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おまけ
ある姉の話
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「やあ、お嬢さん」
柔らかく笑う人を見上げてシエルはぽかんと口を開けた。
「ソランのお姉さんで間違いないかな。
良く聞いていたから気になって会いに来ちゃった」
甘くそう話す人は、確かに乙女の夢の具現化と思った。
シエルは城下の喫茶店にやってきていた。ソランからどうしてもと手紙で呼び出されたのだ。そこに現れたのがジニーである。お忍びのようで地味な恰好ではあったが、持前の美貌は隠しようがない。店内の視線を独り占めにしてシエルの前にたったのだ。
「相席、いいかな?」
シエルにはこくこくと頷く以外に出来ることはなかった。立たせたままなどありえない。そう思わせるところがあるが押しつけがましくないのは、ちゃんと目線を合わせて聞いてくれるからだろう。
それに勝手に座ったりもしない。
「陛下がうちの弟が迷惑かけてごめんなさいって。
本人が出てくるわけにはいかないから僕がでてきたわけ。あ、好きなの頼んでいいよ。
ソランには秘密だよ。嘘の手紙で呼び出したって聞いたら怒られちゃう」
いたずらっぽく笑うところにシエルはうつむいた。直視していたらふるふる震える生き物になり果ててしまう。
ぴぎゃとかなんか変な声が出そうだった。淑女教育がどこかに吹っ飛んでいく。
「さて、僕は何食べよっかな。
可愛いケーキがあるって聞いたけど、顔を真っ二つにしないと食べられないっていうからちょっと食べにくいよね」
悩まし気にメニューを眺めている姿だけで、絵になる。シエルは語彙力が無になる瞬間があるのだと知った。
彼について語るならイケメンだけで充分である。その言葉にある妄想全部つぎ込んでも大丈夫。
「シエル嬢はなに頼んだ? 半分こしない?」
「え、は、はいっ」
羨望の眼差しが注がれているが、それさえもどうでもよくなってきた。
むしろ心地よく思えるのだから恐ろしい。
「この柑橘のチーズケーキを」
「ふぅん? じゃ、甘いのにしようかな。ふわふわクリームのケーキ。よろしくね」
ジニーは知らない間に寄ってきていた店員に注文していた。くらりときながらもちゃんと職務を全うしていた店員はプロだ。シエルは尊敬の眼差しを送った。
「さて、本音のところを聞いてこいって言われたんだよね。
フィンレー様は、後援するからこの先も書いててほしいってさ。でも結婚したら難しいんだよね」
「そうですね。この先、なにか書くことはないでしょう。書ききったのでもういいかなと思います」
「……あらま。こりゃ手ごわいぞ」
ぼそっと呟かれた言葉はシエルには不可解だった。
「私くらいの人、珍しくもありませんよ」
「特別優秀というわけでもないね。
でも、フィンレーは君がいいんだって」
シエルは首をかしげる。特別であったことは確かであるが、どちらかというと罰則に近い。最初は脅されたように思える。
ただ、そのうちに楽しそうに思い出を語るフィンレーが可愛く見えたのは確かだ。弟的に。なんだか頭を撫でて辛かったんですねと際限なく甘やかしたい誘惑にかられるのだ。
もちろん不敬なのでしないが。
なにか姉心をくすぐる何かがあると友人も述べていた。シエルはそうそうと頷いていた。
「僕としても久方ぶりの女の人に懐いているからそのままにしておきたかったんだけどね。
このまま結婚してもいいってこと?」
「……できれば、相手を変えたいですが、それは難しいでしょうね」
「なんだ。じゃあ、フィンレーは」
「恐れ多いですし、弟みたいにしか思えません」
「……弟みたいな。恐ろしい言葉だな。うん。そうか」
「あの、ジニー様?」
シエルにはジニーの態度が主君の弟に対するものよりももっと親しいように思えた。
身内に対する気安さのような、そう、まるで弟みたいな。
「なに?」
「ケーキ、来ました」
言いかけた言葉とべつのことをシエルは告げた。なにか、気がついたことを告げてはいけないように思えた。
「ありがとう。おいしそうだな」
ジニーは頼んだケーキをスプーンですくうとついっとシエルに向けた。
「あ、あの?」
「あーん、とか乙女の夢って聞いたよ。取材のつもりで食べてみたら?」
「え」
「ほら」
圧が強い。
