1 / 106
第一部
厄日
しおりを挟む
「うーん……さて、頑張りますか」
幸は椅子に引っ掛けてあった長い白白衣を羽織ると淡く染めた髪の毛を一つにまとめた。
都心のとある駅から徒歩十五分にある薄いピンクのアパートの一室に私の城はある。
青野鍼灸院
これがわたしの城だ。ピンクの建物なのに青野だからみんなにややこしいと言われてしまうことも多い。常連さんにはピンクの鍼灸院に改名しろと言われることもしばしば……そんな屋号に変えてしまえば間違いなく風俗の店と間違えてとんでもない内容の問い合わせが来るだろう。
私は青野 幸三十二才の鍼灸師だ。亡くなった父親の青野鍼灸院を継ぎここの院長をしている。
この辺りは商店街も離れており、中小企業や住宅街ばかりなので人通りも少ない。なのでいつも閑古鳥が鳴いているが受付や助手もいないので一人生活していくには困らない程だ。気楽に過ごせているので逆に居心地がよく、幸は気に入っていた。院の奥に一部屋あり、そこで生活しているので院から全く出ない日もある。予約制ではあるが突然患者が来院することもあるのでそれも影響しているだろう。
午後三時から午後診察が始まる。コーヒーを飲み気合いが入ったところで院のドアが激しく叩かれた。この慌て具合は急患かもしれない……。慌ててドアを開けると幸は無反応のまますぐさまドアをバタンと閉める。
なんだろう、なんなんだろう。すごく至近距離でエグいものを見た気がする──
すぐさま再度ドアが叩かれる音がする。先ほどより力強いが叩くスピードがゆっくりなのが逆に怖い。幸は恐る恐るドアを開けるとドアの隙間から先ほどの人物の顔が現れた。
「おぉ、先生……いらっしゃってよかったです。もう少しでドアを蹴破りそうでした」
「すみません……」
絶対冗談ではない。本気だ、本気で潰す気だった。目の前の男は身長はそこまで高くないものの、筋肉が服の上からもわかるぐらいガタイがいい。スキンヘッドでツルツルした素材の紺色のシャツに黒のズボンに首元に光る金色のネックレス……間違いなくヤクザだ。その男の肩を借りて辛うじて立っている長身の黒髪の男は話すのも嫌なのかぐったりとしている。隣の男に比べ黒のスーツの男は清潔感がある。苦しんでいる顔をしているのでどこかを痛めているのだろう。
「こちらに運んでください」
幸の言葉にスキンヘッドは男をベッドに連れて行くと男は腰が痛いのだろう……すっかり腰が引けて座るのもやっとだ。
「けがをさせたんでしょう? 何をしたんです?」
幸が問診票に症状を書き込みながら非難の目をスキンヘッドの男に向ける。黒のスーツの男は何も言わないがスキンヘッドの男は申し訳なさそうな目を男に向けていた。
「えぇ!? 俺は何もしてないですよ!」
「若い会社員からお金を巻き上げようとしたんですか?そんなことするぐらいなら首から提げてるものを売ればいいでしょう」
幸は昔から正義感が強かった。今でもその癖は治りきっておらずつい言ってしまう。二人のやりとりを黙って聞いていた黒のスーツの男が突然ククッと笑い出すと「あー響く」と言い腰を押さえる。
「町田、笑わせるな。黙ってろ」
「すみません組長……」
ん? 組長? 組長って……。この若い被害者っぽい子が組長? まさか……こっちかーい!
「先生……とりあえず今すぐ立てるようにしろ。さもなくば──」
「脅してる場合じゃないですよね? とりあえず脱いで」
産まれたての子鹿並みに立てないくせに一丁前なことを言う男の脅しなど怖くもなんともない。女一人で院を守っているのだ、なめてもらっちゃ困る……。
幸が脅しに屈せず淡々と答えると、組長が黙ってシャツを脱ぎ出す。脱ぐとやはりというべきか均整のとれた体に腕から背中にかけて龍が彫られていた。背中で体をくねらすように彫られた龍は今にも動きそうだ。腰の筋肉が随分と硬い……この硬さなら昔から腰痛があっただろう。
「今まで鍼をされたことがありますか?」
「ある。あんまり効かなかったからそれ以来受けてはいない」
鍼治療が効かないと思いながらもここへ来たということはそれほど切羽詰まっているということか。なるほど、やるっきゃないな。
「では──始めますね」
幸は静かに治療開始した。腰痛の原因は腰だけではない。もっと深くにある筋肉が原因だ。それに伴い股関節や大臀筋など多くの筋肉の緊張を取る必要があった。鍼の重い痛みに時折苦しそうな顔をするが決して組長は声を出さなかった。ヤクザとしての沽券だろう。
久々に真剣に治療をした。自分のできる最大限仕事に集中していた。時間にして三十分ぐらいだろうか、全ての鍼を抜き、組長に声をかける。
「さ、もう起きていいですよ。たぶんもう立てるはずですから」
幸の言葉に疑いの目を向けていたがゆっくりと男は立ち上がった。表情がみるみるかわり、歩いてみたり屈伸してみたり様々な動作をしてみる。抱えられてきた事が嘘のように動けているようだ。
幸はこの瞬間が何よりも好きだった。大好きな鍼で痛みに苦しむ患者さんが痛みに解放され嬉しそうな表情を浮かべる時が何よりも幸せだ。
幸がにっこりと微笑むと組長が真剣な顔でこちらに近づき幸の肩に手を置く。
「今までこんなに良くなったことはない……。先生の腕は確かだな」
「ありがとうございます」
うん、いや、ありがとう。だから早く上の服を着てください。色気すげぇよ、ムンムンだよこの人……。
「先生、俺の、体のかかりつけ医になってくれ」
幸は自分の間違いに気づく。かなり実力発揮し過ぎてしまった。すっかり気に入られてしまった。ただしっかり診ないといけないと思っただけなのだが、思いの外組長との治療の相性が良かったらしい。どうやって断ろうか悩んでいると組長が町田を呼ぶ。
「町田、今からこの院はウチの専属だ……他のモンは入らせるな」
え? なにそのハイジャック的な発言。いま、専属って言った?さっきはかかりつけ医だったけど、この数秒で専属の院にまで上り詰めちゃったけど!? みんなの院から自分の院になっちゃいましたけど!?
