貴方だけが私に優しくしてくれた

バンブー竹田

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アベルが反乱軍の指揮官を討ち取った、その晩のこと。

「ハハハ! 素晴らしい! 実に素晴らしいぞアベル!」

戦場に設営された天幕の中で皇帝はグラスをあおった。

その手元には木製の箱があった。

人の頭部よりちょうど1周り大きい木箱の隙間から赤黒い液体がにじみ出ている。

「・・・恐縮です、皇帝陛下」

皇帝の前で片膝をついていたのはアベルだった。

鎧のあちこちに飛び散った血しぶきが激戦を潜り抜けてきたことを如実に物語っていた。

「まさか単身で敵本陣に突撃し、大将を討ち取ってくるとはな!! まるで鬼神のごとき活躍だったと皆が褒めたたえておったぞ!!」

皇帝の上機嫌も当然のことだった。

アベルが敵将の首を獲ったことで、反乱軍は崩壊し皇帝の軍は圧勝したのである。

「さて、働いた者には褒美をやらねばならんな。今は敗残兵の処理で手一杯だから叶わぬが、凱旋しだいお前には望みの物を褒美をやろう。何を欲するのかはよく考えておけよ」

「はい、ありがとうございます」

アベルは快哉を叫びたくなる気持ちを抑えてグッと拳を握りこんだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そしてまた時は過ぎた。

反乱の首謀者たる北方辺境伯は討ち取ったものの、残党狩りや統治体制の確立のためにサドゥーク皇帝とその軍は北方に留まらざるをえず、最終的に帝都の宮殿に帰還するために更に3か月ほどの時間が必要だった。


派手な凱旋式を終えた夜、アベルと皇帝はテーブル1つを挟んで向かい合っていた。

場所は皇帝の私室、他に人はいない。

「どうしたアベル? 望みを言え。お前は素晴らしい働きをしたのだ。何も遠慮することはない」

大理石を削り出して造られたテーブルの反対側で皇帝と対峙するアベルの表情は硬かった。

「恐れながら陛下。私の望みは2つございます、申し上げてもよろしいでしょうか?」

「2つといわず20でも構わん。さあ、言ってみよ」

アベルは大きく息を吐くと、絞り出すように声を出した。

「まず1つ目は・・・永の暇をいただきたく存じます」

アベルの言葉に皇帝は目を見開いた。

永の暇・・・平たく言えば退職願。

つい先日に武功をあげ、これからの出世が間違いない若者の意思としては余りにも不似合いだった。

「望みは2つだったな。もう1つは何だ?」

すぐに平静に戻った皇帝がアベルに促す。

「もう1つは・・・」

いつのまにかアベルは緊張のあまり舌が強張っていることに気づいた。

しかし、躊躇と恐れを振り切って口を開く。

「・・・陛下、斬首も覚悟のうえで申し上げます。どうか俺にフィリア様を下賜していただきたい」

皇帝は驚きのあまり目を見開いた。

すぐには意味が分からなかった。なぜアベルがフィリアを欲するのか・・・しかし男が女を欲する理由はどう考えても1つしかない。

「アベル、お前・・・フィリアを好いているというのか?」

「はい」

「・・・いつからだ?」

「・・・自分でもわかりません。陛下の命でフィリア様に近づいたはずなのに、いつのまにか俺の方が惚れてしまっていました」

「本気でフィリアめを愛している、というのだな?」

「はい、愛しています。お願いです、宮殿で飼い殺しにされるというなら、どうかフィリア様を俺にください!」

アベルは立ち上がると、深々と頭を下げた。

「先日の戦での活躍も・・・フィリアを得るために必要な勲功を上げるためだったということか?」

「・・・その通りです」

短いやりとりの後に2人は黙り込んだ。

皇帝は言葉を発することなく、アベルも頭を下げたまま微動だにしない。

重い重い沈黙が豪華絢爛な室内を満たした。



「皇帝の言葉に二言は無い。いいだろう、フィリアを連れてどこへなりと去るがいい」


永遠にも思えた沈黙を破ったのは皇帝の言葉だった。

アベルがハッとして顔を上げる。

「ただし!!」

何かが空を切る音。

次の瞬間、アベルの頭部から鈍い音が鳴った。

皇帝が手にしていたグラスをアベルに投げつけてきたことをアベルが理解したのは、床に落ちたグラスが砕けた後だった。

一筋の流血がアベルの額から流れて、頬を伝った。

「身一つで、夜明けまでに宮殿を出ていけ。そして二度と我に顔を見せるな」

「・・・寛大なご処分、ありがとうございます。今まで、本当にありがとうございました」

アベルは改めて一礼すると早歩きで去っていった。

これでアベルは全てを失うことになる。

これまで積み上げてきた皇帝直属の騎士としての経歴も、今回の戦で得た華々しい出世の道も何もかも。

だがアベルの後姿は憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。

「・・・全く、あんな泣きそうな顔で請願されたら断れぬわ」

誰もいなくなった部屋。

皇帝は言い訳がましい独り言とともにため息を漏らした。
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