【完結】転生したら最強の魔法使いでした～元ブラック企業OLの異世界無双～

第1話「最後の残業」

午後十一時を回った薄暗いオフィスに、キーボードを叩く音だけが響いていた。

「はぁ……また日付が変わる」

田中美咲は疲れ切った表情でパソコンの画面を見つめながら、深いため息をついた。二十八歳、独身。就職してから六年、毎日がこの繰り返しだった。

デスクの上には山積みになった書類と、冷め切ったコンビニ弁当の空き容器。蛍光灯の下で青白く光る肌は、慢性的な睡眠不足と栄養失調を物語っていた。

「田中！　まだ終わらないのか！」

突然響いた怒声に、美咲は反射的に肩をすくめた。振り返ると、部長の中田が不機嫌そうな顔でこちらを見ている。

「申し訳ございません。あと少しで……」

「あと少しって、もう十一時だぞ！　お前の仕事が遅いから他の奴らも帰れないんだ！」

理不尽だった。この膨大な資料をまとめる作業は、本来なら三人がかりで一週間はかかる仕事だ。それを一人で三日でやれと言われ、しかも途中で追加の修正指示が五回も入った。

「でも、部長がおっしゃった修正を全て……」

「言い訳するな！　お前が要領が悪いんだ！　新卒の子の方がよっぽど仕事ができるぞ！」

美咲は唇を噛んだ。その新卒の子は、美咲がサポートしているからこそまともに仕事ができているのだ。でも、それを言っても無駄だということを、彼女は経験から学んでいた。

「すみません……」

「とにかく今日中に終わらせろ！　明日の朝一番で取引先に持っていくんだからな！」

中田はそう言い捨てると、さっさと帰っていった。残業代も出ないのに、いつものように最後の責任だけは美咲に押し付けて。

オフィスに再び静寂が戻った。美咲は時計を見る。終電まであと一時間半。でも、この分量だと到底間に合わない。

「また終電逃すのね……」

呟きながら、美咲はキーボードに向かった。指先が震えているのに気がついた。疲労か、それとも怒りか。いや、きっと両方だろう。

大学時代の友人たちは、みんな結婚して幸せそうだった。子供の写真をSNSに上げて、旦那との仲睦まじい様子を投稿している。美咲にはそんな時間もない。休日も仕事に追われ、恋愛をする余裕なんてなかった。

「私、何やってるんだろう……」

ふと、手が止まった。この生活に何の意味があるのだろう。会社のために身を削って、健康を害して、それでも認められることはない。給料は安く、ボーナスもカットされた。昇進の話も、いつも男性社員に先を越される。

「もう、嫌だ……」

美咲の目から涙がこぼれた。でも、泣いている暇はない。仕事を終わらせなければ、また明日怒鳴られる。

午前二時。美咲の意識は朦朧としていた。栄養ドリンクを何本飲んだかも覚えていない。頭がくらくらして、文字がかすんで見える。

「もう少し……もう少しで……」

その時だった。激しい胸の痛みが美咲を襲った。

「あ……」

左胸を押さえながら、美咲は椅子から立ち上がろうとした。しかし、足に力が入らない。目の前が真っ白になり、耳鳴りがした。

「助けて……」

誰もいないオフィスで、美咲の呼び声は虚しく響いた。携帯電話に手を伸ばそうとしたが、指先が震えて上手く操作できない。

意識が遠のいていく。最後に頭に浮かんだのは、母親の顔だった。

『美咲、無理しちゃダメよ』

いつも心配してくれていた母。もっと親孝行したかった。もっと自分らしい人生を歩みたかった。

「今度生まれ変わったら……絶対に……」

美咲の意識は、そこで途切れた。

デスクに突っ伏した美咲の手元では、パソコンの画面がスクリーンセーバーに切り替わっていた。彼女が最後まで作成していた資料は、九十七パーセントの完成度で保存されていた。

翌朝、出社した同僚が美咲を発見することになる。しかし、その時彼女の魂は、もうこの世界にはなかった。

新しい世界で、新しい人生が始まろうとしていた。今度は、誰にも理不尽な扱いを受けることのない、自分らしく生きられる人生が。

それは、魔法という絶対的な力を手に入れた、最強の魔法使いとしての人生だった。