「ちょっと……! 困ります! やくざ専門なんて私生活できませんよ!」
幸の言葉にケロっとした様子で「問題ない」と言い話を聞こうとしない。町田が胸ポケットから帯のついた札束を出すとベッドの上に置く。
「月百万だ、これなら文句あるまい。先生、よろしくな」
幸はがっくりと肩を落とした。この男には到底敵いそうもない。冒頭説明した私の城はあっけなく奪われ、青野鍼灸院はヤクザ専門の院になってしまった。
幸は椅子に引っ掛けてあった長い白白衣を羽織ると淡く染めた髪の毛を一つにまとめた。
都心のとある駅から徒歩十五分にある薄いピンクのアパートの一室に私の城はある。
青野鍼灸院
これがわたしの城だ。ピンクの建物なのに青野だからみんなにややこしいと言われてしまうことも多い。常連さんにはピンクの鍼灸院に改名しろと言われることもしばしば……そんな屋号に変えてしまえば間違いなく風俗の店と間違えてとんでもない内容の問い合わせが来るだろう。
私は青野 幸三十二才の鍼灸師だ。亡くなった父親の青野鍼灸院を継ぎここの院長をしている。
この辺りは商店街も離れており、中小企業や住宅街ばかりなので人通りも少ない。なのでいつも閑古鳥が鳴いているが受付や助手もいないので一人生活していくには困らない程だ。気楽に過ごせているので逆に居心地がよく、幸は気に入っていた。院の奥に一部屋あり、そこで生活しているので院から全く出ない日もある。予約制ではあるが突然患者が来院することもあるのでそれも影響しているだろう。
午後三時から午後診察が始まる。コーヒーを飲み気合いが入ったところで院のドアが激しく叩かれた。この慌て具合は急患かもしれない……。慌ててドアを開けると幸は無反応のまますぐさまドアをバタンと閉める。
なんだろう、なんなんだろう。すごく至近距離でエグいものを見た気がする──
すぐさま再度ドアが叩かれる音がする。先ほどより力強いが叩くスピードがゆっくりなのが逆に怖い。幸は恐る恐るドアを開けるとドアの隙間から先ほどの人物の顔が現れた。
「おぉ、先生……いらっしゃってよかったです。もう少しでドアを蹴破りそうでした」
「すみません……」
絶対冗談ではない。本気だ、本気で潰す気だった。目の前の男は身長はそこまで高くないものの、筋肉が服の上からもわかるぐらいガタイがいい。スキンヘッドでツルツルした素材の紺色のシャツに黒のズボンに首元に光る金色のネックレス……間違いなくヤクザだ。その男の肩を借りて辛うじて立っている長身の黒髪の男は話すのも嫌なのかぐったりとしている。隣の男に比べ黒のスーツの男は清潔感がある。苦しんでいる顔をしているのでどこかを痛めているのだろう。
「こちらに運んでください」
幸の言葉にスキンヘッドは男をベッドに連れて行くと男は腰が痛いのだろう……すっかり腰が引けて座るのもやっとだ。
「けがをさせたんでしょう? 何をしたんです?」
幸が問診票に症状を書き込みながら非難の目をスキンヘッドの男に向ける。黒のスーツの男は何も言わないがスキンヘッドの男は申し訳なさそうな目を男に向けていた。
「えぇ!? 俺は何もしてないですよ!」
「若い会社員からお金を巻き上げようとしたんですか?そんなことするぐらいなら首から提げてるものを売ればいいでしょう」
幸は昔から正義感が強かった。今でもその癖は治りきっておらずつい言ってしまう。二人のやりとりを黙って聞いていた黒のスーツの男が突然ククッと笑い出すと「あー響く」と言い腰を押さえる。
「町田、笑わせるな。黙ってろ」
「すみません組長……」
ん? 組長? 組長って……。この若い被害者っぽい子が組長? まさか……こっちかーい!