羨望の眼差しとは別に、なにか違うような視線を感じたような気がしてシエルが油断したときにつんと唇にスプーンが当たった。
「かわいいなぁ」
柔らかく甘く囁かれた。
「……いただきます」
シエルの理性が敗北した。人前でこんなことすれば、噂になるというのはわかっている。わかっているが、千載一遇のチャンスと思ったのも確かだ。
破談になっても構わんというほどの覚悟で口に入れる。
「気負わなくていいよ。だって、僕は」
「シエル、こんなところでなにを」
芝居がかった声だなと思った。
知っているなと気がつくまでにシエルは数秒かかった。もぐもぐと咀嚼して、ようやく脳が活動し始めた。
「従兄殿。なぜここに?」
ここは喫茶店である。それだけであれば、シエルも疑問を抱かなかっただろう。そういう偶然もあり得る。
しかし、ここではない。ここは喫茶店ではあるが、内装が偏っていた。白と青とレースとフリルの世界だ。主に女性客が占拠している。男性が一人で入るには躊躇しそうな店である。なお、男性の集団であっても難しいだろう。
ソランがここを指定したのは、逆にそれが理由にあった。婚約の話がしたいから、従兄がこなそうな店にしたと。弟にしては気が利くと思ったが、手紙の主は弟ではないなら。
「……嵌められました?」
シエルは小声でひそひそと尋ねる。今ここでなければ答えてくれる気がしなかったのだ。
「都合がよかったんだよ」
済ました顔でジニーが告げる。すっとぼけることはしないらしい。
「可愛い弟が必死に頼み込んでくるんだから、無碍にするのもね。
借りに感じるなら、お友達になってお欲しいな。考えといて」
ジニーはシエルの耳元で愛し気に囁くが、中身はとんでもなかった。
もう、シエルが気がついていようがどうでもよいという態度であった。破談にしてやる気満々すぎて、フィンレーがなにを姉に訴えたのか気になる。
「シエル嬢と僕は楽しんでいるんだけど、君は誰?」
ジニーは楽しい時間を邪魔されて、機嫌がわるいという態度を示した。従兄が明らかにたじろいだのをシエルは感じる。
異国からやってきたとはいえ、女王陛下の乳兄弟であり、実力のある騎士であることは知れ渡っている。見た目ばかりと思われがちだが、騎士団の訓練には時々参加してその力を示していた。
そのあたりは、女性のほうが詳しいかもしれない。
なにをしたって目立つ方なのだから。
周囲の反応が気になって女性ばかりの店内をシエルは見回す。いきなりの騒動に周囲が浮足立っている、ということがなかった。興味津々という視線を向けられてはいるが、シエルを責めるような態度は感じない。
むしろなにか応援されているような気さえしてくる。サムズアップとか令嬢はしないものだと知人を見つけて思った。
シエルはこちらも仕込みですかと呻きたくなる。
「彼女の婚約者です。
お戯れも大概にしていただきたいものですな。愚かな女手はありますが、傷つくところは見たくありません」
「傷つけるのは君の方じゃないかな。
僕は、ジニーって言うんだけど、君は?」
名乗ることを回避したい従兄は黙った。
ジニーに覚えられるということは、女王陛下に名が伝わる可能性がある。自分の護衛がひどい目にあったと伝えてしまえば、場合によっては出世もできないどころか貴族社会からの追放もあり得る。
とでも考えているのだろう。
シエルは甘いなと思う。調べれば彼が誰かすぐにわかるのだ。シエルのこともきちんと調べてあるのだからすでに知っていてもおかしくない。
「ロデンです。
さあ、シエルを返してもらえませんか。
あなたも婚約者のある女と遊んでいたという噂はありがたくないのではないでしょうか」
「うん? 別に困らないというか。普通だよね」
同意を求められてシエルは困惑した。
「女同士なんだし」
あっさりとジニーは告げた。
地獄のような沈黙があった。言いますか。ここでいいますかぁっ! とシエルは絶叫したかった。
周囲を見回すと反応は半々だった。驚愕という表情で固まっているか、それを愉悦という表情で見守っているか。
「……ご冗談を」
「よく、勘違いされるし、困りはしないからほっといたけど、みんなが困るみたいだから最近、言うことにしたんだよね」
ジニーがほらと上着を脱いでシャツの姿になると確かにわかるのだ。女性らしい曲線が。胸筋と言い張るには柔らかそうではある。どこに隠してたんだろうとシエルはぼんやり考えて頭を振った。どこから湧いて、いやそれも違う。
隠してなんかいなかったはずなのだ。そうでなければ、上着を脱いだだけでわかるようにはならない。
「ね?」
可愛らしく言うしぐさは今までと同じではあったが、一度事実を知らされてしまうと女性にしか見えない。
「で、女友達とお茶して、仲良くこそこそ話して、浮気になる?」
「……なりません」
「良かった。僕たちはとっても仲良しなんだ。今後も付き合いあるかな」
ジニーはにこにこと特大の釘を打ってくる。
シエルを蔑ろにするなよと。
「ところで、婚約したって話は聞いてないよ」
「まだ、婚約確定はしてません」
「じゃあ、君の連れのお嬢さんとも浮気にはならないってことか」
何気なく、指摘された言葉にシエルは改めて店内を見回した。満席に近い店内で不自然にあいているのは一席。さきほどまでお茶を楽しんでいた形跡があり、その向かいには可愛らしい女性が座っていた。すでに青ざめていた。
「でもなぁ。さっき、婚約者って言っていたし。どういうこと?」
無邪気さを装って、楽し気に追い詰めていく。
シエルが口出しする隙がなかった。
従兄は表情をひきつらせたが、なにかに気がついたようだった。
「シエルには前科があります。なんと、弟と同じくらいの少年を誑かしたのです。私はそれが心配で心配で」
「……へぇ?」
「もちろん、よく言い聞かせ、二度と関わらせませんが、男に目がないのです」
「………そー」
シエルは言われたことは嫌であったが、それよりもジニーの機嫌の急降下にそわそわする。一言ごとに温度が下がりそうなほど、冷ややかになっていく。
「男のようにペンをとることもあって、生意気なのですよ。
今後は二度とさせません」
「ふぅん?」
自信を回復していった従兄は気がついていない。
シエルはそっとジニーから距離を離した。同じテーブルについている以上、離れる限界はあるがなにかものすごく怖い。
「あんな、役に立たないゴミを」
「……シエル。代理人として、立つことを許してくれるかな?」
「え?」
「君の名誉を守る騎士として、この男に決闘を申し込むことにしたから」
……どちらかというと弟の名誉の方じゃないですかね。とは言えなった。
頷く、はいという以外の選択が存在しない。確定事項だ。
ソランからは弟を溺愛しているとは聞いていた。仲が良い程度だろうなと思っていた。
間違っていた。
「フィンレーがあんなに喜んだものをさ、ゴミなんて許せない。絶対、許さない」
女王陛下はそう言って柔らかく笑う。大変恐ろしい。シエルは、従兄の冥福を祈った。骨の一本や二本折ってしまえばいいのだ。
「楽しみ」
無意気に漏れた言葉とふふっと嗤う姿にぞっとした。
気に入らない嫌なやつではあったが、寸刻みされそうなものはちょっとなと思い直す。
「ジニー様が負うようなことではございません。
婚約の話はなかったことにしましょう。お互いに利がない。おわかりですね?」
従兄はこくこくと頷いていた。
さすがにこのジニーのヤバさがわかったらしい。悪かったと捨て台詞を残したのは、防衛本能かもしれない。
そうでなければ、この場以外の場所で闇討ちされてもおかしくないだろう。
その後を追うように従兄の同伴者が去っていった。一度、シエルに向かって深々と頭を下げていたのであちらもあちらでなにか察したのだろう。
「……つまんない」
「お茶しましょう。ジニー様、ほら、座ってあーんって」
シエルはジニーを座らせた。いつの間に立っていたのかすらわからなかったということも怖い。
ジニーが頼んだケーキは一口も食べていなかった。
シエルの必死の対応にふっとジニーは笑った。
「ほんと、かわいい」
そう言って差し出されたスプーンを口に入れた。
「おいしいね」
「…………だめだ」
思わずシエルの口から漏れた。
女性だろうが、女王陛下だろうがこれはダメだ。
ときめいた。
「こ、このときめきを何かにっ!」
「え、なに言ってんの?」
「ジニー様、デートしましょう。そして、その一日を書くんですっ!」
店内に悲鳴があふれた。
私もデートしたいとか手記を買う、スポンサーになるという声も聞こえてくる。
「正気?」
「正気なわけないじゃないですかっ! ジニー様相手に正気な女がいたらおかしい」
「えぇ? なにそれ」
ジニーは嫌そうに顔をしかめる。
「……まあ、いいか。ここにいる人たちだけにだよ? 外には出しちゃだめだよ?」
