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ブライアンのプレゼント
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次の日からケイトの公爵令嬢としての生活が始まった。毎日、ベスの示すスケジュールに沿ってきっちりと管理されて過ごしている。
朝の身だしなみ、朝食、着替え、散歩、着替え、昼食、着替え、勉強、着替え、夕食、湯あみ、就寝。何が一番驚いたかというとやはり着替えの多さだろう。貴族は何でこんな無駄なことをしているのだろうと疑問ではあったが、そういうものなのだと納得するしかなかった。
勉強は家庭教師が日替わりでやってきて、あらゆる基礎教育を詰め込まれた。なかでも礼儀作法の時間が一番多く、家庭教師が帰ってからもベスの特訓を受けたりもする。
「ケイト様は見た目はご令嬢に近づいてきましたが、中身はまだまだ人前に出られるレベルではございません。あと三年で王立学園に通うことが出来るようになるまで厳しくいきますよ」
「はあい……」
時々、ベンジャミンが顔を見にやってくる。
「頑張ってるか? ケイト」
「はい、お父様」
「他の令嬢が何年もかけて身に付けてきた事を三年でやろうとしているのだからな、大変だろうがお前なら出来る。頑張るんだぞ」
「はい、お父様」
ケイトはにっこり笑って返事をする。そうすると父が喜ぶのがわかるからだ。娘というものは存在だけで愛しい、と下町のおじさん達も言っていたがそれは貴族でも同じらしい。
先日は初めて刺繍に挑戦した。手先が器用なだけあって、初歩のステッチはすぐに習得した。ベンジャミンのイニシャルをハンカチに刺繍して贈ると、涙を流さんばかりに喜んでくれた。こうして喜んでもらえると、こちらも嬉しくなってしまう。ケイトはすっかりベンジャミンのことが好きになっていた。
一方、ブライアンとは未だに壁を感じていた。あの夜、彼の心の内を聞いてからケイトは彼にはあまり踏み込んでいかない方がいいのだろうかと考えていた。
だが、やはり家族の一員なのだ。嫌われているかもしれないけれど、交流を持たないのは寂しすぎる。そう思ってブライアンのイニシャル入りハンカチも渡したし、ブライアンが出掛ける時には玄関まで見送りに行くように心がけていた。最初は無表情であまり対応がよろしくなかったが次第に返事くらいはしてくれるようになってきた。
「行ってらっしゃいませ、ブライアン様」
「……ああ」
(このくらいでも大した進歩だわ! もっと、カイルみたいに気安く話せる仲になれたらいいんだけど、それは贅沢ってものよね。そもそも、反感を持たれてるんだもの)
そして半年が過ぎる頃、いつものように見送りに出たケイトにブライアンがボソリと言った。
「……でいい」
「はい? 何と仰いましたか、ブライアン様?」
「様、は要らない。ブライアンでいい」
(呼び捨て、来たーーーー!)
