神崎くんは残念なイケメン

松丹子

文字の大きさ
30 / 32
番外編 えみりんの子育て奮闘記

産後の身体

しおりを挟む
「痛いのは陣痛までだと思ってた」
 身体を横にしたまま、腰をさする夫にぼやく。
 妊娠で胎児に引っ張られ、沿った腰は仰向けになるとミシミシきしむ。ついでに横向きに戻るとまたきしむ。音がするだけでなく、当然痛い。
 が、その痛みは痛みの一つでしかない。
「会陰切開の傷も痛いし、吸われる乳首も痛いし授乳の度に子宮収縮が痛い。目も首も肩も……頭痛もする」
 ちなみに目と頭痛は出産ハイになって方々にメールを送った自分が悪いが、そもそも産後どう過ごすべきという指導など、市役所の両親教室でも産院のそれでもしてくれなかった。変に体力気力が残っていたのが災いしたとしか思えない。
 ありとあらゆる痛みを、妊娠期から産後の今にかけて経験している。今なら親不知を抜くのも怖くない。顎にばっちり残っている4本のそれを思って、半ばヤケクソな思考回路で思う。
「痛み止め、強くしてもらう?」
 痛みの分からない夫はただただ気遣うしかない。私は首を振った。
「飲んで効いてる間はいいの。時間、開けなきゃいけないでしょ。1日の摂取量も決まってるから考えながら飲んでるけどギリギリ感ハンパない」
 夫は苦笑しながらそっかぁと相槌を打つ。そのシャツの襟がよれているのが気になる。
「……アイロンかけてる?」
 じとっ、と白い目を向けると夫の目が泳いだ。元々ズボラな人だ。カジュアルシャツとはいえせめて襟だけはピシッとしないとカッコ悪いと私が言ったときには渋々アイロンがけしていたが、私が指摘しなくなるとすぐこれである。
「自分のことくらい自分でしてよ」
 イライラするのも産後のホルモンバランスのせいかどうか。でも仕方ない、この人を選んだのは私なんだから。それを分かっていてもなおイライラは止まらない。
「……なんかできることある?」
 気遣う夫の声に、私は盛大に嘆息した。彼に呆れたのではない。うんざりしたのはむしろ自分に対してだ。
「……ごめんね」
「は?」
 怒っていたかと思えばいきなり泣きそうになる妻に、夫は大いに戸惑っている。
「私みたいなめんどくさいのと結婚して、災難だよね」
 夫はついついうなずきかけ、ここは頷いてはいけないと我に返ったらしい。一瞬の間をごまかすようにへらりと笑った。
「何言ってるの。命懸けで子どもを産んでくれた奥さん、大事にしないと罰当たりだろ」
 言いながら、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「妊娠中からいろいろ気にして、頑張ったね」
 妊婦にしては割とざっくりした方だったと思うのだが、やたらと体重制限に厳しい産院だったので、毎回体重計測に恐怖していた。相川さん増えすぎですよ。後期になったらもっと増えるんだから、今から気をつけてね。お母さんの体重増えると苦しいの赤ちゃんだからね。
 胎児をダシにするあの言い方はずるいと思うの。悔しさで涙ぐんだことを思い出す。
 まあそれでも無事娘は産まれてきてくれて、ずっと隣にいるのである。産まれた直後はふにゃふにゃと力がなかった泣き声も、一週間もすればなかなかに力強い。泣きだした我が子をあやそうと、よいこらせと身体を起こそうとしたが、夫が手で制した。
「俺が抱っこするよ。恵美は寝てな」
「でも、お腹すいたのかも」
「じゃあ、ミルク用意してくる」
 夫は言って台所へ向かった。
 妊娠前から豊かな私の胸は、どうも見かけ倒しらしい。母もそうだったらしいので覚悟はしていたが、ただ男を――痴漢を含めて――引き寄せただけだったのではと気づいたときの無力感は計り知れない。
 幸い母乳信仰のない産院だったので、ミルクを使えた方が楽よと好意的な言葉をかけてくれる助産師さんもいたが、そうでなかったらなかなか立ち直れなかったかもしれない。
 だいたい何よFカップって。安い下着がないのよ。時々見かけたって、オバサン臭いのばっかりで、可愛いのなんてありやしない。
 胸元をくつろげて小さい娘を抱き寄せる。娘はパクリと乳首をくわえた。チリリと痛みが走って眉を寄せる。子どもができるまで酷使されたことのない部位は赤く裂傷が入り、授乳の度に痛む。
「温度、こんなもん?」
 夫がミルクを持って戻ってきた。貸してとほ乳瓶を手に取った瞬間、首を振る。
「まだ熱い」
「マジで。分かった」
 日に何度も作っていれば、ミルクの温度も大体わかる。こうして多くの母親は子育てのプロになっていくのだろうと我が身をもって確信しつつ、何となく孤独感を覚えて物悲しい。
 ーー早くママ友がほしいなぁ。
 意外がられるが、新しい友達を作るのは苦手なので、できれば既知の友人にと考える。この間早紀が結婚したが、しばらく二人でいたいと言っていた。次は多分ざっきーとコッコが結婚するのだろうが、堅実な二人のことだ、フライングなどもないだろうから、やはりしばらく先になるだろう。
 考えていると夫が戻ってきた。ミルクでの授乳を夫に任せる。
 一般論から言えば、協力的な夫だと思う。それでもやっぱり、子育ての負担は母である私にかかってくるのだろう。この子の成長をちゃんと受け止めて行けるのだろうか。心配は心配を呼ぶ。
「……ねぇ」
「うん?」
 夫は目線を娘から私に向けた。
 その優しい目に、ふと肩の力が抜ける。
「……何でもない」
「なんだよ」
 夫は笑って、私の髪を撫でた。愛しそうに。大切そうに。
 たったそれだけのことが、幸せ過ぎて泣けて来る。
「どした?」
「ホルモンバランスが不安定なだけです」
 潤んだ目を隠すように布団にくるまりながら、夫に答えた。
「……がんばるね。ママ」
「あんまがんばるな。しわ寄せが俺に来る」
 私の言葉に夫が笑った。それもそうかもと、つられて私も笑った。
 ーー初めての子育て、不安ばかりだけど、この人とならどうにかなる気がする。
 結婚するときにも、同じようなことを思ったのだったと思い当たる。
 ーーありがとう、側にいてくれて。
 口をつきかけたその言葉は、また違う機会に残しておくことにした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

