私の居場所を見つけてください。

葉方萌生

文字の大きさ
22 / 66
第二章 不穏なカルテ

◾️八月三十日土曜日Ⅱ

しおりを挟む
 清葉病院の前にたどり着いたのは、十三時半頃だった。
 相変わらず飄々とただそこに存在している廃病院だが、前回の恐怖体験のせいか、建物全体から黒いオーラのようなものが放たれているような気がした。白い壁にこびりついた茶色い汚れが、顔の形に見えてゾッとした。
 そんなはずない。
 全部妄想だって。
 分かっているはずなのに、清葉病院を前にすると震えが止まらない。お腹がまたきゅうっと痛み出す。
 落ち着け、私……。
 前回は鞄にお清めの塩を入れていたが、今回はこの場で塩を全身に振りかける。気休めでも、ないよりはマシだ。それから、お腹にそっと手を添えて、「力を貸してくれる?」と小さく問いかけた。
 
 ジャリ……。
 十三時三十五分、一週間ぶりに、カメラを回しながら病院の中に足を踏み入れる。冷えた空気やおどろおどろしい予感がするのは前回と同じだ。

「清葉病院、二回目の探索です。前回と変わらず嫌な感じがしますね……。ここまで悪い気を感じるのは初めてです……」

 ジャリ。
 自分の足音さえ、想像以上に周囲に大きく響いて恐ろしい。早くも、この場所から離れたいという衝動に駆られた。恐怖心をぐっと飲み込んで、中へと進んでいく。

「受付、診察室……特に変わった様子はありません。あ、でもなんかちょっと椅子の位置が前回と違うかも……?」

 受付でひっくり返っていた長椅子の位置が、若干違っているような気がした。
 一メートルほど移動している……?
 前回撮った動画を見返してみないとはっきりとはわからないが、ぱっと見た感じだと記憶の中の位置と少しだけずれている。気になって、長椅子に近寄ってみた。

「ひゃっ」

 長椅子をライトで照らしてみると、埃や煤をかぶっていた長椅子に、いくつもの手形がついていた。
 驚いて持っていた懐中電灯をカラン、と落とす。腰が抜けそうになるのを必死にふんばって、手形のついた長椅子をカメラに映した。

「み、見てください。前回はなかった手形がついてます……。一体誰の手形でしょうか。まさか、この場所に浮遊する霊のものとでもいうのでしょうか……?」

 自分で「霊」という単語を口にしたことで、背筋がすーっと冷えていくような感覚がした。
 まさか、本当に心霊現象なの……?
 椅子に前回はなかった手形がついているというだけで、一気に恐ろしさが増幅した。
 誰かの視線を感じるようになったのも、この時からだ。

「……っ」

 前から、後ろから、右から、左から、こちらをじーっと見つめて動かない視線がある。金縛りにあったかのように、首を動かすことができない。
 これは、なんなの……。
 せめて実況をしようとするのに、喉を誰かにぎゅっと掴まれたみたいに、声を出すことすらままならない。

「うっ……あ……」

 そのうち、息をすることも苦しくなって、自分の手で喉を抑える。
 ずきん、ずきん、と一際鋭い痛みが下腹部を襲う。
 喉とお腹をぐっと抑えながら呻いていると、しばらくして正面の——五メートルほど先の、診察室の前に、ぱっと白い顔が浮かび上がった。

「きゃ……っ」

 悲鳴を上げられない。相変わらず金縛りが解けなくて、その白い顔から視線を逸らすことすらできない。
 あ、あれは……。
 新幹線とバスの中で二度目にした、白い顔だ……。
 目と鼻と口にぽっかりと丸い穴が空いた人の顔。その空洞がしっかりと私を見据えている。
 
——ワタシ……ハ……ドコ……。

 掠れた声が聞こえた。

——ワタシ……ハ……ドコ……。

 あの顔だ。あの顔が喋っているのだ。

——カエシテ……。

 何を返せっていうの……?

