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第三章 アラサー女子よ、大志を抱け!
76 太陽と月の追いかけっこ。
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「じゃ、またねー!」
「おやすみー!いい夜をっ」
乗る電車が違う双子は、手を上げて、楽しげな笑顔で去って行った。前田と弟たちは共通の話で盛り上がり、あっという間に時間が過ぎたが、さすがに早めに切り上げたのは気をきかせてくれたらしい。
二人の後ろ姿を見送ってから、私は前田に向き直った。
「帰ろっか」
「送るよ」
言われていいよと手を振った。その手を前田がやんわり握る。優しいその温もりに、照れと愛しさを感じながら握り返す。
私たちは改札へ向かって歩いていく。
「なんか、話したそうだったじゃない。さっき」
「さっき?」
「いーって、したとき」
すっかり忘れて首を傾げた私は、ああ!と顔を上げた。そうだったそうだった。
「あの、前田が爆笑したというあれ」
「あの、いーってやつね」
前田はまた目で笑っている。そんなに私がいーってした顔は変なのだろうか。今度鏡で確認してみよう。
思いながら、そうそう、あのとき。と頷く。
「尾木くんが言ってたの。前田が安心したみたいに見えたって」
「安心?」
前田は意外そうに眼鏡の下の目をまたたかせた。そうやって瞬きするとき、ちょっとだけ幼く見えて、これまた私の胸がきゅんとする。……本人には内緒だけど。
「安心……そうかもね」
前田は私の手を握りながら歩いていく。握ったその手を、親指で数度撫でた。その動きがひどくくすぐったくて、でも、やっぱり、ゾクゾクする。
「吉田さんが、俺に近づこうとしてくれたのが分かったから」
私は目をまたたかせた。
「近づく?」
怒鳴りつけた記憶はある。結構本気で怒った、というのも覚えている。あと、なんか割と馬鹿みたいなーーお前のかーちゃんでべそ、みたいなーーそういうことを言ったような、あんまり思い出したくない、どっちかというと黒歴史な台詞だったとも、思っている。
そのどこに、前田に近づこうとした意図を感じたんだろう。私自身の心には、そういう気持ちもあったけど、それがあのとき、ちゃんと現れているような気はしなかった。
「怒ったでしょう。本気で」
前田は穏やかな目で私を見てくる。眼鏡を外したその目は、綺麗なアーモンド型をしている、と私は知っている。
「怒ったよ。本気で」
前田は笑った。
「何で、怒ったの」
「え?何でってーー」
何でだっけ。と思い出しながら、
「だって、私の話まともに聴こうとしないし。突き放そうとするしーー挙げ句、男紹介しようとするし」
思い出してきた当時の感情を、一つ一つ言葉にする。
「喧嘩してばっかりだったから」
少しずつ、少しずつ、自分の気持ちが言葉になってきた。
「あのときーーあの前の日、どうやったら、ちゃんと互いに向き合えるのかなって、私なりに一所懸命考えたんだよ」
前田に翻弄される自分の心に、気持ちに、少し冷静に向き合おうと努力した、あのとき。
苛立つ存在でありながら、突き放すことではなくて近づくことを選んだ、自分への答え。
そう、いつだって私は、
「近づきたかったんだ」
前田に。そう気づいて納得する。
歩み寄れば、詰め寄った分だけ離れていく。じゃあ離れようと思えば、離れた分だけ近づいてくる。そんな前田に、もっと近づきたかったんだ。
前田は嬉しそうに目を細めた。ああ、もったいないな、と思う。その目、その顔、眼鏡を外して見てみたい。もっとよく、見てみたい。
「ほらね」
前田の声は、ゲームに勝ったように弾んでいた。
「俺は、離れようとしたけど、吉田さんは、近づこうとした」
彼の気持ちの浮き立ちは、アルコールのせいだろうか。
「だから安心したんだよ。離れなくてもいいんだって分かって」
私はほうっと息を吐き出した。
「じゃあ、もしかしてあれって、ある意味最終通告?」
前田は首を傾げる。
「場合によっては、そうだったかも。だって、近くにいても、辛いだけだし」
私の手を引いたまま、前田はぐんぐん進んでいく。
この手が、もしかしたら、自分と重ならなかったかもしれないと思うと、ぞっとする。
思わず繋いだ手に力を込めると、前田は振り返って笑った。
「大丈夫だよ。側にいるから」
吉田さん、意外と心配性。そう言って、前田はまた繋いだ手指で私の手の甲を撫でた。
改札をくぐり、駅のホームで電車を待つ。
電車がホームに入って来たとき、前田は私の手を引いた。
私は小さく声をあげてたたらを踏み、互いの身体がくっついて、わずかにあった空間がなくなる。
「今日、泊まってもいい?」
電車が駅に滑り込む音に紛れてそう聞かれて、私はとっさに、真っ赤な顔で俯いた。
「……いろいろ、準備がいるから、事前に言ってって言ったじゃない」
ごまかすために唇を尖らせてみると、
「じゃあ、やめとく」
「えっ」
あっさりした前田の声に顔を上げると、甘い微笑みがそこにあった。
「う・そ」
繋いでいない手の人差し指を、私の唇に軽く当てる。
や、やめてよ。こんなところで、そんな色気たっぷりに。
動揺して視線がさ迷った。
「俺だって強引になりたいときはあるの」
低くひそやかに前田が言うと共に、電車のドアが開き、中から人が降りてきた。
