【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい

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終章 春の手紙

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 それから、いくつもの季節が流れました。  
 雪に覆われていたグラウベルの地も、今では春の訪れが少しだけ早くなったようです。  
 暖かな陽光の下、白花の庭には今日もやさしい風が吹き抜けていました。

 その庭を、ひとりの小さな女の子が駆けていきます。  
 金に近い淡い髪、灰色の瞳。あの人によく似た笑顔。  
 花の間を飛び跳ねる娘の姿を、わたしは縁側の揺り椅子から眺めていました。

「お母さまー! 見て! 花が咲いたの!」  
 両手いっぱいの白花を抱えて、娘が走ってきます。  
 その姿がまるで、春そのもののようでした。

「まぁ、きれいね。庭じゅう、あなたが育てた花でいっぱいだわ」

「うん! でもね……お手紙に書いたの。  
 “お母さまみたいに、みんなに春をあげられますように”って!」

「ふふ……お手紙、書いたの?」

 娘は力いっぱい頷きました。  
「うん! だって、お手紙はね、魔法なんでしょ?」

 その言葉に思わず微笑んで、そっと膝をつきました。  
 風が頬を撫で、白花の香りがふわりと漂います。

「ええ、そうよ。お手紙っていうのはね――  
 大切な人に想いを伝える魔法なの。声では届かない気持ちも、文字にすれば届くのよ」

「じゃあ、お母さまはお父さまにたくさん魔法をかけたの?」

「そうね……二十五回くらい、かしら」

「にじゅうごかい!」  
 娘が目を丸くして笑うと、胸の奥が暖かくなりました。  
 まるで昔の自分と同じあどけなさを見ているようです。

「お父さまは、お母さまの魔法にかかったの?」

「ええ。とっても強い魔法よ。もう一生、解けないと思うわ」

 わたしがそう答えると、娘は嬉しそうに笑い、両手いっぱいの花を空に投げました。  
 白花の花びらが風に舞い、陽の光を受けてキラキラと輝きながら空へと溶けていきます。

 そんな光景を見つめていると、背後の扉が開きました。  
 低く、穏やかな声が響きます。

「ここにいたのか、クラリッサ」

「アルフォンス様」

 振り向くと、以前よりも柔らかな表情をした彼が立っていました。  
 無骨な指で娘の髪を撫でながら、控えめに笑います。

「花びらだらけだな、エマ。庭を春で満たす気か。」

「だって、お父さまとお母さまが春をつくったんでしょ? わたしもお手伝いするの!」

 そのはしゃぐ声に、アルフォンス様の頬がゆるみます。  
 そして、わたしの方へ目を向け、穏やかに囁きました。

「……お前の“手紙”は、ちゃんと届いている。今でもな」

「ええ。届いているのは、わたしの方かもしれません。  
 あなたの言葉が、毎日こうしてわたしの春を咲かせてくれるのですもの」

 わたしたちは視線を交わし、そっと微笑み合いました。  
 娘が白花を追いかけ、その笑い声が風に混ざります。  
 その音があまりに穏やかで、胸の奥が静かな幸福でいっぱいになりました。



 その夜。  
 暖炉の火の前で、一枚の新しい便箋を広げました。  
 わたしの手元に、もう二十五通の束はありません。  
 けれど、この紙を前にすると、どうしても筆をとりたくなるのです。

『春の手紙。  
 愛する人へ、そして未来のわたしたちへ。  
 25通では足りません。  
 あなたと生きる日々こそ、終わらない“つづきの手紙”です。』

 インクが陽炎のようにゆらぎ、文字がゆっくりと紙に吸いこまれていきます。  
 わたしはペンを置き、机に両手を重ねました。

 窓の外では、白花が月明かりに照らされて揺れています。  
 その向こうに、笑い声がひとつ。アルフォンス様とエマの声。  
 わたしは静かに目を閉じて、その音を心に刻みました。



 やがて夜明け。  
 朝の光が東の山の頂を照らすころ、白花の庭に新しい蕾がひとつ開きました。  
 風に揺れるその小さな花が、まるで手紙の封をそっと開くように感じられます。


――完
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