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第16話 親方の喝と、茶会への挑戦状(パンと共に)
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リリアンヌ嬢が残していった「王家の茶会へのパン提供」という依頼。それは、フィオナの心に大きな波紋を投げかけた。店の片隅で、焼きたてのパンの香りに包まれながらも、彼女の表情は晴れない。ライアス王太子との再会、再び足を踏み入れるかもしれない貴族社会の空気。考えただけで、胃のあたりがキュッと痛む。
「やっぱり、断った方がいいんじゃないか、フィオナ。あんな奴らのために、お前がわざわざ骨を折る必要はないだろう」
店の隅で帳簿付けを手伝っていた(というより、マルセルの完璧な仕事ぶりを感心しながら眺めていただけの)ルーカスが、心配そうに声をかける。彼の目には、フィオナを過去の苦しみから守りたいという強い意志が宿っていた。
「しかし、お嬢様。これは見方を変えれば、またとない機会でもありますぞ。王家の茶会で評判となれば、『アトリエ・フィオナ』の名は瞬く間に王都中に広まりましょう。もちろん、万が一失敗した場合のリスクも考慮せねばなりませんが…」
マルセルは、いつものように冷静にメリットとデメリットを分析し、フィオナの判断材料を提供する。その手には、既に茶会に出席するであろう貴族のリスト(推定)と、それぞれの好みそうなパンの傾向(予測)までまとめられたメモが握られていた。仕事が早すぎる。
「フィオナ様のパンなら、きっと王様だって、お妃様だって、みんな笑顔になりますよ! 私、そう信じてます!」
エリィは、両手を胸の前で握りしめ、キラキラした瞳でフィオナを見つめる。彼女の純粋な信頼は、フィオナの心を温かく照らした。
三者三様の意見。どれもフィオナを思ってくれての言葉だ。だが、肝心のフィオナ自身の心は、まだ揺れていた。
そんな彼女の煮え切らない様子を見かねたのか、あるいはマリーさんに「フィオナちゃんが悩んでるみたいだから、ちょっと喝でも入れておやりよ!」とでも焚き付けられたのか、翌日、レオン親方が珍しく店の奥までやってきた。
「いつまでうじうじしてやがる、この半人前が! パン生地みてえに顔を膨らませやがって、みっともねえぞ!」
開口一番、相変わらずの雷だ。
「悩みがあるなら、さっさとパンにでも練り込んで、薪窯で灰になるまで焼いちまえ! それともなんだ? お貴族様のおままごとに付き合うのが怖いとでも言うのか? パン職人ならパンで語れ! 相手が王だろうが乞食だろうが、てめえの焼きたいパンを焼いて、黙って食わせてやるだけだろうが!」
レオンの言葉は乱暴だが、その奥にはパン職人としての確固たる誇りと、弟子への不器用な愛情が込められている。その一喝が、フィオナの心の中にあった最後の迷いを吹き飛ばした。
(……そうよ。私はもう、誰かの顔色を窺うだけの公爵令嬢じゃない。パン屋のフィオナ・ヴィルヘルムなんだから)
「ありがとうございます、親方。目が覚めましたわ」
フィオナは深々と頭を下げた。
「やります。私のパンで、あの方たちに何かを感じてもらえるのなら…パン職人として、これ以上の挑戦はありませんもの」
その瞳には、もう迷いの色はなかった。
かくして、フィオナはリリアンヌ嬢の依頼を引き受けることを決意した。
さっそく、茶会に出すパンのコンセプト会議(メンバー:フィオナ、ルーカス、マルセル、エリィ)が、店の小さなテーブルで秘密裏に(?)開催された。
「リリアンヌ様は、殿下のお心を癒したいと仰っていたわ。だから、優しくて、心が温かくなるようなパンがいいと思うの」
「でも、ただ優しいだけじゃ、あのお歴々の舌は満足しないんじゃないか? 何かこう、ハッとするような驚きも必要だろ」
ルーカスが腕を組む。
「左様ですな。伝統と革新性、その両立が求められましょう。例えば、我が国の古文書に記された幻の宮廷パンを現代風にアレンジし、そこに最新の製法で抽出した希少な花の香りを添えるというのは…」