こうして門外不出の機密文書が書かれ、乙女の間に受け継がれていくのは少し先の話。
柔らかく笑う人を見上げてシエルはぽかんと口を開けた。
「ソランのお姉さんで間違いないかな。
良く聞いていたから気になって会いに来ちゃった」
甘くそう話す人は、確かに乙女の夢の具現化と思った。
シエルは城下の喫茶店にやってきていた。ソランからどうしてもと手紙で呼び出されたのだ。そこに現れたのがジニーである。お忍びのようで地味な恰好ではあったが、持前の美貌は隠しようがない。店内の視線を独り占めにしてシエルの前にたったのだ。
「相席、いいかな?」
シエルにはこくこくと頷く以外に出来ることはなかった。立たせたままなどありえない。そう思わせるところがあるが押しつけがましくないのは、ちゃんと目線を合わせて聞いてくれるからだろう。
それに勝手に座ったりもしない。
「陛下がうちの弟が迷惑かけてごめんなさいって。
本人が出てくるわけにはいかないから僕がでてきたわけ。あ、好きなの頼んでいいよ。
ソランには秘密だよ。嘘の手紙で呼び出したって聞いたら怒られちゃう」
いたずらっぽく笑うところにシエルはうつむいた。直視していたらふるふる震える生き物になり果ててしまう。
ぴぎゃとかなんか変な声が出そうだった。淑女教育がどこかに吹っ飛んでいく。
「さて、僕は何食べよっかな。
可愛いケーキがあるって聞いたけど、顔を真っ二つにしないと食べられないっていうからちょっと食べにくいよね」
悩まし気にメニューを眺めている姿だけで、絵になる。シエルは語彙力が無になる瞬間があるのだと知った。
彼について語るならイケメンだけで充分である。その言葉にある妄想全部つぎ込んでも大丈夫。
「シエル嬢はなに頼んだ? 半分こしない?」
「え、は、はいっ」
羨望の眼差しが注がれているが、それさえもどうでもよくなってきた。
むしろ心地よく思えるのだから恐ろしい。
「この柑橘のチーズケーキを」
「ふぅん? じゃ、甘いのにしようかな。ふわふわクリームのケーキ。よろしくね」
ジニーは知らない間に寄ってきていた店員に注文していた。くらりときながらもちゃんと職務を全うしていた店員はプロだ。シエルは尊敬の眼差しを送った。
「さて、本音のところを聞いてこいって言われたんだよね。
フィンレー様は、後援するからこの先も書いててほしいってさ。でも結婚したら難しいんだよね」
「そうですね。この先、なにか書くことはないでしょう。書ききったのでもういいかなと思います」
「……あらま。こりゃ手ごわいぞ」
ぼそっと呟かれた言葉はシエルには不可解だった。
「私くらいの人、珍しくもありませんよ」
「特別優秀というわけでもないね。
でも、フィンレーは君がいいんだって」
シエルは首をかしげる。特別であったことは確かであるが、どちらかというと罰則に近い。最初は脅されたように思える。
ただ、そのうちに楽しそうに思い出を語るフィンレーが可愛く見えたのは確かだ。弟的に。なんだか頭を撫でて辛かったんですねと際限なく甘やかしたい誘惑にかられるのだ。
もちろん不敬なのでしないが。
なにか姉心をくすぐる何かがあると友人も述べていた。シエルはそうそうと頷いていた。
「僕としても久方ぶりの女の人に懐いているからそのままにしておきたかったんだけどね。
このまま結婚してもいいってこと?」
「……できれば、相手を変えたいですが、それは難しいでしょうね」
「なんだ。じゃあ、フィンレーは」
「恐れ多いですし、弟みたいにしか思えません」
「……弟みたいな。恐ろしい言葉だな。うん。そうか」
「あの、ジニー様?」
シエルにはジニーの態度が主君の弟に対するものよりももっと親しいように思えた。
身内に対する気安さのような、そう、まるで弟みたいな。
「なに?」
「ケーキ、来ました」
言いかけた言葉とべつのことをシエルは告げた。なにか、気がついたことを告げてはいけないように思えた。
「ありがとう。おいしそうだな」
ジニーは頼んだケーキをスプーンですくうとついっとシエルに向けた。
「あ、あの?」
「あーん、とか乙女の夢って聞いたよ。取材のつもりで食べてみたら?」
「え」
「ほら」
圧が強い。
羨望の眼差しとは別に、なにか違うような視線を感じたような気がしてシエルが油断したときにつんと唇にスプーンが当たった。
「かわいいなぁ」
柔らかく甘く囁かれた。
「……いただきます」
