈夫な会社なのか」と、決まった先が四年も働いて生活費を稼いでいたバイト先だというのに、今さらな心配をしてくる。
「そんな就職の仕方ってやっぱあるんだね」
「結局さぁ、何事もコツコツやってる奴が一番強いよ。教授もあんたが一番に決まらないのは絶対おかしいって言ってたもん」
「あー、言ってたね」
立ち飲み形式のスペインバルで白ワインのグラスを傾けて、揚げパスタをポリポリと噛んでいる友人達がしみじみと言う。ゼミの中で私だけがなかなか決まらず、やっぱり教授にも心配をかけていたらしい。
テーブル代わりの大樽に置かれたタパスを一口かじる。バケットに載ったアンチョビの絶妙な塩分が、久しぶりに外出して夏バテ気味になっている体に染みた。
「これで一緒に卒業できるね」
「まだ卒論あるけどねぇ」
「袴着よう。予約しちゃおう」
「八月ならまだ可愛いのあるかな」
口々に言い合いながら、酔いも手伝って高くなったテンションで着物レンタルのサイトを見る。色とりどりの袴を眺めていると卒業が現実味を帯びてきて、ユウマくんとはこのまま会わなくなっても大丈夫な気がしてきた。
後は卒論を提出するだけ。
サークルには行かなきゃいいだけ。
(……会わなければ、どうってことない)
久しぶりに人と会って飲んだお酒は気分を高揚させて、なにがあっても大丈夫だと、自分が万能になった気にしてくれる。酔った勢いで来週末、袴を見にいく約束をしてしまい、行き先なんて決まらないまま卒業旅行もしようなんて言い合った。
二時間しっかり食べて飲んで、お互いまだ意識を保ちつつ、しっかり立っていられる状態で解散した。
風が一つも吹かない、湿度の高いジメジメとした夜道を歩く。
(——そういえば去年はサークルのみんなで花火大会に行ったんだっけ)
屋台で色々買って、途中でユウマくんと抜けて、慣れない草履で足を擦りむいたから彼の腕を掴んで歩いて。そういう小さいことが嬉しかったし、ただ純粋に楽しかった。というか、私は、体の関係なしでユウマくんとそういうことがしたかった。
(……あぁ、ダメだ。気づけばまたユウマくんのことを考えてしまう)
今頃、サークルでもまた毎週恒例の飲み会をしているんだろうな。
部長じゃなくなった元彼も、今は私と同じように就活が忙しくなったようで、前までしつこいくらいに個別にきていた飲みやイベントの誘いは、六月あたりからぱったりと来なくなった。
立っているだけで汗が吹き出してくる熱帯夜を、ふらふらになりながら歩く。やっとの思いでアパートに着くと、部屋の前に人影が見えた。
やたらと高い身長と薄い体つきのせいで、誰なのか一瞬でわかってしまって、共用廊下のいちばん手前で足が止まる。
私の部屋の前でドアを背にしながらスマホを触っていたユウマくんがこちらを向いた。
「……なんでいるの」
自分でも驚くくらい低い声が出る。ユウマくんも一瞬、たじろいで目を泳がせた。だけど大きく息を吐いて、まるで決意表明のようにこちらをじっと見据えてくる。
「先輩、俺、彼女と別れた。だいぶ前、ていうか先輩に怒られたその日に。報告したくて何回も電話したのに出てくれなかったけど」
「……あぁ、そう、なの」
「だからまた部屋に行ってもいい?」
「もう来てるじゃん」
「うん。誰とも付き合ってなかったらいいんだよね?」
こちらがぶっきらぼうに話していても、前と変わらない様子で笑うユウマくんを見て泣きそうになった。
ユウマくんが、彼女と別れて私のところに戻ってきてくれた。勝ち負けじゃ無いのに、彼女より私も選んでくれたんだと、嬉しくて、自惚れそうになる。
抱きつきたくなる衝動を抑えて、鍵を開けて中に入れる。
「……とりあえず、どうぞ」
「お邪魔します」
前までなら誰よりも先にベッドに飛び込んでいたのに、今日のユウマくんは大人しく遠慮がちに私の後ろをついてきた。
真っ直ぐキッチンへ行き、冷蔵庫を開けてお茶のペットボトルとエナジードリンクを取り出す。ユウマくんが来なくなってずっとここにあったものだ。私は飲まないけど、捨てるのも踏ん切りがつかなくて、そのままになっていた。
振り返って渡そうとした瞬間、抱きつかれて落としそうになる。
「わ、あぶなっ……ちょ、ちょっと待って!」
「うん、なに?」
汗でベタベタに張り付いた服ごと抱きしめられて焦る。だけどそんなことは気にしていないのか、ユウマくんが私の髪に顔をうずめてきた。身じろぎしながら持っていたペットボトルや缶をシンクに置いてユウマくんの腕に触れる。一瞬、ぴくっと動いて腕の力がますます強くなった。
「なんでそんながっついてくるの!」
服に手を入れられそうになって大きな声を出してしまった。
「久しぶりだから」
慌てふためく私に笑いかけて、腕がゆるんだ。その隙に抜け出して、向かい合う。だけどユウマくんの手は懲りずに私の腰へ伸びて、避けようとした背中が真後ろの冷蔵庫に当たった。
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