笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~

虹湖🌈

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第18話 王都の噂とパン屋の日常、そして…まさかのお客様

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 王家の茶会から数日。フィオナは、まだ夢見心地のような気分でパンを焼いていた。ライアス王太子の最後の言葉、「また、食べる機会は…あるのだろうか?」――その言葉が、まるで焼きたてのパンのように、フィオナの心の中でふっくらと温かく膨らんでいた。

「フィオナー!聞いたぞ、茶会で大絶賛だったんだってな! さすが俺が見込んだパン職人だ!」
 店に戻るなり、ルーカスが自分のことのように大喜びで出迎えた。その手には、なぜか「祝・王家御用達(仮)アトリエ・フィオナ」と墨痕鮮やかに書かれた(そして少し墨が垂れている)木の看板が握られている。
「ま、まだ御用達ではありませんわ、ルーカス! それにその看板は一体…!?」
「お嬢様、昨日の茶会での評判は、既に王都のサロンで話題沸騰でございます。『あの元ヴィルヘルム公爵令嬢、実は隠れた天才パン職人だった』『そのパンは、口にした者の心を癒す魔法のパン』などと、尾ひれ背びれがつきまくって…いえ、概ね好意的に広まっておりますぞ」
 マルセルは、どこから仕入れてきたのか、最新のゴシップ情報を冷静に報告しながら、ルーカスの手にある怪しげな看板をそっと回収し、薪にするか一瞬悩んでいる。
「フィオナ様、すごいです! 王子様もフィオナ様のパンを褒めてくださったんですね!」
 エリィは、目をキラキラさせて自分のことのように喜んでいる。

 そして、その噂は現実のものとなった。
 茶会の翌々日あたりから、「アトリエ・フィオナ」の店の前には、これまでとは明らかに雰囲気の違う立派な馬車が停まるようになったのだ。絹のドレスを優雅に翻して降りてくる貴婦人、いかめしい紋章をつけた家紋入りの馬車で乗り付ける貴族の使い、そして、見るからに裕福そうな商人風の男たち。彼らは皆、口々に「茶会で噂のパンを」「心が癒されるという魔法のパンを一つ」と、フィオナのパンを買い求めに来るのだった。

「い、いらっしゃいませ! あ、あの、パンはこちらに並んでおります!」
 急な客層の変化と注文の増加に、フィオナは嬉しい悲鳴を上げつつも、おっとりとした性格も相まってテンパり気味だ。そんな彼女を助けるのが、看板娘エリィの存在だった。
「奥様、こちらの『心の庭園ブレッド』は、数種類のハーブが織りなす香りが大変ご好評でございますわ!」「旦那様、本日は『希望のプチ・コローヌ』が焼きたてでございますよ!」
 エリィは持ち前の明るさと機転で、どんな身分のお客様にも臆することなく、テキパキと接客をこなしていく。その姿は、もはやフィオナの右腕と言っても過言ではなかった。
 マルセルは、そんな店の状況を冷静に分析し、「お嬢様、予約システムの導入と、材料の仕入れルートの再構築が急務かと存じます。人員に関しましても、エリィ殿の負担を軽減するため、もう一人…」などと、いつの間にか本格的な経営戦略を練り始めている。

 そんなある日、店の扉がギィと音を立てて開き、入ってきたのはレオン親方だった。相変わらずの仏頂面だが、その手にはなぜかマリーさん特製の大きなアップルパイの包みが。
「……ふん。少しは客が入るようになったみてえだな。まあ、物好きもいたもんだ」
 そう言いながら、店の隅で一番値段の高いパン(フィオナが茶会用にさらに改良を加えたライ麦パン)を無言で購入していく。
「親方! あの、これ、開店祝いのお返しと言ってはなんですが…」
 フィオナが慌てて声をかけると、レオンは「いらん!」と一蹴しつつも、マリーさんのアップルパイをカウンターにドンと置き、「…お前んとこの嬢ちゃん(エリィのことだ)が腹を空かせちゃいかんからな。お前は…まあ、せいぜい調子に乗って手を抜くんじゃねえぞ。お前のパンはまだ、ひよっこのパンだ。それを忘れんな」と言い残して去っていった。その背中は、やはりどこか照れくさそうだった。

 リリアンヌ嬢も、すっかり「アトリエ・フィオナ」の常連となっていた。彼女はもう侍女だけを寄越すのではなく、時折こっそりと一人で来店し、フィオナやエリィとパン談義に花を咲かせることもあった。ライアス王太子は、あの日以来、少しずつだが元気を取り戻し、フィオナのパンを「あれは確かに美味だった」と褒めていたという。その報告を聞くたび、フィオナの胸は温かいもので満たされた。

 そして、店の評判が広まるにつれ、新たな依頼も舞い込み始めた。
 王都でも一、二を争う名門侯爵家の家宰と名乗る人物が、恭しく店を訪れ、「近々、我が侯爵家で大規模な夜会を催すにあたり、ぜひともフィオナ様のパンを、デザートのメインとしてお出ししたい。つきましては、夜会にふさわしい特別なパンを、数百個単位でお願いできないだろうか」という、破格の依頼を持ち込んできたのだ。
 数百個!? しかも、夜会用の特別なパン? フィオナは、そのあまりにも大きな依頼にめまいを覚えた。今の店の規模と、自分とエリィだけの力で、果たしてそんな大役が務まるのだろうか。

 フィオナが、その大きな依頼に戸惑い、返答に窮していると、店の扉が静かに開いた。
 そこに立っていたのは――息をのむほど美しい礼装に身を包んだ、ライアス王太子、その人だった。お忍びなのか、護衛の姿は見えない。彼は、まっすぐにフィオナを見つめると、静かな、しかし有無を言わせぬ響きを持つ声で言った。
「フィオナ・ヴィルヘルム。君に、個人的に頼みたいパンがあるのだが」
 店内は、一瞬にして水を打ったように静まり返った。
 フィオナと、元婚約者である王太子。二人の視線が、再び交錯する。
 路地裏の小さなパン屋に、またしても大きな嵐が訪れようとしていた。
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