25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第1章 婚約破棄 ― 地味な令嬢と嘲られて

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 その日、私は王都の第二王宮に呼び出されていました。

 由緒ある謁見の間の扉をくぐるたび、背筋が自然と伸びてしまうのは、長年のしつけの賜物だと思います。けれども胸の内はひどくざわついていました。  
 第一王子――ライオネル殿下から直々に呼び出し状をいただくなど、滅多にないことです。

 もしやこれは、婚約から一年を経て、正式な結婚の承認を……?  
 いえ、まさか。そんな期待は、身の程知らずというものでしょう。

 でも、小さな心の灯はどうしても消せませんでした。  
 ライオネル殿下は華やかな方。私は地味で目立たない令嬢。釣り合う相手であるはずもないけれど――それでも、お妃教育を受けてきたあの日々に、確かに私は幸せを感じていました。

 だからこそ、あの冷たい声が告げられた瞬間、息が止まりました。

「婚約を、破棄する」

「……はい?」

 私の喉は、言葉にならない音を漏らしました。  
 殿下はまっすぐに私を見つめ、ほんの一瞬のためらいを見せただけで、容赦なく続けられました。

「君には華がない。王妃としてはふさわしくないと判断した」

 まるで、それが正論であるかのように。

 控えていた家族――父と母、そして妹のセリーヌは一言も発しませんでした。ただ、妹の唇がわずかに震えているのを見た瞬間、私はすべてを悟りました。

 ――ああ、そういうこと。

 殿下の隣に立つ妹の手には、白いハンカチが握られていました。  
 泣いているように見えるけれど、その目の奥には、勝ち誇った光が宿っています。

「お姉様……わたし、殿下を……」

 震える声。けれど涙は一滴も落ちません。  
 私はゆっくりと息を吸い、微笑みを保つのが精一杯でした。

「殿下がお決めになったことでしたら、従います」

 それだけ言うのが、今の私にできる唯一の誇りでした。

 顔を伏せた瞬間、視界が滲みました。けれども涙は落ちません。地味な私に、似合う涙ではありませんから。

 ――おめでとう。  
 ――ありがとう。  
 そんな声が周囲から聞こえる気がしましたが、誰のものかは確かめませんでした。

     ◇ ◇ ◇

「あなたも納得しているのね、リリアーナ」

 馬車で屋敷に戻ると、母はそう言いました。  
 穏やかで上品な声色なのに、心に小さな針が刺さるような言葉です。

「殿下のお気持ちは仕方ありません。あなたは、少し地味すぎるのよ。セリーヌのように華やかにできればよかったのだけれど」

「お母様……」

 私は唇を噛み、そっと両手を膝の上で握りしめました。  
 叱られたわけではない。けれども、胸が締めつけられるように痛い。

 屋敷に戻ると、使用人たちは皆セリーヌにばかり笑顔を向けました。  
 紅茶を運ぶ侍女でさえ、「お嬢様、婚約おめでとうございます」と妹に頭を下げていました。

 私は薬草棚の前にしゃがみ込み、小瓶をひとつ、そっと手の中に取ります。

 この香りだけは、私を裏切らない。  
 乾かしたミントの清涼な香りが、少しだけ心を落ち着けてくれました。

「……それでも、わたしは泣かない。泣くほどの価値を、殿下に見出してもらえなかったのだから」

 独り言は、棚の奥へ消えました。

     ◇ ◇ ◇

 数日後の朝、父が食卓で新聞を畳みながら、軽い調子で言いました。

「ヴァレンティーヌ公爵が、また花嫁を募集しているそうだ」

「また、ですか?」  
 予想外の話に、私も思わず顔を上げました。

 父は苦笑します。「あの公爵だ。これで二十四人目を断ったらしい。誰も彼の妻になどなりたがらん」

「二十四人も……?」  
 セリーヌが紅茶を飲みながら、くすっと笑いました。

「きっと、すごく冷たい方なのね。氷のように冷たくて、怖い人なんだわ」

 氷のように、ですか。  
 殿下の冷たさを知ってしまった今の私には、そういう人のほうが案外、優しく思える気がしました。

 けれどそのとき、父がひと言、信じられないことを言い出したのです。

「試しに――リリアーナ、お前、行ってみるか?」

「……え?」

「セリーヌには王家との縁談が控えている。だが、我が家も公爵家とつながりを持つのは悪くない。お前なら地味だから、かえって断られても傷は浅い」

 食卓の空気が、一瞬止まりました。  
 妹の瞳がわずかに輝く。あえいで吸う息の音が、やたらと大きく響きました。

「お姉様が、公爵家に……?」

「どうせ断られるのなら、うちにとっても損はない。公爵が“花嫁候補を断った”という名誉な名目で、ね」

 ――つまり私は、家の体裁を保つための“盾”なのですね。

 胸の奥がざわめきましたが、私は静かに頭を下げました。

「……承知いたしました。お父様」

「お姉様っ!」  
 セリーヌが珍しく声を上げました。  
「ほんとうに行くの? あんな恐ろしいところに?」

「大丈夫よ。どうせ、すぐ断られて帰ってくるわ」

 そう言いながら微笑んだ瞬間、妹の表情がほんの一瞬、安堵に揺れました。  
 それだけで、すべてが報われた気がしました。

     ◇ ◇ ◇

 出立の日の朝。霧のかかる門の前で、馬車を待っていると、庭師の老人が声をかけてきました。

「お嬢様、本当に行かれるんですかい」

「ええ。でも、心配いりません。少し遠くへ嫁ぐだけです」

「……あんたは優しい。けれど、公爵様は氷みてぇな人だって噂で」

「氷は、春になれば溶けますよ。わたしも、冬の間だけ凍えるつもりです」

 老人は目を丸くして、それから泣き笑いのような顔で手を振ってくれました。  
 私は頬を撫でる風を感じながら、馬車へと乗り込みました。

 車輪が土を踏みしめる音が、徐々に遠ざかっていく。  
 王都の高い塔が小さくなるたび、胸の中で何かがぽろりと剥がれていきました。

「さようなら、リリアーナ・エインズワース」

 窓に映る自分にそう呟いて、そっと微笑みかけました。
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