103 / 126
第三章 きみのとなり
103 充電
しおりを挟む
「なんだかひどい目に遭ってるね。僕が転勤を勧めたばっかりに……」
申し訳なさそうに苦笑するのは上司のマイクだ。大柄な身体を精一杯小さくしている。俺は手を振って、
「ちょっと運が悪かっただけだから。気にしないでください」
今回のことがなくても、きっといずれ同じようなことはあったに違いない。
この転勤で、色んな人を鏡にして、それに写る自分というものをまざまざと意識させられた。巻き込まれやすい体質だと思ってはいたが、どうもそれで済む話ではないらしい。自分で蒔いた種とはいえ、自発的に蒔いたつもりもないことばかりなので気持ちとしては複雑だが、これも個性と思えば仕方ないのかもしれない。ーーが、とりあえず、流されないスキルを身につける必要はありそうだ。自分と似た顔立ちに生まれた弟に参考になる話を聞こうと決意はしている。
「ろくな奴じゃないわよね、あんな話作って」
クリスも我がことのように怒っている。
「まあ、一緒に怒ったり笑ったりできる人がいるから救われるよ」
俺が言うと、クリスは笑った。
「そんなことで救われるなら、いくらでも怒ったり笑ったりしてあげる。いつでも言って」
「ありがとう、そうするよ」
俺は言いながら人事課に電話をかけた。早く片をつけたいとマイクに言うと、マイクもそうだろうと同意してくれたので、向こうの都合に合わせる旨を告げる。人事課からは明日の午前中を指定された。
「早く疑いが晴れるよう祈ってるわ」
クリスは言って、俺の背を叩いた。
俺は応えて片手を挙げた。
戻ってきたとなるとやはりそれなりに挨拶や身の回りの整理、パソコンの設定などであっという間に一日が過ぎる。セットアップの終わったパソコンには、早々に橘から社内チャットのメッセージが入った。
【人事課は?】
【明日の午前】
短い問いに短く返すと、了解、と返って来た。
【ヨーコちゃんが、必要なら自分も行くから言ってって】
忘年会でのセクハラ疑惑の件か。
【了解。そのときにはお願いする】
苦笑しながら返し、しばらくしてふと思い立つ。
【今日の残業は?】
【2時間くらいかな】
【連絡しろよ。送るから】
橘からの応答はない。戸惑っているのだろうと思いつつ、
【拒否権なし。いいな】
続けて打つと、
【OK】
簡単な返事だけが来た。
「……ほんとに送るだけなんだ」
家の前で別れようとすると、橘はやや見上げるように言った。
「明日も仕事だからな」
「そうだけど」
もぞもぞと鞄の持ち手をいじりながら、俯く。
「せめて、夕飯食べるとか」
俺は苦笑して、橘の頭に手をやる。
「上がったら、なかなか帰れなくなるだろ」
「いいじゃん、帰れなくなっても」
唇を尖らせる橘の表情があまりに幼くて笑う。
「よくねぇよ。明日、人事課に今日の服のまま行ったら、それこそ相手に突っ込むネタを与えるだろ」
「分かるもん?」
「分かるだろ。ワイシャツのシワとか見れば」
橘は残念そうに嘆息して、分かった、と言った。
「今度、ワイシャツとスーツも買っとこう。あと下着」
「おいこら。またそのパターン繰り返すつもりか」
俺が突っ込むと橘も笑う。
「冗談よ。半分は」
「半分は本気だろ」
「うん」
橘は意外と素直に頷く。
「だって、もっと側にいたいもん」
その目はわずかに伏せられていた。
俺は何と言ったものかと言葉を探したが、見つからない。黙ったまま嘆息し、橘の頭をぽんと叩いた。その手をスラックスのポケットに突っ込む。
「とりあえず、人事課の件が落ち着くまでは、変に巻き込みたくない。ーーもう、手遅れかもしれないけどな」
じゃあな、と背を返したとき、橘が勢いよく抱き着いて来た。
「危ねっ」
たたらを踏んで振り返るが、小柄な橘の頭しか見えない。
「ちょっとだけ」
橘の声は小さかった。
「ちょっとだけ、充電」
俺は苦笑して、腹の前に回った橘の腕に手を添える。
「だったら、俺にも充電させろ。これじゃ一方的過ぎる」
言うと橘はくすくす笑って腕を緩めた。俺は向き直って腕の中に橘を包み込む。
「神崎にとっても、充電になるの?」
「まあ、少しは」
「少しだけ?」
「そりゃ、裸ならもっと効果的だけど」
耳元で囁くと、橘が真っ赤にした顔で俺を睨みつけた。
「えっち」
「男だから仕方ないだろ。求めてもらえないって悩んでたんじゃなかった?」
「それはそれ、これはこれなの」
橘が唇を尖らせて俺の胸をとんと叩く。その手を受け止めてから頬に手を添え、微笑んだ。
「おやすみ」
額に唇を落とし、手を離す。橘は赤い顔のまま、何故か涙の滲んだ迫力のない目で俺を睨みつけた。
「……馬鹿」
「何が」
「何でもない」
橘は言って俺の胸に額をつけ、一息ついてから離れた。
「おやすみ。また明日」
「ああ。また明日」
橘を部屋に入らせてから、俺は自宅へと帰った。
申し訳なさそうに苦笑するのは上司のマイクだ。大柄な身体を精一杯小さくしている。俺は手を振って、
「ちょっと運が悪かっただけだから。気にしないでください」
今回のことがなくても、きっといずれ同じようなことはあったに違いない。
この転勤で、色んな人を鏡にして、それに写る自分というものをまざまざと意識させられた。巻き込まれやすい体質だと思ってはいたが、どうもそれで済む話ではないらしい。自分で蒔いた種とはいえ、自発的に蒔いたつもりもないことばかりなので気持ちとしては複雑だが、これも個性と思えば仕方ないのかもしれない。ーーが、とりあえず、流されないスキルを身につける必要はありそうだ。自分と似た顔立ちに生まれた弟に参考になる話を聞こうと決意はしている。
「ろくな奴じゃないわよね、あんな話作って」
クリスも我がことのように怒っている。
