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おうちにかえりたい編
閑話 侍女
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それは厨房からの帰り道だった。
食べ終わったものを片付けにいく仕事はいつでも面倒だ。遠いということもあるが、人通りが多いところを通らねばならない。その結果、よく絡まれる。他の侍女たちに。
閑職に追いやられて可哀想とか、今日はなにをもらったとかそんな話を聞く。張り合うのも馬鹿らしいと言わせておくが、最初に石鹸、ガラスの装飾具をもらった。
今度は姫君に似合わない服を下賜してくれるという。懇意にしている商人から姫様に貢がれたとジンジャーがつかれた顔をしていたが、その中身を見ているうちに無の表情になっていった。
中身を見たら、その理由もわかる。流行はこの辺と押さえてあるが、色違いで二枚もいらない。
明日、姫様に似合わない色選別会議が開かれ、似合わない服は一度着用後、下賜すると言われている。一応、着るという義理立てをするくらいには、懇意なのだろうなと思う。
人通りの少ない通路に誰かが立っているなと思った。
近づけば見知った顔であることに気がついた。こんなところまで出てくるのが滅多にないメイド長が珍しいとは思った。
なんとなく恐れられている雰囲気を感じていたので黙礼で済ませようとした。
「あ、あの、メリッサ様」
「な、なに?」
滅多にないことが起こった。自分に話しかけてくるとは全く思っていなかった。
びっくりしたが、顔はいつも通りの無表情だろうと思った。感情の動きと連動しにくいのは幼少期からなので、諦めている。
メイド長はどこかおどおどとしてメリッサとしてはしっかりしなさいと叱責したくなる。
ので、顔を合わせないようにしている。
より萎縮させたいわけではないし、あのエイラが原因なのだからと思うと気の毒にも思う。
今の彼女に侍女にわざわざ話しかける勇気があるとは思っても見なかった。
「その、姫様はお元気でしょうか」
「……はい?」
意外すぎると思った。
一体どこに接点があり、そこまでの好意を持たれたんだろうか。
「ええと、その、気を落とされてはいないでしょうか。悲しんでは……」
「まって。ここでその話はできないの。こちらに」
「はい」
メリッサの今の主は、この場所では不安定な立場だ。今更、噂が増えてもとジンジャーは達観しているが、彼女はそこまで至っていない。
彼女自体になにか悪いことがあるとは思えない。
誰もいない部屋に二人で入る。
「静かに過ごすことがお望みとあって、今はとても落ち着いているそうよ。少なくとも余計な話は聞こえてこないわ」
「良かった」
それは本当に案じていたように見える。メリッサには、やはりおかしなことに思える。
貴人の対応は基本的に侍女などになる。メイド長が統括しているのは貴人の前に現れない人たちだ。
上級メイドは基本的に侍女たちの手先と言ってよいので彼女の言うことを聞かないだろう。
「どこに接点が?」
「え?」
「侍女がついていたわよね?」
「ええ、ジンジャー様お一人と聞きました」
……は?
聞いていた話と違う。何人も首にしたと覚悟しておけと嗤われてきたのだ。
あまりにも要求の少ない姫君で逆に首をかしげるくらい。
「手が回らないと少しお手伝いをいたしました。多くのことは出来ませんでしたが、助かったと故郷のものだと石鹸をいただきました」
「待って。そう言えば厨房でも、似たようなことを聞いたわ」
傷薬を差し入れしていたと。
料理長には食事はちゃんと摂っているか心配されていた。何日かに一回プリンが出るのだが評価点がいつも着いている。
今日は八十点。ご機嫌な料理長が不気味だったが、そう言うことだったのか。
全く、情報の把握ができていないではないか。あのエイラのことだから、気がついてもいないだろう。
自分より下の者は置物も同然な彼女らしくはあったが、迷惑この上ない。
