笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~

虹湖🌈

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アトリエ・フィオナと始祖の祝福 ~幻の食材と、笑顔を巡る冒険~

第39話 鉄塊パンと涙の味、そして師弟の誓い

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「ボルガン親方! 私、旅のパン職人で、フィオナと申します! 貴方のために、パンを焼いてまいりました!」
 フィオナの凛とした声が、静まり返った工房の扉に響き渡る。
 中から返ってきたのは、「…うるせえ!よそ者はとっとと帰りやがれ! パンだか何だか知らんが、そんなもんで腹は膨れんわ!」という、雷のような怒声だった。
 しかし、フィオナは怯まない。扉の隙間から漏れ出す、黒パンの豊かで香ばしい香りが、彼女の何よりの味方だったからだ。

「親方! 俺です、テオです! どうか、話だけでも聞いてください!」
 隣で震えていた弟子のテオが、勇気を振り絞って叫ぶ。その声に、工房の中から、ピタリと物音が止んだ。
 長い沈黙の後、重い閂が外される音がして、扉がギィ…と軋みながらわずかに開いた。中から顔を覗かせたのは、無精ひげを生やし、その鋭い瞳に深い疲労の色を浮かべたボルガン親方だった。彼は、テオの姿を認めると、苦々しげに顔を歪めた。
「…何の用だ、テオ。お前はもう、俺の弟子でも何でもねえだろうが」
「そ、そんなこと言わずに、親方! このお嬢さんが、あんたのために…」
「パンなんぞで、俺の心が動くと思ってるのか!」
 ボルガンは吐き捨てるように言うが、その視線は、フィオナが抱えるバスケットから漂う、抗いがたいパンの香りに引きつけられているのが分かった。

「ええ、思いませんわ」
 フィオナは、静かに、しかしきっぱりと言った。
「パンだけで、人の心を完全に変えることなどできません。ですが…凍りついた心を、ほんの少しだけ温めるお手伝いくらいは、できるかもしれませんわ」
 彼女は工房の中へ一歩踏み入れると、まだ温かい黒パンを取り出し、分厚くスライスして、無骨な作業台の上に置いた。
「これは、貴方のために焼きました。この街の力強い黒ビールと、大地の恵みであるライ麦で…。何も言いません。ただ、味わっていただけませんか?」

 ボルガンは、頑なに二人を睨みつけていた。しかし、テオの懇願するような眼差しと、鼻孔をくすぐるパンの滋味深い香りに、ついに根負けしたようだった。
「…ちっ。一口だけだぞ」
 ぶっきらぼうにそう言うと、不承不承といった体でパンを手に取り、無造作に口へと放り込んだ。

 そして、その瞬間。
 ボルガン親方の、鉄のように固く閉ざされていた表情が、驚きに、そして戸惑いに、みるみるうちに変わっていった。
(……なんだ、このパンは…)
 無骨な見た目とは裏腹の、深く、豊かな味わい。黒ビールのほろ苦いコク、ライ麦の素朴な甘み、そして、噛みしめるほどにじんわりと広がる、優しいぬくもり。それは、もう何年も前に亡くなった妻が、よく失敗しながらも、自分のために一生懸命焼いてくれた、不格好だが愛情のこもったあのパンの味を、不意に思い出させた。
「……う…」
 ボルガンの強面の目から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、長い間溜め込んでいた頑なな心が、パンの温かさで溶け出した、しょっぱい涙だった。
 彼は、何も言わずに、ただむしゃむしゃと、まるで子供のようにパンを食べ続けた。

 その姿を見て、テオが声を振り絞った。
「親方っ! 俺は、あんたの技術を、この世の誰よりも尊敬してる! だからこそ、王都で学んできた新しい技術で、親方の技をもっと輝かせたいんだ! この街のためにも…! 俺は、あんたの足手まTouchUpInsideいになりたいんじゃなくて、あんたの右腕になりてえんだよ!」
 テオの魂からの叫び。
 ボルガンも、パンを噛みしめながら、しゃがれた声で応えた。
「……俺が悪かった、テオ…。俺はただ…お前が、俺の手の届かないところへ行ってしまうのが…怖かっただけなんだ…。この頑固な俺を、置いてきぼりにして…」
 初めて明かされる、師匠の弱音。
「親方…!」
 テオは、ボルガンの分厚く、節くれだった手を、涙ながらに両手で握りしめた。工房には、二人の男の嗚咽と、そして、フィオナの優しいパンの香りだけが満ちていた。

 翌日。
 ヴォルカンの街には、久しぶりに、ボルガン親方の工房から響き渡る、小気味の良い師弟のハンマーの音がこだましていた。カン、カン、カン! その音は、以前よりもずっと明るく、そして力強く聞こえる。街の人々の顔にも、自然と笑みがこぼれていた。

 フィオナたちが街を立つ日。工房から出てきたボルガン親方は、以前とは別人のように、晴れやかな顔をしていた。
「嬢ちゃん、いや、フィオナさん! 何と礼を言ったらいいか…。これは、俺からのせめてもの気持ちだ。受け取ってくれ」
 そう言って彼が手渡してくれたのは、彼自身が精魂込めて鍛え上げた、黒光りする最高の登山道具一式と、火山の危険地帯や魔物の弱点までが詳細に記された、手書きの地図だった。
「あの火山は、生半可な覚悟じゃ登れねえ。だが、この道具と情報があれば、きっと道は開けるはずだ。 気を付けていけよ、パン屋の嬢ちゃん!」
 そして、隣に立つテオも、深々と頭を下げた。
「フィオナさん、本当にありがとう! 俺たち、あんたのパンの味、一生忘れねえよ! だから、また美味いパンを食わせに来いよな!」
 その笑顔は、鉄のように強く、そして太陽のように温かかった。

 力強い応援を背に、フィオナたちは、いよいよ次なる試練の地、灼熱火山へと向かう。
「なあ、フィオナ。お前のパンって、やっぱり魔法でもかかってるんじゃないのか?」
 馬車に揺られながら、ルーカスが感心したように言う。
「いいえ、ルーカス」
 フィオナは、穏やかに微笑んで首を振った。
「魔法なんかじゃありませんわ。ただ、誰かを想う気持ちが、パンを美味しくする…それだけのことですの」
 その手には、最高の道具と、温かい友情が確かに握られていた。
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