【完結】モブ令嬢のわたしが、なぜか公爵閣下に目をつけられています

きゅちゃん

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第四話 侯爵令嬢は、魔法省にも現れる

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 魔法省に勤め始めて二週間が経った頃、事件は起きた。

 その日、わたしは地下研究室で第五式を使った計算式の再検証をしていた。トルヴェン主任の検証結果が予想通りだったことで、プロジェクト全体の計算を一から見直す必要が出てきたのだ。地味な作業だが、これが終わらないと次に進めない。

 黙々とペンを走らせていると、扉がノックもなく開いた。

「ここが詠唱補助式の研究室ですか」

 聞き覚えのある声だった。

 顔を上げると、深緑のドレスに身を包んだセラフィーヌ・クロードが、扉の前に立っていた。後ろに侍女をひとり連れている。

 室内の全員が固まった。当然だ。魔法省の、しかも地下研究室に、令嬢が突然現れる状況は通常起こらない。

「クロード侯爵家のセラフィーヌと申します。ヴァルナ公爵閣下から、こちらの研究について説明を受けたいとお許しをいただいております」

 許可を取っているのか、とわたしは思った。それは準備がいい。無断乗り込みではない分、対処が難しくなる。

「閣下のご許可があるなら」

 トルヴェン主任が渋い顔で言った。

 セラフィーヌは室内を見回して、すぐにわたしを見つけた。青い瞳が、ほんの一瞬だけ鋭くなった。

「ランドール様、ご活躍とお聞きしました」

 にこやかに言う。周りには世間話のように聞こえるだろう。でも声音の端に、棘がある。

「おかげさまで」

 わたしは立ち上がり、軽く会釈した。

「何かお手伝いできることがあれば」

「では、今のご研究について教えていただけますか。専門的なことは分からないのですが、ぜひ聞いてみたくて」

 研究内容を説明しろ、ということだ。業務中に。

 断る理由はない。公爵の許可が出ている以上、研究内容の概要説明は業務の範囲内とも言える。ただし、時間を取られるのは痛い。

「承知しました。応接スペースをお使いください」

 研究室の隅に、来客用の小テーブルと椅子が置いてある。そこにセラフィーヌを案内し、向かいに座った。

「詠唱補助式というのは、魔力量が少ない人でも、詠唱の組み立て方を工夫することで、より大きな効果を出せるようにする技術です」

「それはつまり、魔力の少ない人でも魔法が使えるようになる?」

「使えるようになる、というより、今使える魔法の質を上げる、という方が正確です。魔力の総量は変わりません」

「なるほど」

 セラフィーヌはすました顔で聞いていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「でもランドール様、あなたは魔力量が平均以下とお聞きしました。そのような方が、本当にこの研究を進められるのでしょうか」

 室内が静かになった。

 ミラ研究員が手を止めた気配がする。デニスも顔を上げたのが視界の端に見えた。

 わたしは一拍置いた。

「はい」

「あら、そうですか」

「魔力量が少ないから、三年間誰も見つけられなかった計算の誤りを発見できました。充分な魔力があれば、誤った計算式でもある程度は結果が出てしまう。誤差が顕著に出るのは、低魔力域での運用時だけですから」

 セラフィーヌの笑顔が、わずかに固まった。

「それに」

 わたしは続けた。

「この研究が完成すれば、魔力量が少ないために魔法職に就けなかった人たちが、選択肢を持てるようになります。わたしもそのひとりです。だから誰より、完成させたい理由があります」

 しばらく沈黙があった。

 セラフィーヌは何かを言いかけて、やめた。代わりに、すっと立ち上がった。

「……よく分かりました。お時間をいただいてありがとうございます」

 深緑のドレスの裾を翻して、扉に向かう。

 扉の前で、一度だけ振り返った。

「ランドール様は、頭がいいのですね」

 褒め言葉か、嫌みか、判別できない言い方だった。

「ありがとうございます」

 わたしは微笑んで返した。

---

 セラフィーヌが去った後、しばらく研究室は静かだった。

 やがてデニスが「……強いですね」とぼそりと言った。

「何がですか」

「いや、普通あそこで萎縮しますよ。クロード侯爵令嬢に、あんなことを言われたら」

「萎縮する理由がありませんでした。間違ったことは言っていないので」

 トルヴェン主任が低く笑った。研究室に来て初めて聞く笑い声だった。

「……気に入った」

 主任はそれだけ言って、また書類に顔を向けた。

 ミラ研究員がこっそりわたしに向かって親指を立てた。

 わたしは黙って作業に戻った。胸の中が、じんわりと温かかった。

---

 その日の夕方、廊下で鉢合わせたカイル公爵に呼び止められた。

「今日のこと、報告を受けました」

「セラフィーヌ様のことですか」

「説明対応、ありがとうございました。本来なら私が対処すべきでしたが」

 公爵が「ありがとう」を言うのを初めて聞いた。声音は相変わらず平坦だが、意味はちゃんとある。

「いえ。研究の説明をしただけです」

「彼女が来たのは、研究の説明を聞くためではないでしょう」

「分かっています」

 わたしは少し考えてから、正直に言った。

「でも、研究の話をする分には、わたしは負けません」

 カイル公爵が、わずかに目を細めた。

 笑ったのかもしれない。ほんの少しだけ、口の端が動いた気がした。

「そうですね」

 短い返答。でも今日のそれは、いつもより少しだけ温度があった気がした。

 気のせいかもしれないけれど。
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