「エイラめ」
低く唸るように言えば、メイド長が怯えた。
いや、貴方には怒ってないから。と言ったところで効果はないんだろうなあとメリッサは苦く思う。
もっと快活に笑う少女だったのだ。遠くから楽しそうだなと見ていたことはそんなに遠い過去ではない。
たまに実家に戻れば、城の様子に驚かれる。母も侍女をしていて、同じく侍従をしていた父と知り会った経緯もあり、以前と違うことがわかる。
この十年で、少しずつ、おかしくなってきている。
陛下が、体調を崩されたころからではないかと両親は疑っている。両親の言う陛下は先王のみで、現王には忠誠は向かっていない。
気を付けなさいと曖昧な不安に満ちた言葉で、いつも送り出された。
それでも、城から去りなさいと言われないことに安堵している。
メリッサはこの生活が気に入っている。
「他に何か聞いていない?」
この階級ごとの情報の断絶も意図的とすれば、一体なにを考えて仕掛けたのだろうか。
「洗濯場でも傷薬をもらったと聞きます。やけどもするからと」
姫君はもちろんジンジャーもこんな話をしてこない。くれてやった、とも思ってもいないだろう。
侍女たちにも気を遣って、大丈夫? 疲れてない? と言うようなお方である。
だから、こんな話を本人から聞くのは難しい。このことも聞けばそんな事あったかしらと笑うくらいだろう。
「あの、怒られないですよね?」
「良い事をして叱責されるなら失望するわね」
目をぱちぱちとさせているメイド長は、あのころの少女のようだった。
ふふっと笑って、そうですねと同意するころには、いつも見ていた怯えのようなものはなかった。
「よければ、何かあったら教えてちょうだい。代わりに近況を教えるわ」
「ありがとうございます」
メリッサが手を差し出すとメイド長はきょとんとそれを見て、にこりと笑った。
「よろしくね」
「はい」
ぎゅっと握った手は柔らかくはなかった。働く人の手と母は言っていたなぁとぼんやり思い出す。
メリッサは彼女たちメイドでも喜ぶ情報が一つあったとついでに伝えておくことにした。
「そう言えば、ジニー様がお戻りになるとか聞いたわね。少しはご機嫌が上向きになるのではないかしら?」
見たことがないけど。
エイラとその取り巻きがきゃあきゃあ言っていた。メリッサたちは基本的に良い男からは遠ざけられた位置にいたので仕方がない。
あまり興味もなかった。
というより、エイラたちがひたすらに邪魔だった。
中性的な感じで優しい微笑みがキュンとくると。困り顔が可愛いって男に言う言葉なの? と思ったのは覚えている。
半眼で見ていた人たちの仲間入りはしたくない。
だが、メイド長も、え、嬉しい、みたいな顔をしているので、本物のイケメンかもしれない。
このびくびく生物を手なずけるなど並の男ではない。
「では、またね」
連絡方法をお互い確認し、別れる。思いの外時間がたっている。
帰りがけ、メイド長にあめ玉をもらった。
おいしいですよ、って。
まあ、おいしかったけど。
頑張ってください、ってなにを?
腑に落ちないままにメリッサは姫君の部屋に戻る。本当は妃殿下とお呼びした方がいいのだろう。しかし、本人もこの状況ではその呼び方は望んでいないようで、こちらの方が嬉しそうにされる。
誰が聞いているわけでもない状況なら望みのままにしようと仲間たちとも決めている。
決して、悪い主人ではない。
メリッサは扉を叩いて、名乗り、内側から開けてもらうのを待つ。
……あれ? いつもは扉の前に誰かは立っているはずなんだけど、誰もいない。
どうしたのかと首をひねっている間に扉が開いた。
「遅かったね。なにかあった?」
少し心配そうな顔の赤毛の青年が、そこにいた。
扉を開けてもらった、だけなのだが、少し屈んで目線をあわせてくる。自然な動きで手を差し出された。
意識しないままに部屋の中へ導かれる。
手を離され、一礼される。
「ジニーだ。妹をよろしくね」
ウィンクされた。
き、きゃーっ!
