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第8章
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それから一ヶ月後。冬休みに入って、突然、半年以上も音沙汰がなかった元彼から連絡が来た。
部屋の掃除をしていたら私の私物が出てきたから返したいというので、会うことになった。
夕方からやっている駅前のビアレストランを待ち合わせ場所に選んで、前に買ったまま読めていなかった小説を開いて待つ。
相変わらず時間に律儀な元彼は、約束した時間前にやって来た。
「はい、これ。忘れ物」
席に着く前に、小さな白いプラスチックケースを手渡される。
「あっ、えー、どこにあったの?」
「ベッドの下。一応、充電できてたから使えると思う」
「ありがとう」
元彼から手渡されたのは、どこかに落としたか、無くしていたと思っていたワイヤレスイヤホンだ。
もう新しいものを買ってしまっていたから使わないと言えば使わないのだけど、高価だったからありがたく受け取る。
「なんか久しぶりすぎて、話したいことめちゃくちゃあるんだけどいい? 今日バイト?」
半年以上会っていなかった元彼は、しばらく見ないうちに、なんだかやつれたような、覇気が薄れた感じがする。
仕事一筋だった人が定年退職して家でぼーっとするようになった途端、急速に老け込んだというエピソードがそのまんま当てはまりそうだった。
「今日は無いから、大丈夫」
読みかけの小説をバッグの中にしまうと、元彼が向かい側に座った。
ふぅ、と疲れた様子で息をついてメニューが表示されたタブレットを操作している。
「飲んでいい?」
「まだ明るいけど、まぁいいや。どうぞ」
「お前は?」
「飲む」
「だよな」
中ジョッキと何品か摘めるものを頼んで「そういえば」と元彼が切り出した。
「就職先決まったって?」
「なんで知ってんの」
「夏休み、実家の近所でお前のお母さんに会ったから」
「あー」
そういえば母親には別れたことをまだ言っていなかった。
元彼と偶然会って、また近所のおばちゃんみたいな気さくなノリで話しかけたのだろう。こっちに連絡が来ないってことは、元彼も言ってないのか。母に圧されて言えなかったのか。
「バイト先って、あのテレオペの?」
「そうそう」
「一年からだよな、よく続いてたな」
「お金持ちのあんたの家と違って、うちは生活費を自分で稼がなきゃならないから」
「あー、なに、すげえ嫌味くさい」
「嫌味だよ」
「てことは、帰らないのか」
「帰りたくないよ。だって、なにもないでしょ、うちらの地元は」
「なんだよ、俺らの故郷だろ。離れてわかるありがたみがあるって。少なくとも俺はそうだった」
「この四年間に?」
「そう」
「……ふーん。そっちは? 決まった?」
微妙に含みのある言い方をされて、話の流れを変える。
「いや、まだ。それどころじゃなくて」
「なんで、彼女と別れたから?」
「あぁ、うん、別れたというか、向こうの浮気というか」
煮え切らない返事の後、しばらく間が続いて注文したものが届き始めた。
特に乾杯するわけでもなく、各々好きなタイミングで口をつける。
これは、何か相談に乗ったほうがいいやつなのか。こんなに意気消沈している元彼を見るのは、自分たちの別れ話のとき以来かもしれない。就職先も決まらず、恋人にも振られて、坂道を転がり落ちるようにこのまま落ちぶれていきそうだ。
「……あのさ」
サラダに入っていたトマトのゼリー状になっている部分を箸でいじくりながら、元彼がこちらを見ずに話しかける。
「なに?」
「ごめん。別れ話のとき、かばってやれなくて」
今さらな話を持ち出されて、落ちぶれそうだからと慰めようとしていた自分がバカらしくなった。同情心が一気に消え失せて、当時、言い出せなかった感情がふつふつと湧き上がってくる。
「……あぁ、本当にね。私たちは高校の時から付き合ってたのに、浮気したのはアンタで、なんで私が殴られてるんだろうってずっと疑問だった」
「ごめん」
「私、あの子嫌い。あの場で本当のことを言わなかったアンタも嫌い」
「……うん」
「結局、自分も浮気されて一年ちょっとで別れてるし、因果応報、超ざまあ」