「まあ、一緒に怒ったり笑ったりできる人がいるから救われるよ」
俺が言うと、クリスは笑った。
「そんなことで救われるなら、いくらでも怒ったり笑ったりしてあげる。いつでも言って」
「ありがとう、そうするよ」
俺は言いながら人事課に電話をかけた。早く片をつけたいとマイクに言うと、マイクもそうだろうと同意してくれたので、向こうの都合に合わせる旨を告げる。人事課からは明日の午前中を指定された。
「早く疑いが晴れるよう祈ってるわ」
クリスは言って、俺の背を叩いた。
俺は応えて片手を挙げた。
戻ってきたとなるとやはりそれなりに挨拶や身の回りの整理、パソコンの設定などであっという間に一日が過ぎる。セットアップの終わったパソコンには、早々に橘から社内チャットのメッセージが入った。
【人事課は?】
【明日の午前】
短い問いに短く返すと、了解、と返って来た。
【ヨーコちゃんが、必要なら自分も行くから言ってって】
忘年会でのセクハラ疑惑の件か。
【了解。そのときにはお願いする】
苦笑しながら返し、しばらくしてふと思い立つ。
【今日の残業は?】
【2時間くらいかな】
【連絡しろよ。送るから】
橘からの応答はない。戸惑っているのだろうと思いつつ、
【拒否権なし。いいな】
続けて打つと、
【OK】
簡単な返事だけが来た。
「……ほんとに送るだけなんだ」
家の前で別れようとすると、橘はやや見上げるように言った。
「明日も仕事だからな」
「そうだけど」
もぞもぞと鞄の持ち手をいじりながら、俯く。
「せめて、夕飯食べるとか」
俺は苦笑して、橘の頭に手をやる。
「上がったら、なかなか帰れなくなるだろ」
「いいじゃん、帰れなくなっても」
唇を尖らせる橘の表情があまりに幼くて笑う。
「よくねぇよ。明日、人事課に今日の服のまま行ったら、それこそ相手に突っ込むネタを与えるだろ」
「分かるもん?」
「分かるだろ。ワイシャツのシワとか見れば」
橘は残念そうに嘆息して、分かった、と言った。
「今度、ワイシャツとスーツも買っとこう。あと下着」
「おいこら。またそのパターン繰り返すつもりか」
俺が突っ込むと橘も笑う。
「冗談よ。半分は」
「半分は本気だろ」
「うん」
橘は意外と素直に頷く。
「だって、もっと側にいたいもん」
その目はわずかに伏せられていた。
俺は何と言ったものかと言葉を探したが、見つからない。黙ったまま嘆息し、橘の頭をぽんと叩いた。その手をスラックスのポケットに突っ込む。
「とりあえず、人事課の件が落ち着くまでは、変に巻き込みたくない。ーーもう、手遅れかもしれないけどな」
じゃあな、と背を返したとき、橘が勢いよく抱き着いて来た。
「危ねっ」
たたらを踏んで振り返るが、小柄な橘の頭しか見えない。
「ちょっとだけ」
橘の声は小さかった。
「ちょっとだけ、充電」
俺は苦笑して、腹の前に回った橘の腕に手を添える。
「だったら、俺にも充電させろ。これじゃ一方的過ぎる」
言うと橘はくすくす笑って腕を緩めた。俺は向き直って腕の中に橘を包み込む。
「神崎にとっても、充電になるの?」
「まあ、少しは」
「少しだけ?」
「そりゃ、裸ならもっと効果的だけど」
耳元で囁くと、橘が真っ赤にした顔で俺を睨みつけた。
「えっち」
「男だから仕方ないだろ。求めてもらえないって悩んでたんじゃなかった?」
「それはそれ、これはこれなの」
橘が唇を尖らせて俺の胸をとんと叩く。その手を受け止めてから頬に手を添え、微笑んだ。
「おやすみ」
額に唇を落とし、手を離す。橘は赤い顔のまま、何故か涙の滲んだ迫力のない目で俺を睨みつけた。
「……馬鹿」
「何が」
「何でもない」
橘は言って俺の胸に額をつけ、一息ついてから離れた。
「おやすみ。また明日」
「ああ。また明日」
橘を部屋に入らせてから、俺は自宅へと帰った。
2
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
友達の肩書き
菅井群青
恋愛
琢磨は友達の彼女や元カノや友達の好きな人には絶対に手を出さないと公言している。
私は……どんなに強く思っても友達だ。私はこの位置から動けない。
どうして、こんなにも好きなのに……恋愛のスタートラインに立てないの……。
「よかった、千紘が友達で本当に良かった──」
近くにいるはずなのに遠い背中を見つめることしか出来ない……。そんな二人の関係が変わる出来事が起こる。
【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~
葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。
「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。
小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。
若くしてプロジェクトチームを任される彼は、
かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、
遠く、眩しい存在になっていた。
優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。
もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。
それでも——
8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。
これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる