【完結】二十五の誓い ― 傷物令嬢の私と銀の騎士 ―

朝日みらい

文字の大きさ
9 / 14

第九章 秘密の離宮 ― 癒える時間

しおりを挟む
 朝の光が、そっとまぶたを撫でていきました。  

 窓から吹き込む風が薔薇の香りを運び、小鳥たちのさえずりとともに、やわらかな春の光が部屋を満たしていました。  
 ここは王都の外れにある離宮――王に忠誠を誓う騎士団の保養地なのです。  

 わたしは、柔らかな寝台の上で目を覚ましました。  
 白い天蓋、薄いレースのカーテン。  
 こんな穏やかな朝を迎えるのは、本当に久しぶりでした。

「リリアナ、起きましたか?」

 優しい声がして、わたしは横を向きました。  
 そこには銀の鎧を脱ぎ、簡素なシャツ姿になったアレンさまが立っていました。  
 朝の光を受けた銀の髪がきらめき、まるで夢の続きを見ているかのようでした。

「……アレン……ここは?」  
「王の離宮です。君をここで休ませるよう、陛下から命をいただきました」  
「わたしを……?」  

 彼が穏やかに微笑みました。  
 それは戦場で見せる凛々しさとは違い、やわらかくて、どこか照れくさそうな笑顔でした。  
 その微笑みを見ているだけで、胸の奥がぽっと温まっていくのを感じました。

「気を失ったまま、まる三日眠っていたんですよ。体は大丈夫ですか?」  
「三日も……眠っていたの?」  
「ええ。もう熱も引いていますから安心してください。怪我も軽くて済みました」

 アレンさまは小さな木のテーブルに置かれたカップを手に取り、そっと差し出してくださいました。  
 立ちのぼる湯気に混じって、どこか懐かしい香りが鼻をくすぐります。  
 その瞬間、わたしの心は思わず遠い記憶を呼び起こしました。

「……この香り、あの丘の紅茶ですね」  
「そうです。君が好きだった白薔薇の丘の茶葉です。  
 ほんの少しだけ残しておいたんです。まさか使える日が来るとは思わなかったけど」

 わたしは驚いて、そしてふわりと笑ってしまいました。  
 あの丘で過ごした幼い日々が、香りと一緒に胸の中に戻ってきた気がしたのです。

「まさか、あの頃のアレンがこんな立派な騎士になるなんて」  
「君を迎えに行くと誓ったからですよ。それだけが支えでした」  
「アレン……」

 紅茶を持つ手が少し震えました。  
 喜びと感謝と、どうしようもないあたたかさが入り混じり、思わず涙がこぼれそうになります。

「泣かないでください。君に泣いてほしくて、ここまで来たわけではありませんから」  
「……ごめんなさい。ただ、嬉しくて……」

 アレンさまが歩み寄り、そっとわたしの頬に触れました。  
 指先が優しく、包み込むようにあたたかくて、心まで溶かされていくようでした。

「ほら……笑ってください。君の笑顔は、風を春に変えるんです」  
「そんな甘いことをおっしゃいますのね。昔から変わりませんね」  
「変わりません。俺はずっと君の笑顔に救われてきたんですから」

 アレンさまの言葉に、胸がじんわりと熱を帯びました。  
 離宮の外では、庭を渡る風が花弁を舞い上げ、白と薄紅の花びらがひらひらと空を彩っていました。  
 まるで新しい人生の祝福のようでした。

「……この庭、本当に素敵です」  
「ああ。王の許可を得て、君のために整えた庭です」  
「まぁ、わたしのために?」  
「当然でしょう。君がやっと自由を取り戻したんですから」

 “自由”――その言葉が胸に響きました。  
 もう逃げなくていい、誰かの影に怯えなくていい。  
 その事実が、こんなにも心を軽くするものなのだと知りました。

「アレン……ありがとう。でも、まだ不思議な気分ですの。  
 本当に、もう何も怖がらなくていいのですか?」  
「大丈夫です。ロドリックとその一味は、すでに王命で処分されました。  
 君を苦しめた者たちは、もう二度と戻ってこれません」

 アレンさまの真剣な目が、わたしをまっすぐに見つめました。  
 その瞳の中に迷いはなく、静かな誓いの炎が揺らめいていました。  
 わたしはその光を見つめながら、ただ静かに頷くことしかできませんでした。

「……怖かったんです。何もかも失って、立ち上がれないと思っていました」  
「君がこうして生きてくれた。それが俺にとっての全てです。生きてくれて、本当にありがとう」  
「アレン……」

 彼は片膝をつき、わたしの手をそっと握りました。  
 まるでかつて誓いを立てた少年のように、まっすぐな瞳でわたしを見上げながら言いました。

「俺の人生は君に捧げるためのものなんです。  
 あの日の約束を果たした今でも、もう一度誓わせてください」  
「……また誓うの?」  
「はい。何度でも。君の笑顔を守るためなら、誓い続けます」

 その言葉の一つひとつが心に沁みて、視界がまた滲みました。  
 けれど、その涙はもう痛みの涙ではありませんでした。  

「ふふ……アレンって意外と臆病なのね」  
「臆病で結構です。君を失うことだけは、どうしても怖いですから」  
「なら、その時はわたしが隣にいますわ」  
「……約束ですよ?」  
「ええ。わたしは嘘をつきませんもの」

