25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第14章 愛を知る数字

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 それは、ある冬の午後のことでした。  
 陽だまりの下、私はベンチに腰かけ、手の中の本をそっと開きます。  

 それは祖母が残した薬草学の研究記録――少し擦り切れた表紙のその本は、幼い頃から何よりも大切な宝物でした。  
 ページをめくるたび、乾いた草の香りとともに、懐かしい記憶がよみがえってきます。  


     ◇ ◇ ◇  


 ――時は、私がまだ五歳の頃へと遡ります。  

 ヴァレンティーヌ公爵邸。  
 白い石造りの高い塀に囲まれ、冬でも花の咲く庭園を擁したこの館は、王都の北端に静かに佇んでいました。  
 美しくも整然とした屋敷。その一角に、祖母の研究室がありました。  

 扉を開けると、そこには薬草の香りが満ちていました。  
 壁には古い地図や研究文献が並び、机の上には乾かした葉や数十本の瓶。まるで小さな森のような部屋でした。  

(……静か)  

 あの頃の私は、家の中でいつも小さな影でした。  
 誰にも気づかれぬよう、息を潜め、祖母の部屋に忍び込む時間だけが心の安らぎだったのです。  

 すると、背後で扉の音がして、ゆっくりと低い声が響きました。  

「リリアーナかい」  

 振り向けば、銀の髪をゆるやかに結い上げた祖母が立っていました。  
 その瞳は灰青色に輝き、まっすぐに私を見つめています。  

「お祖母様……こ、これ……触っちゃだめでしたか?」  
「いいえ。それは、本当はあなたに見てほしいと思っていた本よ」  

 そう言って祖母は優しく笑いました。  
 その笑顔が、とても綺麗で。今でもまぶたの裏に残っています。  

「リリアーナ。人の命は草花のようなものだよ。  
 寒さにも苦しみにも耐えながら、やがて春に咲く。薬とは、その手助けをする“道しるべ”なの」  

「みち……しるべ?」  
「そう。君は人の痛みに気づける子だ。だから、きっと草の声も聞こえるようになる」  

 祖母の言葉は難しく、でも不思議なあたたかさがありました。  
 その日から、私は薬草の香りの中に「声」を探すようになったのです。  

     ◇ ◇ ◇  

 家の中はいつも賑やかでした。  
 妹のセリーヌが笑えば、父も母も周囲の者も皆が微笑む。  
 その中心で、私はいつも静かに立っていました。  

「リリアーナは静かね」  
「もう少し笑う練習をしなさいな」  

 母の声は優しいようで、どこか遠く。  
 父の眼差しも、いつも妹の方を向いていました。  
 私は空気のような存在で、見落とされていても気づかれない。  

 だからこそ、祖母の研究室の扉を開くたび、私は“居場所”を見つけていたのです。  
 祖母だけは、私の静けさを咎めることなく、その沈黙の中に何かを見てくれていた。  

 ――孤独は悲しいことではない。  
 それが、私の心を強くした。今はそう思えます。  

 祖母の言葉の一つひとつが、心の土に根を張り、今の私を形づくったのです。  


     ◇ ◇ ◇  


「祖母上のそれを読んでいるのか」  

 背後から穏やかな声がして、私ははっとしました。  
 顔を上げると、アレクシス様が立っていました。  
 雪明かりに照らされた銀の髪が、あの日の祖母を思わせます。  

「ええ。この章が特に好きなのです。“幻影草”という禁忌の草。25種類の薬草を掛け合わせた万能治療薬とか――その奇跡の物語は、何度読んでも心が震えます」  

「25種類の薬草、か。……奇妙だな」  

「え?」  

 アレクシス様はわずかに唇を上げました。  
 その笑みの裏に、何か穏やかな光が宿っている。  

「25という数字は、俺にとっても特別なものだから。25番目の縁談でようやく君に出会った」  
「もう“最高の数字”ですね?」  
「そうだ。お前と出会ってから、この数字は“奇跡”の証になった」  

 彼の手が、そっと私の手を包みました。  
 かつて自由を持たなかった孤独な手が、今は確かな温もりで満たされています。  

「昔、この数字を呪った。愛など幻だと信じていた」  
「……でも、わたしがその25番目でした」  
「そうだ。お前で本当に良かった」  

 その言葉に、私は静かに目を伏せました。  
 外では雪がしんしんと降り続け、薬草園の白い花々の上に降り積もっています。  

 25番目――それは終わりでも、偶然でもない。  
 春を告げる“始まり”の数字。  

「ねえ、覚えていますか? 初めてお会いしたとき、あなたは言いましたね。『契約婚だ』と」  
「ああ。契約などという他人事でつまらない言葉だな」  
「ふふっ。あの時の私は怖くてたまりませんでした。でも今思えば――契約で良かったのです。少しずつ、距離を縮められました」  

「……本当に、そうだな」  
 アレクシス様の声に、思わず笑みがこぼれました。  

 雪が静かに溶けていく音の中で、彼が立ち上がり、私の手を取ります。  
「行こう、リリアーナ。あの庭を見に」  
「ええ」  

     ◇ ◇ ◇  


 薬草園の奥は、今も息づいていました。  
 冬にも枯れぬ草花。香草の葉の香り。雪に覆われた白い花々。  
 その静けさが、かえって生命の輝きを教えてくれます。  

「25という数字は、ただの偶然かもしれないが――」  
「でも、偶然が愛に変わるのも、不思議ではありませんね」  

「全く……お前には、本当に敵わないな」  
 アレクシス様が微笑まれ、その笑顔を私は心に焼きつけました。  

 ふと冷たい風が髪を揺らし、彼がそっとそれを押さえてくれます。  

「これから先も、季節がいくつ巡っても――」  
「ええ。あの庭の花のように、何度でも咲けるはずですよ」  

 ふたり並んで歩く足跡が、雪の上に一筋の道を描いていきました。  
 それは、まるで過去の痛みと孤独を埋めるように、ひとつに寄り添って伸びていきます。  

「アレクシス様」  
「なんだ」  
「……大好きです」  
「ふ。遅いな。俺はもう、君に出会った瞬間から惚れていたよ」  

 二人の笑い声が冬空に溶け、鐘の音のように澄んで響きました。  

 雪の庭園に残る二つの影はやがて一つに重なり、  
 冬の終わりを告げる柔らかな光の中で、永遠に解け合っていきます。  
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