ケイトは内心のガッツポーズを表に出さないようこらえ、にこやかに言った。
「わかりました! 行ってらっしゃいませ、ブライアン」
「……行ってくる、ケイト」
名前を呼んでもらえた嬉しさに、振り返らないのはわかっていたがブライアンの馬車が見えなくなるまでケイトは手を振り続けていた。
それからしばらくしてブライアンは士官学校に入学することになった。王立学園か士官学校かを選ぶ際、後者を選んだのだ。
「士官学校を卒業していれば軍に入った時にすぐに少尉になれるからな。いい選択だ」
とベンジャミンは褒めていた。ケイトは、これも未来に向けた布石なのだろうか、と考えていた。
士官学校に入ると全員寄宿生活を送ることになる。家に帰って来れるのは半年に一度だけだ。
「寂しくなります、ブライアン」
ベンジャミンと共に見送りに立ったケイトにブライアンはふっと微笑んだ。
「ケイト、父上をよろしく頼む。歳を取って涙脆くなり過ぎているからな」
「な、何を言うんだブライアン! 私はまだまだ現役だぞ? 泣いたりせんからな」
そう言いながら涙目になっているベンジャミンは十分に親バカだ。
(きっと、ブライアンは自分で思うよりお父様に愛されてると思うわ……追い出されたりしないはずよ、たぶん)
ケイトは新しく刺繍したハンカチをブライアンに渡した。アークライト家の家紋を入れてみた自信作だ。
「ありがとう。使わせてもらうよ」
士官学校の制服を着たブライアンはとても凛々しく、男らしくて素敵だった。
「では、行って参ります」
馬に乗るブライアンの背中を、ケイトは父と共にいつまでも見送っていた。
ブライアンの進学から半年が過ぎ、初めての休暇の時期が来た。だが、ブライアンは多忙を理由に帰って来なかった。
「次の休みには必ず帰ると手紙に書いてあったぞ」
ベンジャミンはそう言ったが、本当に帰って来てくれるかケイトは不安だった。
(離れてみるとやっぱり私のこと嫌いになっちゃったとか、顔を見たくないとか思ってるとか……)
いや! マイナス思考はダメダメ、と気を取り直し、昨日から作り始めた匂い袋に取り掛かった。ブライアンが安眠に効くと言っていた花を乾燥させて、可愛らしい小袋に入れて送ろうと思っているのである。
(寄宿舎ではよく眠れないかもしれないもの。枕元に置いてもらいたい。本当は、帰省した時に渡そうと思っていたけどしょうがないわね)
「ねえベス、これでどうかしら」
出来上がった匂い袋をベスに見せて意見を求めた。
「縫い目も美しいですし、良く出来ていると思いますよ。ブライアン様も鼻高々になるんじゃないでしょうか」
「だといいんだけど。下手な物を使わせてブライアンに恥をかかせたくはないもの」
最近の出来事などを一言二言手紙に書き添えて、ケイトは匂い袋をブライアンの寄宿舎へ送った。
驚いたことに、翌々週、手紙の返事が返って来た。初めて自分に届いた手紙に、ケイトは興奮してベスに自慢した。
「ねえベス、ブライアンから返事が来たわ! 自分に手紙が来るのってとても素敵な気分ね! なんだか大人になったみたい」
「ブライアン様は真面目で義理堅いお方ですからね。手紙を受け取ったら返事は必ず出されると思いますよ」
「そうなの?」
(それは、いいことを聞いたわ)
ケイトは内心ほくそ笑んだ。
(それならば、このまま文通を続けちゃいましょう! そうしたらもっと垣根が取れるかもしれない)
それからは、ケイトはまめに手紙を書いた。そうすると、少し遅れることはあっても必ず返事が届くのが嬉しかった。ケイトが送る内容はたわいのないことだ。日常のちょっとしたこと、ベンジャミンの様子、ブライアンが置いていった愛犬ジョンのこと……。