「……はい」
「ばーか、最低クソ野郎、ちんこもげろ」
「……ははっ、口悪っ」
「まだまだ全然言い足りないんだけど」
ジョッキの持ち手を掴んでビールをあおる。
本当に全然、言い足りない。
別れてから何度も連絡してきて友達ぶって、こうして会って話しているのだって私の温情だというのに、ヘラヘラして。全然、大丈夫じゃん。元彼は私が思っているより強かで、そこにも腹が立つ。
「ユウマとは」
イライラを抱えたまま、きつい炭酸を飲み込んでいる最中に、ユウマくんの名前が出てきて吹き出しそうになる。
「付き合ってないのか」
「っ、……ない」
「まぁそうか、ユウマにもいろいろ群がってきてるし、彼氏にしたら大変だろうな」
「……そうなの?」
「結構、いろいろ聞こえてくる。後輩としては良い奴なんだけど、異性関係ちょっと評判悪いんだよな。……お前、ユウマのこと好きじゃん。でも男運悪いから一応、傷つく前に教えとこうと思って。藤さんも心配してたし」
さらりととんでもない発言を二、三個ぶち込んできて、追加でさらに懐かしい人の名前が出てきて驚く。
「別に……ていうか、なんで藤さん?」
「あの人、結構こっちに来てるよ。九月から配属先が近くなったとかで。たまに一緒に飲み行くし、今日も、七時からサークルで忘年会あるじゃん。OBとして参加するって張り切ってた」
「ふーん、そうなんだ。……参加しないの?」
「うん、代替わりも済んだし、俺はもういいかな。ってなんで、忘年会あること知らねえんだよ。ユウマから聞いてねえの」
聞いてない。飲み会もイベントも今年に入ってから行っていないし、就活もいまだに終わってないことになっているから、ユウマくんもきっと、もう誘うのを諦めたのだと思う。
「そんな頻繁に連絡取ってるわけじゃないから」
「そっか」
なぜかほっとしたような顔をして、元彼が笑った。
忘年会の会場がここに近いのと、サークルのメンバーに会うのは気まずいという理由で、一時間ちょっとで店を出ることになった。十二月下旬ともなると十八時過ぎると外はもう真っ暗で、代わりにイルミネーションが煌々と街を照らしていた。二日後にはクリスマスイブなのだと思い出す。
それから一ヶ月後。冬休みに入って、突然、半年以上も音沙汰がなかった元彼から連絡が来た。
部屋の掃除をしていたら私の私物が出てきたから返したいというので、会うことになった。
夕方からやっている駅前のビアレストランを待ち合わせ場所に選んで、前に買ったまま読めていなかった小説を開いて待つ。
相変わらず時間に律儀な元彼は、約束した時間前にやって来た。
「はい、これ。忘れ物」
席に着く前に、小さな白いプラスチックケースを手渡される。
「あっ、えー、どこにあったの?」
「ベッドの下。一応、充電できてたから使えると思う」
「ありがとう」
元彼から手渡されたのは、どこかに落としたか、無くしていたと思っていたワイヤレスイヤホンだ。
もう新しいものを買ってしまっていたから使わないと言えば使わないのだけど、高価だったからありがたく受け取る。
「なんか久しぶりすぎて、話したいことめちゃくちゃあるんだけどいい? 今日バイト?」
半年以上会っていなかった元彼は、しばらく見ないうちに、なんだかやつれたような、覇気が薄れた感じがする。
仕事一筋だった人が定年退職して家でぼーっとするようになった途端、急速に老け込んだというエピソードがそのまんま当てはまりそうだった。
「今日は無いから、大丈夫」
読みかけの小説をバッグの中にしまうと、元彼が向かい側に座った。
ふぅ、と疲れた様子で息をついてメニューが表示されたタブレットを操作している。
「飲んでいい?」
「まだ明るいけど、まぁいいや。どうぞ」
「お前は?」
「飲む」
「だよな」
中ジョッキと何品か摘めるものを頼んで「そういえば」と元彼が切り出した。
「就職先決まったって?」
「なんで知ってんの」
「夏休み、実家の近所でお前のお母さんに会ったから」
「あー」
そういえば母親には別れたことをまだ言っていなかった。
元彼と偶然会って、また近所のおばちゃんみたいな気さくなノリで話しかけたのだろう。こっちに連絡が来ないってことは、元彼も言ってないのか。母に圧されて言えなかったのか。
