Take On Me 2

マン太

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2.因縁

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「よう。くすじゃねぇか。ここ最近、羽振りがいいそうだな? 上手くやってる様じゃねぇか」

 元鷗澤おうさわ組の更に上、辺りを取り仕切る組の会長の元へ、月毎の挨拶に訪れた際、廊下ですれ違った古山こやま宗辰むねときにそう声をかけられた。
 雪見障子から差し込む午前の淡い光が、黒光りする廊下を照らし出している。

「…お陰様で。何とか無事、通らせていただいています」

「鷗澤さんがいなくなって、どうなることかと思ったが。…ずっと後釜、狙ってたんだろ?」

 そう言って口元を歪め笑みを浮かべた。嫌な笑みだ。
 古山はくす正嗣まさつぐの組と同等の規模を持つ。
 とは言っても、正嗣の場合、元鷗澤組から後を引継いだ為、そう成ったに過ぎないが。
 古山は、今年三十九歳になる正嗣より二つ、三つ程歳上だったが、同時期にその道に入ったせいで何かと張り合って来る。
 正嗣としては相手が上に行こうが下に行こうが気にもならないが、古山はそうではないらしい。
 ことあるごとに張り合い、行き過ぎて下の者同士が小競り合いになる事もしばしば。
 いい加減、面倒事は避けたいのだが、こちらが引いても追いかけて来るのだから鬱陶しい。
 濡れた手で落ちた髪に触れた時の面倒臭さに似ている。幾ら振り払っても払えない。そんな感じだ。

「…狙ってはいません。今回は他に道がなかっただけですよ」

 どう返してもどうせ気に入らないのだ。本音を口にしたが、やはりその返答も不満だったらしい。

「ふうん…。素直じゃねぇなぁ。どうせなら狙ってましたって言えばかわいいもんなのにな…。まあいい。威勢がいいのも今のうちだけだ」

 そういうと正嗣の肩をポンと叩き、タバコ臭い息を残し去って言った。
 その背を見送ったあと、正嗣は深く息を吐き出す。

「張り合うつもりがないのに、張り合われてもな…」

 触れられた肩の埃を払う。
 勿論、埃など付いてはいないが、触れられた感触を残したくなかったのだ。意外に自分が古山を嫌っていたのだと気づく。

 岳はそれでも慕っていた様だが──。

 いや、あれは世間を知る為に割り切って従っていただけだった。
 当時の岳は右も左も分からず。表の面は正嗣が面倒を見ていたが、それ以外の裏の部分は古山から教わっていた。アンダーグラウンドな世界の師匠は古山になるのだろう。
 すると背後に控えていた部下が声をかけてきた。

「…かしら

 名を玉置たまきと言った。正嗣より幾分小柄だが、体躯はがっしりとしている。忠実で頼りになる男だった。
 冗談が通じないのがたまに傷だが、そこはあるじに似たのだろう。

「何か…企んでいるようにも取れましたが」

「どうせろくでもないことを思いついたんだろう…。後で分かっても面倒だ。下らん芽はさきに摘んでおくに限る。…探っておいてくれ」

「はい」

 玉置は軽く頭を下げ応じる。

 まったく。ようやく元鴎澤組内部も落ち着いてきたというのに。

 面倒事は次から次へと湧いてくる。正嗣はその日、数度目のため息をついた。

+++

 その日の撮影がようやく終わり。
 時刻は夜十時を回るが、それでもいつもより早く済んだ方だ。
 このスタジオの経営者兼写真家の北村はいつも世界を飛び回っていて、ここでの仕事の殆どを岳に任せている。
 幾ら腕がいいからと言って、この世界ではまだ駆け出しの自分に全て託してしまうのだから、器が大きいと言うのか大胆と言うのか。

 単に細かい仕事が面倒なだけとも言えるが──。

 何にせよ、ここでの経験はいい勉強になっている。ただ、忙し過ぎるのが玉にきずで。
 久しぶりに深夜を回らない時刻の終了に、スタッフを早々に帰らせ、自分もいそいそと帰り支度を整えていれば、仕事場の電話が鳴った。

