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第三章 アラサー女子よ、大志を抱け!

75 ただ待つのは苦手なたちなので。

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「そういえば、達哉。私の家に漫画置いて行ったままだよ。実家置いといていいの?」
「え、マジで。何の漫画?」
 達哉の問いに答えたのは前田だった。達哉は聞いてから、ああ!と手を叩く。
「そっか、姉ちゃんちにあったんだ。一冊ないなーと思って、買っちゃったよ。悪いけど、売るなり捨てるなりしちゃって」
「あ、そう」
 なんだ忘れてたのか、と思いつつ、まあ私もずっと言い忘れていたのでお互い様だとモスコミュールを口にする。
「そういえば、新刊出たんだってね。最終刊?」
 買ったんでしょと前田を見ると、前田が頷いている。
 達哉と勝哉が顔を見合わせた。
「え!マジで?だって販売日、月曜じゃなかったっけ」
「そうなんだけど」
 砕けた口調の双子に、前田もすっかり砕けつつある口調で応じる。
「流通ルートの関係だと思うんだけど、一足早めに入荷する場所があって。見る?」
「見る見る見る!」
「やっべー!前田さん神!!」
 そんなに興奮する意味が分からない。私が黙ってつまみをつついていると、前田は本屋のカバーがついた本をリュックから取り出して双子に渡した。
 そのとき、リュックの暗闇の中に、色鮮やかな六面体がちらりと見えた。
 二人は前田の了承を得て本屋の味気ないカバーを外し、さらに漫画のカバーも外して見ている。
「何やってんの?」
「この漫画はここが面白いの」
 二人は声を揃えて答えて、そっくりの目をキラキラさせながら本を目にしていた。
「うわー。ほんとに最終刊なんだぁ」
「連載も読んでたから分かってるんだけど、やっぱり単行本になるとしみじみするよね」
 二人は言いながらまたカバーを戻し、顔を上げる。
「もしよければ、貸すけど」
 前田が言うと、二人はマジで!とまた声を揃えた。
「……二、三日で買えるなら、我慢すれば」
「いや、でもこの土日で読めるかどうかっていうのが問題でしょー!」
「月曜だって買えるの仕事帰りだよ。読んでテンション上げて週明けを迎えるか、週明けを迎えてからご褒美に買うか、その両方かでは全然価値が違う」
 訳が分からない。あんまりそういうものに熱中したことがない私がそれ以上口を挟むことは差し控えようと、ああそう、とだけ返した。
「でも、いいの?前田」
「何が?」
「まだ読んでないんじゃないの?」
「読んだよ」
 前田が微笑む。その優しい目にまた私の乙女心がきゅんとときめくが、その喜びは私に対する感情ではないと分かっているのでちょっと複雑である。
「朝一でこっち来て買ったんだもん。吉田さんと待ち合わせるまでに三回読んだ」
 三回って。
「……そんなに?」
 思わず聞き返すと、当然のように、うん、と答えた。
 私は嘆息して、恩に着ます!とぺこぺこ頭を下げつつほくほく顔で鞄に漫画を突っ込む弟を見ていたが、さきほどリュックに見えたカラフルな六面体を思い出して口を開いた。
「ねえねえ。ルービックキューブって、家にあったよね」
「あー、父さんが会社の忘年会かなんかでもらってきたやつ?」
「俺たちがぐっちゃぐちゃにして、もはやインテリアになってるやつでしょ」
「いや、むしろ、面の色が揃ってないとインテリアにもならないって母さんがぼやいてたよね」
「でも何度挑戦しても、誰が挑戦しても、戻らないんだから仕方なくない?」
 二人は言いながらカシスオレンジを傾け、つまみを口にする。よくそんな甘ったるい飲み物でご飯が食べられるなと感心するが、小さい頃からオレンジジュースが大好きな二人だった。
「いや、戻るかもしれないよ」
 私がにやりと笑うと、前田は黙って目を反らした。
「やらないってば」
「いいじゃんよー。もうかれこれ二十年来、元に戻ってない子なのよ。僕が戻してあげよう、って気にならない?発奮しない?」
「しない」
「じゃあお母さんから頼んでもらおう」
「いや、お父さんからがいいんじゃない」
「俺、お父さんたちに言っとくよ。近々前田さんが挨拶に行くそうです、って」
「いやだからそれは」
 早いって。気が早い。
 私は慌てて勝哉の言葉に渋面を作り、前田の様子を伺った。先ほどは不機嫌になった前田は、今は平気な顔で焼鳥を口に運んでいる。
「……お父さんとお母さんには言わないでよ。私が言うから」
 元々、吉田家はどちらかというと短気というか、思い立ったが吉日!を地で行くたちなのだ。下手なことを言えば首を長く、ながーーーくして、待つに違いない。そうなれば、一ヶ月でも「待ちわびた」となる両親である。そう分かっているので、前田の為にも自分の為にも、もう少し時間が欲しい。
「えー。カレシができたらしい、っていうのも言っちゃ駄目なの?」
「そ、それは……」
 私はうろたえて前田の横顔を盗み見た。もちろん、そりゃ、私は嫌じゃない。全然、無問題。だけど、前田はどうなのかしら。
 前田は私の視線を受け止めて、
「いいんじゃないの」
 むしろ駄目なの?と言いたげなニュアンスに、私はほっとした。
「うん、いいよ」
 ちょっと照れ臭くて、嬉しくて、机の下で膝下をブラブラと揺らす。前田は何も言わずに私の膝上に手を置いた。
「あ、行儀悪かった。ごめん」
「え、ああ……そういうんじゃないけど」
 前田はちょっと困惑した様子で目を反らしたが、それ以上何も言わなかった。
 達哉と勝哉は嬉しそうである。
「よかったよかった」
「前田さん、色々面倒臭い姉ちゃんですけど、よろしくお願いします」
 弟二人は口々に言った。前田は私と弟の顔を見比べると、
「こちらこそ……よろしくお願いします」
 ぺこり、と幼い辞儀をした。
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