25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第24章 夜明けの誓い

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 王都へ向かう街道は、春の朝靄の中に静かに伸びていました。  

 馬車の窓を開けますと、花の香りが流れ込んできました。  
 懐かしい風景。かつてこの街を去るときには涙ばかりだったけれど、今は少し違います。  
 隣にいるアレクシス様のぬくもりが、心を穏やかにしてくれるのです。  

「どうだ、決心はついたか?」  
「はい。……怖くないと言えば、嘘になります。でも、確かめるべきだと思うんです」  

 その声に、アレクシス様が静かに頷かれました。  
 彼の指が私の手を包み、ゆっくりと握り返してくださいます。  
 その温もりだけで、胸の奥のこわばりが少しずつ融けていきました。  

「必ず俺が隣にいる。何があろうと、一人にはしないぞ」  
「……はい。ありがとうございます」  

 馬車は石畳を軽やかに進み、やがて王都の尖塔が霧の向こうに姿を現しました。  


 ***  


 王宮の門前には、すでに何人もの衛兵が並んでいました。  
 アレクシス様が馬車を降りて名を告げると、その場の空気がぴんと張りつめます。  

「ヴァレンティーヌ公爵。王の勅命により、学士会の開会にご出席を願います」  

 案内された先は、王城奥の円形会議の間でした。  
 灯りに照らされたシャンデリアの下、貴族や学者たちが静かに席につき、視線が一斉にこちらを向きます。  
 そして、中央の机の前に立っていたのは――見覚えのある顔でした。  

「……アルマンド卿」  

 王立薬草院の副院長。祖母にかつて師事した人物です。  
 彼は穏やかな微笑を浮かべ、一歩前へ出ました。  

「ようこそ。お忙しい中、ご足労感謝します。  
 本日の議題は、あなた方の研究が王国にとって正当なものかを確認することです」  

 優しい口調の奥に潜む冷たい響きを、アレクシス様は敏感に感じ取っておられました。  

「では、始めましょうか」  

 机の上に一冊の古びた記録帳が置かれました。  
 金の留め具がついたその表紙を見た瞬間、心臓が高鳴ります。  

(あれは――お祖母様の?)  

「これは、リリアーナ殿の亡き祖母上が残された研究記録であり、“幻影草”の開発に関する記述があるとされています」  

 場内がざわめきました。  
 アレクシス様の眉がわずかに動きます。  
 アルマンド卿はさらに言葉を続けました。  

「つまり、公爵夫人は祖母上よりその術を継ぎ、王家に影響を及ぼそうとした疑いが――妹君、セリーナ殿より申し立てられております」  

「そんな……!」  

 思わず声が漏れてしまいました。  
 胸の奥が熱く震えます。怒りというよりも、悲しみでした。  
 セリーナが私を恨んでいることは知っていました。けれど、お祖母様の名まで汚すなんて。  

「沈黙は肯定と見なしますが?」  
「ふざけるな」  

 アレクシス様の声が鋭く響きました。  
 冷たい堂内に、その一言が刃のように落ちます。  

「王家に尽くした彼女の祖母上を貶めることが、どれほどの罪か理解しているのか」  
「事実は変えられません。証拠はここに――」  

「その日誌ですが――」  

 私の声が静かに割って入りました。  
 会場の空気が凍りつきます。  

「その記録は偽物です」  
「証拠が?」  

「祖母の筆跡ですから」  

 私は机に近づき、日誌の端を指先でなぞりました。  

「この“幻影”という字。祖母は必ず“心”の旁をわずかに開いて書く癖がありました。けれどこれは違います。  
 これは、祖母の筆ではありません。この筆跡は妹のセリーナのようです……」  

 その瞬間、アレクシス様が静かに口を開かれました。  

「この国で最も尊ばれる者は、花を摘む手――癒しの手を持つ者だ。  
 その手を、欲望で汚すことは決して許されない」  

 堂内に深い沈黙が落ちました。  
 やがて王の側近が立ち上がり、王家の印章を掲げて告げます。  

「王命をもって告ぐ。ヴァレンティーヌ公爵夫妻に非なし。  
 記録は贋作と認む。セリーナ・エインズワースには弁明の機会を与えるが、それまで貴族権を停止とする」  

 歓声とざわめきが広がる中、私はただ息を呑みました。  
 祖母の名がようやく守られた――。  

 その瞬間、アレクシス様の手がそっと私の肩に触れました。  

「よくやった。お前の言葉を聞いた瞬間、俺は胸を張れた」  

 見上げると、真っ直ぐな瞳が私を映しています。  
 その眼差しに、ぬくもりと誇りが宿っていました。  


 背後から、そっと呼びかける声がしました。  

「お見事……お姉様」  

 振り向くと、濃い薔薇色のドレスをまとったセリーナが立っていました。  
 目元には王妃教育を受けている令嬢らしい化粧。  
 あの日よりもずっと大人びた顔つきでした。  

