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第三部
虫歯
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「町田、行くぞ……」
「はい……」
いつもの時間に事務所を出た組長だったが町田の様子がおかしいことに気が付いた。目が充血しているし、目の下のクマも酷い。気のせいだろうか……頭の形も変だ。
組長は町田の頭蓋骨が緩い事、そしてその原因が自分にある事を忘れている。
「町田……正直に言え」
「…………」
「誰か、殺したのか?」
「俺そんなに逃亡犯顔ですか? やばい顔色ですか? 大丈夫です……」
町田はそのまま歩き始めた。組長は気になるが町田が口を割ろうとしないので諦めて院へと向かった。
院に着くと町田の様子に幸がサッと顔を青ざめた。ちらちらと町田の顔を見ている。
「ま、町田さん──まさか……」
「せ、先生……もしかしてバレて──」
町田が口元を覆い、辛そうな顔をする。幸が何度も頷きながら近づき、町田の肩をポンっと叩く。その目は真剣そのものだ。
「──今、警察は渋谷近辺を捜索してるようだから、自首するならそこの交番に──」
「いやいや、俺、何もやってないです。ハゲの中肉中背って結構その辺ウロウロしてるから……」
ハゲの中肉中背が渋谷で悪さをしたらしい……迷惑な話だ。前回この近くの交番に連行された思い出が蘇る。一種のトラウマだ。
幸はようやく町田の頰が腫れていることに切付く。瞬きをして町田の首のリンパに触れる。
「……っ」
町田の顔が歪む。その様子に組長と幸は町田の顔をじっと見る。
「……右の頬、腫れてない?」
「いや、俺頭が歪んでるのかと思ったんだが」
「実は……その、奥歯が腫れているんです」
町田の話では、ずっと奥歯に痛みがあったが我慢していたようだ。
「俺、歯科嫌いで……行きたくないんです」
「でも、どうしようもないですよ? このまま置いてても歯を抜くのも痛いでしょうし……」
町田は幸から氷の入った袋を受け取ると右頬を冷やす。組長はどこかへと連絡をしているようだ。
「……俺が行く所は予約が取れないそうだ。明日まで待つしかないな」
「組長、すみません──」
組長は掛かりつけの歯医者に連絡して今日の予約の空きがないか確認していたらしい。町田は申し訳なさそうに頭を下げる。
どうやら痛み止めの薬を飲んでも効かないそうだ。ここまで腫れていると難しい。
「あ、歯の痛みを止める鍼ありますよ? 昔実験でやってみたんですけど割と効きますよ」
「本当ですか!?……あ、でも──」
町田が組長を見る。組長は不機嫌そうだったが、チラッと町田の腫れた頰を見て溜息を漏らす。
「仕方ない……必ず明日歯医者に行って治療しろ、いいな? 先生、今日は俺の治療は無しでいい」
「了解。さ、どうぞ?」
町田を仰向けに寝させると幸は町田の腕と足に鍼を打っていく……そこに電気パルスのコードを繋いでいくようだ。
「これで痛み止めの効果があるんですよ、これに顎の周りとリンパの流れを良くする鍼もしましょう──えっと」
──!?
幸が中腰になり町田の体を覆うようにコードを挟んでいく……だが、重要なのはそこじゃない。屈んだ先生の胸の谷間がこちらから丸見えだ。薄いピンクのブラジャーが見えた。
ダメだ、これは非常にマズイ!
胸の谷間が見えてラッキーと思えるパターンではない。これがバレてしまえば間違いなく命はない。
見てはダメだ。
視線を不自然に外してもダメ、かと言って凝視もダメだ。薄ら笑いもダメ。
町田はどこかのマネキンのように変な表情で固まる。
ちらりと組長を見ると気付いていないようだ。良かった……。雑誌を見て寛いでいる。
幸は続いて足にコードを繋いでいく。ベッドの周りが狭いので幸はそのまま中腰の姿勢で足の鍼にクリップを挟もうとする。鍼を打つときにベッドの高さを上げているのでやりにくそうだ。
「も、もうちょっと──」
──!? あ、せ、先生ちょっと! ああ、もう!
心の声がうるさい。
腕を伸ばし鍼にクリップを挟もうとする度に幸の胸が町田の太腿に微かに触れ、ふわっとスポンジのようなマシュマロのような感覚が布越しに感じる。
や、柔らかい……。あ、ちがう! そ、そうじゃない! ダメだ、これ、遠距離恋愛中の寂しい独身男性には酷だ。
町田が瞼を閉じてひたすら甘い刺激に耐えていると突然幸の胸の感触が消えた。
あ、あれ?
