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第8章
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「元彼が彼女と別れるっぽい」という話をユウマくんから聞いたのは、十一月の終わり頃だった。金曜日でサークルの飲み会があるはずなのに珍しく早い時間に家に来たがると思ったら、シラフのユウマくんが少し疲れた顔で現れた。飲み会を途中で抜けてきたらしい。
「へえ、なんで」
「よくある男女のいざこざ。彼女が一年生にちょっかい出したとかで、部長が、あぁもう部長じゃないんだっけ、元部長が、キレて修羅場になった。ていうか、今なってる最中」
私が夕食を食べている途中のテーブルに座り直していると、冷蔵庫から飲めもしないお酒を出して、ユウマくんがふらふらと力なくベッドに倒れこんだ。それ、振っちゃったから、今開けると大変なことになるんじゃ……。
「……なるほどね」
相槌を打ちながらユウマくんの手から缶を引き抜いて、新しい酎ハイを出してテーブルに置く。
あの二人なら、やりかねない。別れ話をするなら、当人だけで集まって勝手にやればいいのに。どうしてわざわざ大衆に見られる場所でどうでもいい痴話喧嘩をするのか。まるでどちらが悪いかを周りに決めてもらっているみたいだ。公開裁判か。
「……最近、何回かそういうのでサークルの雰囲気悪くなってて、今もう活動自体が壊滅的」
「え、そうなの?」
「うん。結構みんな、元部長に頼りきりだったから。でも本人が今一番ピリピリしてる」
「へえ、なんだろ、就活とか卒論のストレスかな」
「俺も辞めようかな。先輩も来ないしぶっちゃけつまんねー。先輩、ちょっとでいいから来てよ」
「んー、今の話でますます行きたくなくなった」
「うわ、言わなきゃよかった……」
珍しくユウマくんの元気がない。なんだかんだ言って、彼にとってサークルは居場所だったのだろう。
新歓のときは適当に来たなんて言っていたくせに、こうして無くなったら惜しいくらいにまで思ってくれていたなら、あのときしつこく声をかけてよかったと思う。
「先輩の就活はいつ終わるの? 今どこ受けてんの?」
「えー、そんなの私が知りたいよ。一応、事務職に絞って受けてるんだけど」
ユウマくんとの関係が戻っても、就職先が決まったことは言わないでいた。言わないで、彼が部屋に来ようとしても、卒論と就活を理由に断ることが多くなった。
今までの私なら、ユウマくんに会いたい、ユウマくんの彼女になりたいと思う気持ちが強かったのに、今はもう彼女になるのはすっかり諦めていて、自分から意識的に合う回数を減らしている。
これ以上好きになってしまうと、私が私じゃなくなりそうだった。
以前は絶対にそんなことなかったのに、最近はユウマくんがこの部屋でほんのちょっとスマホに触っているだけで、心の中が真っ黒になる。
誰と連絡を取っているのか気になって、ユウマくんが寝ている隙に見ようとしてしまったこともあった。そんなこと、元彼にもしたことない。
自分が自分じゃないみたいで怖い。気持ち悪い。今こんなに心がぐちゃぐちゃに乱されるなら、仮に付き合うことができてもきっと、同じことをしてしまいそうだ。
だけど、そこまでわかっていて——きっぱり断ち切れないのは、まだ好きだからだった。未練がましいのは自覚している。せめて、卒業するまで、と甘いことを考えて先伸ばしにしている。県外に行くのだから、物理的に距離が遠くなれば意外とあっさり諦められる気がした。
それなのに、私の葛藤とは裏腹に、ユウマくんは前にも増して部屋に来るようになった。会えなかった空白期間を埋めるように連絡をしてきて、毎週金曜日の約束があやふやになる。
「先輩、いっそ二年くらい留年すれば」
「ん?」
「このまま卒論も出すのやめて」
「なんでそんな無駄なこと。単位は取っちゃってるから卒論も出して、ちゃんと卒業するよ」
「ですよねー」
他人行儀な声を出してのっそりと起き上がったユウマくんに、酎ハイを手渡そうとして引っ込める。
「あ、飲むならベッドから降りて」
「はい」
素直にベッドから降りてユウマくんが私の隣に座った。フォークを口に運んでいる私の手元を見ながら、缶を開ける。
「何食べてんの」
「グラタン」
「一口ちょうだい」
「ん。そういやユウマくん、ご飯食べれた? ゴタゴタしてたんでしょ?」
「んぁ、微妙。お通しくらい?」
「まだ残ってるから新しく作るよ」
私が立ち上がると、ユウマくんも黙って後ろをついてくる。「座って待ってて」と言っても言うことを聞かない。火を使ってるからか触れてこようとはしないけど、斜め後ろからずっと見てくるから落ち着かない。
「インプリンティングって知ってる?」
温め直している鍋をかき混ぜながら、冷蔵庫にもたれているユウマくんに酎ハイを取ってもらって、どうでもいい話をふった。
「……なんだっけ」
「生まれたてのひよこが、自分より大きいものを見ると親じゃなくてもついていくってやつ」
「あぁ、追従行動」
「一番初めに刷り込まれたものは一生消えないんだって」
「俺じゃん」
「ね、今ふと思い出した。……かわいそうに、一番最初に私としたばかりに変な癖がついちゃって」
「そこまで変態的なプレイはしてないと思うけど」
ユウマくんが眉をひそめながら首を傾げた。「そうかな」なんて笑って、中身をよそったグラタン皿にチーズをかけてからトースターに入れる。ここ最近は、会う回数は増えても、毎回、身体を重ねるわけではなかった。
求められたら応じているけど、私は今までのように積極的ではなかったし、ユウマくんも、おそらくそれに気づいている。関係を戻したあの日から、ボタンを掛け違えたように、何か少しずつずれていった。
