25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

文字の大きさ
21 / 41

第21章 春の目覚め

しおりを挟む
 春の朝は、こんなにも静かなものだったでしょうか。

 窓をわずかに開けると、柔らかな風がカーテンを揺らし、外から花の香りが流れてきました。
 鳥たちが囀り、小川のせせらぎが聞こえる。世界全体が、まるで深い眠りから覚めたばかりのように穏やかです。

 私は寝台から起き上がり、肩に羽織をかけました。
 鏡の前の自分の頬が、ほんのりと桜色に染まっているのを見て、思わず苦笑します。

「ふふ……ようやく、本当に元気になったみたい」

 まだ少し指先に残る弱々しさを感じながらも、体の中を流れる力がしっかりと戻ってきているのが分かりました。
 昨夜、アレクシス様の腕の中で安らかな眠りについた後——夢の中で、青い泉が光り、祖母の声が微かに響いていたのです。

 “愛する人と歩みなさい。その人が、あなたの未来を変えるのだから。”

 目を覚ました時、頬に温かな光が差していました。
 あれは夢ではなく、きっと祝福の証だったのでしょう。

「おはようございます、リリア様!」

 明るい声がして、扉の向こうからメアが入ってきました。
 彼女の手には花籠が抱えられています。見れば、色とりどりの春花がいっぱいでした。

「庭園に、こんなに花が! 冬の間眠っていた薬草たちも、今朝一斉に芽吹いたんです!」

「まあ……!」

 私は思わず手を口に当てました。昨日まで固かった土の表面から、小さな芽がのぞいている。それはまるで、あの泉の光が大地にも届いたかのようでした。

「アレクシス様が、お呼びです。庭園までお越しくださいって」
「はい。すぐ行きます!」

 嬉しさに胸が高鳴り、外衣を羽織る手が少し震えました。
 けれどその手に宿る力は、確かなもの。
 もう、あの冷たい毒の気配はどこにもありません。

 私は花の香りを胸いっぱいに吸い込み、外へ出ました。


 ***


「おはよう、リリアーナ。」

 声をかけられた瞬間、早朝の陽だまりがいっそう眩しくなった気がしました。

 庭園の中央で、アレクシス様が立っていました。
 黒の外套を脱いだ彼はいつもより柔らかく、風に揺れる銀髪が光を反射してきらめいています。
 その足元には一面の薬草の芽。ほんのり緑色の絨毯のようでした。

「お前の庭、素晴らしいな」
「本当に……うれしいです」

 そう言って笑うと、彼も穏やかに微笑みを返しました。
 差し出された手に気づき、私もそっと指を重ねました。

 その手があたたかい。前よりもずっと。

 アレクシス様が私の手を引き、薬草園の中をゆっくり歩きます。
 春風がひとひら花びらを運び、私たちの間を通り抜けました。
 見上げれば、白い雲が穏やかに流れています。

「リリアーナ。あの時、泉で見た光を覚えているか」
「ええ。あの青い泉の中で、お祖母様の声を聞きました」
「俺にも見えた。泉に映ったお前の姿が、まるで“光”そのもので」
「光なんて……そんなこと」

「違うか?」 
 アレクシス様は微笑み、そっと私の頬に触れました。
「あの光は、お前そのものだ。俺の目には見える」

 頬の熱を隠せずにうつむくと、彼は楽しそうに笑いました。
 それから小さく囁きます。

「照れている顔も、可愛らしいな」
「もう……アレクシス様ったら……」

 そのやり取りに、気づけば笑みが溢れていました。
 ふと、彼が足を止めました。
 薬草園の奥、まだ雪の残る一角——そこには、小さな白い蕾が並んでいました。

「この花、見覚えがないな」
「“氷華草”です。泉の光が当たった土から芽吹いたのだと思います」

 私は膝をつき、そっと手を伸ばしました。
 冷たいけれど、柔らかくて。
 まるで冬の名残と春のあいだに生まれた、奇跡のような花。

「名をつけよう。」

 アレクシス様が言いました。
「お前の好きな名を。」

 少し考え、私は微笑みました。

「“始まり草”はどうでしょう。冬が終わって、一番最初に咲く花だから」
「いい名だ。……俺たちの始まりと同じだな」

 その言葉に胸が熱くなり、思わず彼を見上げました。
 陽光が彼の頬を照らし、その髪が風に揺れる。

「アレクシス様」
「ん?」

「私、この庭をもっと広げたいんです。花だけでなく、人の心も癒せる場所に」
「それはいい考えだ。なら俺は、その庭を守る城を建てよう。どんな嵐も通さぬように」

「……本当に、頼もしい方ですね」
「頼もしさでは負けたくない。お前を、俺の手で守りたいんだ」

 冗談めかして言いながらも、その瞳には真摯な光が宿っていました。
 そのまま、彼が私の手を取ります。
 指先が触れるたび、胸がくすぐったくて幸せで。

「リリアーナ。」 
「はい?」
「好きだ……光溢れるほど」

 彼の声が風に溶けました。
 私はその手を握り返し、そっと微笑みました。
 ――この人と出会うために、私は25番目の花嫁になったのだ、と。

 遠くで風鈴のように鳥が鳴き、花びらが舞う。
 新しい朝は、穏やかに流れ始めていました。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから

越智屋ノマ
恋愛
宮中舞踏会の最中、侯爵令嬢ルクレツィアは王太子グレゴリオから一方的に婚約破棄を宣告される。新たな婚約者は、平民出身で才女と名高い女官ピア・スミス。 新たな時代の象徴を気取る王太子夫妻の華やかな振る舞いは、やがて国中の不満を集め、王家は静かに綻び始めていく。 一方、表舞台から退いたはずのルクレツィアは、親友である王女アリアンヌと再会する。――崩れゆく王家を前に、それぞれの役割を選び取った『親友』たちの結末は?

【完結】飽きたからと捨てられていたはずの姉の元恋人を押し付けられたら、なぜか溺愛されています!

Rohdea
恋愛
──今回も飽きちゃった。だからアンタに譲ってあげるわ、リラジエ。 伯爵令嬢のリラジエには、社交界の毒薔薇と呼ばれる姉、レラニアがいる。 自分とは違って美しい姉はいつも恋人を取っかえ引っ変えしている事からこう呼ばれていた。 そんな姉の楽しみは、自分の捨てた元恋人を妹のリラジエに紹介しては、 「妹さんは無理だな」と笑われバカにされる所を見て楽しむ、という最低なものだった。 そんな日々にウンザリするリラジエの元へ、 今日も姉の毒牙にかかり哀れにも捨てられたらしい姉の元恋人がやって来た。 しかし、今回の彼……ジークフリートは何故かリラジエに対して好意的な反応を見せた為、戸惑ってしまう。 これまでの姉の元恋人とは全く違う彼からの謎のアプローチで2人の距離はどんどん縮まっていくけれど、 身勝手な姉がそれを黙って見ているはずも無く……

私がいなくなっても構わないと言ったのは、あなたの方ですよ?

睡蓮
恋愛
セレスとクレイは婚約関係にあった。しかし、セレスよりも他の女性に目移りしてしまったクレイは、ためらうこともなくセレスの事を婚約破棄の上で追放してしまう。お前などいてもいなくても構わないと別れの言葉を告げたクレイであったものの、後に全く同じ言葉をセレスから返されることとなることを、彼は知らないままであった…。 ※全6話完結です。

姉の婚約者を奪おうとする妹は、魅了が失敗する理由にまだ気付かない

柚木ゆず
恋愛
「お姉ちゃん。今日からシュヴァリエ様は、わたしのものよ」  いつも私を大好きだと言って慕ってくれる、優しい妹ソフィー。その姿は世間体を良くするための作り物で、本性は正反対だった。実際は欲しいと思ったものは何でも手に入れたくなる性格で、私から婚約者を奪うために『魅了』というものをかけてしまったようです……。  でも、あれ?  シュヴァリエ様は引き続き私に優しくしてくださって、私を誰よりも愛していると仰ってくださいます。  ソフィーに魅了されてしまったようには、思えないのですが……?

不愛想な婚約者のメガネをこっそりかけたら

柳葉うら
恋愛
男爵令嬢のアダリーシアは、婚約者で伯爵家の令息のエディングと上手くいっていない。ある日、エディングに会いに行ったアダリーシアは、エディングが置いていったメガネを出来心でかけてみることに。そんなアダリーシアの姿を見たエディングは――。 「か・わ・い・い~っ!!」 これまでの態度から一変して、アダリーシアのギャップにメロメロになるのだった。 出来心でメガネをかけたヒロインのギャップに、本当は溺愛しているのに不器用であるがゆえにぶっきらぼうに接してしまったヒーローがノックアウトされるお話。

【完結・7話】召喚命令があったので、ちょっと出て失踪しました。妹に命令される人生は終わり。

BBやっこ
恋愛
タブロッセ伯爵家でユイスティーナは、奥様とお嬢様の言いなり。その通り。姉でありながら母は使用人の仕事をしていたために、「言うことを聞くように」と幼い私に約束させました。 しかしそれは、伯爵家が傾く前のこと。格式も高く矜持もあった家が、機能しなくなっていく様をみていた古参組の使用人は嘆いています。そんな使用人達に教育された私は、別の屋敷で過ごし働いていましたが15歳になりました。そろそろ伯爵家を出ますね。 その矢先に、残念な妹が伯爵様の指示で訪れました。どうしたのでしょうねえ。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

処理中です...