虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青

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第一部

幸の嘘

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 あれから、少し組長との関係が変わった気がする。いつもの時間に現れて腰の治療をする。
 青龍に触れると今まで感じなかったような感覚が現れた。ずっと触っていたいような、そんな感覚……。

「先生、今日の攻め方いいな」
「刺してるだけです」

「ん、ちょっと早急じゃないか? もう少しほぐしてから──」
「手元狂わせて欲しいんですか?」

 今日も組長は嬉しそうだ。 
 クククと声を出して笑う背中を見て隠れて私も笑ってしまう。

 いつからこんなにも楽しくなってしまったんだろう。
 こんなにも居心地が良くなる日が来るなんて。

 組長が、好き、になってしまったかもしれない。もしかしたら……。
 いつからとか、どのタイミングでとかは分からない。人を好きになるのは降る雪のようなものだ。ゆっくりと音もなく積もっている。

 もしそうだとしても、この恋はダメだ。
 だって鍼灸師とヤクザだ。しかも相手は大きな会の組長だ。
 ただの鍼灸師が立ち入っていい世界じゃない。そもそも怪我をしているのも見たくないのに……。

 幸は思った。
 これはきっと恋じゃない。
 勘違いしているだけだ。

 テレビでやっていた特集を思い出す。
 キスは自分からした方が本当の気持ちがわかるそうだ。本当かどうか知らないが、それで恋じゃないことを知れればいい。自分でも変なことを考えているとは思ったが、今はどうにかして組長への気持ちを否定する理由が欲しかった。その時点で既に恋をしていると思うのだが、焦る幸は気づかない。

 治療が終わり組長が起き上がる。

 幸が徐ろに近づく。組長がキョトンとした表情でこちらを見ている。その表情に胸がときめくがそのままゆっくりと口付けた。
 一瞬、ほんの一瞬だけ触れて離れてみた。

 組長の顔が真っ赤に染まっていく。口をパクパクと開けて何かを言おうとしている。

 驚いた。すごい。
 いつもされてばかりだったけど、本当に違う。心臓が跳ねすぎて逆に苦しくて血の気が引く。一瞬しか触れていないのに唇に残った組長の感触が消えない。

 嘘でしょ……私、組長を求めてる。

 自分の気持ちがはっきりしてしまい幸は怖くなった。


「くみ、ちょう……私、組長のものになれない」

「え?」

「ごめんなさい、私と組長は違う世界に生きてる……だから──」

「ヤクザ……だからか?」

「…………」

「先生、一度でも俺を一人の男として見たことあるか?」

「……ない、わ。だって組長は組長だもの」

 組長は私の顔を上へ向けさせる。二人の瞳が合わさると組長が眉間にしわを寄せる。

「……なんでそんな顔してるんだ」

「……なにが?」

 組長が幸の頰を包み込み深く口付ける。呼吸することも許されないほどのキスに脳が溶けてしまいそうだ。

 ゆっくりと組長が幸を解放する。

「自分の顔、見れないからあれだけど、物欲しそうに俺のこと見てる」

 一気に顔が赤くなる。
 幸は組長の胸を押して突き放した。

「欲し、くない。組長、私を……解放して──」

 言い放った幸の顔は真剣だった。
 組長は小さく頷くとドアの方へ歩いていく。

「先生、俺……先生のこと好きだ。でも、先生にそんな顔をさせたくない……泣かせるつもりなんかない」

 組長の言葉に幸は泣いていることに気がついた。いつから泣いていたのだろう。

「じゃあな……先生──幸せになって」

 組長はそう言って院を出て行った。幸は涙を抑えることができなかった。自分の愚かさと、組長の愛の言葉に胸が張り裂けそうだった。一人の男として見ていた。ヤクザであることを忘れていることもあった。でもそれを言うことはできない。

 どうすればよかったのだろう……幸は蹲って泣いた。
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