——ワタシヲ……カエシテ……。

 私を返して。
 不可解な文句を囁いたその顔は、次の瞬間にふっと消えてしまった。

「はあ……はあ……はあ」

 ようやく息ができるようになって、思い切り空気を吐いて、吸う。埃の混じった空気を盛大に吸ってしまい、ゴホゴホッとむせた。

「い、今のは……なんだったのでしょうか。人の顔がそこに浮かんでいました……」

 先ほど白い顔が浮かんでいた前方の方にカメラを向ける。が、今は何も見えない。映像には残っているだろうか。今、撮影した映像を確認する余裕はないので、ひとまずまた前へと進む。
 あの顔はきっと、私を追いかけていたのだ……。
 先週ここを訪れたときから。職場でも誰かの視線を感じていた。電車やバスに乗ってトンネルを走っている際に目にしたのも、暗い場所で窓に映って見えただけだ。
 ずっとそばにいたんだ……。
 意識した途端、ゾクリと全身が粟立った。
 考えすぎると恐怖で動けなくなる。だがここで今、私は足を止めるわけにはいかない。

——ワタシヲ……カエシテ……。

 さっきの顔が私に訴えてきた言葉が何度も頭に浮かぶ。 
 恨めしそうにも、悲しそうにも聞こえた。
 私を返して、とは一体どういうことだろうか……。
 あの白い顔の霊は、院長の魂ではないのか?
 この場所で亡くなったという院長。私は、院長の霊が悪霊になり、ここで怪異を引き起こしているのだと思っていた。でも、あの囁くような声は、立場の弱い人間が権力を握る者に勇気を出して必死に訴えているように聞こえたのだ。院長という立場にある者が、そんなふうに怯えながら何かを訴えることがあるのだろうか。
 ……いや、まあ幽霊の立ち居振る舞いが生前のその人の立場と関係しているかどうか、分からないけれど。
 
「顔が浮かんでいたところまで進んでみます……。診察室の前です。一応前回も見ましたが、行ってみます」

 恐怖心をなんとか抑え込んで、意を決して進んでいく。先ほど激しく疼いていた下腹部痛は少しだけ収まっていた。楽に呼吸ができるだけでもありがたい。額にはすでに汗がびっしょりと垂れているけれど、あまり気にしないようにして目の前のことだけに必死になった。

 扉の壊れた診察室へと侵入する。回転椅子や内診台があるのは変わらなかった。が、ここでもある異変に気づく。

しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2026/1/3:『おかのうえからみるけしき』の章を追加。2026/1/10の朝8時頃より公開開始予定。 2026/1/2:『そうしき』の章を追加。2026/1/9の朝4時頃より公開開始予定。 2026/1/1:『いえい』の章を追加。2026/1/8の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/31:『たこあげ』の章を追加。2026/1/7の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/30:『ねんがじょう』の章を追加。2026/1/6の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/29:『ふるいゆうじん』の章を追加。2026/1/5の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/28:『ふゆやすみ』の章を追加。2026/1/4の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

百物語 厄災

嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。 小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

視える私と視えない君と

赤羽こうじ
ホラー
前作の海の家の事件から数週間後、叶は自室で引越しの準備を進めていた。 「そろそろ連絡ぐらいしないとな」 そう思い、仕事の依頼を受けていた陸奥方志保に連絡を入れる。 「少しは落ち着いたんで」 そう言って叶は斗弥陀《とみだ》グループが買ったいわく付きの廃病院の調査を引き受ける事となった。 しかし「俺達も同行させてもらうから」そう言って叶の調査に斗弥陀の御曹司達も加わり、廃病院の調査は肝試しのような様相を呈してくる。 廃病院の怪異を軽く考える御曹司達に頭を抱える叶だったが、廃病院の怪異は容赦なくその牙を剥く。 一方、恋人である叶から連絡が途絶えた幸太はいても立ってもいられなくなり廃病院のある京都へと向かった。 そこで幸太は陸奥方志穂と出会い、共に叶の捜索に向かう事となる。 やがて叶や幸太達は斗弥陀家で渦巻く不可解な事件へと巻き込まれていく。 前作、『夏の日の出会いと別れ』より今回は美しき霊能者、鬼龍叶を主人公に迎えた作品です。 もちろん前作未読でもお楽しみ頂けます。 ※この作品は他にエブリスタ、小説家になろう、でも公開しています。

百の話を語り終えたなら

コテット
ホラー
「百の怪談を語り終えると、なにが起こるか——ご存じですか?」 これは、ある町に住む“記録係”が集め続けた百の怪談をめぐる物語。 誰もが語りたがらない話。語った者が姿を消した話。語られていないはずの話。 日常の隙間に、確かに存在した恐怖が静かに記録されていく。 そして百話目の夜、最後の“語り手”の正体が暴かれるとき—— あなたは、もう後戻りできない。 ■1話完結の百物語形式 ■じわじわ滲む怪異と、ラストで背筋が凍るオチ ■後半から“語られていない怪談”が増えはじめる違和感 最後の一話を読んだとき、

少し怖いホラー短編集(文字数500以下)

仙 岳美
ホラー
文字数500以下のショート集です、難しく無いので気楽にどうぞ。

処理中です...