 二人で顔を見合わせ、そっと笑い合いました。  
 その笑顔の中に、やっと“未来”という言葉の意味が灯った気がしました。



 夕暮れの庭。  
 わたしたちはベンチに並び、オレンジ色に染まる空を見上げていました。  
 やがて一番星がかすかに瞬き始め、空気が少しだけひんやりと変わっていきました。

「アレン、丘の薔薇……まだ咲いているかしら」  
「きっと咲いていますよ」  
「どうしてそんなふうに言い切れるの?」  
「なぜなら、あなたが信じてくれている限り、花は枯れませんから」  

 その言葉に胸が温かくなりました。  
 風が髪を揺らすと、アレンさまが軽く前髪を直してくださいます。  
 その手が一瞬だけ頬に触れ、心臓が跳ねました。  
 彼の灰色の瞳がまっすぐにわたしを見つめています。  

「もう、逃げないで生きられるんですね」  
「ええ。あなたが迎えに来てくださったからです」  
「……あの時泣いていた君の顔を、今でも覚えています」  
「なら、これからは笑っている顔を覚えていてくださいね」

 アレンさまは小さく笑い、「もちろんです」と答えました。  
 風が止まり、柔らかな薔薇の香りがあたりに漂いました。  
 この平穏が永遠に続けばいい――そう思いました。

「アレン」  
「はい?」  
「あなたといると、時間がゆっくり流れていく気がします」  
「それが本当の時間です。君が笑う時が、俺の生きる時間なんです」

 胸がまた熱くなってしまい、わたしは彼の肩にそっと頭を預けました。  
 夕の鳥の声が響き、やさしい静けさがふたりを包み込みました。  
 過去の傷も悲しみも、この場所ではすべてが溶けていく気がしました。

「アレン……ありがとう」  
「リリアナ」  
「これが、わたしたちの“始まり”なのですね」  
「ええ。“再会”ではなく、“始まり”にしましょう」

 空に星が一つ、凛と光りました。  
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】二十五歳のドレスを脱ぐとき ~「私という色」を探しに出かけます~

朝日みらい
恋愛
 二十五歳――それは、誰かのために生きることをやめて、  自分のために色を選び直す年齢だったのかもしれません。  リリア・ベルアメール。王都の宰相夫人として、誰もが羨む立場にありながら、 彼女の暮らす屋敷には、静かすぎるほどの沈黙が流れていました。  深緑のドレスを纏い、夫と並んで歩くことが誇りだと信じていた年月は、  いまではすべて、くすんだ記憶の陰に沈んでいます。  “夫の色”――それは、誇りでもあり、呪いでもあった。  リリアはその色の中で、感情を隠し、言葉を飲み込み、微笑むことを覚えた。  けれど二十五歳の冬、長く続いた沈黙に小さなひびが入ります。  愛されることよりも、自分を取り戻すこと。  選ばれる幸せよりも、自分で選ぶ勇気。  その夜、彼女が纏ったのは、夫の深緑ではなく――春の蕾のような淡いピンク。  それは、彼女が“自分の色”で生きると決めた最初の夜でした――。

【完結】氷の侯爵と25夜の約束

朝日みらい
恋愛
 雪の降る夜、平凡な伯爵家の娘セラフィーナは、義妹アデルの身代わりとして侯爵家に嫁ぐことになりました。  その結婚は愛のない〝契約婚〟。相手は王都で「氷の侯爵」と呼ばれる――ルシアン・ヴァン・ローレンス侯爵。  彼は冷たく、近づく者の心を凍らせると言われています。 「二十五夜のあいだで、私の“真実”を見抜けたら、君を妻として認めよう。  見抜けなければ、この婚姻は無かったことになる」  雪に閉ざされた白銀の館で始まる、奇妙な婚姻生活。  無口で孤独な侯爵と、臆病でまっすぐな花嫁。  互いに閉じ込めた心の扉を、少しずつ開きながら過ごす“二十五夜”とは――。

ヤンキー、悪役令嬢になる

山口三
恋愛
岸田和華(きしだわか)は異世界に飛ばされた。自分が読んでいた小説の悪役令嬢ジュリエットに憑依してしまったのだ。だが和華は短気でガサツで、中学高校と番を張ってたヤンキーだ。高貴な身分の貴族令嬢なんてガラじゃない。「舞踏会でダンス? 踊りなんて盆踊りしか知らないからっ」 一方、リアル世界に残された和華の中にはジュリエットが入っていて・・。

虎の威を借る狐は龍【完】

綾崎オトイ
恋愛
ヴィーはただの平民だ。ちょっと特殊だけど、生まれも育ちも普通の平民だ。 青春ライフを夢見て我儘を言って、やっと婚約者と同じ学園に通い始めたというのに、初日からこの国の王太子達を引き連れた公爵令嬢に絡まれるなんて。 その令嬢はまるで婚約者と恋仲であるような雰囲気で、ヴィーは二人を引き裂く悪い女。 この国の王族に愛され、貴族国民からの評価も高いらしい彼女はまるで虎の威を借る狐。 だがしかし後ろに虎がいるのは彼女だけでは無い。だからヴィーは何も気にしない。 2話完結 ◤勢いだけで書き上げました。頭空っぽにして読んでくださいな◢

【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~

白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。 国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。 幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。 いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。 これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~

紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。 ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。 邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。 「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」 そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

処理中です...