36 / 66
第三章 しのびよる気配
◾️八月三十一日日曜日Ⅱ
しおりを挟む
「藤島さんが聞きたいことは、私がブログに書いた病院の“秘密”についてでしょう?」
「え? は、はい。そうです。病院を二回訪ねたんですが、どうにもあそこにはおかしな“氣”が漂っているような気がして……」
本当はもっと恐ろしい“怪異”の気配を感じていたのだが、あえてそう表現した。石川さんは驚く様子はなく、「やっぱり」といったふうに眉を顰めた。
「その“秘密”について話すのにも“藤島さん”のことをまず話しておかなくちゃいけないと思ってね」
「藤島さん……そのひとって、清葉病院の患者だったひとですよね?」
核心をつくように尋ねると、今度はかなり驚いた様子で「知っているの?」と目を見開いた。
「はい。昨日、病院の中でカルテを見つけたんです。藤島陽子さん——母のカルテを」
「母……? やっぱりあなた」
「はい。私は藤島陽子の娘です」
「陽子さんの娘さん……」
はっきりと、驚愕に満ちた反応を示す石川さん。だがどうして彼女がいち患者に過ぎなかった母を、そこまで覚えているのかということが気になった。
私の疑問に答えるように、彼女がすうっと大きく息を吐く。右手に握っていたお箸をカチャンと箸置きに置いて、まっすぐに私の目を見つめた。
「陽子さんは、私の同僚だったひとなの。歳は私の五歳下で、私より二年遅く清葉病院に入ってきた後輩だったけれど、同じ助産師としてとても親しくしてくれたわ」
「同僚……?」
衝撃の事実に頭が混乱を極める。
母が産婦人科で——しかも、清葉病院で働いていたなんて、知らなかった。
「母が助産師をしていたなんて知りませんでした」
「そうなの? 陽子さんは清葉病院をやめて東京のほうに行ったというのは聞いていたけれど、私はてっきり東京で助産師を続けているのかと思っていたわ」
「東京では一般企業の事務職に就いていました。仕事の内容とかはあんまり聞いたことがないのですが、総務とか経理とかそういう類の仕事だと思います。だから助産師をしていたというのは驚きです」
母から一度も、助産師をしていたという話を聞いたことがなかった私は、今まで自分の中で作り上げていた“母親像”が崩れ去るのを感じていた。
「そうだったのね。陽子さんも苦労したでしょうね。二十五年前、あんなことが起きてしまって……」
「あんなことって、もしかして流産のことですか?」
私が訊くと、石川さんは「ええ」と言いながらも驚いている様子だった。
「陽子さんはたしか、授かりにくい体質だったのよ。それで、旦那さんといろいろ試して妊活していたみたいで。その先で授かった子だったから、さぞ悲しかったでしょうね……。あなたのお兄さんかお姉さんにあたる子ね。流産のこと、お母さんに聞いていたの?」
「い、いえ。そうではなくて」
“あなたのお兄さんかお姉さんにあたる子”と彼女が言ったとき、心臓がとくんと鳴った。
そうか。このひとは私の年齢を知らない。だから母が二十五年前に流産した赤ちゃんと私の年齢の違和感を知らないのだ。
「拾ったカルテに書いてあったんです。『流産』っていう言葉が。でもおかしいんです。私、今二十五歳なんですよ。そのカルテに書かれた妊娠週数と日付を調べたら、出産予定日がちょうど私の誕生日――二〇〇〇年六月九日と一致していました。しかも母は私に、『みよ子は予定日ぴったりに生まれてきてくれた』って教えてくれたことがあるんです。だから私の生年月日に間違いはありません。でもだとしたら――母が流産したというのは、事実じゃないことになりませんか?」
今まで静かに話を聞いてくれていた石川さんの瞳が、激しく揺らいだ。
「そんな……ありえないわ。流産したのは間違いない。事実じゃないなんてことはありえない。だって、陽子さんを診ていたのは私なのよ? 同僚だし、彼女が妊娠していたのも確実で、流産したかどうかを間違えるはずがない」
早口でまくし立てるようにして話し出す。その話し方が、何かを隠しているように思えて少しの疑念が生まれる。
「じゃあ、カルテのほうが間違いだったのでは? 記入ミスで日付や週数を間違ってしまったとか。そもそもこのカルテ自体、偽物ではないでしょうか?」
鞄の中から件のカルテを取り出して見せる。石川さんは震えながらカルテを受け取り、一枚ずつ中身に目を通していった。
「このカルテは確かに本物よ。私がこの手で記入した。間違いなんかじゃない。偽物ではないわ」
