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第一部
町田の大後頭神経痛
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突然朝起きると後頭部から額にかけての痛みと頭痛に襲われた。
原因は、大後頭神経痛──頭の神経痛らしい。
医者はカルテに何かを書き込むと軋む椅子の背もたれに重みをかける。「うーん……」と言ったままあご髭を撫でている。
「ストレス、でしょう」
「ストレス……ですか?」
「この神経は首から頭、そして額にかけての神経です。なにか特別に圧迫したりしなければストレ──」
「分かりました、先生。ありがとうございました」
溜め息をつきながら病院を出た俺は腕時計に目をやると予定通りに行きつけのスーパーに向かった。
頭が痛くてたまらない。ビタミン剤と頓服を処方されたがさすがにまだ痛む。
大後頭神経痛──原因は分かっている。
組長の渾身の作品、宇宙人だ。先生と出会い圧倒的に回数が増えている。嫉妬に駆られた組長の怒りを鎮めるためには仕方がない。
ズキズキと痛む頭を押さえてやっとの思いで院に到着した。今日組長に触れられると叫び声を上げてしまうかもしれない。それだけは避けたい。
組長との出会いは随分と古い。
初めて会ったのは組長がまだ幼い頃……組長の両親の葬儀場だった。
まだ組長はおれの腰ぐらいの高さまでしか身長がなかった。組長の父親は後を継ぐことを嫌がり屋敷を出て一般人として生活していた。惚れた女がカタギでどうしても一緒に生きていきたかったらしい。
爺様はなぜか反対しなかった。好きにすればいいと自由にさせた。
数年後──両親は不慮の事故で命を落とした。
母方の親戚は元々ヤクザとの結婚をよく思っていなかった。まだ幼い組長を引き取ることを拒否した。葬儀場で二つの棺桶の間に座り込み、じっと泣くのを我慢していた組長の顔が今でも忘れられない。
「坊ちゃん、何か食べませんか?」
「いらない。ほっといて」
「でも──」
「ほっといてって言ってるのに!」
バチンッ
「あ──」
拒絶するため大きく手を振ると町田の頭に手が当たった。その時組長は自分が殴られたように悲しい顔をした。
その小さな組長の手を取り、若くしてすでにスキンヘッドだった俺の頭にそっと置いた。
「坊ちゃん、いいんですよ。俺の頭は掴みやすいし、ほら、いい音もするでしょう? これからは坊ちゃんのそばにいますから……悲しい時や悔しい時はこの頭を叩いてくださいね?」
組長はゆっくりと俺の頭を叩いた。
ペチッとかわいい音がする。組長の顔がぐしゃっと歪むと瞳から大粒の涙が零れだす。ずっと我慢してらっしゃったのだろう、まだ幼い子に我慢させる大人が憎かった。
「なんで、なんで、なんで、なんでぇぇ!」
とうとう大きな声を出し泣きながら頭を叩く。俺はそれを黙って受け続け胸の中に組長を抱きとめた──。
思い出に浸っていると院のドアが開いた。先生がいつものように買い物袋を受け取りありがとうと嬉しそうに笑う。
既に組長はカーテンの中で治療中のようだ。待合で寛いでいた光田が町田のために席を空けた。
「遅かったな、用事は済んだか?」
「はい、終わりました」
皆に心配をかけまいと黙って病院を受診していた。俺はソファーに腰掛けるとゆっくり背もたれに体を預ける。とにかく頭痛も酷いが動くたびに鋭い痛みが頭皮を駆け上がるのが辛かった。
光田は雑誌に載っていた高級時計を俺に見せて「欲しいなぁ」と呟いていた。
いつものように適当に相槌を打つと治療を終えた組長が俺の前に立つ。上半身裸に黒いシャツを羽織った組長はじっと俺のことを見下ろしていた。隙間から見える鍛えられた胸筋や腹筋がセクシーだとは思うが、どうされたのだろうか……。
すっと俺の顔の前に手のひらを掲げる組長に気付くと俺は覚悟を決めて頭を差し出した。ただでさえ痛いんだ、宇宙人になることなんて屁でもない。だがいくら待ってもいつもの圧迫感が降りてこない。恐る恐る顔を上げると組長が目を薄めて俺を見下ろしていた。悲しげで……心配そうな目で……。
俺の腕を掴むとさっきまで組長が寝ていたベッドへ俺を連れて行く。
「先生、こいつの体を治療してやってくれ」
いつも他の人を治療すると嫌がるのに突然の依頼に幸も驚いた。でも、町田が首から上を極力動かさないようにしているのに気づくとすぐに鍼の準備に取り掛かった。
町田は何が起こったのか分からず戸惑っていたが組長は町田を一瞥するとそっぽを向いた。
「馬鹿野郎、体を大事にしろ」
そのまま待合のソファーに座ると適当な雑誌を見始めた組長を俺は見つめるしかできない。
なぜ分かったのだろう……。治療中で姿を見てないはずなのに、光田も先生もすぐ気づかなかったのに。
やはり、組長はお優しい人だ──。
町田は幸に病院で言われたことを説明した。
「首の根元ですからむち打ちからもくると聞きますが……お医者様は何ておっしゃってましたか?」
「あぁ……原因はわからないそうで、季節の変わり目かもしれないと言ってました」
