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第35章 幻の薬草を求めて
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王都の春祭が近づく頃、街は平和を取り戻していました。
けれど、私の胸の奥ではまだ奇妙な胸騒ぎが消えませんでした。
調合を終えて数日後、再びアレクシス様のもとに、王家から密書が届いたのです。
「王室より報。――王子殿下の病が再発の兆しを見せている」
「そんなはずは……エテルナ・ブロッサムで完全に抑え込んだはずだろ!」
アレクシス様は思わず立ち上がりました。
あの奇跡の花でも治りきらぬ病。それが意味するものは――まだ、何かが欠けている。
「……幻の第25草は、まだ“真の姿”を見せていないのかも」
わたしの言葉に、アレクシス様は息を呑みました。
「しかし、もう花は採取済みだ。研究にも成功して――」
「それでも、調合の核となる“母株”が存在します。花弁だけでは、効果が長続きしないんです。
――王家の古文書に記されていた。“風の谷のさらに北、永久凍土の洞の奥に根づく花”。
そこが本当の起源だそうです
……行かなければ」
「危険すぎる。あそこは確か猛毒の空気と雪嵐が吹き荒れる場所。普通の人間では――」
「それでも……行かないと」
わたしが言い切ると、アレクシス様は短く笑いました。
「やはり、止められないか」
「あなたの妻ですもの。止められるわけがありませんよ」
そう言ったら、彼の青い瞳がふっとやわらかくなって、
次の瞬間には、そっと私の髪を掬い上げて撫でていました。
「なら、共に行こう。二度と一人にしないと、もう誓ったからな」
胸の奥があたたかく満たされるのを感じました。
どんな寒い地へでも、この人となら──恐れはありません。
* * *
数日後、私たちは風の谷を超えて北へ進みました。
雪原には冷たい風が吹き荒れ、馬すら怯えて唸り声を上げます。
吐いた息が白く凍り、まるで時すら止まったような世界――。
「道が途切れて……これ以上は歩きだな」
「ここからが本番です。凍土に眠るものが、おそらく第25草の母株です」
そう言って、わたしは雪を踏みしめました。
彼の背中を追いながら、私はまるで白一面の世界に吸い込まれていくような心地になりました。
やがて、視界の奥に洞窟が現れました。
その入口で、ひとりの影が待ち構えていたのです。
「……誰?」
外套のフードを取ったその女性は、ほとんど私と同じ年頃に見えました。
淡い金の髪に氷のような瞳――どこか懐かしさを感じる顔立ち。
「ご機嫌よう。名前はマリアンヌとしておきます。どんな草をご所望で?」
「……!」
アレクシス様の表情が変わりました。
雪の世界でも明らかに分かるほど、彼の肩が強張っています。
「貴様……商人たちに毒草を販売してるな」
「ふふ……だから何です? この国は、王族や貴族たちのせいで、とうに狂っていますよ」
マリエンヌの瞳には、憎悪の火が宿っていました。
彼女の背後、洞窟の奥には淡く光る白花が咲いています。
「まさか、その花……」
「ええ。《エテルナ・ブロッサム》の母株よ。真実を知れば、あなたも笑えなくなるわよ」
「真実?」
「わたしたち平民は、王族や貴族たちに搾取されてきた。だから商人たちだって、意味なく毒など盛っていないでしょう?」
アレクシス様が息を呑みました。
凍りつく空気に、長い沈黙が落ちます。
「貴様に意味など……」
「この国の復讐のために、私はこの花を守ってきた。あなたたちに渡すつもりはないわ!」
「マリエンヌ様、待って!」
私は思わず一歩踏み出しました。
彼女の指には毒草の種が握られている。
このままでは、母株を枯らしてしまう。
「憎しみは解決になりません。あなたは国を愛しているから腹が立つのしょう? あなたの願いは、きっと憎しみだけでは解決しないわ」
「黙って!」
マリエンヌは毒の種を投げようとしました。
瞬間、アレクシス様が私を抱き寄せて盾になり、種子が彼の肩を打ち、黒い煙が立ち上がります。