私たち二人の間に、どこか肌寒い風が吹いたような気がしてはっとする。
室内なのだから、風が吹くはずがないのに。
石川さんの額に汗が浮かんでいる。自分の額も同じように濡れていることに、この時気づかなかった。
「え? は、はい。そうです。病院を二回訪ねたんですが、どうにもあそこにはおかしな“氣”が漂っているような気がして……」
本当はもっと恐ろしい“怪異”の気配を感じていたのだが、あえてそう表現した。石川さんは驚く様子はなく、「やっぱり」といったふうに眉を顰めた。
「その“秘密”について話すのにも“藤島さん”のことをまず話しておかなくちゃいけないと思ってね」
「藤島さん……そのひとって、清葉病院の患者だったひとですよね?」
核心をつくように尋ねると、今度はかなり驚いた様子で「知っているの?」と目を見開いた。
「はい。昨日、病院の中でカルテを見つけたんです。藤島陽子さん——母のカルテを」
「母……? やっぱりあなた」
「はい。私は藤島陽子の娘です」
「陽子さんの娘さん……」
はっきりと、驚愕に満ちた反応を示す石川さん。だがどうして彼女がいち患者に過ぎなかった母を、そこまで覚えているのかということが気になった。
私の疑問に答えるように、彼女がすうっと大きく息を吐く。右手に握っていたお箸をカチャンと箸置きに置いて、まっすぐに私の目を見つめた。
「陽子さんは、私の同僚だったひとなの。歳は私の五歳下で、私より二年遅く清葉病院に入ってきた後輩だったけれど、同じ助産師としてとても親しくしてくれたわ」
「同僚……?」
衝撃の事実に頭が混乱を極める。
母が産婦人科で——しかも、清葉病院で働いていたなんて、知らなかった。
「母が助産師をしていたなんて知りませんでした」
「そうなの? 陽子さんは清葉病院をやめて東京のほうに行ったというのは聞いていたけれど、私はてっきり東京で助産師を続けているのかと思っていたわ」
「東京では一般企業の事務職に就いていました。仕事の内容とかはあんまり聞いたことがないのですが、総務とか経理とかそういう類の仕事だと思います。だから助産師をしていたというのは驚きです」
母から一度も、助産師をしていたという話を聞いたことがなかった私は、今まで自分の中で作り上げていた“母親像”が崩れ去るのを感じていた。
「そうだったのね。陽子さんも苦労したでしょうね。二十五年前、あんなことが起きてしまって……」
「あんなことって、もしかして流産のことですか?」
私が訊くと、石川さんは「ええ」と言いながらも驚いている様子だった。
「陽子さんはたしか、授かりにくい体質だったのよ。それで、旦那さんといろいろ試して妊活していたみたいで。その先で授かった子だったから、さぞ悲しかったでしょうね……。あなたのお兄さんかお姉さんにあたる子ね。流産のこと、お母さんに聞いていたの?」
「い、いえ。そうではなくて」
“あなたのお兄さんかお姉さんにあたる子”と彼女が言ったとき、心臓がとくんと鳴った。
そうか。このひとは私の年齢を知らない。だから母が二十五年前に流産した赤ちゃんと私の年齢の違和感を知らないのだ。
「拾ったカルテに書いてあったんです。『流産』っていう言葉が。でもおかしいんです。私、今二十五歳なんですよ。そのカルテに書かれた妊娠週数と日付を調べたら、出産予定日がちょうど私の誕生日――二〇〇〇年六月九日と一致していました。しかも母は私に、『みよ子は予定日ぴったりに生まれてきてくれた』って教えてくれたことがあるんです。だから私の生年月日に間違いはありません。でもだとしたら――母が流産したというのは、事実じゃないことになりませんか?」
今まで静かに話を聞いてくれていた石川さんの瞳が、激しく揺らいだ。
「そんな……ありえないわ。流産したのは間違いない。事実じゃないなんてことはありえない。だって、陽子さんを診ていたのは私なのよ? 同僚だし、彼女が妊娠していたのも確実で、流産したかどうかを間違えるはずがない」
早口でまくし立てるようにして話し出す。その話し方が、何かを隠しているように思えて少しの疑念が生まれる。
「じゃあ、カルテのほうが間違いだったのでは? 記入ミスで日付や週数を間違ってしまったとか。そもそもこのカルテ自体、偽物ではないでしょうか?」
鞄の中から件のカルテを取り出して見せる。石川さんは震えながらカルテを受け取り、一枚ずつ中身に目を通していった。
「このカルテは確かに本物よ。私がこの手で記入した。間違いなんかじゃない。偽物ではないわ」