マルセルの提案は壮大すぎて、もはやパンの域を超えている気がする。
「えっと、えっと、じゃあ、見た目も可愛くて、食べたら元気が出るような、虹色の元気玉パンはどうですか?!」
エリィのアイデアは、相変わらず独創的で微笑ましい。
フィオナは、みんなの意見を聞きながら、自分のイメージを膨らませていく。そして、数日間の試行錯誤が始まった。
ルーカスが「これは…貴族向けには地味すぎるんじゃないか? もっと金箔とか散らした方が…」と首を傾げれば、エリィが「でも、すごく優しい味がします!心がほわっとしますよ!」と反論する。マルセルは「このパンに合わせるお茶は、東方の新芽を使った白茶などがよろしいかと…既に手配済みでございます」と、いつの間にか茶会の全体のコーディネートまで考えている始末だ。
そんな中、フィオナが緊張のあまり材料の分量を盛大に間違え、工房中に紫色の煙が立ち込める「フィオナ風・魔女の大鍋パン(未遂)」事件が発生したりもしたが、それはまた別のお話。
フィオナが試作したパン(成功したもの限定)を、レオン親方も時折こっそり味見していた。そして、ある日、いつものようにぶっきらぼうな口調で、しかし的確なアドバイスを一つ、二つ、フィオナに授けた。それは、パンの風味を格段に引き上げる、目から鱗の秘訣だった。
「親方…!ありがとうございます!」
「ふん。勘違いするな。たまたま通りかかっただけだ」
そう言って足早に去っていくレオンの背中は、やはりどこか誇らしげに見えた。
そして、茶会の三日前。フィオナはついに、茶会に出す特別なパンを完成させた。
一つは、見た目は素朴なライ麦パンだが、数種類のハーブと微量の蜂蜜が練り込まれ、一口食べると口の中に春の庭園のような香りが広がる「心の庭園(ココロノガーデン)ブレッド」。
もう一つは、王国の象徴である王冠を小さく模した、黄金色に輝くブリオッシュ生地のパン。中には、ほんのり酸味の効いた自家製オレンジピールが隠されている「希望のプチ・コローヌ」。
その二つのパンを前に、フィオナは静かに深呼吸をした。これは、ただのパンではない。過去の自分への決別と、未来への希望を込めた、フィオナ・ヴィルヘルムの新たな挑戦状なのだ。
傍らには、ルーカスとマルセル、そしてエリィが、それぞれの想いを込めて彼女を見守っていた。
「やっぱり、断った方がいいんじゃないか、フィオナ。あんな奴らのために、お前がわざわざ骨を折る必要はないだろう」
店の隅で帳簿付けを手伝っていた(というより、マルセルの完璧な仕事ぶりを感心しながら眺めていただけの)ルーカスが、心配そうに声をかける。彼の目には、フィオナを過去の苦しみから守りたいという強い意志が宿っていた。
「しかし、お嬢様。これは見方を変えれば、またとない機会でもありますぞ。王家の茶会で評判となれば、『アトリエ・フィオナ』の名は瞬く間に王都中に広まりましょう。もちろん、万が一失敗した場合のリスクも考慮せねばなりませんが…」
マルセルは、いつものように冷静にメリットとデメリットを分析し、フィオナの判断材料を提供する。その手には、既に茶会に出席するであろう貴族のリスト(推定)と、それぞれの好みそうなパンの傾向(予測)までまとめられたメモが握られていた。仕事が早すぎる。
「フィオナ様のパンなら、きっと王様だって、お妃様だって、みんな笑顔になりますよ! 私、そう信じてます!」
エリィは、両手を胸の前で握りしめ、キラキラした瞳でフィオナを見つめる。彼女の純粋な信頼は、フィオナの心を温かく照らした。
三者三様の意見。どれもフィオナを思ってくれての言葉だ。だが、肝心のフィオナ自身の心は、まだ揺れていた。
そんな彼女の煮え切らない様子を見かねたのか、あるいはマリーさんに「フィオナちゃんが悩んでるみたいだから、ちょっと喝でも入れておやりよ!」とでも焚き付けられたのか、翌日、レオン親方が珍しく店の奥までやってきた。
「いつまでうじうじしてやがる、この半人前が! パン生地みてえに顔を膨らませやがって、みっともねえぞ!」