「アレクシス様!」
「……平気だ。君を守れたなら、それで」
「もう……こんな無茶を!」
私は震える手で薬草袋を開き、先ほど摘んだエテルナの花弁を混ぜて解毒液を作りました。
湯気のように温かい香りが立ち込め、彼の肩の黒ずみが少しずつ薄れていきます。
「マリアンヌ様、これが……癒しの力よ。憎しみの花ではなく、命を繋ぐ花なんです」
マリエンヌはその光景に呆然と立ち尽くしました。
手からこぼれ落ちた盾草の種が、雪に触れて消えていきます。
「……そうよ、分かってる……」
マリエンヌの声が震えました。
私はそっと彼女の手を取ります。
「あなたがその薬草の願いを継いでください。あなたの想いは、しっかり王様に伝えます」
長い沈黙の後、マリエンヌは小さく頷きました。
その肩が細く震えていて、涙が凍りかけた頬を伝っていました。
「……ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、洞窟の奥の花々が一斉に輝きを放ちました。
白い光が天井を満たし、風が穏やかに吹き抜けます。
「これが……母株の祝福か……?」
「赦しによって咲く花です。伝承どおりですね」
アレクシス様が優しく息を吐き、私の肩をそっと抱き寄せました。
「リリアーナ。君が導いたんだ。この花は、君の心が呼んだ」
「いいえ。あなたが、私を信じてくださったから」
互いに微笑みあい、雪の洞窟にあたたかな余光が広がっていきました。
* * *
母株の採取を終え、私たちは再び王都へ向かいました。
マリエンヌは北の地に残り、花園の守人として生きる道を選びました。
「きっと空から見ているわ。あなたたちを信じてる」
去り際の微笑みは、寂しさよりも穏やかに見えました。
道中、アレクシス様が空を見上げて言いました。
「君はあの人を許すんだな」
「ええ。それは希望の第一歩ですから」
「そうか……やはり、君は私より強い」
「あなたがそばにいるから」
その言葉に、アレクシス様は小さく笑いました。
そして手を伸ばして、私の指を絡めました。
雪明けの空には、春のような淡い光が射していました。
けれど、私の胸の奥ではまだ奇妙な胸騒ぎが消えませんでした。
調合を終えて数日後、再びアレクシス様のもとに、王家から密書が届いたのです。
「王室より報。――王子殿下の病が再発の兆しを見せている」
「そんなはずは……エテルナ・ブロッサムで完全に抑え込んだはずだろ!」
アレクシス様は思わず立ち上がりました。
あの奇跡の花でも治りきらぬ病。それが意味するものは――まだ、何かが欠けている。
「……幻の第25草は、まだ“真の姿”を見せていないのかも」
わたしの言葉に、アレクシス様は息を呑みました。
「しかし、もう花は採取済みだ。研究にも成功して――」
「それでも、調合の核となる“母株”が存在します。花弁だけでは、効果が長続きしないんです。
――王家の古文書に記されていた。“風の谷のさらに北、永久凍土の洞の奥に根づく花”。
そこが本当の起源だそうです
……行かなければ」
「危険すぎる。あそこは確か猛毒の空気と雪嵐が吹き荒れる場所。普通の人間では――」
「それでも……行かないと」
わたしが言い切ると、アレクシス様は短く笑いました。
「やはり、止められないか」
「あなたの妻ですもの。止められるわけがありませんよ」
そう言ったら、彼の青い瞳がふっとやわらかくなって、
次の瞬間には、そっと私の髪を掬い上げて撫でていました。
「なら、共に行こう。二度と一人にしないと、もう誓ったからな」
胸の奥があたたかく満たされるのを感じました。
どんな寒い地へでも、この人となら──恐れはありません。
* * *
数日後、私たちは風の谷を超えて北へ進みました。
雪原には冷たい風が吹き荒れ、馬すら怯えて唸り声を上げます。
吐いた息が白く凍り、まるで時すら止まったような世界――。
「道が途切れて……これ以上は歩きだな」
「ここからが本番です。凍土に眠るものが、おそらく第25草の母株です」
そう言って、わたしは雪を踏みしめました。