シエルの理性が敗北した。人前でこんなことすれば、噂になるというのはわかっている。わかっているが、千載一遇のチャンスと思ったのも確かだ。
破談になっても構わんというほどの覚悟で口に入れる。
「気負わなくていいよ。だって、僕は」
「シエル、こんなところでなにを」
芝居がかった声だなと思った。
知っているなと気がつくまでにシエルは数秒かかった。もぐもぐと咀嚼して、ようやく脳が活動し始めた。
「従兄殿。なぜここに?」
ここは喫茶店である。それだけであれば、シエルも疑問を抱かなかっただろう。そういう偶然もあり得る。
しかし、ここではない。ここは喫茶店ではあるが、内装が偏っていた。白と青とレースとフリルの世界だ。主に女性客が占拠している。男性が一人で入るには躊躇しそうな店である。なお、男性の集団であっても難しいだろう。
ソランがここを指定したのは、逆にそれが理由にあった。婚約の話がしたいから、従兄がこなそうな店にしたと。弟にしては気が利くと思ったが、手紙の主は弟ではないなら。
「……嵌められました?」
シエルは小声でひそひそと尋ねる。今ここでなければ答えてくれる気がしなかったのだ。
「都合がよかったんだよ」
済ました顔でジニーが告げる。すっとぼけることはしないらしい。
「可愛い弟が必死に頼み込んでくるんだから、無碍にするのもね。
借りに感じるなら、お友達になってお欲しいな。考えといて」
ジニーはシエルの耳元で愛し気に囁くが、中身はとんでもなかった。
もう、シエルが気がついていようがどうでもよいという態度であった。破談にしてやる気満々すぎて、フィンレーがなにを姉に訴えたのか気になる。
「シエル嬢と僕は楽しんでいるんだけど、君は誰?」
ジニーは楽しい時間を邪魔されて、機嫌がわるいという態度を示した。従兄が明らかにたじろいだのをシエルは感じる。
異国からやってきたとはいえ、女王陛下の乳兄弟であり、実力のある騎士であることは知れ渡っている。見た目ばかりと思われがちだが、騎士団の訓練には時々参加してその力を示していた。
そのあたりは、女性のほうが詳しいかもしれない。
なにをしたって目立つ方なのだから。
周囲の反応が気になって女性ばかりの店内をシエルは見回す。いきなりの騒動に周囲が浮足立っている、ということがなかった。興味津々という視線を向けられてはいるが、シエルを責めるような態度は感じない。
むしろなにか応援されているような気さえしてくる。サムズアップとか令嬢はしないものだと知人を見つけて思った。
シエルはこちらも仕込みですかと呻きたくなる。
「彼女の婚約者です。
お戯れも大概にしていただきたいものですな。愚かな女手はありますが、傷つくところは見たくありません」
「傷つけるのは君の方じゃないかな。
僕は、ジニーって言うんだけど、君は?」
名乗ることを回避したい従兄は黙った。
ジニーに覚えられるということは、女王陛下に名が伝わる可能性がある。自分の護衛がひどい目にあったと伝えてしまえば、場合によっては出世もできないどころか貴族社会からの追放もあり得る。
とでも考えているのだろう。
シエルは甘いなと思う。調べれば彼が誰かすぐにわかるのだ。シエルのこともきちんと調べてあるのだからすでに知っていてもおかしくない。
「ロデンです。
さあ、シエルを返してもらえませんか。
あなたも婚約者のある女と遊んでいたという噂はありがたくないのではないでしょうか」
「うん? 別に困らないというか。普通だよね」
同意を求められてシエルは困惑した。
「女同士なんだし」
あっさりとジニーは告げた。
地獄のような沈黙があった。言いますか。ここでいいますかぁっ! とシエルは絶叫したかった。
周囲を見回すと反応は半々だった。驚愕という表情で固まっているか、それを愉悦という表情で見守っているか。
「……ご冗談を」
「よく、勘違いされるし、困りはしないからほっといたけど、みんなが困るみたいだから最近、言うことにしたんだよね」
ジニーがほらと上着を脱いでシャツの姿になると確かにわかるのだ。女性らしい曲線が。胸筋と言い張るには柔らかそうではある。どこに隠してたんだろうとシエルはぼんやり考えて頭を振った。どこから湧いて、いやそれも違う。
隠してなんかいなかったはずなのだ。そうでなければ、上着を脱いだだけでわかるようにはならない。
「ね?」
