モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子

文字の大きさ
118 / 126
第三章 きみのとなり

118 形勢逆転

しおりを挟む
 書店でセンター対策の問題集をぱらぱらと繰りながら、俺は不思議な感覚にとらわれていた。
 大学受験のとき、十七歳の俺は、国内トップ校であるT大を受けないーー結果として、落ちるという経験もしないで済むーーという選択をした。それによって、まだ上を狙えたかもしれないという自分への期待を残しておくことを選んだのかもしれない。
 かもしれない、というよりは、そうだったのだと、今にして気づいた。
 弟の隼人があっさりとーー俺にはそう見えたーーそのハードルをクリアしたときの、何とも言えない気持ちを思い出す。
 ーー俺も、行けたかもしれない。けど、挑戦しなかった。
 挑戦すればよかったかどうかは、そのときも今も分からない。分からないが、弟への劣等感はそこからほとんど諦めへと変わった。人柄、学歴、全てが俺より優れていると思わされる男ーーそれも、自分と似た容姿だからこそたちが悪い。しかも、年の離れた可愛い弟だから、より一層たちが悪い。
 もともと遊びの一環としか思っていなかった恋愛に対して、更に面倒くさく感じるようになったのも、ちょうど隼人の大学が決まった頃だ。長男のプレッシャーなど感じず、ただ自分がこうと思う生き方をしていけることへの羨ましさ。その弟が俺を上回ったと感じたとき、転じて自分への失望になった。
 ーーもう、俺が期待を背負う必要はないんじゃないか。
 その頃には姉も結婚していた。俺も一応は定職についていたので、親の臑をかじることはないだけでも良しとしてもらおう。
 不完全な俺と比べて、隼人は完成品に見えた。そうなれば、周囲が知らず知らずに長男の俺にかけていた親や周りから背負っていた期待を、隼人に譲ってやりたくもなるーー実際には半ばそうなっていた。
 それでも、幼い時から背負い続けたプレッシャーは、俺を自由にさせてはくれない。
 道楽息子を気取ったつもりで、脳裏を過る体面に苦しめられる。それでもそんな自分に気づかない振りをしていた。
 投げやりになっていた、と言われればそうとしか言えない。自分の生き様について。
 ぼんやりしていたとき、スーツのジャケットでスマホが震えた。少し残業をして帰ると言う橘を待っていたのだ。今ではすっかり互いの家を行き来している。大概俺の家だが。本当は橘の家を引き払わせたいのだが、バタバタしていてなかなか手が着かない。
【今終わったよー。疲れたぁ】
 橘からのメッセージに微笑む。
 問題集を棚にしまいかけ、ふと思い立ってT大の過去問集を手に取る。
 まるで小説を読むかのように、それをリビングのソファで読んでいた弟の姿を思い出す。
 少し離れて、N女子大学のそれも見つけた。
 部屋が寒いからと勉強道具一式を持って食卓に座り、細かい字で何かを書き込む姉の姿も思い出した。
 そんな努力や挑戦は、俺にはできない。尊敬している。
 そう、口にするのは簡単なことだった。簡単すぎて自分の本心を忘れてしまうくらいに。
 ーーもしかしたら、これはこれで、チャンスなのかもしれない。
 自分に自信を取り戻すための。やるだけやったと晴れやかに笑うための。
 橘の父は聞いた。本気か、と。
 本気になったことなど、小さい時に姉と空手をやったときか、姉も弟も無関係なバスケに精を出したときくらいしか思い浮かばない。空手は早々に姉が上達したのでつまらなくなって放棄したことを思うと、バスケだけしかないのかもしれない。
 そう考えれば、俺は本気になるということに不慣れなのだ。だから橘との関係についても、自分の気持ちが薄々分かっていながらなかなか踏み出せなかった。自分の躊躇いが橘を傷つけることになるんじゃないかと怖かったのも正直な気持ちだ。
 俺は嘆息して手にした過去問をまた棚にしまった。そろそろ橘が来る頃だろう。書店を出ると、駅前を過ぎゆく人々はほとんどコートを着ずに歩いている。ぼちぼち梅雨に入る頃だ。そういえば、橘の誕生日は六月だったと聞いたように思うが、案の定日にちまでは忘れている。
「お待たせ」
 橘は急いで来たらしい。やや肩で息をしながらこちらに近づいてきた。
「本立ち読みしてた」
「何の本?」
「センターの過去問」
 橘は途端に眉を寄せて肩を落とした。
「……ほんと、ごめんね」
 売り言葉に買い言葉、を地で行った橘家での挨拶に、本人も一応反省しているらしい。
「まあ、八方塞がりよりかはマシだと思っておくよ」
 俺は言って、意地悪な笑みを浮かべた。
「何年かかるか分かんねぇけどーーお前はそんなに待てないんだっけ?」
「待ちます。……ていうか、結婚するなら神崎以外ありえない」
 俺の問いに小声で答える。その橘の頭に手を置いた。
「なら、その呼び方改めなきゃな」
 ついつい習慣で、互いに苗字呼びしているが、いずれは同じ姓になるのだ。
 そう思って、ふと気づく。
「そういや、俺たちの場合、名字どっちにするんだろうな」
「……へ?」
 橘が間の抜けた声をあげて俺を見た。俺はその反応に首を傾げつつ、
「お前、一人娘だろ。うちは隼人が神崎姓にするらしいから、俺はこだわらないけど」
「……あんたって」
 橘は言葉を失っていたが、
「おもしろいなぁ、神崎は」
 急に面白そうに笑いはじめた。かと思うと少し考えるような仕草を見せ、
「その話、本気なら……形勢逆転、するかもよ」
 橘の目がきらりと光った。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

友達の肩書き

菅井群青
恋愛
琢磨は友達の彼女や元カノや友達の好きな人には絶対に手を出さないと公言している。 私は……どんなに強く思っても友達だ。私はこの位置から動けない。 どうして、こんなにも好きなのに……恋愛のスタートラインに立てないの……。 「よかった、千紘が友達で本当に良かった──」 近くにいるはずなのに遠い背中を見つめることしか出来ない……。そんな二人の関係が変わる出来事が起こる。

【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。 「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。 小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。 若くしてプロジェクトチームを任される彼は、 かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、 遠く、眩しい存在になっていた。 優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。 もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。 それでも—— 8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。 これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。 次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。

処理中です...