色色奇譚

南 鈴紀

文字の大きさ
23 / 104
第一話 思い出語り

第一話 二二

しおりを挟む
 早朝に報せを受けた天音は、祈りノ儀式を終えた姿のまま玄の部屋へ急いだ。
「玄さ……っ」
 天音は咄嗟に言葉を飲み込んだ。
 人払いされた静かな部屋のただなかで、黎夜が玄の亡骸に泣き縋っていた。
「じい様、じい様……っ」
 黎夜にとって玄は養い親であり、血のつながらない祖父のような存在であり、人生の師のような人だった。
 普段は子どもらしくなく冷静沈着な態度をとることがほとんどだが、黎夜が誰よりも優しく繊細な心を持っていることを天音はちゃんと知っている。家族同様の玄を亡くして、泣くことを堪えることができるほど黎夜は大人ではないし、薄情でもないのだ。
 もしかしたら一人にしてほしいと黎夜は言うかもしれない。それでも天音は今の黎夜を一人にしたくなかった。
 玄との付き合いは黎夜に比べれば短いが、天音だって玄のことを家族のように思っていた。今、黎夜に寄り添えるのは天音しかいないのだ。
 天音は黎夜の隣に静かに正座し、黎夜の嗚咽を聞きながら玄の安らかな顔を眺めていた。天音がどれだけじっと玄を見つめても、当然彼が目覚める兆しはない。徐々に玄が亡くなってしまった現実を痛感してしまい、天音の視界が揺らぎだす。けれど黎夜の立場を考えれば、ここで自分が泣いてはいけないとぐっと涙を堪えた。
 しばらくそうしていると、黎夜の嗚咽は小さくなっていった。しゃくりあげながら「天音……」と呟く。顔を上げた拍子に赤く腫れた黎夜の片目から、音もなく一粒の雫がこぼれ落ちた。
「ごめん。それからありがとう。隣にいてくれて」
「ううん。黎夜はひとりじゃないよ、わたしがいるんだからって伝えたかったの」
 少しでも黎夜を元気づけたくて、天音はあえて明るく笑って見せた。天音の意図を読んだのか、疲れは残るものの黎夜も小さく笑ってくれる。
「そう、だね」
 表面上は落ち着きを取り戻した黎夜はおもむろに立ち上がった。
「離れまで送るよ」
 どうやらこの後、玄が亡くなったことの報告と今後の動きについての話し合いがあるのだとか。
 故人を偲ぶ時間すらほとんどないやり口に、邸の人間のほぼ全員が玄や黎夜を快く思っていないことを思い知らされる。
 それは廊下を歩いているこの瞬間からもわかることだった。
「とうとう守り人殿は亡くなったのだな」
「前々から厄介者だとは思っていたが、いなくなって清々するな」
「これであの生意気な餓鬼どもも大人しくなるだろう」
 人の不幸を種に、彼らは愉快そうにささやき合っている。天音と黎夜が無視をして側を通りがかると、わざとらしい嘲笑が降ってきた。
「噂をすれば、だな」
「何の後ろ盾もない餓鬼が、ここで生き残れると思うなよ」
「……」
「おいおい、まーた無視かよ」
「守り人殿はろくでもない教育をして……」
「……いい加減にして」
 自分だけが悪しざまに言われるのはいまさらどうだっていい。だが、死んでしまった者を、大好きな玄を馬鹿にするような発言だけは許せない。
 天音の声は低く冷たく、睨みつける目は静かな怒りに燃えていた。加えて表情はころころとよく変わるいつもの天音らしくなく、感情がすっかりなくなっている。
 今までは興ざめした様子で散っていった家臣たちも、初めて見る天音の本気の怒りに触れて怯えたように顔を青ざめさせていた。隣にいる黎夜ですら言葉を発せずに固まっている。
「こんなときにまで、どんな神経をしてたらそんなことが言えるの? あなたたちが気に入らないのはわたしでしょう? だったら直接言えばいいよ」
 まるで温度のない声音には凄みがあり、その場にいる誰もが身体の自由を奪われたかのように身動ぎひとつできないでいた。
「わたしの大事な人たちを侮辱するのも傷つけるのも、絶対に許さないから」
 胸の内で暴れそうな感情を抑え込む。天音は不気味なほど平淡な声で告げると、黎夜を連れてその場を後にした。
 まもなくして離れに着き、黎夜と別れる。彼の後ろ姿が遠くなるほどに天音の口角は下がっていった。
あらゆる感情に蓋をして、天音は勉強部屋に戻った。個人の文机こそ片づけてあるが、玄が元気だった頃と内装はほとんど変わらない。
 天音は自然といつもの自分の席があった場所に歩いていき、糸が切れた繰り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「玄さぁん……!」
 人前では我慢できていたが、一人になった途端、天音は声をあげて泣いた。
 天音は自身の母のことをよく憶えていない。病弱だった母は小さい天音を置いてこの邸を出ていき、実家で静養していたからだ。だから母が亡くなったときのこともはっきりとは思い出せない。
 故に、こんなにも深い悲しみに襲われることは天音にとって初めても同然だった。大好きな人がいなくなってしまうことが、これほどまでに辛いことだとは思いもしなかったし、できれば知りたくなかった。
 嗚咽の合間に玄の名前を何度も呼ぶ。天音が泣いていると知ればいの一番に駆けつけてくれただろう。「大丈夫ですか、姫様」と優しく呼びかけてくれただろう。けれど、それらが現実になることはもう決してないのだ。
 一度涙が引き始めても、講義中の玄がよく立っていた場所が視界に入ると波のように悲しみが押し寄せてきた。
 穏やかな声、柔らかな微笑み、慈しみに満ちた眼差し。玄との思い出はいつだってあたたかく優しさに溢れていた。
「まだ……っ、まだ、一緒に、いたかったぁ……!」
 泣き疲れて眠るまで、天音はひとりで泣き続けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら

赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。 問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。 もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?

愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます

天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。 王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。 影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。 私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

許すかどうかは、あなたたちが決めることじゃない。ましてや、わざとやったことをそう簡単に許すわけがないでしょう?

珠宮さくら
恋愛
婚約者を我がものにしようとした義妹と義母の策略によって、薬品で顔の半分が酷く爛れてしまったスクレピア。 それを知って見舞いに来るどころか、婚約を白紙にして義妹と婚約をかわした元婚約者と何もしてくれなかった父親、全員に復讐しようと心に誓う。 ※全3話。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

青いヤツと特別国家公務員 - 希望が丘駅前商店街 -

鏡野ゆう
キャラ文芸
特別国家公務員の安住君は商店街裏のお寺の息子。久し振りに帰省したら何やら見覚えのある青い物体が。しかも実家の本堂には自分専用の青い奴。どうやら帰省中はこれを着る羽目になりそうな予感。 白い黒猫さんが書かれている『希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~』https://www.alphapolis.co.jp/novel/265100205/427152271 とクロスオーバーしているお話なので併せて読むと更に楽しんでもらえると思います。 そして主人公の安住君は『恋と愛とで抱きしめて』に登場する安住さん。なんと彼の若かりし頃の姿なのです。それから閑話のウサギさんこと白崎暁里は饕餮さんが書かれている『あかりを追う警察官』の籐志朗さんのところにお嫁に行くことになったキャラクターです。 ※キーボ君のイラストは白い黒猫さんにお借りしたものです※ ※饕餮さんが書かれている「希望が丘駅前商店街 in 『居酒屋とうてつ』とその周辺の人々」、篠宮楓さんが書かれている『希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―』の登場人物もちらりと出てきます※ ※自サイト、小説家になろうでも公開中※

神木さんちのお兄ちゃん!

雪桜 あやめ
キャラ文芸
✨ キャラ文芸ランキング週間・月間1位&累計250万pt突破、ありがとうございます! 神木家の双子の妹弟・華と蓮には"絶世の美男子"と言われるほどの金髪碧眼な『兄』がいる。 美人でカッコよくて、その上優しいお兄ちゃんは、常にみんなの人気者! だけど、そんな兄には、何故か彼女がいなかった。 幼い頃に母を亡くし、いつも母親代わりだったお兄ちゃん。もしかして、お兄ちゃんが彼女が作らないのは自分達のせい?! そう思った華と蓮は、兄のためにも自立することを決意する。 だけど、このお兄ちゃん。実は、家族しか愛せない超拗らせた兄だった! これは、モテまくってるくせに家族しか愛せない美人すぎるお兄ちゃんと、兄離れしたいけど、なかなか出来ない双子の妹弟が繰り広げる、甘くて優しくて、ちょっぴり切ない愛と絆のハートフルラブ(家族愛)コメディ。 果たして、家族しか愛せないお兄ちゃんに、恋人ができる日はくるのか? これは、美人すぎるお兄ちゃんがいる神木一家の、波乱万丈な日々を綴った物語である。 *** イラストは、全て自作です。 カクヨムにて、先行連載中。

処理中です...