ブライアンは、短い文面ではあるが訓練の様子や愉快な仲間の話などを書き送ってくれる。ぶっきらぼうなブライアンだが手紙を読んでいるとユーモアがあり、根は明るい人なのだと分かる。
(ブライアンって、知れば知るほど素敵な人だって思う。あんな人が結婚相手だったらいいな)
だが現実には、自分はブライアンからは望まれていない。それならばせめて、兄妹として仲良くしていきたいものだ。
(ブライアンにお嫁さんが来たら、私、辛過ぎて見てられないかも。お兄ちゃんが大好きな妹って、こんな気持ちなのかな)
そしてまた、休暇の時期が来た。今度は必ず帰ってくるとブライアンの手紙に書いてあったので、ケイトはお茶を美味しく淹れる練習をしたり、お茶菓子を綺麗に焼く練習などをしてブライアンの帰省を心待ちにしていた。
いよいよブライアンが帰ってくる日だ。ベンジャミンも心なしかソワソワしている。
「お父様、少しは落ち着かれたらいかが」
「そう言うケイトも本が逆さまになっているぞ」
「あらっ。読書で気を紛らわそうと思っていたのに……」
本の文字など何も目に入っていなかった証拠である。
そうこうするうちに馬の蹄音が聞こえた。ベンジャミンとケイトは急ぎ足で玄関ホールへと向かう。既に馬から降りたブライアンは、邸内に入っていた。
「父上、ただ今戻りました」
「久しぶりだな、ブライアン」
さっきまでのソワソワを見せないよう落ち着いた態度で出迎えるベンジャミン。
「お帰りなさい、ブライアン」
「ケイト。驚いたな、随分と背が高くなってる」
「だってあれからもう一年が経ちましたもの。最近になって急に背が伸びたんです。それよりブライアンこそ、すごく背が高くなったみたい」
ケイトが伸びた以上にブライアンは背が高くなっていて、二人の身長差は広がっていた。それだけではなく華奢だった身体は一回り逞しくなり、日に焼けた肌のせいもあって男らしく、大人っぽく見えた。
「いやあ本当に大きくなったなあ。すっかり私を追い抜いてしまったではないか。子供に抜かれるというのは嬉しいような、寂しいような。いや、やはり嬉しいものだな」
笑いながらブライアンの背中を叩くベンジャミン。本当に嬉しそうだ。
「さあブライアン、あちらで学校の話を聞かせてくれ。他にも貴族の子弟がたくさんいたのだろう?」
「はい、父上。……あ、ケイト。これ、遅くなったが誕生日のプレゼントだ」
ブライアンは鞄から可愛らしい包みを取り出してケイトに手渡した。
「ええっ? プレゼント? 嬉しい、ブライアン。ありがとう!」
ケイトは半年前に十三歳の誕生日を迎えていた。ブライアンは帰省しなかったので手紙で祝いをひと言だけ述べてくれたが、ケイトにはそれで充分だったのにプレゼントまでもらえるなんて嬉しい驚きだった。
「良かったなぁ、ケイト。開けてみて私にも中を見せてくれないか」
「開けてもいい? ブライアン」
「ああ」
ケイトは包みを破らないように丁寧に開いた。中に入っていたのは、水色のボンネットだった。柔らかな布で出来たそれは小さなフリルで縁取られた前つばがついていて、頭頂部からサイドにかけては美しいレースが縫い付けられ顎下で紐を結ぶようになっている。
「可愛い……」
うっとりと眺めるケイトと、照れくさそうなブライアン。
「中庭でよく遊んでいると手紙に書いてあったから、どうせ日傘もささずにいるんだろうと思って。これで少しは日除けになるだろう」
まさに図星である。近頃は毎日のスケジュールにも慣れてきたし、礼儀作法もだいぶ身に付いてきたのでベスの課外授業を受ける必要も無くなった。余った時間は中庭でジョンと走ったり花冠を作ったりして遊んでいることが多かったのである。
