25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第4章 氷の公爵

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 式の鐘が三度鳴ったとき、私は自分の足音のほか、何も聞こえませんでした。  
 荘厳な式場には、神父様の祈りの声と、氷のように冷たい沈黙だけが満ちています。  
 私と、公爵――アレクシス・ヴァレンティーヌ様。  
 互いの姿を見たのは、この場が初めてなのに、式はもう終わりかけていました。

「……誓いますか」

「誓う」

「……はい、誓います」

 それだけ。形式的に交わされた言葉と印章の押印。  
 それで、私は公爵夫人になったのです。

 隣に立つ公爵様は、やはり“氷の”という名にふさわしい方でした。  
 黒と銀で統一された服装に、わずかに光を反射する蒼い瞳。  
 それは本当に人の瞳なのかと思うほど、冷たく静まり返っていました。

 彼がこちらを見ることは、一度もありません。  
 私が手を上げた瞬間、わずかに距離をとるように歩を進める。  
 まるで花嫁ではなく、儀式に付き合っているだけのようでした。

 でも、私は知っていました。  
 この人には、そうさせるだけの過去があると。  
 婚約者を病気で亡くした――そう噂で聞いたからです。

「……お疲れ様でございました、公爵夫人」とグレゴール執事が静かに言いました。  
「お部屋はご用意してあります。公爵様のお部屋とは別棟になります」

「あ、はい……ありがとうございます」

 “別棟”。  
 ……まさか、本当にそうなのですね。契約婚、という言葉が現実味を帯びて胸に残りました。

     ◇ ◇ ◇

「お嬢様、少し休まれませんか?」  
 侍女のメアが心配そうに顔をのぞきこみました。  
 彼女はこの城唯一の太陽みたいな人です。話しかけるたび、笑顔がこぼれます。

「大丈夫よ。少しお庭が気になって」

「えっ、お庭ですか!? い、今夜はかなり冷えますよ!」

「寒いのは平気。氷の公爵様のお城ですもの、慣れていかないと」

 そう笑って外へ出ると、月光に照らされた庭が、一面白く凍りついていました。  
 霜柱が音を立て、足音ひとつにも氷の欠片が砕けて散ります。  
 それでも、私は不思議と寒くありませんでした。

 ――凍てつく空気の中でも、きっと春につながる種が眠っている。

 そう思うと、胸の奥が温かくなるのです。

「この花は……」

 足元にしゃがみこむと、氷の中から顔を覗かせていたのは、白い小さな冬草でした。  
 陽の当たらぬ土地でも芽吹く、生命力の強い薬草です。

「冷たい土の中でも、咲くんですね……」

「そんなものに感心するとは」

 背後から低い声。びくりと体が跳ね上がりました。  
 振り返れば、公爵様がいつの間にかそこに立っていました。  
 月光を浴びた横顔は、彫像のようで――けれどどこか、疲れた影がありました。

「……お庭を、見ておりまして」

「夜に外を出歩くとは、物好きな」

「落ち着くのです。植物の香りがあると安心します」

「馬鹿げている」

「ええ、そうかもしれません。でも、そういうものですよ。癒しって」

 少しだけ笑ってみせると、公爵様の眉がわずかに動きました。  
 見開かれた蒼い瞳が、一瞬だけ迷うように私を見つめ――すぐに逸らされました。

「……寒い。部屋へ戻れ」

「はい。おやすみなさいませ、公爵様」

 背を向ける私に、彼は何も返しませんでした。  
 でも、その沈黙が不思議と、心地よく感じたのです。

     ◇ ◇ ◇

 翌朝。  
 領地内に病が広がっているという話を聞きました。  
 メアが慌てた様子で報告します。

「村に熱病が……お医師様もお手上げみたいで」

「薬草の貯蔵庫、ありますか?」

「え、ええっ!? 奥の納屋に少しあるみたいですけど――」

「見に行ってきます!」

 その勢いのまま私は駆け出しました。  
 あの時、婚約破棄の悲しみで塞ぎこんでいた私を救ったのは“薬草”でした。  
 誰かを助けられるのなら、私の存在にも意味があります。  
 それを、もう一度信じたかったのです。

     ◇ ◇ ◇

 村人たちはみな、疲れ果てた顔で子どもを抱えていました。  
 高熱で苦しむ少年の額に触れると、私は思わず息をのみました。

「……この熱。すぐに下げないと危険です」

 メアと一緒に薬草を選びました。  
 白い根の部分を細かく切り刻み、煮出して粉にする。  
 手を震わせながらも、私の頭の中は不思議と冷静でした。

「この薬を。少し苦いけれど、必ず効きます」

「本当に……? 神様、ありがとうございます!」

 母親に薬を手渡すと、背後で重い靴音が響きました。  
 ――ああ、この足音を、私はもう覚えてしまったようです。

「勝手な真似をするなと言ったはずだ」

 公爵様でした。しかし、その声は昨日よりも低く――怒りというより困惑のように聞こえます。

「村の方々が困っていて……薬草で助けられるなら、と思いまして」

「契約婚の妻が領地に勝手をしていいと思うのか」

「……ごめんなさい。でも、見て見ぬふりはできませんでした」

 公爵様は何も言いませんでした。ただ、村の子どもを見つめる瞳がほんの僅かに揺れて。  
 その後ろ姿が、酷く寂しく見えたのを私は覚えています。

     ◇ ◇ ◇

 夜。  
 私は城の一室にこもり、薬草帳を開いて調合の記録を書き付けていました。  
 何度も筆が落ちそうになるくらい疲れていたのに、それでも手を止められません。

 この領地には、まだ知らない草がたくさんあります。  
 この場所でなら、きっと自分の力をもっと活かせる。  
 そう信じたかったのです。

 ――とん、と扉が叩かれました。

「……お入りください」

 入ってきたのは、公爵様でした。  
 その存在だけで部屋の空気が震えます。

「……村の子は」

「え……?」

「昼間の熱病の子だ。死んだのか、生きたのか」

「あ……生きています。熱は下がりました」

「そうか」

 それだけ言って、踵を返す――けれど、なぜか扉の前で立ち止まりました。  
 そして、ふいに低く呟きます。

「……お前は、なぜそんなに優しい」

「優しくなどありません。ただ、私にできることをしているだけです」

 言葉が零れた瞬間、自分でも驚くほど心臓が鳴りました。  
 アレクシス様は振り向きませんでしたが、わずかに肩が震えて見えました。

「……勝手にしろ」

 扉が閉じる直前に、それだけ聞こえました。  
 ――その声が、ほんの少しだけ温かかった気がするのは、私の錯覚でしょうか。

     ◇ ◇ ◇

「お嬢様、これ、誰が置いたんでしょう?」  
 翌朝、机の上に見慣れない小箱がありました。  
 開けてみると、中には暖かなガラスのランプが。  
 火を灯すと、橙色の光がふんわりと部屋を包み込みました。

「まあ……きれい」

 メアは目をまん丸にして言います。  
「きっと公爵様です! だって夜にこっそり来た音がしましたもの!」

「そんな、まさか……」

 けれど私は、ふんわり微笑んでしまいました。  
 もし本当にそうなら――この小さな灯りが、氷の心に生まれた“初めてのひび”なのかもしれません。

 私はそっとランプに触れ、呟きました。

「ありがとう、公爵様」

 橙の光が揺らめいて、まるで照れくさそうに、答えを返したようでした。
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