可愛らしく言うしぐさは今までと同じではあったが、一度事実を知らされてしまうと女性にしか見えない。
「で、女友達とお茶して、仲良くこそこそ話して、浮気になる?」
「……なりません」
「良かった。僕たちはとっても仲良しなんだ。今後も付き合いあるかな」
ジニーはにこにこと特大の釘を打ってくる。
シエルを蔑ろにするなよと。
「ところで、婚約したって話は聞いてないよ」
「まだ、婚約確定はしてません」
「じゃあ、君の連れのお嬢さんとも浮気にはならないってことか」
何気なく、指摘された言葉にシエルは改めて店内を見回した。満席に近い店内で不自然にあいているのは一席。さきほどまでお茶を楽しんでいた形跡があり、その向かいには可愛らしい女性が座っていた。すでに青ざめていた。
「でもなぁ。さっき、婚約者って言っていたし。どういうこと?」
無邪気さを装って、楽し気に追い詰めていく。
シエルが口出しする隙がなかった。
従兄は表情をひきつらせたが、なにかに気がついたようだった。
「シエルには前科があります。なんと、弟と同じくらいの少年を誑かしたのです。私はそれが心配で心配で」
「……へぇ?」
「もちろん、よく言い聞かせ、二度と関わらせませんが、男に目がないのです」
「………そー」
シエルは言われたことは嫌であったが、それよりもジニーの機嫌の急降下にそわそわする。一言ごとに温度が下がりそうなほど、冷ややかになっていく。
「男のようにペンをとることもあって、生意気なのですよ。
今後は二度とさせません」
「ふぅん?」
自信を回復していった従兄は気がついていない。
シエルはそっとジニーから距離を離した。同じテーブルについている以上、離れる限界はあるがなにかものすごく怖い。
「あんな、役に立たないゴミを」
「……シエル。代理人として、立つことを許してくれるかな?」
「え?」
「君の名誉を守る騎士として、この男に決闘を申し込むことにしたから」
……どちらかというと弟の名誉の方じゃないですかね。とは言えなった。
頷く、はいという以外の選択が存在しない。確定事項だ。
ソランからは弟を溺愛しているとは聞いていた。仲が良い程度だろうなと思っていた。
間違っていた。
「フィンレーがあんなに喜んだものをさ、ゴミなんて許せない。絶対、許さない」
女王陛下はそう言って柔らかく笑う。大変恐ろしい。シエルは、従兄の冥福を祈った。骨の一本や二本折ってしまえばいいのだ。
「楽しみ」
無意気に漏れた言葉とふふっと嗤う姿にぞっとした。
気に入らない嫌なやつではあったが、寸刻みされそうなものはちょっとなと思い直す。
「ジニー様が負うようなことではございません。
婚約の話はなかったことにしましょう。お互いに利がない。おわかりですね?」
従兄はこくこくと頷いていた。
さすがにこのジニーのヤバさがわかったらしい。悪かったと捨て台詞を残したのは、防衛本能かもしれない。
そうでなければ、この場以外の場所で闇討ちされてもおかしくないだろう。
その後を追うように従兄の同伴者が去っていった。一度、シエルに向かって深々と頭を下げていたのであちらもあちらでなにか察したのだろう。
「……つまんない」
「お茶しましょう。ジニー様、ほら、座ってあーんって」
シエルはジニーを座らせた。いつの間に立っていたのかすらわからなかったということも怖い。
ジニーが頼んだケーキは一口も食べていなかった。
シエルの必死の対応にふっとジニーは笑った。
「ほんと、かわいい」
そう言って差し出されたスプーンを口に入れた。
「おいしいね」
「…………だめだ」
思わずシエルの口から漏れた。
女性だろうが、女王陛下だろうがこれはダメだ。
ときめいた。
「こ、このときめきを何かにっ!」
「え、なに言ってんの?」
「ジニー様、デートしましょう。そして、その一日を書くんですっ!」
店内に悲鳴があふれた。
私もデートしたいとか手記を買う、スポンサーになるという声も聞こえてくる。
「正気?」
「正気なわけないじゃないですかっ! ジニー様相手に正気な女がいたらおかしい」
「えぇ? なにそれ」
ジニーは嫌そうに顔をしかめる。
「……まあ、いいか。ここにいる人たちだけにだよ? 外には出しちゃだめだよ?」
こうして門外不出の機密文書が書かれ、乙女の間に受け継がれていくのは少し先の話。
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