「ありがとう、ブライアン! 中庭に出る時は必ずこれを着けるわ」
「ブライアン、なかなかセンスがあるじゃないか。一人で選んだのか?」
「いえ、女性の物は全くわからないので士官学校の同級生に選んでもらいました」
「ほう、最近は女性の軍人も増えてきているからな。なるほどなるほど。さて、じゃあ向こうで話をしようか」
ブライアンはケイトの頭をポンと叩くとベンジャミンと共に部屋に向かった。大人の話には子供は同席出来ないので、ケイトは二人を見送るしかなかった。
(これを選んでくれたのは女の人なのね……どんな人なんだろう、気になる……ああ、早く大人になれたら! そうしたら一緒にお話を聞けるのに)
ブライアンの女友達が気にはなったが、この可愛らしいボンネットも早く着けてみたい。ケイトは部屋に戻り、鏡の前で被り、紐を結んでみた。
(軽いし肌触りもいいし、これなら走っても邪魔にならないわね! 色も素敵……早速、中庭に出てみよう)
ケイトは太陽の下でしばらくジョンと一緒に遊んだ。遊び疲れて芝生に寝転ぶと、ジョンが顔を舐めにくる。
「こら、くすぐったいわ」
ジョンはボンネットの紐を咥えると、顔を振って引っ張り始めた。
「こらっ、やめなさい、ジョン」
だが紐はスルリと解け、ボンネットも頭から離れてしまった。
「もう、ジョンったら駄目よ。これは大切なブライアンからのプレゼントなんだから……」
ボンネットを拾い上げようとした時、突然強い風が吹いた。
「きゃっ……」
一瞬目をつむったケイトが目を開けた時には、ボンネットはひらりと舞い上がり空中に浮かんでいた。
「あっ、大変!」
慌てて追いかけるケイト。だがボンネットは風に乗り、中庭の真ん中に生えている背の高い木の枝に引っかかってしまった。
「あーあ……」
この木はベンジャミンが生まれた時に祖父が記念に植樹したもので、自分と同い年なのだと言って自慢していた木だ。木登りには丁度いい感じに育っている。
(昔、マークおじさんに連れて行ってもらった森で、カイルと木登りして遊んだっけ。あの位の高さなら充分登れるわ)
ケイトは辺りを見回してベスがいないことを確かめ、ドレスの裾を結んで動きやすくした。そして木の幹に飛び付き、ゆっくりと登っていく。
(枝の先はちょっと細いわね……気をつけなくちゃ)
手を伸ばすのだが、あと少しという所で届かない。必死で掴もうとしている時、ジョンに餌を持ってきた若いメイドがケイトを見つけ、声を上げた。
「きゃあーーっ! ケイト様! 危ない!」
その声に驚いたケイトは足が滑った。
「あっ!」
身体が落ちてしまったがなんとか枝を掴んで持ちこたえた。しかし腕だけでぶらんとぶら下がる形になってしまった。
(これくらいの高さなら飛び降りても死んだりしないと思うけど……)
捻挫くらいはしてしまうかもしれない、と思っていた所にブライアンが走って来た。
「ケイト! 大丈夫か?」
「ブライアン! 大丈夫よ。今飛び降りようとしてるとこ」
「馬鹿、結構高さがあるんだから無茶するな。ゆっくり手を離せ。受け止めてやる」
(えええ? 受け止める? 私、重いのに)
その時また強い風が吹き、枝が揺れて思わず手を離してしまった。
(落ちる……!)
だが次の瞬間、ケイトの身体は大きな腕に抱きとめられていた。
目を開けると、ブライアンの顔がすぐ間近に。ケイトは恥ずかしくて目を伏せてしまった。
「ケイト! 何してるんだ? 大丈夫なのか」
ベンジャミンも慌てて走って来た。ブライアンはケイトをそっと地面に立たせ、怪我は無いか尋ねた。
「大丈夫、どこも怪我してないわ。心配させてごめんなさい」
