【R18】私が後輩のセフレに沼ってから別れるまでのお話。

志貴野ハル

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第9章

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 大急ぎで四年間使っていた部屋に向かう。袴に合わせてセットした髪が変にゴワゴワとくせづいていて、ユウマくんに見せるためだけに浴衣を着た夏を思い出す。
 なんとか立ち合い予定の時間ギリギリに間に合った。と思ったら、自分の部屋のドアの前に人が立っている。……どうやら遅れてしまったらしい。
 申し訳なくなりながら共用廊下を早歩きする。
 だけどドアの前の人の正体を認識して、心臓が飛び出そうになった。
 さっきまで会場にいたはずなのに。

「……なんで、いるの?」
「金曜日だから?」

 首をかしげてユウマくんが笑う。今日は金曜じゃない。ちっとも笑えない冗談だった。
 震える手で鍵を開けて部屋に入ると、ユウマくんが後からついてきた。家具はもう新居へ運んでもらっていて部屋には何もないから、靴を履いたまま狭い玄関先で向かい合う。

「先輩、どこ行くの?」
「まだ配属先は決まってないって言ったでしょ」

 あぁ、また嘘をついちゃった。どうして本人を前にすると無駄に強がって、素直になれないんだろう。

「もう会ってくれないの?」
「……うん」
「なんで?」
「なんでって、……気軽に会える距離じゃないから」
「俺、会いに行くよ?」

 こちらの気も知らないで、ユウマくんが簡単に言ってきた。
(——なんで。なんで、今さらそんなことを言うんだろう。だって、前は、私がいなくても大丈夫そうだったじゃない……。そんな、考えが変わるなら、なんでもっと早く言ってくれなかったんだろう……)
 決心が、一瞬でぶれそうになる。このまま卒業して離れたほうが絶対いいのに。執着でもなんでもいいから、少しでも会おうとしてくれているのが嬉しくて、ほだされてしまいそうになる。

 息を大きく吸い込んでユウマくんの顔を見据える。
「……ううん、もういいよ。キリのいいところで終わろう」
「キリって、俺はまだ二年あるんだけど」

 食い下がって、ふてくされるユウマくんの言葉に「そうだね、ごめん」と笑う。

「寂しかったらさ、べつの人を探せばいいよ。それこそまた彼女とかつくって。今度はちゃんと自分が好きになった人と付き合って、大事にしたらいいんだよ」

 最後まで、ユウマくんにも自分にも嘘をついてしまう。

「…………」

 一瞬、目を見開いてそれきり、ユウマくんは何も言わなくなった。
 ずっとうつむいていて、無音のまま時間だけが流れる。
 空っぽになった部屋は、外気温と同じくらい寒い。このまま玄関先で立っていると足元から冷えていく感じがする。なのにユウマくんは何も言わないし、動こうとしない。

「……ユウマくん、そろそろ」

 「管理会社が来るから」と立ち尽くしたままの彼の腕にそっと触れる。だけど私の手はそのまま勢いよく振り払われた。驚いた瞬間に体がぐらりと揺れて視界が暗くなる。背中や肩が重くなって、ようやく抱き締められたと気づいた。

「っ、ユウマくん」
「………………うん」

 頭の上で、低く掠れた声がした。背中に回る腕の力がだんだんと強くなって、痛くて、なぜか少し笑えてくる。
 最初の頃みたいに、私のことなんか興味ない感じになってくれたらいいのに。会いに行くなんて簡単に言わないで「ふーん」で終わってくれればいいのに。好かれているって、勘違いしそうになるじゃないか。なんで今になってこうなの……。

「ユウマくん、二年間、ありがとう。……元気でね」

 自然に言おうと思ったのに、最後は声が震えてしまった。背中に腕を回して、子供をあやすようにぽんぽんと叩いて誤魔化す。
 ああもう、泣きそうになるな。ユウマくんはただの後輩で、セフレで、恋人なんかじゃない。だから感傷的にならなくていいのに。
 それなのに、胸がぎゅっと締め付けられたように痛い。ユウマくんに彼女ができたときと同じくらい痛かった。立っていられないくらい足元がぐらぐらして、喉がつぶれたようになって、息を吸い込もうとしてもうまくできない。声を押し殺そうとするほど体が震えて、涙が余計に溢れてくる。
 最後は笑って終わりたかった。「ユウマくんのこと、もう興味ないよ」って素振りで離れたかったのに。
 腕の力が緩んで、ユウマくんが離れた。ぼろぼろと際限なく溢れる涙を見られたくなくて、今度は私がうつむく。
 ユウマくんの大きな手が頭を撫でた。ベッドでしたときみたいに何度も往復して、今度は耳のふちを指先でなぞる。くすぐったさにうつむいたまま身じろぎすると、ふ、と笑う声が聞こえて、また強い力で抱きしめられた。

「……先輩」

 大好きだった低い声が、耳元のすぐそばで聞こえる。

「…………っ」

 両手で顔を覆って隠す。泣いている顔を見られたくなかった。

「……じゃあね、先輩。バイバイ」

 初めて一緒に過ごして、ここまで送ってくれたときと同じセリフを言って、ユウマくんの身体が離れた。
 顔を上げるとドアが開いていて、目の前からユウマくんがいなくなっていた。
 ゆっくりと閉じかけるドアを押して、外に出る。
 涙で濡れた顔に風があたって冷たい。

「——ユウマくんっ」

 歩幅の大きい彼は、あっという間に道路の向こう側を歩いていた。
 線の細い身体が立ち止まってこちらを振り向く。

「…………またねっ」

 またなんて、これから先、あるかわからないのに。
 私はとことん、往生際が悪い。
 ユウマくんの手が高く上にあがって、ひらひらと揺れた。




〈終〉
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