「平民とでも結婚すれば?」と捨てられた令嬢、隣国の王太子に溺愛されてますが?

ゆっこ

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 キスの余韻が、まだ頬に残っているような気がしていた。

 舞踏会の翌朝。朝食の席に着いても、気持ちはまだふわふわと浮いていた。

 彼に触れられた手。見つめられた瞳。優しい声。

(あれは、夢じゃなかったんだ……)

 それだけで、何度も胸が熱くなってしまう。

「……セレナ様、パンを落としていらっしゃいますよ」

「……えっ!」

 慌ててテーブルを見ると、確かに小さなクロワッサンが転がっていた。

「わ、私、いつの間に……」

「ふふ。お顔が赤いのは、もしや昨晩の殿下との……」

「レナっ!」

「うふふふっ、冗談です」

 からかわれながらも、セレナは笑ってしまった。そうやって笑える毎日が、今はとても愛おしい。



「――今後の予定だが、しばらくは国外の使節を招く行事が続く」

 王宮内での会議。レオンハルトは国王直属の議員たちと日々の政務をこなしていた。

 だが、ふと視線が遠のく。

(セレナ……何をしているかな)

 ふいに彼女の姿が脳裏に浮かぶ。今朝のうっかりした様子も、顔を真っ赤にしていた様子も、すべてが愛おしくてたまらなかった。

「……王太子殿下?」

「……あ、ああ、すまない。少し考えごとをしていた」

「まさか……またエヴァレット嬢のことで?」

「……読まれているな」

 苦笑するレオンハルトに、重臣のひとりがやれやれと肩をすくめる。

「若さですな。しかし、それだけ夢中になれる方がいるのは幸いでしょう。殿下は以前よりもずっと感情を表に出されるようになった」

「……そうか?」

「はい。以前はもっと冷静で、冷たいほどに距離を保たれておられた。それが今では……恋する男の顔ですな」

 苦笑を浮かべながらも、レオンハルトの頬はうっすらと赤くなる。

(……僕は、彼女のことになると、どうにも冷静ではいられないらしい)

 それでも――それでいいと、思えるようになっていた。



 そしてその夜。

「セレナ。今夜も少しだけ、時間をもらえるかな」

「はい。いつでもお話できるように、心の準備をしておりますわ」

「ふふ、そう言われると緊張してしまうな」

 王宮のバルコニー。月明かりに照らされた静かな場所で、ふたりは並んで座っていた。

 虫の声と、風の音だけが耳に届く。

「……今日は、君に伝えたいことがあったんだ」

「……はい」

 彼はゆっくりと、言葉を選びながら口を開く。

「セレナ。僕は……君を愛している。恋という軽い言葉じゃなくて、本気で。人生をともに歩みたいと思っている」

「……っ」

 静かな告白だった。

 大げさな演出も、甘いセリフもなかった。

 でも、それが逆に――心に響いた。

「……本当に、私でいいのですか? 元婚約者に捨てられた、名門の令嬢ですのに」

「そんなことは関係ない。君が過去にどう扱われたかじゃなくて、今、僕がどう君を思っているか。それがすべてだよ」

「……レオンハルト様」

「君は誰よりも気高く、賢く、そして……美しい」

 まっすぐな視線が、心を焼く。

 そしてその夜、セレナはようやく小さく――でも、確かに言葉を返した。

「……私も、殿下のことを、もっと好きになっていると感じています。……確かめるのが、こわくて……でも」

 言葉を遮るように、彼はそっとセレナの指先に唇を寄せた。

「君のペースでいい。ゆっくりでいい。……でも、僕は何度でも言う。君を愛している、と」

 その言葉が、セレナの胸の奥に、静かに、深く染み込んでいった。



 一方、アルヴェイン王国。

「……あの女が、王太子妃になる? そんなこと、許せるわけがないでしょう!」

 アリシア・ローレンスは声を荒げ、ドレッサーに並べられた香水瓶を叩き落とした。

 床に転がった香水が甘ったるい香りを広げる。

「どうして!? 私の方が、ずっと若くて美しくて……王太子にふさわしいのは私なのよ!」

 だがリカルドは、うつろな目で黙っていた。

「リカルド様! 聞いているの!?」

「……セレナが、レオンハルトと本当に婚約するなら、我が国にとっても打撃だ」

 政略的に見ても、ヴァルディア王国との外交カードになりえたセレナが、敵国の王妃になるなど最悪の事態だった。

「……くそっ、セレナが……俺のものだったはずの女が……」

「違う! 私が貴女から彼を奪ったのよ! 私のものなのに……!」

 アリシアの叫びは、もはや悲鳴のようだった。

 狂気と執着と後悔――それらが交錯し、二人は確実に崩れていく。

 だがその声は、セレナの耳には届かない。

 彼女はもう、未来だけを見ていた。






 その夜。

 セレナはベッドの中で、月明かりを見つめていた。

 レオンハルトの言葉。優しい手。温かい声。

(……恋って、こんなにも胸を締めつけるのね)

 思い出すたび、頬が熱を帯びる。

 けれどそれと同時に、どこか不安も芽生えていた。

(……この幸せが、ずっと続くのだろうか)

 何かが崩れてしまいそうで、怖くなる時がある。

 でも、それでも――

「レオンハルト様……」

 小さく名前を呼んでみる。

 それだけで心が温まる。

 大丈夫。彼が隣にいれば、私はもう過去に縛られることはない。

 ゆっくりと瞳を閉じると、優しい夢がやってくるような気がした。
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