私たちを繋ぐものはセックスしかなくて、それを取り払ったらお互いこんなにぎこちない。なのに、どちらもそのことには触れず決定的なことは何も言わず、情か執着か、離れられないでいた。
「へえ、なんで」
「よくある男女のいざこざ。彼女が一年生にちょっかい出したとかで、部長が、あぁもう部長じゃないんだっけ、元部長が、キレて修羅場になった。ていうか、今なってる最中」
私が夕食を食べている途中のテーブルに座り直していると、冷蔵庫から飲めもしないお酒を出して、ユウマくんがふらふらと力なくベッドに倒れこんだ。それ、振っちゃったから、今開けると大変なことになるんじゃ……。
「……なるほどね」
相槌を打ちながらユウマくんの手から缶を引き抜いて、新しい酎ハイを出してテーブルに置く。
あの二人なら、やりかねない。別れ話をするなら、当人だけで集まって勝手にやればいいのに。どうしてわざわざ大衆に見られる場所でどうでもいい痴話喧嘩をするのか。まるでどちらが悪いかを周りに決めてもらっているみたいだ。公開裁判か。
「……最近、何回かそういうのでサークルの雰囲気悪くなってて、今もう活動自体が壊滅的」
「え、そうなの?」
「うん。結構みんな、元部長に頼りきりだったから。でも本人が今一番ピリピリしてる」
「へえ、なんだろ、就活とか卒論のストレスかな」
「俺も辞めようかな。先輩も来ないしぶっちゃけつまんねー。先輩、ちょっとでいいから来てよ」
「んー、今の話でますます行きたくなくなった」
「うわ、言わなきゃよかった……」
珍しくユウマくんの元気がない。なんだかんだ言って、彼にとってサークルは居場所だったのだろう。
新歓のときは適当に来たなんて言っていたくせに、こうして無くなったら惜しいくらいにまで思ってくれていたなら、あのときしつこく声をかけてよかったと思う。
「先輩の就活はいつ終わるの? 今どこ受けてんの?」
「えー、そんなの私が知りたいよ。一応、事務職に絞って受けてるんだけど」
ユウマくんとの関係が戻っても、就職先が決まったことは言わないでいた。言わないで、彼が部屋に来ようとしても、卒論と就活を理由に断ることが多くなった。
今までの私なら、ユウマくんに会いたい、ユウマくんの彼女になりたいと思う気持ちが強かったのに、今はもう彼女になるのはすっかり諦めていて、自分から意識的に合う回数を減らしている。
これ以上好きになってしまうと、私が私じゃなくなりそうだった。
以前は絶対にそんなことなかったのに、最近はユウマくんがこの部屋でほんのちょっとスマホに触っているだけで、心の中が真っ黒になる。
誰と連絡を取っているのか気になって、ユウマくんが寝ている隙に見ようとしてしまったこともあった。そんなこと、元彼にもしたことない。
自分が自分じゃないみたいで怖い。気持ち悪い。今こんなに心がぐちゃぐちゃに乱されるなら、仮に付き合うことができてもきっと、同じことをしてしまいそうだ。
だけど、そこまでわかっていて——きっぱり断ち切れないのは、まだ好きだからだった。未練がましいのは自覚している。せめて、卒業するまで、と甘いことを考えて先伸ばしにしている。県外に行くのだから、物理的に距離が遠くなれば意外とあっさり諦められる気がした。
それなのに、私の葛藤とは裏腹に、ユウマくんは前にも増して部屋に来るようになった。会えなかった空白期間を埋めるように連絡をしてきて、毎週金曜日の約束があやふやになる。
「先輩、いっそ二年くらい留年すれば」
「ん?」
「このまま卒論も出すのやめて」
「なんでそんな無駄なこと。単位は取っちゃってるから卒論も出して、ちゃんと卒業するよ」
「ですよねー」
他人行儀な声を出してのっそりと起き上がったユウマくんに、酎ハイを手渡そうとして引っ込める。
「あ、飲むならベッドから降りて」
「はい」
素直にベッドから降りてユウマくんが私の隣に座った。フォークを口に運んでいる私の手元を見ながら、缶を開ける。
「何食べてんの」
「グラタン」
「一口ちょうだい」
「ん。そういやユウマくん、ご飯食べれた? ゴタゴタしてたんでしょ?」
「んぁ、微妙。お通しくらい?」
「まだ残ってるから新しく作るよ」
私が立ち上がると、ユウマくんも黙って後ろをついてくる。「座って待ってて」と言っても言うことを聞かない。火を使ってるからか触れてこようとはしないけど、斜め後ろからずっと見てくるから落ち着かない。
「インプリンティングって知ってる?」
温め直している鍋をかき混ぜながら、冷蔵庫にもたれているユウマくんに酎ハイを取ってもらって、どうでもいい話をふった。
「……なんだっけ」
「生まれたてのひよこが、自分より大きいものを見ると親じゃなくてもついていくってやつ」
「あぁ、追従行動」
「一番初めに刷り込まれたものは一生消えないんだって」
「俺じゃん」
「ね、今ふと思い出した。……かわいそうに、一番最初に私としたばかりに変な癖がついちゃって」
「そこまで変態的なプレイはしてないと思うけど」
ユウマくんが眉をひそめながら首を傾げた。「そうかな」なんて笑って、中身をよそったグラタン皿にチーズをかけてからトースターに入れる。ここ最近は、会う回数は増えても、毎回、身体を重ねるわけではなかった。
求められたら応じているけど、私は今までのように積極的ではなかったし、ユウマくんも、おそらくそれに気づいている。関係を戻したあの日から、ボタンを掛け違えたように、何か少しずつずれていった。
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