「どうして木登りなんかしてたんだ、ケイト」
ベンジャミンが呆れ顔で言う。
「風に巻き上げられて、ブライアンにもらったボンネットが引っかかってしまったの」
二人が顔を上げると、枝の先でヒラヒラと揺れているボンネットが見えた。
「大切な物だから早く取りたくて……」
「だからって、怪我したら台無しだろう。下手したら死ぬかもしれないんだ」
そう言ってブライアンはスルスルと木に登ると、長い腕を伸ばして難なくボンネットを取った。そして木から降りるとパンパンとはたき、ケイトに手渡した。
「これからは気をつけること。高い所の物を取りたい時は、使用人に言うように」
「はい。ブライアン、心配かけてごめんなさい。そして、取ってくれてありがとう」
うっすらと涙目になっているケイトの頭をポンと叩いてブライアンは部屋に戻って行った。
(ブライアンはいつも頭をポンってしてくれる。優しくて温かい叩き方……。もしかしたら前ほどは嫌われてないのかな)
やっぱりブライアンは素敵だ。こんな素敵な人の妹でいられる自分は幸せ者だ、とケイトはしみじみと思った。
朝の身だしなみ、朝食、着替え、散歩、着替え、昼食、着替え、勉強、着替え、夕食、湯あみ、就寝。何が一番驚いたかというとやはり着替えの多さだろう。貴族は何でこんな無駄なことをしているのだろうと疑問ではあったが、そういうものなのだと納得するしかなかった。
勉強は家庭教師が日替わりでやってきて、あらゆる基礎教育を詰め込まれた。なかでも礼儀作法の時間が一番多く、家庭教師が帰ってからもベスの特訓を受けたりもする。
「ケイト様は見た目はご令嬢に近づいてきましたが、中身はまだまだ人前に出られるレベルではございません。あと三年で王立学園に通うことが出来るようになるまで厳しくいきますよ」
「はあい……」
時々、ベンジャミンが顔を見にやってくる。
「頑張ってるか? ケイト」
「はい、お父様」
「他の令嬢が何年もかけて身に付けてきた事を三年でやろうとしているのだからな、大変だろうがお前なら出来る。頑張るんだぞ」
「はい、お父様」
ケイトはにっこり笑って返事をする。そうすると父が喜ぶのがわかるからだ。娘というものは存在だけで愛しい、と下町のおじさん達も言っていたがそれは貴族でも同じらしい。
先日は初めて刺繍に挑戦した。手先が器用なだけあって、初歩のステッチはすぐに習得した。ベンジャミンのイニシャルをハンカチに刺繍して贈ると、涙を流さんばかりに喜んでくれた。こうして喜んでもらえると、こちらも嬉しくなってしまう。ケイトはすっかりベンジャミンのことが好きになっていた。
一方、ブライアンとは未だに壁を感じていた。あの夜、彼の心の内を聞いてからケイトは彼にはあまり踏み込んでいかない方がいいのだろうかと考えていた。
だが、やはり家族の一員なのだ。嫌われているかもしれないけれど、交流を持たないのは寂しすぎる。そう思ってブライアンのイニシャル入りハンカチも渡したし、ブライアンが出掛ける時には玄関まで見送りに行くように心がけていた。最初は無表情であまり対応がよろしくなかったが次第に返事くらいはしてくれるようになってきた。
「行ってらっしゃいませ、ブライアン様」
「……ああ」
(このくらいでも大した進歩だわ! もっと、カイルみたいに気安く話せる仲になれたらいいんだけど、それは贅沢ってものよね。そもそも、反感を持たれてるんだもの)
そして半年が過ぎる頃、いつものように見送りに出たケイトにブライアンがボソリと言った。
「……でいい」
「はい? 何と仰いましたか、ブライアン様?」
「様、は要らない。ブライアンでいい」
(呼び捨て、来たーーーー!)
ケイトは内心のガッツポーズを表に出さないようこらえ、にこやかに言った。
「わかりました! 行ってらっしゃいませ、ブライアン」
「……行ってくる、ケイト」
名前を呼んでもらえた嬉しさに、振り返らないのはわかっていたがブライアンの馬車が見えなくなるまでケイトは手を振り続けていた。
それからしばらくしてブライアンは士官学校に入学することになった。王立学園か士官学校かを選ぶ際、後者を選んだのだ。
「士官学校を卒業していれば軍に入った時にすぐに少尉になれるからな。いい選択だ」
とベンジャミンは褒めていた。ケイトは、これも未来に向けた布石なのだろうか、と考えていた。
士官学校に入ると全員寄宿生活を送ることになる。家に帰って来れるのは半年に一度だけだ。
「寂しくなります、ブライアン」
ベンジャミンと共に見送りに立ったケイトにブライアンはふっと微笑んだ。
「ケイト、父上をよろしく頼む。歳を取って涙脆くなり過ぎているからな」
「な、何を言うんだブライアン! 私はまだまだ現役だぞ? 泣いたりせんからな」
そう言いながら涙目になっているベンジャミンは十分に親バカだ。
(きっと、ブライアンは自分で思うよりお父様に愛されてると思うわ……追い出されたりしないはずよ、たぶん)
ケイトは新しく刺繍したハンカチをブライアンに渡した。アークライト家の家紋を入れてみた自信作だ。
「ありがとう。使わせてもらうよ」
士官学校の制服を着たブライアンはとても凛々しく、男らしくて素敵だった。
「では、行って参ります」
馬に乗るブライアンの背中を、ケイトは父と共にいつまでも見送っていた。
ブライアンの進学から半年が過ぎ、初めての休暇の時期が来た。だが、ブライアンは多忙を理由に帰って来なかった。
「次の休みには必ず帰ると手紙に書いてあったぞ」
ベンジャミンはそう言ったが、本当に帰って来てくれるかケイトは不安だった。
(離れてみるとやっぱり私のこと嫌いになっちゃったとか、顔を見たくないとか思ってるとか……)
いや! マイナス思考はダメダメ、と気を取り直し、昨日から作り始めた匂い袋に取り掛かった。ブライアンが安眠に効くと言っていた花を乾燥させて、可愛らしい小袋に入れて送ろうと思っているのである。
(寄宿舎ではよく眠れないかもしれないもの。枕元に置いてもらいたい。本当は、帰省した時に渡そうと思っていたけどしょうがないわね)
「ねえベス、これでどうかしら」
出来上がった匂い袋をベスに見せて意見を求めた。
「縫い目も美しいですし、良く出来ていると思いますよ。ブライアン様も鼻高々になるんじゃないでしょうか」
「だといいんだけど。下手な物を使わせてブライアンに恥をかかせたくはないもの」
最近の出来事などを一言二言手紙に書き添えて、ケイトは匂い袋をブライアンの寄宿舎へ送った。
驚いたことに、翌々週、手紙の返事が返って来た。初めて自分に届いた手紙に、ケイトは興奮してベスに自慢した。
「ねえベス、ブライアンから返事が来たわ! 自分に手紙が来るのってとても素敵な気分ね! なんだか大人になったみたい」
「ブライアン様は真面目で義理堅いお方ですからね。手紙を受け取ったら返事は必ず出されると思いますよ」
「そうなの?」
(それは、いいことを聞いたわ)
ケイトは内心ほくそ笑んだ。
(それならば、このまま文通を続けちゃいましょう! そうしたらもっと垣根が取れるかもしれない)
それからは、ケイトはまめに手紙を書いた。そうすると、少し遅れることはあっても必ず返事が届くのが嬉しかった。ケイトが送る内容はたわいのないことだ。日常のちょっとしたこと、ベンジャミンの様子、ブライアンが置いていった愛犬ジョンのこと……。
ブライアンは、短い文面ではあるが訓練の様子や愉快な仲間の話などを書き送ってくれる。ぶっきらぼうなブライアンだが手紙を読んでいるとユーモアがあり、根は明るい人なのだと分かる。
(ブライアンって、知れば知るほど素敵な人だって思う。あんな人が結婚相手だったらいいな)
だが現実には、自分はブライアンからは望まれていない。それならばせめて、兄妹として仲良くしていきたいものだ。
