25日に生まれた私は、運命を変える者――なんて言われても

朝日みらい

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第9章 氷を溶かす手

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 その夜から、空模様が急に変わりました。  
 王都から吹く南風は冷たく荒れ狂い、まるで春を追い払うように吹雪を運んできたのです。

 辺境の地に住む人々は皆、嵐の前触れを察して家屋の窓を閉めていました。  
 いつもあたたかい領地の屋敷も、この夜ばかりは骨の髄まで震えるような寒さに包まれています。

「まさか……また雪が……」

 窓の外を見ながら小さく呟いたとき、ひゅう、と風が鳴いて灯火が揺れました。  
 窓枠の隙間から吹き込む白い息が、指先に触れただけで痛いほど冷たい。

「アメリア様、部屋の戸をしっかり閉めてください!」

 カーラさんが慌てて飛び込んできました。  
 薪を重ねてくれても、炎が追いつかない。

「ライナルト様は?」
「将軍様は村の警備に出られました。塔の見張りを交代で見ていらっしゃいます」

「この吹雪で……!?」

「ええ、あの方は……そういうお人なんです」

 カーラさんの言葉が胸の奥で響きました。  
 責任と孤独を、その身ひとつで全部背負おうとする人。  
 ライナルト様らしい――そう思うほど、胸が締めつけられます。

「……やっぱり、わたし行かなきゃ」

 カーラさんが止めるのも聞かず、マントを肩に羽織りました。  
 誰かが待っているというだけで、足は勝手に動くものなのだと、その時初めて知りました。


~~~~~~~~~~


 外は、まるで凍った世界そのものでした。  
 雪が風に踊り、足跡をすぐに覆い隠していきます。  
 灯りを頼りに、わたしは塔の方向へと歩きました。

「ライナルト様……どこに……!」

 声が風にさらわれていく。  
 それでも進み続けました。  
 冷気が頬を刺し、髪が凍りつくほどの夜。  
 と、その時――吹雪の向こうから影が動きました。

「アメリア!」

 低く響く声。  
 振り返るより早く、強い腕がわたしを抱き寄せます。

「こんなところで何をしている!」
「ライナルト様……ご無事で……よかった……!」

 その瞬間、肩の力が抜けました。  
 膝が雪に沈み、彼の胸の中に崩れるように倒れこんでしまいました。

「馬鹿者、凍傷になるぞ」

 声音はいつものように冷たくても、抱きしめる腕は強く、そしてあたたかかった。  
 彼の胸に顔を埋めた途端、心の奥までほどけていくような気がしました。

「どうして……わざわざ来た」
「あなたが出て行ったままだったから、心配で……何もできませんけど、側にいたくて……」

 吐息に混じる雪の匂い。  
 わたしの声は泣いているように震えていました。

 ライナルト様は少し黙ってから、低く言いました。

「……俺は、誰にも心配なんてされたくないと思っていた。  
 けれど今、お前にそう言われて――少しだけ、救われた気がする」

「救われた……?」

「ああ」

 顔を上げると、彼の瞳が近くにありました。  
 吹雪の白を背景に、その瞳の青が小さく揺れています。  
 それは氷ではなく、水の色でした。  
 長く閉ざされていた湖が解けて、光を映すような。

「もう少しで終わる吹雪だ。中へ――」

 そう言いかけた彼の声が途切れ、わたしの指先を取りました。

「冷たい手だな……」

「す、すみません……手袋を落としてしまって」

「全く……」

 彼は自分の手袋を脱ぎ、ためらいもなくわたしの手を包み込みました。  
 指と指が重なる。熱がじんわりと溶け出していく。  
 心臓の鼓動が一つ、また一つと速くなっていきました。

「これで少しは暖まる」
「……はい。でも、あなたの手が冷たくなってしまいます」
「俺のことは構うな。もともと氷の将軍だ」

 冗談めいた口調に思わず笑ってしまい、頬が緩みました。

「そんなふうに笑うな。困る」

「どうしてですか?」
「……目を逸らせなくなる」

 その言葉に、呼吸が止まりました。  
 雪の音が遠のいて、世界がふたりきりになったような気がする。

「……ライナルト様」

 わたしは彼の胸に寄りかかったまま、静かに尋ねました。

「もし、この吹雪が止んだら……私、何をすべきでしょうか」
「まずは、熱い茶を飲んで眠れ。それからでいい」

「違うんです。王都のことが気になって仕方なくて……セリーナの手紙、あれはきっと――」

「見透かしているな。俺もお前も、きっと巻き込まれる。だが慌てるな」

 そう言いながら、彼はわたしの髪をそっと払ってくれました。  
 雪の粒が指先で砕けていく。

「何があっても俺が守る。……あの夜、誓ったはずだ」

「誓い……?」

「お前を凍らせないことを、だ」

 頬に触れる彼の手が、優しくてあたたかくて――その温もりに、涙がこぼれそうになりました。

「ありがとう、ライナルト様……」

 風が弱まり、吹雪が次第に静まっていきました。  
 見上げた空に月がのぞき、雲の切れ間から星が輝き始めます。

「ほら、止んだな」
「はい……不思議ですね。雪がやんだだけなのに、世界が明るく見えます」

「それはお前が光を見つけたからだ」

「光……?」

「そうだ。俺の目にも、その光が見える」

 言葉の意味をすぐには受け取れませんでした。  
 でも、彼の瞳が真っすぐにこちらを映していて、もう目を逸らせません。

 指先が、再び強く結ばれました。  
 氷は溶け、心の奥まであたたかさが流れ込んでくる。

「アメリア。お前が来てから、この領地には春が来た。……それは嘘じゃない」

「ライナルト様……」

 その名を呼ぶ声が震えたのは、寒さのせいだけじゃありませんでした。

~~~~~~~~~~

 屋敷に戻って暖炉の前へ座ったとき、体の震えがようやく収まりました。  
 マントを乾かしている間も、あの瞬間の温もりが消えませんでした。

 火の光に照らされたライナルト様が、毛布を肩に掛けてくれます。

「もう無茶をするな」
「はい……でも、行ってよかったです」
「……俺も、そう思う」

 彼の視線が、わたしの首元の暦石にとまりました。  
 そこに映る火のゆらめきが、まるで心臓の鼓動と重なるように光ります。

「その石は、いつも光っているのか?」
「いいえ。時々だけです。まるで、心が動く瞬間を知っているみたいに」

 彼は少し黙って、穏やかな声で言いました。

「なら今は、俺の心も動いているんだろうな」

 その言葉に息を呑みました。  
 暖炉の火が少し強く燃え上がり、影がゆらりと揺れます。

 次の瞬間、彼がそっと手を伸ばし、わたしの手を取って――。

「もう寒くないな」
「ええ……あなたのせいです、きっと」

 そう言って笑うと、彼の肩の力が少し抜けて静かな安堵の笑みを見せました。
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