彼の背中を追いながら、私はまるで白一面の世界に吸い込まれていくような心地になりました。
やがて、視界の奥に洞窟が現れました。
その入口で、ひとりの影が待ち構えていたのです。
「……誰?」
外套のフードを取ったその女性は、ほとんど私と同じ年頃に見えました。
淡い金の髪に氷のような瞳――どこか懐かしさを感じる顔立ち。
「ご機嫌よう。名前はマリアンヌとしておきます。どんな草をご所望で?」
「……!」
アレクシス様の表情が変わりました。
雪の世界でも明らかに分かるほど、彼の肩が強張っています。
「貴様……商人たちに毒草を販売してるな」
「ふふ……だから何です? この国は、王族や貴族たちのせいで、とうに狂っていますよ」
マリエンヌの瞳には、憎悪の火が宿っていました。
彼女の背後、洞窟の奥には淡く光る白花が咲いています。
「まさか、その花……」
「ええ。《エテルナ・ブロッサム》の母株よ。真実を知れば、あなたも笑えなくなるわよ」
「真実?」
「わたしたち平民は、王族や貴族たちに搾取されてきた。だから商人たちだって、意味なく毒など盛っていないでしょう?」
アレクシス様が息を呑みました。
凍りつく空気に、長い沈黙が落ちます。
「貴様に意味など……」
「この国の復讐のために、私はこの花を守ってきた。あなたたちに渡すつもりはないわ!」
「マリエンヌ様、待って!」
私は思わず一歩踏み出しました。
彼女の指には毒草の種が握られている。
このままでは、母株を枯らしてしまう。
「憎しみは解決になりません。あなたは国を愛しているから腹が立つのしょう? あなたの願いは、きっと憎しみだけでは解決しないわ」
「黙って!」
マリエンヌは毒の種を投げようとしました。
瞬間、アレクシス様が私を抱き寄せて盾になり、種子が彼の肩を打ち、黒い煙が立ち上がります。
「アレクシス様!」
「……平気だ。君を守れたなら、それで」
「もう……こんな無茶を!」
私は震える手で薬草袋を開き、先ほど摘んだエテルナの花弁を混ぜて解毒液を作りました。
湯気のように温かい香りが立ち込め、彼の肩の黒ずみが少しずつ薄れていきます。
「マリアンヌ様、これが……癒しの力よ。憎しみの花ではなく、命を繋ぐ花なんです」
マリエンヌはその光景に呆然と立ち尽くしました。
手からこぼれ落ちた盾草の種が、雪に触れて消えていきます。
「……そうよ、分かってる……」
マリエンヌの声が震えました。
私はそっと彼女の手を取ります。
「あなたがその薬草の願いを継いでください。あなたの想いは、しっかり王様に伝えます」
長い沈黙の後、マリエンヌは小さく頷きました。
その肩が細く震えていて、涙が凍りかけた頬を伝っていました。
「……ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、洞窟の奥の花々が一斉に輝きを放ちました。
白い光が天井を満たし、風が穏やかに吹き抜けます。
「これが……母株の祝福か……?」
「赦しによって咲く花です。伝承どおりですね」
アレクシス様が優しく息を吐き、私の肩をそっと抱き寄せました。
「リリアーナ。君が導いたんだ。この花は、君の心が呼んだ」
「いいえ。あなたが、私を信じてくださったから」
互いに微笑みあい、雪の洞窟にあたたかな余光が広がっていきました。
* * *
母株の採取を終え、私たちは再び王都へ向かいました。
マリエンヌは北の地に残り、花園の守人として生きる道を選びました。
「きっと空から見ているわ。あなたたちを信じてる」
去り際の微笑みは、寂しさよりも穏やかに見えました。
道中、アレクシス様が空を見上げて言いました。
「君はあの人を許すんだな」
「ええ。それは希望の第一歩ですから」
「そうか……やはり、君は私より強い」
「あなたがそばにいるから」
その言葉に、アレクシス様は小さく笑いました。
そして手を伸ばして、私の指を絡めました。
雪明けの空には、春のような淡い光が射していました。
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