「先生……とりあえず今すぐ立てるようにしろ。さもなくば──」
「脅してる場合じゃないですよね? とりあえず脱いで」
産まれたての子鹿並みに立てないくせに一丁前なことを言う男の脅しなど怖くもなんともない。女一人で院を守っているのだ、なめてもらっちゃ困る……。
幸が脅しに屈せず淡々と答えると、組長が黙ってシャツを脱ぎ出す。脱ぐとやはりというべきか均整のとれた体に腕から背中にかけて龍が彫られていた。背中で体をくねらすように彫られた龍は今にも動きそうだ。腰の筋肉が随分と硬い……この硬さなら昔から腰痛があっただろう。
「今まで鍼をされたことがありますか?」
「ある。あんまり効かなかったからそれ以来受けてはいない」
鍼治療が効かないと思いながらもここへ来たということはそれほど切羽詰まっているということか。なるほど、やるっきゃないな。
「では──始めますね」
幸は静かに治療開始した。腰痛の原因は腰だけではない。もっと深くにある筋肉が原因だ。それに伴い股関節や大臀筋など多くの筋肉の緊張を取る必要があった。鍼の重い痛みに時折苦しそうな顔をするが決して組長は声を出さなかった。ヤクザとしての沽券だろう。
久々に真剣に治療をした。自分のできる最大限仕事に集中していた。時間にして三十分ぐらいだろうか、全ての鍼を抜き、組長に声をかける。
「さ、もう起きていいですよ。たぶんもう立てるはずですから」
幸の言葉に疑いの目を向けていたがゆっくりと男は立ち上がった。表情がみるみるかわり、歩いてみたり屈伸してみたり様々な動作をしてみる。抱えられてきた事が嘘のように動けているようだ。
幸はこの瞬間が何よりも好きだった。大好きな鍼で痛みに苦しむ患者さんが痛みに解放され嬉しそうな表情を浮かべる時が何よりも幸せだ。
幸がにっこりと微笑むと組長が真剣な顔でこちらに近づき幸の肩に手を置く。
「今までこんなに良くなったことはない……。先生の腕は確かだな」
「ありがとうございます」
うん、いや、ありがとう。だから早く上の服を着てください。色気すげぇよ、ムンムンだよこの人……。
「先生、俺の、体のかかりつけ医になってくれ」
幸は自分の間違いに気づく。かなり実力発揮し過ぎてしまった。すっかり気に入られてしまった。ただしっかり診ないといけないと思っただけなのだが、思いの外組長との治療の相性が良かったらしい。どうやって断ろうか悩んでいると組長が町田を呼ぶ。
「町田、今からこの院はウチの専属だ……他のモンは入らせるな」
え? なにそのハイジャック的な発言。いま、専属って言った?さっきはかかりつけ医だったけど、この数秒で専属の院にまで上り詰めちゃったけど!? みんなの院から自分の院になっちゃいましたけど!?
「ちょっと……! 困ります! やくざ専門なんて私生活できませんよ!」
幸の言葉にケロっとした様子で「問題ない」と言い話を聞こうとしない。町田が胸ポケットから帯のついた札束を出すとベッドの上に置く。
「月百万だ、これなら文句あるまい。先生、よろしくな」
幸はがっくりと肩を落とした。この男には到底敵いそうもない。冒頭説明した私の城はあっけなく奪われ、青野鍼灸院はヤクザ専門の院になってしまった。
39
あなたにおすすめの小説
お隣さんはヤのつくご職業
古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。
残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。
元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。
……え、ちゃんとしたもん食え?
ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!!
ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ
建築基準法と物理法則なんて知りません
登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。
2020/5/26 完結
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
お客様はヤの付くご職業・裏
古亜
恋愛
お客様はヤの付くご職業のIf小説です。
もしヒロイン、山野楓が途中でヤンデレに屈していたら、という短編。
今後次第ではビターエンドなエンドと誰得エンドです。気が向いたらまた追加します。
分岐は
若頭の助けが間に合わなかった場合(1章34話周辺)
美香による救出が失敗した場合
ヒーロー?はただのヤンデレ。
作者による2次創作的なものです。短いです。閲覧はお好みで。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
先生
藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。
町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。
ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。
だけど薫は恋愛初心者。
どうすればいいのかわからなくて……
※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
男に間違えられる私は女嫌いの冷徹若社長に溺愛される
山口三
恋愛
「俺と結婚してほしい」
出会ってまだ何時間も経っていない相手から沙耶(さや)は告白された・・・のでは無く契約結婚の提案だった。旅先で危ない所を助けられた沙耶は契約結婚を申し出られたのだ。相手は五瀬馨(いつせかおる)彼は国内でも有数の巨大企業、五瀬グループの若き社長だった。沙耶は自分の夢を追いかける資金を得る為、養女として窮屈な暮らしを強いられている今の家から脱出する為にもこの提案を受ける事にする。
冷酷で女嫌いの社長とお人好しの沙耶。二人の契約結婚の行方は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる