魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――

ムラサメ

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獅子の焦燥

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​「……殿下、あとは我々が」

「寄るな。私が運ぶ」

​ 離宮の寝室。カイルは、まるで壊れやすい硝子細工を扱うような手つきで、エリナを巨大な天蓋付きベッドへと横たえた。
 侍女たちが駆け寄り、エリナのボロボロの衣服を脱がせようとしたが、そのあまりに細く、傷だらけの体に息を呑んだ。

​「……なんてこと。お体に、痣や湿疹が……それに、この熱……」

​ 極度の緊張と、氷点下に近い屋外での徹夜作業。エリナの体は、すでに限界をとうに超えていた。彼女の頬は赤く火照り、浅い呼吸を繰り返している。

​「……すぐに王宮医を呼べ。それと、最高級の栄養剤と、最も刺激の少ない寝着を。……今日一日は、誰もこの部屋に入れるな」

​ カイルは低い声で命じた。彼の側近であるマルクは、今頃伯爵家を地獄に叩き落としている最中だろう。今のこの部屋には、エリナを心配する侍女たちと、己の無力さに苛立つカイルしかいなかった。

​「殿下、お気持ちは分かりますが……。殿下の魔力はあまりに強大です。衰弱している今の方のそばに長くおられると、エリナ様の負担になりかねません」

​ 年嵩の侍女の進言に、カイルは忌々しげに拳を握りしめた。だが、エリナの苦しげな寝顔を見て、渋々一歩下がった。
​ それから丸一日、エリナは泥のように眠り続けた。
 時折、うなされるように「ごめんなさい、アリシア様……」「まだ、終わっていません……」と、過去の地獄をなぞるような寝言をこぼすたび、部屋の隅で椅子に深く腰掛けたカイルの周囲の空気が、怒りでバリバリと震えた。

​「……あいつら、ただで済むと思うなよ」

​ カイルは一人、暗い部屋で低く呟く。
 

 翌朝、ようやく一仕事を終えて王宮に戻ってきたマルクが、報告のために離宮を訪れた。彼は寝室の扉の前で、一睡もせずにエリナを見守り続けていた主君の姿を見て、静かに溜息をついた。

​「殿下。伯爵家の資産凍結と、アリシア嬢の登城禁止。すべて手配済みです。……それで、エリナ様の容態は?」

​「……今、少し熱が引いたところだ」

​ カイルの声は掠れていた。それからさらに数時間。
 二日目の昼下がり、エリナがようやく目を開けた。

​「……ここ、は……?」

​ 体が、信じられないほど軽い。あんなに痛んでいた指先には、ひんやりとした薬の香りがするクリームが塗られている。

​「気がついたか」

​ 枕元には、椅子に腰かけ、一睡もしていないような隈をうっすら作ったカイルが座っていた。

​「殿、下……。私、どれくらい……」

​「丸一日だ。……まだ動くな」

​ カイルは、戻ってきたばかりのマルクに合図を送り、スープを持ってこさせた。

​「さあ、エリナ様。まずはこれを。……殿下がずっと、あなたが目を覚ますのをここで睨むように待っていたんですよ。おかげで、侍女たちも生きた心地がしませんでした」

​「マルク、余計なことを言うな」

​ カイルはマルクからカップを奪い取ると、自らスプーンですくい、エリナの唇に運んだ。
 温かい液が喉を通るたび、エリナの心の中に溜まっていた「冷たい塊」が、ゆっくりと溶けていく。

​「……おいしい。……ありがとうございます、殿下」

​ エリナが小さな声で微笑んだ瞬間。
 カイルは目を見開き、それから深く、深く安堵したように息を吐き出した。

​「……あぁ。お前が笑うなら、それでいい」

​ 数日間、食事も満足にとれず、ただ恐怖と寒さに耐えていたエリナにとって、この「何もしなくていい、ただ愛されるだけの時間」こそが、どんな宝石よりも必要な薬だった。

それから数日、エリナは離宮で静かな時間を過ごした。王宮医の治療と、カイルが放つ暖かな魔力に包まれて、彼女の頬には少しずつ赤みが戻っていった。
​ そして、ようやく外出の許可が出た日のこと。

​「……エリナ様、ご覧くださいませ」

​ 侍女たちが恭しく鏡を掲げる。そこに映っていたのは、自分でも信じられないほど輝いている美少女だった。
 泥にまみれていた髪は、丹念な手入れによって夜の帳のようにしなやかな光沢を放ち、ひび割れていた指先は、最高級の蜜蝋クリームで真珠のように滑らかに整えられている。

​「……信じられない。これ、本当に私……?」

​ カイルが用意させたのは、彼の瞳と同じ、深い碧色のシルクドレスだった。
 侍女たちは、そのあまりの変貌ぶりに息を呑み、互いに顔を見合わせた。

​「……伯爵家の方々は、一体何を見ていたのでしょうね。これほどの……」

​ 侍女が感嘆の溜息を漏らしたその時、部屋の扉が重々しく開かれた。

​「…………」

​ 現れたのは、カイルだった。
 彼は着飾ったエリナの姿を見た瞬間、獲物を見つけた猛獣のように足を止め、無言で彼女を凝視した。その金の瞳が、エリナの頭の先から足の先までを舐めるように動く。

​「殿、下……。やっぱり、私には不相応……」

​ エリナがその鋭い視線に耐えかねて俯きかけたとき、後ろから書類を抱えたマルクがひょいと顔を出した。

​「殿下、見惚れるのは勝手ですが、威圧感でエリナ様が震えていますよ。……まあ、確かに。これは言葉を失うのも無理はありませんね」

​「マルク。……下がっていろ」

​ カイルの声は低く、地響きのように響いた。
 彼はエリナに歩み寄り、その白く細い顎を、手袋越しにクイと持ち上げた。

​「……昨日までは、ただの守るべき小鳥だと思っていたが」

​ カイルはエリナの瞳をじっと覗き込む。その瞳には、賞賛というよりも、もっと暗く、深い独占欲が渦巻いている。

​「これでは、檻を二重にせねばならんな。外に出せば、どこの馬の骨が群がってくるか分かったものではない」

​「……っ。殿下、お苦しいです……」

​「……すまん」

​ カイルはわずかに力を緩めたが、その手はエリナの頬を離さない。

​「二度と、あの薄汚れた屋敷のことなど思い出すな。お前のすべてを塗り替えるのは、私だ」

​ カイルの強引で不器用な肯定に、エリナは心臓が高鳴るのを感じた。

 「可愛い」と言われるよりもずっと、彼が自分という存在を、力ずくでも離さないという強い意志が伝わってきたからだ。

​「……殿下、独占欲が服を着て歩いているようですよ。そろそろ庭園でも案内して差し上げたらどうです」

​ マルクの冷静な突っ込みに、カイルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 彼はエリナの腰を引き寄せると、守るように、そして見せつけるように、彼女を連れて部屋を出た。
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