25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第20章 氷の泉と祈りの夜

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 夜の帳が落ち、ヴァレンティーヌの城は深い静けさに包まれていました。

 窓の外では雪が静かに舞い、昼間の嵐が嘘のように穏やかです。
 部屋の暖炉では薪がはぜ、ぱちりと音を立てていました。
 けれどその暖かさよりも、隣にあるぬくもりが――何よりも心地よかったのです。

「だいぶ顔色が戻ったな」

 低く優しい声が耳に届き、私ははっとして視線を上げました。
 アレクシス様が椅子に腰かけて私を見つめていました。
 銀の髪が灯火に照らされ、黒曜石のような瞳が柔らかな光を宿しています。

「ええ……森から戻ってから、少しずつ体が軽くなってきました」
「泉の光を浴びてから、毒の気配が跡形もなく消えた。やはりあの泉には癒しの力があるようだな」

 彼の言葉に頷きながら、私はあの青い光を思い出していました。
 母の声のような響きと、胸に満ちたあたたかさ。あれはきっと、幻ではなく――。

「アレクシス様も、お怪我はありません?」
「この通り。掠り傷さえない。お前の顔を見て、ようやく息ができた」

 静かに笑うその表情に、胸が熱くなりました。
 言葉にしなくても伝わる。けれど、それだけでは足りない気がして、私は小さく口を開きました。

「……守ってくださって、ありがとうございました」
「礼など要らん。お前を守ることは、俺にとって呼吸と同じだ」

 そう言って、彼は立ち上がりました。ゆっくりと歩み寄り、私の枕元に膝をつきます。
 近づいた瞬間、深い香木の香りが胸を包みました。
 大きな手が、そっと私の髪を撫でる。

「無理はするな。お前がまた眠れぬ夜を過ごすようなら、今度こそ俺は気が狂う」
「そんな……大げさです」
「いや、本気だ」

 低く囁いた声が甘く響いて、息が詰まりました。
 指先が髪を滑り、頬をそっとなぞる。
 その手が暖かくて、私はただ目を閉じました。

 心の奥が波打つ。鼓動が、彼に見透かされるほど速い。

「……アレクシス様」
「なんだ」

「怖かったんです。森で倒れた時、本当にもう戻れないんじゃないかって」
「俺もだ。お前がいなくなったら、すべてが凍りつくだろうと思った。だから、あの泉で祈っていた」

 彼が目を細めた。
 燃えるような静かな光がその瞳に宿り、私を包み込むように見つめる。

「祈った、ですか?」
「ああ。どうか、お前の命を奪わないでくれ、と。代わりに、俺の心を持っていけばいい……」

 その言葉に、胸の奥が痛いほど熱くなりました。

「そんな……私、そんな祈りの代償なんて……」
「代償ではない。願いだ。お前の笑顔ひとつで、俺の冬はすべて春に変わったのだからな」

 言葉が、喉の奥で止まりました。
 ただ静かに、指先を伸ばして彼の手に触れる。

 その瞬間、アレクシス様は何も言わずに私の手を包みました。
 両手で、大切な宝石でも扱うように。

「リリアーナ」
「……はい」

「もう一度問う。俺の隣で生きてくれるか。春も、冬も、すべて共に」
「ええ……もちろんです。あなたとなら、どんな季節だって怖くありません」

 言葉を交わした瞬間、アレクシス様は小さく息をつき、私の手を引き寄せました。
 額と額が触れ合う。彼の体温が、魂まで沁みてくるようでした。
 静寂の中、炎の音と私たちの息づかいだけが響きます。

「お前の手は、あたたかい……」
「アレクシス様の方こそ。最初にお会いした時、冷たい氷だと思っていましたけど」
「そうだった。だが、お前が溶かした」
「私なんて、ただの……」
「お前だからだよ」

 まっすぐな瞳に射抜かれて、胸がとくんと跳ねました。
 何度も見てきたはずのその瞳が、今はまるで新しい世界のようにきらめいて見える。

 そして次の瞬間、彼が静かに腕を伸ばしました。
 細い肩を包み込むように、抱き寄せられる。
 耳元に彼の呼吸が触れ、思わず息を飲みました。

「……こうしていると、すべてが夢のようだ」
「夢じゃありません。現実です。ねえ、アレクシス様」
「ん?」
「私はあなたの妻です。いつまでもあなたと共に歩みます。それを……忘れないで」

 私が微笑むと、アレクシス様の表情が一瞬緩みました。
 そして、腕の力が少しだけ強くなりました。

「忘れるものか。お前がいてこそ、俺は生きているんだ」

 抱きしめられたまま、心が穏やかに満ちていく。
 外では吹雪が音を立てているのに、この腕の中は春そのもの。
 私はそのぬくもりの中で、そっと呟きました。

「……ありがとう。あの日、あなたと出会えてよかった」
「ありがとうを言うのは俺の方だ。お前がいなければ、俺は何も知らぬまま凍っていただろうから」

 静かな夜。
 過去の痛みも、喪失も、すべてを包み込むように優しく溶けていく。

 やがて眠気が訪れ、私は小さく目を閉じました。
 胸に当たる心臓の鼓動を聞きながら。

「リリアーナ」
「……はい」
「愛してるよ」
「私もです、アレクシス様……」

 彼の唇が額に触れた瞬間、外の風が静かになりました。
 雪が止み、月光が差し込む。
 まるで天も祝福してくれているかのように。
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