 こんな時間に珍しい。

 仕事関係の問い合わせにしては遅すぎた。師匠の北村なら直接携帯端末にかけて来る筈だ。
 不審に思いながらも、仕舞いかけた荷物を一旦、テーブルに置き受話器を取った。
 
「はい。スタジオ・キタムラですが──」

『よう。元気にしてるか? …岳』

 受話器の向こうから、幾分しわがれた低い声が響く。
 その声に直に誰か思い当たる。忘れる努力はしているが、忘れられない声だ。

「古山さん…」

『久しぶに、会って話さねぇか?』

 連絡をつけてきたのは父、きよしと親子の盃を交わした男、古山だった。現古山組の頭、組長でもある。
 鴎澤組で若頭になった頃、楠とはまた違った方面で良くしてもらった男だ。
 面倒ごとや、裏のしきたり、汚い仕事、全て教えてくれたのがこの男で。
 人間の質としては決して良いほうではないが、岳に対してはいい兄貴分を通していた。
 その世話になった古山からの呼び出しを、無下にするわけにもいかない。

「…何処へ向かえば?」

『話が早くて助かる。今から言う店に来てくれ。前も来たことがあるだろ?』

 そう言って伝えて来たのは、まだヤクザに成り立ての頃、古山にちょくちょく連れて来られた店だった。場所だけ伝えると古山は電話を切る。
 岳は受話器を置くと、深いため息をついた。

「…面倒だな」

 つい本音が口から漏れる。呼び出される理由は、なんとなく予測がつく。ただ、会って話したいだけのはずがないのだ。

 やっぱり、直ぐには切れないか──。

 あちらの世界は、明日から辞めますと言って、はいそうですかと、簡単に切れるものではない。そんな例を岳は幾つも見てきた。
 腕を組むと壁に背を預ける。傍らのテーブルの上には、まとめかけた荷物が、中途半端に放り出されていた。

 それでも──切らなければならない。

 大和の笑顔が脳裏に浮かんだ。

 彼と共に歩む為にも──。

 今晩も早く帰れそうになかった。
 
+++

 向かった先は、古山が経営する高級クラブ。訪ねれば直ぐに中の一室へと案内される。
 そこはVIP専用の部屋だった。黒の革張りのソファが、シャンデリアの光を受け艶を放つ。その中央にタバコを燻らす古山が座っていた。
 しかし、その傍らに綺羅びやかな女性らの姿はない。どうやら砕けた内容の話しでは無いらしい。

 分かってはいたが──。

 気が重い。
 その向かいへ座ると、古山は自ら入れたウィスキーのグラスを岳に勧めてきた。中の氷がカラリと音を立てる。

「──それで、今日はいったい何のお話しを?」

 古山は口にタバコを咥えたままにっと笑むと、

「勿体つけてもしょうがねえ。お前がこういった場所が苦手なのは分かっているしな…。早速だが、今日はどうしても相談したい事があって、急だとは思ったが呼び出した──」

 古山の背後や周囲には部下達が控えているが、普段ほど多くはない。岳に気を使っているのだろう。

「相談ですか…。もう俺には何の力もありませんが」

 古山がまだ半分以上残るタバコを灰皿に押しつけると、残された紫煙が宙を所在なげに漂った。古山は手を組みこちらを見つめると。

「…なあ、岳。お前、俺を手伝わねぇか?」

 来たか。

 そう思った。
 岳は小さく息を吐き出したあと。

「戻るつもりはありません。以前もそうお伝えしましたが…」

 ヤクザを辞めると報告しに行った際、同じ事を言われている。だが、その場できっぱり断ったのだ。

「ああ。覚えてる…」

 古山は自分のグラスを傾け煽ると。

「──覚えてはいるが、納得はしてねぇな。お前ほどの男が簡単に今まで築き上げて来たもんを投げ捨てて、シャバに戻るなんてな。…納得できねぇ」

「父も承知の上です」

「それでも、な? オヤジだって本当ならお前に後を継いで欲しかったはずだ。俺だってそうなるもんだとばっかり…。なのに、蓋を開けてみりゃ、継いだのは楠の野郎だ。…納得できねぇのは当然だろ? あいつはお前たち兄弟どっちかが育つまでの控えだったんだからな?」

「控えじゃないですよ。元々その予定でした。それに、俺が来た頃、楠は立派に組をまとめてましたから」

 自分が来た為、若頭から若頭補佐に下がったのだ。古山は苦笑すると。

「ったく。ああ言やぁこう言う。お前は相変わらず正直過ぎる…。だから気に入ってもいるんだが──」

「古山さん。俺はなんと言われても、もう戻るつもりはありません。父の後は楠が立派に継いでいます。出る幕ではありませんし、未練もありません」

 本当の事だった。
 岳が抜け父潔から楠が継いだ後、はじめこそ反発する者達もいたが、今ではそれもまとめ上げ、立派に采配を振るっているらしい。
 元々岳が来る前は鷗澤組の若頭だったのだ。やれないはずがない。それに冷静な面と共に情にも厚く面倒見がいい。
 その人隣りを知れば、慕いこそすれ反発する気は失せるだろう。
 古山はフンと鼻を鳴らすと。

「頑固な所はオヤジ譲りか。…まあいい」

 再びグラスの中身を煽り、手の中でそれを弄んだ。

「お前の気持ちはよくわかった。──だが、俺は諦めるつもりはねぇ。覚えておいてくれ…」

 そう言ってグラスを置く。しかし、岳は誘いなど受けるつもりは更々ない。真っ直ぐ古山を見つめ返すと。

「俺は一切、関わるつもりはありません」

 その返答に、古山は口元に薄く笑みを浮かべたまま。

「…話しはこれで終わりだ。遊んで行くならゆっくりしてけ。久しぶりにお前と話したがってる女もいるぞ? 全部奢りだ」

「いえ。これでもう──」

「そうか…。じゃあ下のもんに送らせる」

「いいですよ。他に用もあるので歩いて帰ります。──古山さんもお元気で」

「あ? ──ああ…」

 その言葉に片眉を上げて見せたものの、平素と変わらぬ素振りで送り出してくれた。

 外に出て、夜の冷えた空気を思い切り吸い込む。車通りの多い場所でも、店の中よりマシだった。
 ほかに用などない。早々に立ち去りたかった為の方便だ。

『お元気で』

 二度と会うつもりはないから口にして見せたのだが、どうやら気づいたものの、古山は気づかぬふりを通した。

 諦めるつもりはない、か──。

 岳は深いため息を吐き出した。何とか手を考えねば、今の幸せが壊れ兼ねない。

 ただ。大和と二人、幸せに暮らしたいだけ。なのに、なぜ、放っておいてはくれないのか──。

 重い足取りで帰途についた。

  +++

 深夜一時を回る頃、岳がようやく帰って来た。寝室のドアが開いた事で目を覚ます。

「…岳…?」

 寝ぼけ眼をこすりながら、軽く頭を起こせば。

「寝てていい…。俺ももう寝るから」

 低く抑えた声音と共にベッドサイドが軋んだ音を立てた。

「岳…」

 ほとんど目を閉じたま、傍らに潜り込んだ岳の首筋に腕を回すと、薄っすら目を開け唇の位置だけを確認しキスをした。
 岳はそれをしっかり受け止めたあと、俺の前髪をかきあげながら。

「…大和。キスする前に俺かどうか確認しろって言っただろ?」

 間近に聞こえる声は諌めているつもりなのだろうが何処か甘い。俺は更に岳の首筋に額をこすりつけると。

「見た…」

「ウソつけ」

「チラッと見た…」

「ウソつくな」

 俺はようやく顔を起こし、岳を見つめた。
 今日は満月らしい。カーテン越しに差す月明かりに薄っすら岳の輪郭が浮かび上がる。
 相変わらずいい男ぶりだ。こちらを見下ろす瞳が優しく笑んでいる。

 ああ、良かった──。

 岳がここにいてくれて。俺を好きになってくれて。岳を好きになって。

 幸せを噛み締め、今度はきちんとその顔を見つめて。

「岳だ──。間違いない…」

 そうしてキスをする。
 オヤスミのキスのはずが徐々に深くなり、いつの間にか岳が覆いかぶさる様にして、身につけている着衣の間から素肌に触れて来た。

「大和…。今日は行けなくて、すまなかった…」 

「んっ…? あ…っ…、シュー、クリーム、美味し、かった…。っ…」

 岳のキスが唇から首筋、胸もとへと下りていく。そのたびに身体が跳ね上がった。

「本当は、大和と一緒に食べたかった…」

 胸元で話す為、唇や吐息がかかりくすぐったい。

「俺、も。一緒に、いたかったっ…」

 岳がクスリと笑う。

「食べたかった、だろ? …かわいいな」

「ん、ん?」

「もういい。話しはあとだ…」

 そう言うと、今まで胸元にあった唇が再び戻ってキスをせがむ。それに応える様に口を開きキスを受け入れた。 
 それから岳は一言も言葉を発せず、触れて行った。
 無心で触れてくる様子に、余裕の無さが感じられる。僅かな時間も惜しいのだろう。
 俺のあられもない声だけが部屋に響くのが、何とも照れくさく恥ずかしかった。
 それでも、胸のうちに溢れる充足感。

 岳が、ここにいる──。

 岳に翻弄されつつも、しっかりとその熱を感じ取る。
 シャワーを浴びたはずの岳からは、なぜか普段するはずのない煙草の香りがした気がした。



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