「……セリーナ」  
「ええ……立派だわ。まさか、本当に“氷の公爵”の妻になるなんてね」  

 口調は笑っているのに、その瞳の奥は笑っていません。  

 セリーナは紅茶色の髪を弄びながら少し俯き、それから小さな声で言いました。  

「姉様は……どうして、いつもそうなの」  

「え?」  

「お祖母様に出来のいい子って褒められて、薬草の調合も、勉強も、何でもすぐ覚えてしまって。  
 私がどんなに努力しても、“リリアーナ姉様の方が筋がいい”って言われ続けたのよ」  

 声が震えていました。  
 泣きそうに見えて、その実、唇はかすかに笑っています。  
 あれは、幼い頃に母の後ろで小さく震えていたセリーナの面影そのものでした。  

「覚えてる? あの冬の日。お祖母様が屋敷にいらした時、私が煎じ薬をこぼしてしまったこと。  
 あなたが代わりに直して、祖母は“まあ、よく気がつく子だね”って微笑んだ。あの瞬間――私の中の何かが凍ったのよ。  
 地味なお姉様のくせに……。お父様もお母様はわたしばかり見ていたのに!」  

 胸の奥が痛みました。  
 あの日のことなど、もう忘れていたつもりだったのに。  
 祖母が優しくも厳しかったこと、その厳しさを誰よりも真に受け止めていたのは、きっと彼女だったのだと思います。  

「セリーナ……あなた、ずっとそんな風に――」  
「正直、羨ましかった。今さら隠さないわよ。  
 お祖母様に“あの子には不思議な力がある”って言われたあなたが憎かった。  
 薬草を見ただけで効果を感じ取るような感覚。  
 私にはなかった。どんなに勉強しても、あの人の『よくできたね』はもらえなかった」  

 その目には、寂しさと怒りが入り混じっていました。  
 私がずっと見ないふりをしてきた感情。  

「……ごめんなさい」  
「なんで、謝らないでよ!」  

 反射的に放たれた言葉は鋭く、空気が震えました。  
 広間にいた数人の貴婦人たちが振り返りましたが、妹は構わず私を睨みつけました。  

「あなたは何でも“運命”で片づけて、誰も恨まない。それがなおさら腹立たしかった!  
 ……なのに、どうして。どうしてわたしにここまでされても、幸せそうな顔をしているの?」  

 その問いかけは、まるで泣き声のようでした。  
 私は一歩近づき、そっと彼女の肩に触れました。  

「わたしたち、同じお祖母様に育てられた姉妹よ。  
 祖母があなたに厳しかったのは、きっとあなたの中にも“光”があったから。  
 その光を見つけてほしかったんだと思うの」  

「……光?」  

「ええ。私が薬草の力を感じ取れたのは、“命を怖がらなかったから”だとお祖母様は言っていたわ。  
 あなたには華やかさだけじゃない、人を思いやる力がきっとあるのよ。私には届かないほど強く、まっすぐな心。 
 周りにチヤホヤされて、他人の目に踊られているだけ。 自分だけの人生を見つけるの。
 それはきっと、誰かを救える力になるはず」  

 セリーナは何か言いかけて口を閉じました。  
 しばらく沈黙が流れ、やがて彼女は視線を逸らして、かすかに笑いました。  

「人を救う……あなたらしい言葉ね。  
 ……でも、そんなあなたが羨ましいの、きっと一生ね」  

 そう言って、セリーナは静かに背を向けました。  
 遠ざかる細い背中に、私はただ祈るように呟きました。  

「いつか、セリーナにも春が来ますように」  


 アレクシス様の顔に柔らかな光が落ちました。  
 
「もう二度とお前を疑う者は現れないだろう。だが、もしまた現れたとしても――俺が斬り捨てる」  
「そんな怖いことを……でも、うれしいです」  

 思わず笑うと、彼も穏やかに微笑まれました。  

「リリアーナ」  
「はい」  
「今、ここで改めて誓う」  

 彼は一歩近づき、私の手を取りました。  
 周囲の視線が静まり返る中、低く澄んだ声が響きます。  

「お前を愛し、お前の真実を信じ続けることを。命の限り」  

 胸が熱くなり、涙が頬を伝いました。  

「……私も」  

 アレクシス様が小さく笑い、私の手を引き寄せられました。  
 額がそっと触れ合い、静かな息が重なります。  

 世界が一瞬、止まったように感じました。  
 そして――王都の鐘が鳴り響きます。 
 
 朝の光が二人を包み込み、温かく照らしていました。
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