私たち二人の間に、どこか肌寒い風が吹いたような気がしてはっとする。
室内なのだから、風が吹くはずがないのに。
石川さんの額に汗が浮かんでいる。自分の額も同じように濡れていることに、この時気づかなかった。
11
あなたにおすすめの小説
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください
意味がわかると怖い話
邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き
基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。
※完結としますが、追加次第随時更新※
YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*)
お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕
https://youtube.com/@yuachanRio
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2026/1/3:『おかのうえからみるけしき』の章を追加。2026/1/10の朝8時頃より公開開始予定。
2026/1/2:『そうしき』の章を追加。2026/1/9の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/1:『いえい』の章を追加。2026/1/8の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/31:『たこあげ』の章を追加。2026/1/7の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/30:『ねんがじょう』の章を追加。2026/1/6の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/29:『ふるいゆうじん』の章を追加。2026/1/5の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/28:『ふゆやすみ』の章を追加。2026/1/4の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
視える私と視えない君と
赤羽こうじ
ホラー
前作の海の家の事件から数週間後、叶は自室で引越しの準備を進めていた。
「そろそろ連絡ぐらいしないとな」
そう思い、仕事の依頼を受けていた陸奥方志保に連絡を入れる。
「少しは落ち着いたんで」
そう言って叶は斗弥陀《とみだ》グループが買ったいわく付きの廃病院の調査を引き受ける事となった。
しかし「俺達も同行させてもらうから」そう言って叶の調査に斗弥陀の御曹司達も加わり、廃病院の調査は肝試しのような様相を呈してくる。
廃病院の怪異を軽く考える御曹司達に頭を抱える叶だったが、廃病院の怪異は容赦なくその牙を剥く。
一方、恋人である叶から連絡が途絶えた幸太はいても立ってもいられなくなり廃病院のある京都へと向かった。
そこで幸太は陸奥方志穂と出会い、共に叶の捜索に向かう事となる。
やがて叶や幸太達は斗弥陀家で渦巻く不可解な事件へと巻き込まれていく。
前作、『夏の日の出会いと別れ』より今回は美しき霊能者、鬼龍叶を主人公に迎えた作品です。
もちろん前作未読でもお楽しみ頂けます。
※この作品は他にエブリスタ、小説家になろう、でも公開しています。
百の話を語り終えたなら
コテット
ホラー
「百の怪談を語り終えると、なにが起こるか——ご存じですか?」
これは、ある町に住む“記録係”が集め続けた百の怪談をめぐる物語。
誰もが語りたがらない話。語った者が姿を消した話。語られていないはずの話。
日常の隙間に、確かに存在した恐怖が静かに記録されていく。
そして百話目の夜、最後の“語り手”の正体が暴かれるとき——
あなたは、もう後戻りできない。
■1話完結の百物語形式
■じわじわ滲む怪異と、ラストで背筋が凍るオチ
■後半から“語られていない怪談”が増えはじめる違和感
最後の一話を読んだとき、
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる