「不吉な黒」と捨てられた令嬢、漆黒の竜を「痛いの飛んでいけー!」で完治させてしまう

ムラサメ

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1章

黎明の帰還

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東の空が白み始め、夜の帳がゆっくりと剥がれ落ちていく。エリュシオン王国の別邸、その静まり返ったテラスに、空気を震わせる巨大な羽音が響いた。

庭園の木々が激しく揺れ、漆黒の巨大な影が音を立てて舞い降りる。かつて私が救った、あの黒竜だ。

 その背には、一人の男が跨っていた。

​ ゼノ・エリュシオン。

 金髪を朝露に濡らした彼の姿は、痛ましかった。夕食の席で身に纏っていた、あの上質な絹のシャツと深い色のベストは、高度の激しい風に煽られて無惨に乱れている。
最強の竜騎士と称えられ、戦場では鋼の鎧で身を固める彼が、防具の一片すら身に纏わぬまま、ただ怒りと焦燥に突き動かされてサンクチュアリまで往復したのだ。

​ 竜が完全に静止するよりも早く、彼は地上へと飛び降りた。その赤い瞳には、夜を徹した強行軍による疲労が滲んでいたが、私の姿を認めた瞬間、それ以上に深い安堵の色が広がった。

​ 私はサロンの扉を内側から開け、無意識に彼へと駆け寄っていた。

​「……ただいま、ミア」

​ ゼノ様の声は、冷たい風に晒されたのか、酷く掠れていた。彼は私の前にたどり着くと、崩れ落ちるようにして私の肩に額を預けた。冷え切ったシャツ越しに伝わってくる彼の体温は、驚くほど高かった。

​「ゼノ様……。お怪我はございませんか? そんなに薄着で……。すぐに温かいものを――」

​「いいんだ。君が無事なら、それだけでいい。……ミア、すべて終わったよ」

​ ゼノ様は私の肩を抱く腕に力を込め、少しの間、私の鼓動を確認するようにじっとしていた。

 彼はサンクチュアリ王家に対し、あの夕食の装いのまま、魔槍一振りを携えて乗り込んだのだ。エリュシオンの第一皇子としての公式な抗議、そして最強の竜騎士としての圧倒的な武力の示威。サンクチュアリ国王は、伯爵家の私兵がエリュシオンの別邸を襲撃したという動かぬ証拠を突きつけられ、顔を真っ青にして彼らの処罰を即座に決定したという。

​「伯爵家は取り潰された。爵位は剝奪され、家財もすべて没収だ。君を閉じ込めていたあの家は、名実ともに崩壊したよ。ミア、君を縛る鎖は、もうこの世界のどこにも存在しない。君は、自由だ」

​ ゼノ様の言葉が、私の心に深く染み渡っていった。
 かつて私を「不吉」と呼び、地下室に閉じ込めた実の父。そして、私の存在を否定し続けた妹のソフィア。彼らが今、サンクチュアリの地下牢で、かつての私と同じ「暗闇」の中にいるのだという現実は、私に復讐の悦びではなく、ただ静かな「解放感」をもたらした。

​「……ありがとうございます、ゼノ様。私、なんだか……やっと、本当の意味で息ができたような気がします」

​ 私が微笑むと、ゼノ様は顔を上げ、私の黒髪にそっと触れた。

​「ミア……。君を守りきれず、あんな汚らわしい連中と戦わせてしまった不甲斐なさを、僕は一生忘れない。……だが、今日からは違う。君が望むなら、僕は君の剣となり、盾となろう。皇子としての権力も、竜騎士としての実力も、すべては君が明日を笑って過ごすために捧げる」

​ そこに漂うのは、逃げ場を塞ぐような執着ではない。むしろ、一人の自立した女性として私を尊重し、私が歩む道を全力で整えようとする、高潔な騎士の献身であった。

​「やれやれ。朝から熱烈な挨拶だね、王子様」

​ 背後から、呆れたような、けれど安堵の混ざった声が響いた。アポロ様だ。彼は銀髪を揺らしながら、冷えた紅茶の入ったポットを魔法で温め直していた。

​「ゼノ、まずはその乱れた服を着替えなよ。ミアちゃんが君の寒さに風邪を引いてしまうじゃないか。……報告は、後で聞かせてもらうよ。サンクチュアリの国王が、君のプレッシャーに腰を抜かしたっていう傑作なシーンの続きをね」

​ アポロ様の軽快な揶揄に、サロンの張り詰めた空気はふっと緩んだ。ゼノ様は苦笑を浮かべ、私の手を再び握り直した。

​「……そうだな。ミア、今日は世界で一番甘い朝食を二人で食べるんだ」

​ 朝陽が窓から差し込み、二人の姿を黄金色に照らし出す。

 不吉な影と呼ばれた少女は、いま本当の自由を手に入れた。そして、私の隣には、その光を一生守り抜くと誓った、最も誠実な騎士が寄り添っていたのである。
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