「だいたい、散々誘惑したのはそっちなんだからね」
放たれた前田の言葉が理解できないまま、私は手を引かれるがままに電車に乗り込んだ。
「おやすみー!いい夜をっ」
乗る電車が違う双子は、手を上げて、楽しげな笑顔で去って行った。前田と弟たちは共通の話で盛り上がり、あっという間に時間が過ぎたが、さすがに早めに切り上げたのは気をきかせてくれたらしい。
二人の後ろ姿を見送ってから、私は前田に向き直った。
「帰ろっか」
「送るよ」
言われていいよと手を振った。その手を前田がやんわり握る。優しいその温もりに、照れと愛しさを感じながら握り返す。
私たちは改札へ向かって歩いていく。
「なんか、話したそうだったじゃない。さっき」
「さっき?」
「いーって、したとき」
すっかり忘れて首を傾げた私は、ああ!と顔を上げた。そうだったそうだった。
「あの、前田が爆笑したというあれ」
「あの、いーってやつね」
前田はまた目で笑っている。そんなに私がいーってした顔は変なのだろうか。今度鏡で確認してみよう。
思いながら、そうそう、あのとき。と頷く。
「尾木くんが言ってたの。前田が安心したみたいに見えたって」
「安心?」
前田は意外そうに眼鏡の下の目をまたたかせた。そうやって瞬きするとき、ちょっとだけ幼く見えて、これまた私の胸がきゅんとする。……本人には内緒だけど。
「安心……そうかもね」
前田は私の手を握りながら歩いていく。握ったその手を、親指で数度撫でた。その動きがひどくくすぐったくて、でも、やっぱり、ゾクゾクする。
「吉田さんが、俺に近づこうとしてくれたのが分かったから」
私は目をまたたかせた。
「近づく?」
怒鳴りつけた記憶はある。結構本気で怒った、というのも覚えている。あと、なんか割と馬鹿みたいなーーお前のかーちゃんでべそ、みたいなーーそういうことを言ったような、あんまり思い出したくない、どっちかというと黒歴史な台詞だったとも、思っている。
そのどこに、前田に近づこうとした意図を感じたんだろう。私自身の心には、そういう気持ちもあったけど、それがあのとき、ちゃんと現れているような気はしなかった。
「怒ったでしょう。本気で」
前田は穏やかな目で私を見てくる。眼鏡を外したその目は、綺麗なアーモンド型をしている、と私は知っている。
「怒ったよ。本気で」
前田は笑った。
「何で、怒ったの」
「え?何でってーー」
何でだっけ。と思い出しながら、
「だって、私の話まともに聴こうとしないし。突き放そうとするしーー挙げ句、男紹介しようとするし」
思い出してきた当時の感情を、一つ一つ言葉にする。
「喧嘩してばっかりだったから」
少しずつ、少しずつ、自分の気持ちが言葉になってきた。
「あのときーーあの前の日、どうやったら、ちゃんと互いに向き合えるのかなって、私なりに一所懸命考えたんだよ」
前田に翻弄される自分の心に、気持ちに、少し冷静に向き合おうと努力した、あのとき。
苛立つ存在でありながら、突き放すことではなくて近づくことを選んだ、自分への答え。
そう、いつだって私は、
「近づきたかったんだ」
前田に。そう気づいて納得する。
歩み寄れば、詰め寄った分だけ離れていく。じゃあ離れようと思えば、離れた分だけ近づいてくる。そんな前田に、もっと近づきたかったんだ。
前田は嬉しそうに目を細めた。ああ、もったいないな、と思う。その目、その顔、眼鏡を外して見てみたい。もっとよく、見てみたい。
「ほらね」
前田の声は、ゲームに勝ったように弾んでいた。
「俺は、離れようとしたけど、吉田さんは、近づこうとした」
彼の気持ちの浮き立ちは、アルコールのせいだろうか。
「だから安心したんだよ。離れなくてもいいんだって分かって」
私はほうっと息を吐き出した。
「じゃあ、もしかしてあれって、ある意味最終通告?」
前田は首を傾げる。
「場合によっては、そうだったかも。だって、近くにいても、辛いだけだし」
私の手を引いたまま、前田はぐんぐん進んでいく。
この手が、もしかしたら、自分と重ならなかったかもしれないと思うと、ぞっとする。
思わず繋いだ手に力を込めると、前田は振り返って笑った。
「大丈夫だよ。側にいるから」
吉田さん、意外と心配性。そう言って、前田はまた繋いだ手指で私の手の甲を撫でた。
改札をくぐり、駅のホームで電車を待つ。
電車がホームに入って来たとき、前田は私の手を引いた。
私は小さく声をあげてたたらを踏み、互いの身体がくっついて、わずかにあった空間がなくなる。
「今日、泊まってもいい?」
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「……いろいろ、準備がいるから、事前に言ってって言ったじゃない」
ごまかすために唇を尖らせてみると、
「じゃあ、やめとく」
「えっ」
あっさりした前田の声に顔を上げると、甘い微笑みがそこにあった。
「う・そ」
繋いでいない手の人差し指を、私の唇に軽く当てる。
や、やめてよ。こんなところで、そんな色気たっぷりに。
動揺して視線がさ迷った。
「俺だって強引になりたいときはあるの」
低くひそやかに前田が言うと共に、電車のドアが開き、中から人が降りてきた。
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