(ブライアンにお嫁さんが来たら、私、辛過ぎて見てられないかも。お兄ちゃんが大好きな妹って、こんな気持ちなのかな)
そしてまた、休暇の時期が来た。今度は必ず帰ってくるとブライアンの手紙に書いてあったので、ケイトはお茶を美味しく淹れる練習をしたり、お茶菓子を綺麗に焼く練習などをしてブライアンの帰省を心待ちにしていた。
いよいよブライアンが帰ってくる日だ。ベンジャミンも心なしかソワソワしている。
「お父様、少しは落ち着かれたらいかが」
「そう言うケイトも本が逆さまになっているぞ」
「あらっ。読書で気を紛らわそうと思っていたのに……」
本の文字など何も目に入っていなかった証拠である。
そうこうするうちに馬の蹄音が聞こえた。ベンジャミンとケイトは急ぎ足で玄関ホールへと向かう。既に馬から降りたブライアンは、邸内に入っていた。
「父上、ただ今戻りました」
「久しぶりだな、ブライアン」
さっきまでのソワソワを見せないよう落ち着いた態度で出迎えるベンジャミン。
「お帰りなさい、ブライアン」
「ケイト。驚いたな、随分と背が高くなってる」
「だってあれからもう一年が経ちましたもの。最近になって急に背が伸びたんです。それよりブライアンこそ、すごく背が高くなったみたい」
ケイトが伸びた以上にブライアンは背が高くなっていて、二人の身長差は広がっていた。それだけではなく華奢だった身体は一回り逞しくなり、日に焼けた肌のせいもあって男らしく、大人っぽく見えた。
「いやあ本当に大きくなったなあ。すっかり私を追い抜いてしまったではないか。子供に抜かれるというのは嬉しいような、寂しいような。いや、やはり嬉しいものだな」
笑いながらブライアンの背中を叩くベンジャミン。本当に嬉しそうだ。
「さあブライアン、あちらで学校の話を聞かせてくれ。他にも貴族の子弟がたくさんいたのだろう?」
「はい、父上。……あ、ケイト。これ、遅くなったが誕生日のプレゼントだ」
ブライアンは鞄から可愛らしい包みを取り出してケイトに手渡した。
「ええっ? プレゼント? 嬉しい、ブライアン。ありがとう!」
ケイトは半年前に十三歳の誕生日を迎えていた。ブライアンは帰省しなかったので手紙で祝いをひと言だけ述べてくれたが、ケイトにはそれで充分だったのにプレゼントまでもらえるなんて嬉しい驚きだった。
「良かったなぁ、ケイト。開けてみて私にも中を見せてくれないか」
「開けてもいい? ブライアン」
「ああ」
ケイトは包みを破らないように丁寧に開いた。中に入っていたのは、水色のボンネットだった。柔らかな布で出来たそれは小さなフリルで縁取られた前つばがついていて、頭頂部からサイドにかけては美しいレースが縫い付けられ顎下で紐を結ぶようになっている。
「可愛い……」
うっとりと眺めるケイトと、照れくさそうなブライアン。
「中庭でよく遊んでいると手紙に書いてあったから、どうせ日傘もささずにいるんだろうと思って。これで少しは日除けになるだろう」
まさに図星である。近頃は毎日のスケジュールにも慣れてきたし、礼儀作法もだいぶ身に付いてきたのでベスの課外授業を受ける必要も無くなった。余った時間は中庭でジョンと走ったり花冠を作ったりして遊んでいることが多かったのである。
「ありがとう、ブライアン! 中庭に出る時は必ずこれを着けるわ」
「ブライアン、なかなかセンスがあるじゃないか。一人で選んだのか?」
「いえ、女性の物は全くわからないので士官学校の同級生に選んでもらいました」
「ほう、最近は女性の軍人も増えてきているからな。なるほどなるほど。さて、じゃあ向こうで話をしようか」
ブライアンはケイトの頭をポンと叩くとベンジャミンと共に部屋に向かった。大人の話には子供は同席出来ないので、ケイトは二人を見送るしかなかった。
(これを選んでくれたのは女の人なのね……どんな人なんだろう、気になる……ああ、早く大人になれたら! そうしたら一緒にお話を聞けるのに)
ブライアンの女友達が気にはなったが、この可愛らしいボンネットも早く着けてみたい。ケイトは部屋に戻り、鏡の前で被り、紐を結んでみた。
