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ノルドグレーン分断
政略結婚 9
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決闘時、戦場に出た経験のあるベアトリスと言えども緊張の極にあり、オットソンの顔も周囲の状況もほとんど覚えていなかった。だがここに至ってようやく、ギルヤの森で対峙したオットソンの、ひどく落ち着いた目を思い出せていた。そこに覚悟や理性の輝きは見えなかったが、だが迷いもまたなかった。もしかしたら、ラーゲルフェルトの“小細工”に助けられた面もあったかもしれない。
「すいません……どうしても勝ってほしくて……」
「いいのよ」
「でも……これで主公様の面目が潰れたら……」
「そうなったら……そうね、またラーゲルフェルトに世論を作らせるわ」
「当然ですね。この男が原因なのだから」
「じゃあそん時には、女装した隊長さんに戦場を駆け回ってもらいましょうかね。戦女神ローセンダールの伝説を新たに創造するために」
「そしてこの男の謀略によって、ノア王は同性と結婚したノーラントで最初の王となるのですか? なかなか先駆的ですね」
「えっ!?」
「したけりゃどうぞ、僕は止めませんよ」
まったく悪びれた様子もなく、ラーゲルフェルトはアルバレスに軽口をたたく。
もともとベアトリスは、オットソンとの決闘に際して、銃の技能について正々堂々と競い合う――などという男性的な気概で臨んではいなかった。むろん勝ちを欲してはいたが、実のところ、負けた場合の情勢についてはさほど悲観していたわけでもない。これはベアトリスが楽天的だったわけではなく、決闘という式事そのものの性質に由来する。
この、紳士協定によって執り行われる私闘には、法的根拠など存在しない。つまり勝とうが負けようが、国家という上位権力によってなにかを奪われたり与えられたりすることも一切ない。
その半面、勝敗にかかわらず声望が失墜することがある。それは決まって、正統な理由なく断った場合と、あらかじめ取り交わした契約の不履行を含む不正が発覚した場合である。実際、負けたオットソンも、その結果がもとで所領の運営に支障をきたしたり、社交界で孤立したりはしていないのだ。
ベアトリス自身はこの風潮を嫌っていた。これは野蛮さの異称・美名という一面を持つ“騎士道”という、ノルドグレーン上層に蔓延する社会規範に裏打ちされた悪習だからである。嫌ってはいたが、それを公言したときの反発の苛烈さは容易に想像できた。そのため、なるべく迂遠な言い回しで、問題意識を共有する者にだけ伝わるよう発言するに留めている。
ベアトリス・ローセンダールはこうした点から、自身が勝負できる、すべき領域を過たず選択し続けたと言える。剣で決闘を行えば腕力に勝るオットソンに分があったであろうし、政治勢力としては単独でヴァルデマルに伍するほどの力はなかった。それでも機に臨み変に応じ、ノルドグレーンの命運を左右する存在にまで上りつめたのだ。
だがベアトリスは、ただ小胆に危機回避に専心していたわけではない。勝てるという確信があれば、たとえその判断が多数意見と違っていても果敢に挑戦している。その適例が、ベアトリスの名をリードホルムに知らしめ、ノアとの出会いの契機となったジュニエス河谷の戦いだ。
「すいません……どうしても勝ってほしくて……」
「いいのよ」
「でも……これで主公様の面目が潰れたら……」
「そうなったら……そうね、またラーゲルフェルトに世論を作らせるわ」
「当然ですね。この男が原因なのだから」
「じゃあそん時には、女装した隊長さんに戦場を駆け回ってもらいましょうかね。戦女神ローセンダールの伝説を新たに創造するために」
「そしてこの男の謀略によって、ノア王は同性と結婚したノーラントで最初の王となるのですか? なかなか先駆的ですね」
「えっ!?」
「したけりゃどうぞ、僕は止めませんよ」
まったく悪びれた様子もなく、ラーゲルフェルトはアルバレスに軽口をたたく。
もともとベアトリスは、オットソンとの決闘に際して、銃の技能について正々堂々と競い合う――などという男性的な気概で臨んではいなかった。むろん勝ちを欲してはいたが、実のところ、負けた場合の情勢についてはさほど悲観していたわけでもない。これはベアトリスが楽天的だったわけではなく、決闘という式事そのものの性質に由来する。
この、紳士協定によって執り行われる私闘には、法的根拠など存在しない。つまり勝とうが負けようが、国家という上位権力によってなにかを奪われたり与えられたりすることも一切ない。
その半面、勝敗にかかわらず声望が失墜することがある。それは決まって、正統な理由なく断った場合と、あらかじめ取り交わした契約の不履行を含む不正が発覚した場合である。実際、負けたオットソンも、その結果がもとで所領の運営に支障をきたしたり、社交界で孤立したりはしていないのだ。
ベアトリス自身はこの風潮を嫌っていた。これは野蛮さの異称・美名という一面を持つ“騎士道”という、ノルドグレーン上層に蔓延する社会規範に裏打ちされた悪習だからである。嫌ってはいたが、それを公言したときの反発の苛烈さは容易に想像できた。そのため、なるべく迂遠な言い回しで、問題意識を共有する者にだけ伝わるよう発言するに留めている。
ベアトリス・ローセンダールはこうした点から、自身が勝負できる、すべき領域を過たず選択し続けたと言える。剣で決闘を行えば腕力に勝るオットソンに分があったであろうし、政治勢力としては単独でヴァルデマルに伍するほどの力はなかった。それでも機に臨み変に応じ、ノルドグレーンの命運を左右する存在にまで上りつめたのだ。
だがベアトリスは、ただ小胆に危機回避に専心していたわけではない。勝てるという確信があれば、たとえその判断が多数意見と違っていても果敢に挑戦している。その適例が、ベアトリスの名をリードホルムに知らしめ、ノアとの出会いの契機となったジュニエス河谷の戦いだ。
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