「バイト先って、あのテレオペの?」
「そうそう」
「一年からだよな、よく続いてたな」
「お金持ちのあんたの家と違って、うちは生活費を自分で稼がなきゃならないから」
「あー、なに、すげえ嫌味くさい」
「嫌味だよ」
「てことは、帰らないのか」
「帰りたくないよ。だって、なにもないでしょ、うちらの地元は」
「なんだよ、俺らの故郷だろ。離れてわかるありがたみがあるって。少なくとも俺はそうだった」
「この四年間に?」
「そう」
「……ふーん。そっちは? 決まった?」
微妙に含みのある言い方をされて、話の流れを変える。
「いや、まだ。それどころじゃなくて」
「なんで、彼女と別れたから?」
「あぁ、うん、別れたというか、向こうの浮気というか」
煮え切らない返事の後、しばらく間が続いて注文したものが届き始めた。
特に乾杯するわけでもなく、各々好きなタイミングで口をつける。
これは、何か相談に乗ったほうがいいやつなのか。こんなに意気消沈している元彼を見るのは、自分たちの別れ話のとき以来かもしれない。就職先も決まらず、恋人にも振られて、坂道を転がり落ちるようにこのまま落ちぶれていきそうだ。
「……あのさ」
サラダに入っていたトマトのゼリー状になっている部分を箸でいじくりながら、元彼がこちらを見ずに話しかける。
「なに?」
「ごめん。別れ話のとき、かばってやれなくて」
今さらな話を持ち出されて、落ちぶれそうだからと慰めようとしていた自分がバカらしくなった。同情心が一気に消え失せて、当時、言い出せなかった感情がふつふつと湧き上がってくる。
「……あぁ、本当にね。私たちは高校の時から付き合ってたのに、浮気したのはアンタで、なんで私が殴られてるんだろうってずっと疑問だった」
「ごめん」
「私、あの子嫌い。あの場で本当のことを言わなかったアンタも嫌い」
「……うん」
「結局、自分も浮気されて一年ちょっとで別れてるし、因果応報、超ざまあ」
「……はい」
「ばーか、最低クソ野郎、ちんこもげろ」
「……ははっ、口悪っ」
「まだまだ全然言い足りないんだけど」
ジョッキの持ち手を掴んでビールをあおる。
本当に全然、言い足りない。
別れてから何度も連絡してきて友達ぶって、こうして会って話しているのだって私の温情だというのに、ヘラヘラして。全然、大丈夫じゃん。元彼は私が思っているより強かで、そこにも腹が立つ。
「ユウマとは」
イライラを抱えたまま、きつい炭酸を飲み込んでいる最中に、ユウマくんの名前が出てきて吹き出しそうになる。
「付き合ってないのか」
「っ、……ない」
「まぁそうか、ユウマにもいろいろ群がってきてるし、彼氏にしたら大変だろうな」
「……そうなの?」
「結構、いろいろ聞こえてくる。後輩としては良い奴なんだけど、異性関係ちょっと評判悪いんだよな。……お前、ユウマのこと好きじゃん。でも男運悪いから一応、傷つく前に教えとこうと思って。藤さんも心配してたし」
さらりととんでもない発言を二、三個ぶち込んできて、追加でさらに懐かしい人の名前が出てきて驚く。
「別に……ていうか、なんで藤さん?」
「あの人、結構こっちに来てるよ。九月から配属先が近くなったとかで。たまに一緒に飲み行くし、今日も、七時からサークルで忘年会あるじゃん。OBとして参加するって張り切ってた」
「ふーん、そうなんだ。……参加しないの?」
「うん、代替わりも済んだし、俺はもういいかな。ってなんで、忘年会あること知らねえんだよ。ユウマから聞いてねえの」
聞いてない。飲み会もイベントも今年に入ってから行っていないし、就活もいまだに終わってないことになっているから、ユウマくんもきっと、もう誘うのを諦めたのだと思う。
「そんな頻繁に連絡取ってるわけじゃないから」
「そっか」
なぜかほっとしたような顔をして、元彼が笑った。
忘年会の会場がここに近いのと、サークルのメンバーに会うのは気まずいという理由で、一時間ちょっとで店を出ることになった。十二月下旬ともなると十八時過ぎると外はもう真っ暗で、代わりにイルミネーションが煌々と街を照らしていた。二日後にはクリスマスイブなのだと思い出す。
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