町田がゆっくり瞼を開けるとそこには幸の代わりにコードを持ち鍼にクリップを挟む組長の姿があった。
その視線は足ではなく……なぜか町田の顔を見ていた。町田は顔を強張らせて固まる。
ま、さか……ばれて──。
幸は機械のつまみをひねると町田の手足の筋肉がピクピクと動き出す。
「あ、あの──組」
「先生、すみません……歯が痛い時って氷舐めると楽なので氷を貰えますか?」
幸はポンっと手を叩く。組長の肩に触れ嬉しそうだ。
「本当ね! 外からより中からの方が良いわね。さすがケンカ慣れしてるわね」
幸はご機嫌で奥の部屋へと消えた……。ドアが閉まると組長は笑顔で俺を見下ろしていた。
「……何か、見たか?」
「いえ! 瞑想中だったので心が洗われていました。瞑想中は瞼が縫い合わされていて……」
瞑想からどこかの民族の呪いの人形へと話が移る。怪しげなワードしか出てこない。
「ほう……」
組長がゆっくりとベッドの枕元に近づく……。
「何か、触れたか?」
「いえ、あの最近、皮膚の感覚が鈍くて……孫の手じゃ物足りなくて菜箸で背中を掻くようになりました……やはり年齢には叶いませんね、ハハ」
町田の乾いた笑いが院に響く。
「そんなに鈍いなら……この電気バリももう少し強くしてやろう。ついでにお前のその頰のリンパ? 肉? どちらでも良いが全てを無くしてやる──」
昔話でコブ取り爺さんが鬼に頰のコブを取られた話を思い出す。きっと今の俺と同じ気持ちだったはずだ。
「あ、あの組長……その、俺──あぁぁー!!」
「お待たせしました! 氷──」
町田の変わり果てた姿に幸は息を飲んだ。幸が鍼を抜いてやると町田が頰の涙を静かに拭った。組長は待合に座りハンカチで手を拭いていた。
「あ、あの……町田さん、奥歯の痛みは……?」
「あ、全く感じませんね。あれ? 冷房強めました? 寒いですね……」
自律神経が乱れているようだ。日差しが入り暖かい部屋で寒いのはおかしい……。
この数分で一体何があったのだろう。町田の声は掠れていた。さっき奥の部屋にいる時に近所の犬の遠吠えが聞こえていたが、もしかしたら関係があるのかもしれない。
町田が体を起こすと右のほうれい線が消えていた。驚くほどリフトアップしていた。頰に丸い圧迫痕が残っていた。
幸はそれを見て微笑むしかない。
「うん、痛みも取れて若返ってキレイにもなってるし……良かったね」
次の日の午前中、町田は歯科に向かった。すんなりと治療を受けられる自分に驚いていた。組長のお陰で鍛えられているからだろう。
町田の歯科嫌いは克服出来たようだ。
「はい……」
いつもの時間に事務所を出た組長だったが町田の様子がおかしいことに気が付いた。目が充血しているし、目の下のクマも酷い。気のせいだろうか……頭の形も変だ。
組長は町田の頭蓋骨が緩い事、そしてその原因が自分にある事を忘れている。
「町田……正直に言え」
「…………」
「誰か、殺したのか?」
「俺そんなに逃亡犯顔ですか? やばい顔色ですか? 大丈夫です……」
町田はそのまま歩き始めた。組長は気になるが町田が口を割ろうとしないので諦めて院へと向かった。
院に着くと町田の様子に幸がサッと顔を青ざめた。ちらちらと町田の顔を見ている。
「ま、町田さん──まさか……」
「せ、先生……もしかしてバレて──」
町田が口元を覆い、辛そうな顔をする。幸が何度も頷きながら近づき、町田の肩をポンっと叩く。その目は真剣そのものだ。
「──今、警察は渋谷近辺を捜索してるようだから、自首するならそこの交番に──」
「いやいや、俺、何もやってないです。ハゲの中肉中背って結構その辺ウロウロしてるから……」
ハゲの中肉中背が渋谷で悪さをしたらしい……迷惑な話だ。前回この近くの交番に連行された思い出が蘇る。一種のトラウマだ。
幸はようやく町田の頰が腫れていることに切付く。瞬きをして町田の首のリンパに触れる。
「……っ」
町田の顔が歪む。その様子に組長と幸は町田の顔をじっと見る。
「……右の頬、腫れてない?」
「いや、俺頭が歪んでるのかと思ったんだが」
「実は……その、奥歯が腫れているんです」
町田の話では、ずっと奥歯に痛みがあったが我慢していたようだ。
「俺、歯科嫌いで……行きたくないんです」
「でも、どうしようもないですよ? このまま置いてても歯を抜くのも痛いでしょうし……」
町田は幸から氷の入った袋を受け取ると右頬を冷やす。組長はどこかへと連絡をしているようだ。
「……俺が行く所は予約が取れないそうだ。明日まで待つしかないな」
「組長、すみません──」
組長は掛かりつけの歯医者に連絡して今日の予約の空きがないか確認していたらしい。町田は申し訳なさそうに頭を下げる。
どうやら痛み止めの薬を飲んでも効かないそうだ。ここまで腫れていると難しい。
「あ、歯の痛みを止める鍼ありますよ? 昔実験でやってみたんですけど割と効きますよ」
「本当ですか!?……あ、でも──」
町田が組長を見る。組長は不機嫌そうだったが、チラッと町田の腫れた頰を見て溜息を漏らす。
「仕方ない……必ず明日歯医者に行って治療しろ、いいな? 先生、今日は俺の治療は無しでいい」
「了解。さ、どうぞ?」
町田を仰向けに寝させると幸は町田の腕と足に鍼を打っていく……そこに電気パルスのコードを繋いでいくようだ。
「これで痛み止めの効果があるんですよ、これに顎の周りとリンパの流れを良くする鍼もしましょう──えっと」
──!?