(軽いし肌触りもいいし、これなら走っても邪魔にならないわね! 色も素敵……早速、中庭に出てみよう)
ケイトは太陽の下でしばらくジョンと一緒に遊んだ。遊び疲れて芝生に寝転ぶと、ジョンが顔を舐めにくる。
「こら、くすぐったいわ」
ジョンはボンネットの紐を咥えると、顔を振って引っ張り始めた。
「こらっ、やめなさい、ジョン」
だが紐はスルリと解け、ボンネットも頭から離れてしまった。
「もう、ジョンったら駄目よ。これは大切なブライアンからのプレゼントなんだから……」
ボンネットを拾い上げようとした時、突然強い風が吹いた。
「きゃっ……」
一瞬目をつむったケイトが目を開けた時には、ボンネットはひらりと舞い上がり空中に浮かんでいた。
「あっ、大変!」
慌てて追いかけるケイト。だがボンネットは風に乗り、中庭の真ん中に生えている背の高い木の枝に引っかかってしまった。
「あーあ……」
この木はベンジャミンが生まれた時に祖父が記念に植樹したもので、自分と同い年なのだと言って自慢していた木だ。木登りには丁度いい感じに育っている。
(昔、マークおじさんに連れて行ってもらった森で、カイルと木登りして遊んだっけ。あの位の高さなら充分登れるわ)
ケイトは辺りを見回してベスがいないことを確かめ、ドレスの裾を結んで動きやすくした。そして木の幹に飛び付き、ゆっくりと登っていく。
(枝の先はちょっと細いわね……気をつけなくちゃ)
手を伸ばすのだが、あと少しという所で届かない。必死で掴もうとしている時、ジョンに餌を持ってきた若いメイドがケイトを見つけ、声を上げた。
「きゃあーーっ! ケイト様! 危ない!」
その声に驚いたケイトは足が滑った。
「あっ!」
身体が落ちてしまったがなんとか枝を掴んで持ちこたえた。しかし腕だけでぶらんとぶら下がる形になってしまった。
(これくらいの高さなら飛び降りても死んだりしないと思うけど……)
捻挫くらいはしてしまうかもしれない、と思っていた所にブライアンが走って来た。
「ケイト! 大丈夫か?」
「ブライアン! 大丈夫よ。今飛び降りようとしてるとこ」
「馬鹿、結構高さがあるんだから無茶するな。ゆっくり手を離せ。受け止めてやる」
(えええ? 受け止める? 私、重いのに)
その時また強い風が吹き、枝が揺れて思わず手を離してしまった。
(落ちる……!)
だが次の瞬間、ケイトの身体は大きな腕に抱きとめられていた。
目を開けると、ブライアンの顔がすぐ間近に。ケイトは恥ずかしくて目を伏せてしまった。
「ケイト! 何してるんだ? 大丈夫なのか」
ベンジャミンも慌てて走って来た。ブライアンはケイトをそっと地面に立たせ、怪我は無いか尋ねた。
「大丈夫、どこも怪我してないわ。心配させてごめんなさい」
「どうして木登りなんかしてたんだ、ケイト」
ベンジャミンが呆れ顔で言う。
「風に巻き上げられて、ブライアンにもらったボンネットが引っかかってしまったの」
二人が顔を上げると、枝の先でヒラヒラと揺れているボンネットが見えた。
「大切な物だから早く取りたくて……」
「だからって、怪我したら台無しだろう。下手したら死ぬかもしれないんだ」
そう言ってブライアンはスルスルと木に登ると、長い腕を伸ばして難なくボンネットを取った。そして木から降りるとパンパンとはたき、ケイトに手渡した。
「これからは気をつけること。高い所の物を取りたい時は、使用人に言うように」
「はい。ブライアン、心配かけてごめんなさい。そして、取ってくれてありがとう」
うっすらと涙目になっているケイトの頭をポンと叩いてブライアンは部屋に戻って行った。
(ブライアンはいつも頭をポンってしてくれる。優しくて温かい叩き方……。もしかしたら前ほどは嫌われてないのかな)
やっぱりブライアンは素敵だ。こんな素敵な人の妹でいられる自分は幸せ者だ、とケイトはしみじみと思った。
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