Bravissima!

葉月 まい
恋愛
トラウマに悩む天才ピアニストと 俺様キャラの御曹司 かつ若きコンサートマスター 過去を乗り越え 互いに寄り添い いつしか最高のパートナーとなる 『Bravissima!俺の女神』 ゚・*:.。♡。.:*・゜゚・*:.。♡。.:*・゜ 過去のトラウマから舞台に立つのが怖い芽衣は如月フィルのコンマス、聖の伴奏ピアニストを務めることに。 互いの音に寄り添い、支え合い、いつしか芽衣は過去を乗り超えていく。 ✧♫•・*¨*•.♡。.:登場人物:.。♡.•*¨*・•♫✧ 木村 芽衣(22歳) …音大ピアノ科4年生 如月 聖(27歳) …ヴァイオリニスト・如月フィルコンサートマスター 高瀬 公平(27歳) …如月フィル事務局長

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子
恋愛
スパダリな父、優しい長兄、愛想のいい次兄、チャラい従兄に囲まれて、男に抱く理想が高くなってしまった女子高生、橘礼奈。 平凡な自分に見合うフツーな高校生活をエンジョイしようと…思っているはずなのに、幼い頃から抱いていた淡い想いを自覚せざるを得なくなり…… 恋愛、家族愛、友情、部活に進路…… 緩やかでほんのり甘い青春模様。 *関連作品は下記の通りです。単体でお読みいただけるようにしているつもりです(が、ひたすらキャラクターが多いのであまりオススメできません…) ★展開の都合上、礼奈の誕生日は親世代の作品と齟齬があります。一種のパラレルワールドとしてご了承いただければ幸いです。 *関連作品 『神崎くんは残念なイケメン』(香子視点) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)  上記二作を読めばキャラクターは押さえられると思います。 (以降、時系列順『物狂ほしや色と情』、『期待ハズレな吉田さん、自由人な前田くん』、『さくやこの』、『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい』、『色ハくれなゐ 情ハ愛』、『初恋旅行に出かけます』)

アンコール マリアージュ

葉月 まい
恋愛
理想の恋って、ありますか? ファーストキスは、どんな場所で? プロポーズのシチュエーションは? ウェディングドレスはどんなものを? 誰よりも理想を思い描き、 いつの日かやってくる結婚式を夢見ていたのに、 ある日いきなり全てを奪われてしまい… そこから始まる恋の行方とは? そして本当の恋とはいったい? 古風な女の子の、泣き笑いの恋物語が始まります。 ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ 恋に恋する純情な真菜は、 会ったばかりの見ず知らずの相手と 結婚式を挙げるはめに… 夢に描いていたファーストキス 人生でたった一度の結婚式 憧れていたウェディングドレス 全ての理想を奪われて、落ち込む真菜に 果たして本当の恋はやってくるのか?

距離感ゼロ〜副社長と私の恋の攻防戦〜

葉月 まい
恋愛
「どうするつもりだ?」 そう言ってグッと肩を抱いてくる 「人肌が心地良くてよく眠れた」 いやいや、私は抱き枕ですか!? 近い、とにかく近いんですって! グイグイ迫ってくる副社長と 仕事一筋の秘書の 恋の攻防戦、スタート! ✼••┈•• ♡ 登場人物 ♡••┈••✼ 里見 芹奈(27歳) …神蔵不動産 社長秘書 神蔵 翔(32歳) …神蔵不動産 副社長 社長秘書の芹奈は、パーティーで社長をかばい ドレスにワインをかけられる。 それに気づいた副社長の翔は 芹奈の肩を抱き寄せてホテルの部屋へ。 海外から帰国したばかりの翔は 何をするにもとにかく近い! 仕事一筋の芹奈は そんな翔に戸惑うばかりで……

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

2月31日 ~少しずれている世界~

希花 紀歩
恋愛
プロポーズ予定日に彼氏と親友に裏切られた・・・はずだった 4年に一度やってくる2月29日の誕生日。 日付が変わる瞬間大好きな王子様系彼氏にプロポーズされるはずだった私。 でも彼に告げられたのは結婚の申し込みではなく、別れの言葉だった。 私の親友と結婚するという彼を泊まっていた高級ホテルに置いて自宅に帰り、お酒を浴びるように飲んだ最悪の誕生日。 翌朝。仕事に行こうと目を覚ました私の隣に寝ていたのは別れたはずの彼氏だった。

処理中です...