幸が中腰になり町田の体を覆うようにコードを挟んでいく……だが、重要なのはそこじゃない。屈んだ先生の胸の谷間がこちらから丸見えだ。薄いピンクのブラジャーが見えた。
ダメだ、これは非常にマズイ!
胸の谷間が見えてラッキーと思えるパターンではない。これがバレてしまえば間違いなく命はない。
見てはダメだ。
視線を不自然に外してもダメ、かと言って凝視もダメだ。薄ら笑いもダメ。
町田はどこかのマネキンのように変な表情で固まる。
ちらりと組長を見ると気付いていないようだ。良かった……。雑誌を見て寛いでいる。
幸は続いて足にコードを繋いでいく。ベッドの周りが狭いので幸はそのまま中腰の姿勢で足の鍼にクリップを挟もうとする。鍼を打つときにベッドの高さを上げているのでやりにくそうだ。
「も、もうちょっと──」
──!? あ、せ、先生ちょっと! ああ、もう!
心の声がうるさい。
腕を伸ばし鍼にクリップを挟もうとする度に幸の胸が町田の太腿に微かに触れ、ふわっとスポンジのようなマシュマロのような感覚が布越しに感じる。
や、柔らかい……。あ、ちがう! そ、そうじゃない! ダメだ、これ、遠距離恋愛中の寂しい独身男性には酷だ。
町田が瞼を閉じてひたすら甘い刺激に耐えていると突然幸の胸の感触が消えた。
あ、あれ?
町田がゆっくり瞼を開けるとそこには幸の代わりにコードを持ち鍼にクリップを挟む組長の姿があった。
その視線は足ではなく……なぜか町田の顔を見ていた。町田は顔を強張らせて固まる。
ま、さか……ばれて──。
幸は機械のつまみをひねると町田の手足の筋肉がピクピクと動き出す。
「あ、あの──組」
「先生、すみません……歯が痛い時って氷舐めると楽なので氷を貰えますか?」
幸はポンっと手を叩く。組長の肩に触れ嬉しそうだ。
「本当ね! 外からより中からの方が良いわね。さすがケンカ慣れしてるわね」
幸はご機嫌で奥の部屋へと消えた……。ドアが閉まると組長は笑顔で俺を見下ろしていた。
「……何か、見たか?」
「いえ! 瞑想中だったので心が洗われていました。瞑想中は瞼が縫い合わされていて……」
瞑想からどこかの民族の呪いの人形へと話が移る。怪しげなワードしか出てこない。
「ほう……」
組長がゆっくりとベッドの枕元に近づく……。
「何か、触れたか?」
「いえ、あの最近、皮膚の感覚が鈍くて……孫の手じゃ物足りなくて菜箸で背中を掻くようになりました……やはり年齢には叶いませんね、ハハ」
町田の乾いた笑いが院に響く。
「そんなに鈍いなら……この電気バリももう少し強くしてやろう。ついでにお前のその頰のリンパ? 肉? どちらでも良いが全てを無くしてやる──」
昔話でコブ取り爺さんが鬼に頰のコブを取られた話を思い出す。きっと今の俺と同じ気持ちだったはずだ。
「あ、あの組長……その、俺──あぁぁー!!」
「お待たせしました! 氷──」
町田の変わり果てた姿に幸は息を飲んだ。幸が鍼を抜いてやると町田が頰の涙を静かに拭った。組長は待合に座りハンカチで手を拭いていた。
「あ、あの……町田さん、奥歯の痛みは……?」
「あ、全く感じませんね。あれ? 冷房強めました? 寒いですね……」
自律神経が乱れているようだ。日差しが入り暖かい部屋で寒いのはおかしい……。
この数分で一体何があったのだろう。町田の声は掠れていた。さっき奥の部屋にいる時に近所の犬の遠吠えが聞こえていたが、もしかしたら関係があるのかもしれない。
町田が体を起こすと右のほうれい線が消えていた。驚くほどリフトアップしていた。頰に丸い圧迫痕が残っていた。
幸はそれを見て微笑むしかない。
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