と口からでなかったのが幸いだった。鉄面皮で良かった。なんとか微笑みを浮かべて、名乗れた。
部屋の中に護衛の二人といつもはいない侍女も集められていたから、彼を紹介していたところだったのだろうか。
侍女仲間から尊敬の目で見られたのはなぜだろう。
ジンジャーがびっくりしたという顔だったのがさらに不審だ。
護衛の二人が見直したみたいな顔が一番心外だ。なんだと思っているのか。
用事があるとジニーが去った後、こそこそとジンジャーが囁いた。
「ジニーのあの笑顔に耐えた人、初めて見た。悪意無しの天然タラシの攻撃力高いよ」
……悪口かも知れないが、納得のいく言葉だ。
一人だったら、きゅうと倒れるかもしれない。
「あんな人が兄って大変そうね」
「わかってくれます? みんな羨ましいとか言いますけど、問題があったらこっちも大変なんですからっ!」
ちょっと騒々しいと思っていたジンジャーも一人で、姫君を守っていたのだと思えば可愛く思えてきた。
まあ、びしばし鍛えるのはやめないけど。
後で役に立つときもあるものよ。
メリッサは少し微笑んだ。
食べ終わったものを片付けにいく仕事はいつでも面倒だ。遠いということもあるが、人通りが多いところを通らねばならない。その結果、よく絡まれる。他の侍女たちに。
閑職に追いやられて可哀想とか、今日はなにをもらったとかそんな話を聞く。張り合うのも馬鹿らしいと言わせておくが、最初に石鹸、ガラスの装飾具をもらった。
今度は姫君に似合わない服を下賜してくれるという。懇意にしている商人から姫様に貢がれたとジンジャーがつかれた顔をしていたが、その中身を見ているうちに無の表情になっていった。
中身を見たら、その理由もわかる。流行はこの辺と押さえてあるが、色違いで二枚もいらない。
明日、姫様に似合わない色選別会議が開かれ、似合わない服は一度着用後、下賜すると言われている。一応、着るという義理立てをするくらいには、懇意なのだろうなと思う。
人通りの少ない通路に誰かが立っているなと思った。
近づけば見知った顔であることに気がついた。こんなところまで出てくるのが滅多にないメイド長が珍しいとは思った。
なんとなく恐れられている雰囲気を感じていたので黙礼で済ませようとした。
「あ、あの、メリッサ様」
「な、なに?」
滅多にないことが起こった。自分に話しかけてくるとは全く思っていなかった。
びっくりしたが、顔はいつも通りの無表情だろうと思った。感情の動きと連動しにくいのは幼少期からなので、諦めている。
メイド長はどこかおどおどとしてメリッサとしてはしっかりしなさいと叱責したくなる。
ので、顔を合わせないようにしている。
より萎縮させたいわけではないし、あのエイラが原因なのだからと思うと気の毒にも思う。
今の彼女に侍女にわざわざ話しかける勇気があるとは思っても見なかった。
「その、姫様はお元気でしょうか」
「……はい?」
意外すぎると思った。
一体どこに接点があり、そこまでの好意を持たれたんだろうか。
「ええと、その、気を落とされてはいないでしょうか。悲しんでは……」
「まって。ここでその話はできないの。こちらに」
「はい」
メリッサの今の主は、この場所では不安定な立場だ。今更、噂が増えてもとジンジャーは達観しているが、彼女はそこまで至っていない。
彼女自体になにか悪いことがあるとは思えない。
誰もいない部屋に二人で入る。
「静かに過ごすことがお望みとあって、今はとても落ち着いているそうよ。少なくとも余計な話は聞こえてこないわ」
「良かった」
それは本当に案じていたように見える。メリッサには、やはりおかしなことに思える。
貴人の対応は基本的に侍女などになる。メイド長が統括しているのは貴人の前に現れない人たちだ。
上級メイドは基本的に侍女たちの手先と言ってよいので彼女の言うことを聞かないだろう。
「どこに接点が?」
「え?」
「侍女がついていたわよね?」
「ええ、ジンジャー様お一人と聞きました」
……は?
聞いていた話と違う。何人も首にしたと覚悟しておけと嗤われてきたのだ。
あまりにも要求の少ない姫君で逆に首をかしげるくらい。
「手が回らないと少しお手伝いをいたしました。多くのことは出来ませんでしたが、助かったと故郷のものだと石鹸をいただきました」
「待って。そう言えば厨房でも、似たようなことを聞いたわ」
傷薬を差し入れしていたと。
料理長には食事はちゃんと摂っているか心配されていた。何日かに一回プリンが出るのだが評価点がいつも着いている。
今日は八十点。ご機嫌な料理長が不気味だったが、そう言うことだったのか。
全く、情報の把握ができていないではないか。あのエイラのことだから、気がついてもいないだろう。
自分より下の者は置物も同然な彼女らしくはあったが、迷惑この上ない。
「エイラめ」
低く唸るように言えば、メイド長が怯えた。
いや、貴方には怒ってないから。と言ったところで効果はないんだろうなあとメリッサは苦く思う。