開口一番、相変わらずの雷だ。
「悩みがあるなら、さっさとパンにでも練り込んで、薪窯で灰になるまで焼いちまえ! それともなんだ? お貴族様のおままごとに付き合うのが怖いとでも言うのか? パン職人ならパンで語れ! 相手が王だろうが乞食だろうが、てめえの焼きたいパンを焼いて、黙って食わせてやるだけだろうが!」
レオンの言葉は乱暴だが、その奥にはパン職人としての確固たる誇りと、弟子への不器用な愛情が込められている。その一喝が、フィオナの心の中にあった最後の迷いを吹き飛ばした。
(……そうよ。私はもう、誰かの顔色を窺うだけの公爵令嬢じゃない。パン屋のフィオナ・ヴィルヘルムなんだから)
「ありがとうございます、親方。目が覚めましたわ」
フィオナは深々と頭を下げた。
「やります。私のパンで、あの方たちに何かを感じてもらえるのなら…パン職人として、これ以上の挑戦はありませんもの」
その瞳には、もう迷いの色はなかった。
かくして、フィオナはリリアンヌ嬢の依頼を引き受けることを決意した。
さっそく、茶会に出すパンのコンセプト会議(メンバー:フィオナ、ルーカス、マルセル、エリィ)が、店の小さなテーブルで秘密裏に(?)開催された。
「リリアンヌ様は、殿下のお心を癒したいと仰っていたわ。だから、優しくて、心が温かくなるようなパンがいいと思うの」
「でも、ただ優しいだけじゃ、あのお歴々の舌は満足しないんじゃないか? 何かこう、ハッとするような驚きも必要だろ」
ルーカスが腕を組む。
「左様ですな。伝統と革新性、その両立が求められましょう。例えば、我が国の古文書に記された幻の宮廷パンを現代風にアレンジし、そこに最新の製法で抽出した希少な花の香りを添えるというのは…」
マルセルの提案は壮大すぎて、もはやパンの域を超えている気がする。
「えっと、えっと、じゃあ、見た目も可愛くて、食べたら元気が出るような、虹色の元気玉パンはどうですか?!」
エリィのアイデアは、相変わらず独創的で微笑ましい。
フィオナは、みんなの意見を聞きながら、自分のイメージを膨らませていく。そして、数日間の試行錯誤が始まった。
ルーカスが「これは…貴族向けには地味すぎるんじゃないか? もっと金箔とか散らした方が…」と首を傾げれば、エリィが「でも、すごく優しい味がします!心がほわっとしますよ!」と反論する。マルセルは「このパンに合わせるお茶は、東方の新芽を使った白茶などがよろしいかと…既に手配済みでございます」と、いつの間にか茶会の全体のコーディネートまで考えている始末だ。
そんな中、フィオナが緊張のあまり材料の分量を盛大に間違え、工房中に紫色の煙が立ち込める「フィオナ風・魔女の大鍋パン(未遂)」事件が発生したりもしたが、それはまた別のお話。
フィオナが試作したパン(成功したもの限定)を、レオン親方も時折こっそり味見していた。そして、ある日、いつものようにぶっきらぼうな口調で、しかし的確なアドバイスを一つ、二つ、フィオナに授けた。それは、パンの風味を格段に引き上げる、目から鱗の秘訣だった。
「親方…!ありがとうございます!」
「ふん。勘違いするな。たまたま通りかかっただけだ」
そう言って足早に去っていくレオンの背中は、やはりどこか誇らしげに見えた。
そして、茶会の三日前。フィオナはついに、茶会に出す特別なパンを完成させた。
一つは、見た目は素朴なライ麦パンだが、数種類のハーブと微量の蜂蜜が練り込まれ、一口食べると口の中に春の庭園のような香りが広がる「心の庭園(ココロノガーデン)ブレッド」。
もう一つは、王国の象徴である王冠を小さく模した、黄金色に輝くブリオッシュ生地のパン。中には、ほんのり酸味の効いた自家製オレンジピールが隠されている「希望のプチ・コローヌ」。
その二つのパンを前に、フィオナは静かに深呼吸をした。これは、ただのパンではない。過去の自分への決別と、未来への希望を込めた、フィオナ・ヴィルヘルムの新たな挑戦状なのだ。
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