ひめさまはおうちにかえりたい

あかね

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おうちにかえりたい編

閑話 彼について1

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「あ」

 それは、空から落ちてきた雨粒みたいだった。
 ぽつりとあたって、あれ? と思ったころには土砂降りで、濡れている。

「……あれ」

 常に情報を集める習性があるレオンは、ある程度は頭のなかで整理をつけている。本棚に本を入れるように見出しを付けてと言えば、友人は化け物かという顔をした。
 それなのに、急に、頭の中に言葉が湧いてきた。意味があって、意味がない言葉の羅列が溢れている。

「頭いてー」

 情報をまとめて押し込まれたようだった。ごちゃ混ぜの灰色スープ。

「どうしたんですか?」

 副官が心配したようにのぞき込んでくる。それもそうだろう。道で、急に立ち止まれば驚く。
 今日に限って王城でも兵舎でもなく、いつもこない地域の見回りに出ていた。最近急に治安が良くなったと気になったからだ。

「戻って休む」

「そうされた方が良いかと。顔色が悪いですよ」

「じゃ、そっちは任せた」

 意図的な気を抜いた歩き方ではなく、調子が悪いことを隠しもしない動きになっていることに気がついてもいない。
 副官の心配そうな視線に平気と言いたそうに笑う。

「本も書類も禁止ですからね」

「わかってるよ」

 今は見たくもない。情報を食べないと死んでしまうと冗談で言われるほどの収集癖があるのに、いらないと言えば余計に心配するだろう

 レオンは大丈夫とひらひら手を振ってみるが、相手の表情は見れなかった。

 壁や道の真贋など知りたくないと目を閉じても今度は言葉が溢れてくる。

「ほんと、なんなわけ」

 気を抜くと意識すら塗りつぶされそうになる。
 どこか休むところにたどり着くのも難しい気がしてきた。

 壁に寄っかかっても触れている感覚すら薄かった。誰かが近づいてくることだけは彼にもわかる。
 親切な他人の相手をしている余裕はない。

「おや? どうかしましたか?」

 聞いたことのある声だとしかわからなかった。声の主を見てひどい痛みを感じる。レオンは目を閉じるが、その程度ではどうにもならないことを知っていた。
 気休めに手で覆う以上のことはできない。

 白と赤のまだらのようなものが見えた。人の形をしていたようで、蠢く髪が人ではないことを示している。

「……見られた。マジで?」

 それは独り言のように呟いた。
 再び目を開けたときには、きちんと人の姿をしていた。すぐにその名を探し当てる。

「ローガンじゃないか」

「……いや、まあ、俺ですけどね。困ったな」

 ローガンは眉を下げてレオンを見ていた。作られた困り顔でもなく、心底困っているように見える。
 辺りを見回し、誰もいないことを確認してため息をついた。

「肩貸しますよ。ちょっと頑張ってください」

 そこから先のレオンの記憶はない。


「……これはこれは。初めて見ますね」

 柔らかい声。聞き覚えはない。

 気がつけば、どこかに連れてこられたようだった。うるさいくらいに溢れていた情報は、今は大人しく分類を待っているようだった。
 頭が痛いのは確かだが、我慢出来ないほどではない。

 レオンは身を起こして、どこかに横にされていたことに気がついた。

「ここは?」

「闇の教会。普通は入れない祭壇の間」

「……は?」

 レオンの記憶が確かならそこは神域に分類される。信者でもなければ入れない。良くない事が起こると噂されるし、実際起こる。

「許可はとりましたので、大丈夫です」

 機嫌が良さそうにその男は言う。少し丸いが、副官の方が丸いなと失礼なことを考えながら言葉の意味を反芻する。

 直接、神の意を聞けるほどの高位の神官、だということを言われた。

 来るものを拒まないかわりに興味も関心も持たないとされる光の神とは対照的に信仰する人を選ぶのが闇の神だ。自称信者はいても本当に認めている数はとても少ない。
 その神官ともなれば、一生のうちに会う事はないと思っていた。

「普段は入れませんけど、急病ではね?」

 しかもレオンが普通の状況ではなかったことを把握しているらしい。
 ここにつれてきたのはローガンだろうが、今は他に誰もいない。説明くらいはしていったのだろうが、その行動に違和感を覚える。
 知り合って長いわけではないが、言付けも残さないようなタイプには見えなかった。

 この神官は奇妙なくらいに害意がない。だからこそレオンは警戒すべきだと思った。

「ああ、名乗っていなかったですね。イーサンと言います。あまり付き合いはないといいですね」

「レオンハルト、レオンでいい。黄の騎士団にいる」

「ああ、迷惑してます。取り締まってください。黒の奴らも慇懃無礼でイヤなやつらでしたが」

「……なにか?」

「嫌がらせっていうんですかね。ここ、闇の教会じゃないですか。光の方の信者にはウケが悪くて建ててる途中から色々あったんですよ。
 それで元々ご機嫌が悪かった闇の方が、教会が建った時点で邪魔したヤツ全部にのろいをざーっとかけて。悪評が立って」

 治安が良くなった原因はこれか。
 レオンは別な意味で頭が痛くなった。悪評ではなく正統な評価ではないだろうか。邪魔する方も悪いのではあるが。

「可愛いものじゃないですか。毎日、どこかに小指を一回ぶつける呪い。あ、でも両手両足ですから四回かな」

 首をかしげるところは副官が辛辣なことをさらっと言い始めるときとそっくりだ。
 悪意がなさそうで悪意が詰まっている。

 穏やかに笑っていても闇の神の神官は物騒である。レオンは、余計なことを言わないよう気を付けようと決めた。
 批判などしようものならなにをされるかわからない。

「調べさせるよ」

「よろしくお願いしますね。あ、騎士なら王城に入れますかね」

「はいれるけど、なにか?」

「うちのお姫様が元気か見てきて欲しいんですよ。音沙汰なくて」

 うちのお姫様?
 本気でわからなかった。
 レオンがわかっていないということにイーサンも気がついたのだろう。

「……うちのお姫様は、エルナ国のヴァージニア姫と言いまして、この国に望まれて王妃として嫁いだはずなんです」

「……悪いが、聞いたことがない」

 いや、ヴァージニア姫のことは知っている。
 少し前に王妃候補としてあがったときに調べたのだ。姿絵も見たが、人間味が薄いような美人だった。鑑賞するという気分で眺めたのを覚えている。
 それに付随していくつか気になる話があった。

「調べた方が良いですよ。手遅れかも知れませんけどね」

 イーサンの冷ややかな口調にレオンはびくりとした。
 尋常じゃなく、怒っている。冷気さえ漂ってきそうな雰囲気すらしていた。

「お帰りください。ローガンも用があると言っていたので、寄ってあげると良いと思います」

 そのままイーサンにとっとと出て行けと叩き出される。
 最初にあった穏便な雰囲気はみじんもない。

 狐につままれたような顔で放り出されたレオンが、王城で起こっていた事態に気がつくのはもう少し先のことである。





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