もっと快活に笑う少女だったのだ。遠くから楽しそうだなと見ていたことはそんなに遠い過去ではない。
たまに実家に戻れば、城の様子に驚かれる。母も侍女をしていて、同じく侍従をしていた父と知り会った経緯もあり、以前と違うことがわかる。
この十年で、少しずつ、おかしくなってきている。
陛下が、体調を崩されたころからではないかと両親は疑っている。両親の言う陛下は先王のみで、現王には忠誠は向かっていない。
気を付けなさいと曖昧な不安に満ちた言葉で、いつも送り出された。
それでも、城から去りなさいと言われないことに安堵している。
メリッサはこの生活が気に入っている。
「他に何か聞いていない?」
この階級ごとの情報の断絶も意図的とすれば、一体なにを考えて仕掛けたのだろうか。
「洗濯場でも傷薬をもらったと聞きます。やけどもするからと」
姫君はもちろんジンジャーもこんな話をしてこない。くれてやった、とも思ってもいないだろう。
侍女たちにも気を遣って、大丈夫? 疲れてない? と言うようなお方である。
だから、こんな話を本人から聞くのは難しい。このことも聞けばそんな事あったかしらと笑うくらいだろう。
「あの、怒られないですよね?」
「良い事をして叱責されるなら失望するわね」
目をぱちぱちとさせているメイド長は、あのころの少女のようだった。
ふふっと笑って、そうですねと同意するころには、いつも見ていた怯えのようなものはなかった。
「よければ、何かあったら教えてちょうだい。代わりに近況を教えるわ」
「ありがとうございます」
メリッサが手を差し出すとメイド長はきょとんとそれを見て、にこりと笑った。
「よろしくね」
「はい」
ぎゅっと握った手は柔らかくはなかった。働く人の手と母は言っていたなぁとぼんやり思い出す。
メリッサは彼女たちメイドでも喜ぶ情報が一つあったとついでに伝えておくことにした。
「そう言えば、ジニー様がお戻りになるとか聞いたわね。少しはご機嫌が上向きになるのではないかしら?」
見たことがないけど。
エイラとその取り巻きがきゃあきゃあ言っていた。メリッサたちは基本的に良い男からは遠ざけられた位置にいたので仕方がない。
あまり興味もなかった。
というより、エイラたちがひたすらに邪魔だった。
中性的な感じで優しい微笑みがキュンとくると。困り顔が可愛いって男に言う言葉なの? と思ったのは覚えている。
半眼で見ていた人たちの仲間入りはしたくない。
だが、メイド長も、え、嬉しい、みたいな顔をしているので、本物のイケメンかもしれない。
このびくびく生物を手なずけるなど並の男ではない。
「では、またね」
連絡方法をお互い確認し、別れる。思いの外時間がたっている。
帰りがけ、メイド長にあめ玉をもらった。
おいしいですよ、って。
まあ、おいしかったけど。
頑張ってください、ってなにを?
腑に落ちないままにメリッサは姫君の部屋に戻る。本当は妃殿下とお呼びした方がいいのだろう。しかし、本人もこの状況ではその呼び方は望んでいないようで、こちらの方が嬉しそうにされる。
誰が聞いているわけでもない状況なら望みのままにしようと仲間たちとも決めている。
決して、悪い主人ではない。
メリッサは扉を叩いて、名乗り、内側から開けてもらうのを待つ。
……あれ? いつもは扉の前に誰かは立っているはずなんだけど、誰もいない。
どうしたのかと首をひねっている間に扉が開いた。
「遅かったね。なにかあった?」
少し心配そうな顔の赤毛の青年が、そこにいた。
扉を開けてもらった、だけなのだが、少し屈んで目線をあわせてくる。自然な動きで手を差し出された。
意識しないままに部屋の中へ導かれる。
手を離され、一礼される。
「ジニーだ。妹をよろしくね」
ウィンクされた。
き、きゃーっ!
と口からでなかったのが幸いだった。鉄面皮で良かった。なんとか微笑みを浮かべて、名乗れた。
部屋の中に護衛の二人といつもはいない侍女も集められていたから、彼を紹介していたところだったのだろうか。
侍女仲間から尊敬の目で見られたのはなぜだろう。
ジンジャーがびっくりしたという顔だったのがさらに不審だ。
護衛の二人が見直したみたいな顔が一番心外だ。なんだと思っているのか。
用事があるとジニーが去った後、こそこそとジンジャーが囁いた。
「ジニーのあの笑顔に耐えた人、初めて見た。悪意無しの天然タラシの攻撃力高いよ」
……悪口かも知れないが、納得のいく言葉だ。
一人だったら、きゅうと倒れるかもしれない。
「あんな人が兄って大変そうね」
「わかってくれます? みんな羨ましいとか言いますけど、問題があったらこっちも大変なんですからっ!」
ちょっと騒々しいと思っていたジンジャーも一人で、姫君を守っていたのだと思えば可愛く思えてきた。
まあ、びしばし鍛えるのはやめないけど。
後で役に立つときもあるものよ。
メリッサは少し微笑んだ。
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