俺はそう言って笑った。
組長は俺の頭に触れることは全くしなかった。
鍼で完治した後久々に宇宙人になった時は嬉しくて思わず笑ってしまった事は誰も知らない。
原因は、大後頭神経痛──頭の神経痛らしい。
医者はカルテに何かを書き込むと軋む椅子の背もたれに重みをかける。「うーん……」と言ったままあご髭を撫でている。
「ストレス、でしょう」
「ストレス……ですか?」
「この神経は首から頭、そして額にかけての神経です。なにか特別に圧迫したりしなければストレ──」
「分かりました、先生。ありがとうございました」
溜め息をつきながら病院を出た俺は腕時計に目をやると予定通りに行きつけのスーパーに向かった。
頭が痛くてたまらない。ビタミン剤と頓服を処方されたがさすがにまだ痛む。
大後頭神経痛──原因は分かっている。
組長の渾身の作品、宇宙人だ。先生と出会い圧倒的に回数が増えている。嫉妬に駆られた組長の怒りを鎮めるためには仕方がない。
ズキズキと痛む頭を押さえてやっとの思いで院に到着した。今日組長に触れられると叫び声を上げてしまうかもしれない。それだけは避けたい。
組長との出会いは随分と古い。
初めて会ったのは組長がまだ幼い頃……組長の両親の葬儀場だった。
まだ組長はおれの腰ぐらいの高さまでしか身長がなかった。組長の父親は後を継ぐことを嫌がり屋敷を出て一般人として生活していた。惚れた女がカタギでどうしても一緒に生きていきたかったらしい。
爺様はなぜか反対しなかった。好きにすればいいと自由にさせた。
数年後──両親は不慮の事故で命を落とした。
母方の親戚は元々ヤクザとの結婚をよく思っていなかった。まだ幼い組長を引き取ることを拒否した。葬儀場で二つの棺桶の間に座り込み、じっと泣くのを我慢していた組長の顔が今でも忘れられない。
「坊ちゃん、何か食べませんか?」
「いらない。ほっといて」
「でも──」
「ほっといてって言ってるのに!」
バチンッ
「あ──」
拒絶するため大きく手を振ると町田の頭に手が当たった。その時組長は自分が殴られたように悲しい顔をした。
その小さな組長の手を取り、若くしてすでにスキンヘッドだった俺の頭にそっと置いた。
「坊ちゃん、いいんですよ。俺の頭は掴みやすいし、ほら、いい音もするでしょう? これからは坊ちゃんのそばにいますから……悲しい時や悔しい時はこの頭を叩いてくださいね?」
組長はゆっくりと俺の頭を叩いた。
ペチッとかわいい音がする。組長の顔がぐしゃっと歪むと瞳から大粒の涙が零れだす。ずっと我慢してらっしゃったのだろう、まだ幼い子に我慢させる大人が憎かった。
「なんで、なんで、なんで、なんでぇぇ!」
とうとう大きな声を出し泣きながら頭を叩く。俺はそれを黙って受け続け胸の中に組長を抱きとめた──。
思い出に浸っていると院のドアが開いた。先生がいつものように買い物袋を受け取りありがとうと嬉しそうに笑う。
既に組長はカーテンの中で治療中のようだ。待合で寛いでいた光田が町田のために席を空けた。
「遅かったな、用事は済んだか?」
「はい、終わりました」
皆に心配をかけまいと黙って病院を受診していた。俺はソファーに腰掛けるとゆっくり背もたれに体を預ける。とにかく頭痛も酷いが動くたびに鋭い痛みが頭皮を駆け上がるのが辛かった。
光田は雑誌に載っていた高級時計を俺に見せて「欲しいなぁ」と呟いていた。
いつものように適当に相槌を打つと治療を終えた組長が俺の前に立つ。上半身裸に黒いシャツを羽織った組長はじっと俺のことを見下ろしていた。隙間から見える鍛えられた胸筋や腹筋がセクシーだとは思うが、どうされたのだろうか……。
すっと俺の顔の前に手のひらを掲げる組長に気付くと俺は覚悟を決めて頭を差し出した。ただでさえ痛いんだ、宇宙人になることなんて屁でもない。だがいくら待ってもいつもの圧迫感が降りてこない。恐る恐る顔を上げると組長が目を薄めて俺を見下ろしていた。悲しげで……心配そうな目で……。
俺の腕を掴むとさっきまで組長が寝ていたベッドへ俺を連れて行く。
「先生、こいつの体を治療してやってくれ」
いつも他の人を治療すると嫌がるのに突然の依頼に幸も驚いた。でも、町田が首から上を極力動かさないようにしているのに気づくとすぐに鍼の準備に取り掛かった。
町田は何が起こったのか分からず戸惑っていたが組長は町田を一瞥するとそっぽを向いた。
「馬鹿野郎、体を大事にしろ」
そのまま待合のソファーに座ると適当な雑誌を見始めた組長を俺は見つめるしかできない。
なぜ分かったのだろう……。治療中で姿を見てないはずなのに、光田も先生もすぐ気づかなかったのに。
やはり、組長はお優しい人だ──。
町田は幸に病院で言われたことを説明した。
「首の根元ですからむち打ちからもくると聞きますが……お医者様は何ておっしゃってましたか?」
「あぁ……原因はわからないそうで、季節の変わり目かもしれないと言ってました」
俺はそう言って笑った。
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