厄介払いされてしまいました

たくわん

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馬車が城門をくぐると、石畳の音が響いた。エリアーナは窓から顔を出し、グレンフォード城の中庭を見渡した。

広い中庭だったが、手入れは行き届いていなかった。雑草が石畳の隙間から生え、噴水は水が枯れている。建物自体は立派だが、壁の一部が剥がれ落ち、窓ガラスにはひびが入っているものもあった。

馬車が止まり、ジョルジュが扉を開けてくれた。

「お嬢様、到着いたしました」

「ありがとう、ジョルジュ」

エリアーナは深呼吸をして、馬車を降りた。三週間の旅で体は疲れていたが、背筋を伸ばし、凛とした姿勢を保った。どんな相手が待っていようと、侯爵家の令嬢としての誇りは失わない。

城の正面玄関から、老齢の男性が現れた。黒い執事服を着て、白髪を綺麗に整えている。背筋はまっすぐで、歩き方にも品があった。

「エリアーナ様、ようこそグレンフォード城へ。長旅、お疲れ様でございました」

男性は深々と一礼した。

「私は執事のセバスチャンと申します。この城の全てを取り仕切っております」

「よろしくお願いします、セバスチャン」

エリアーナも丁寧に一礼した。セバスチャンは彼女の礼儀正しさに満足そうに頷いたが、その表情には何か複雑なものが混じっていた。

「あの、エリアーナ様」

セバスチャンは言いにくそうに言葉を選んだ。

「一つ、お話ししておかねばならないことがございます」

「何でしょうか」

エリアーナの胸に、不安が広がった。まさか、結婚を断られるのだろうか。いや、契約書はすでに交わされているはずだ。

その時、城の中から足音が聞こえた。

扉が開き、一人の男性が現れた。

エリアーナは思わず息を呑んだ。

背が高く、引き締まった体つき。黒い髪は短く整えられ、深い緑の瞳は知性と意志の強さを感じさせる。年齢は二十代後半だろうか。軍服を着ており、剣を腰に下げていた。凛とした雰囲気を纏い、まるで戦場から帰ってきたばかりのような鋭さがあった。

この人が、六十過ぎの老伯爵?

エリアーナの頭が混乱する。

男性はエリアーナに近づき、穏やかな声で言った。

「あなたが、エリアーナ・フォンティーヌ嬢ですね。長旅、お疲れ様でした」

「は、はい」

「僕は、グレンフォード伯爵、ルーカス・グレンフォードです」

伯爵?この若い男性が?

エリアーナの表情に驚きが浮かぶのを見て、ルーカスは苦笑した。

「驚かれるのも無理はありません。セバスチャン、説明してもらえるか」

「はい」

セバスチャンが咳払いをして、丁寧に説明を始めた。

「実は、先代のグレンフォード伯爵、ルーカス様のお父様は、二年前に亡くなられました。ルーカス様が爵位を継がれ、現在の当主でいらっしゃいます」

「二年前...」

エリアーナは呟いた。では、なぜ父は老伯爵に嫁ぐと言ったのか。

セバスチャンは続けた。

「辺境と王都の情報伝達には、どうしても時間がかかります。先代が亡くなったこと、ルーカス様が爵位を継がれたことは、きちんと王都に報告いたしました。しかし、フォンティーヌ侯爵家には、古い情報が残っていたようで」

つまり、手違いだったのだ。

エリアーナは老伯爵に嫁ぐつもりだった。跡継ぎを産むために、若い妻を求める老人のもとへ。それが自分の運命だと覚悟していた。

しかし実際には、若い伯爵のもとに来てしまった。

ルーカスが額に手を当てた。

「これは、困りましたね」

彼は真剣な表情でエリアーナを見つめた。

「すでに結婚の契約書は、あなたのお父様と先代の間で交わされています。法的には、その契約は僕が継承しており、形式上、僕たちは夫婦ということになります」

エリアーナは言葉を失った。

夫婦。この若い男性と、自分が。

「しかし」

ルーカスは優しい声で続けた。

「この状況は、あなたにとって不本意だろうと思います。老伯爵に嫁ぐつもりで来たのに、若い伯爵がいた。戸惑うのは当然です」

彼は一歩近づき、エリアーナの目をまっすぐに見た。

「エリアーナ。もしあなたが望むなら、形だけの夫婦として過ごすこともできます。別々の部屋で、互いに干渉せず。あなたが望めば、いずれ別の縁談を探すこともできるでしょう」

その優しい提案に、エリアーナは驚いた。

彼は、彼女の気持ちを考えてくれている。

フォンティーヌ家では、誰も彼女の気持ちなど考えたことがなかった。父は一方的に結婚を決め、母は文句を言い、姉は嘲笑った。

でも、この人は違う。

エリアーナは勇気を出して尋ねた。

「あなたは、この結婚をどうお考えですか」

ルーカスは少し考えてから、正直に答えた。

「正直に言えば、困惑しています」

彼は窓の外、荒れた中庭を見た。

「僕は結婚の予定はありませんでした。この領地の再建で手一杯で、妻を迎える余裕もないと思っていましたから。父が勝手に進めていた縁談のことは、亡くなった後に書類を整理していて初めて知りました」

「そうでしたか」

「でも」

ルーカスは再びエリアーナを見た。その緑の瞳には、誠実さが宿っていた。

「あなたを見て、悪い縁談ではないと思いました」

「え?」

「三週間も旅をして、疲れているだろうに、文句一つ言わず、僕やセバスチャンにも丁寧に接してくれている。ジョルジュから、旅の途中も一度も不平を言わなかったと聞きました。それは、良い人柄の証です」

エリアーナの胸が、温かくなった。

生まれて初めて、誰かに認めてもらえたような気がした。

「あなたはどうですか、エリアーナ」

ルーカスが尋ねた。

「僕との結婚を、受け入れられますか。それとも、形だけの関係にしますか」

エリアーナは深呼吸をした。

心臓が激しく鼓動している。でも、それは恐怖からではなかった。

「私は」

彼女はルーカスをまっすぐに見つめた。

「この結婚を、受け入れます」

ルーカスの目が、わずかに見開かれた。

「どうせ、王都に戻っても居場所はありません。私はあの家で、厄介者として扱われてきました。ここで、新しい人生を始められるなら、それは悪くないと思います」

エリアーナは続けた。

「それに」

「それに?」

「あなたは、私の気持ちを考えてくれました。私を一人の人間として扱ってくれました。それが、とても嬉しかったんです」

ルーカスの表情が、柔らかくなった。

「ありがとう、エリアーナ。あなたがそう言ってくれて、僕も安心しました」

彼は手を差し出した。

「これから、よろしく頼みます」

エリアーナはその手を取った。ルーカスの手は温かく、力強かった。

「こちらこそ、よろしくお願いします、ルーカス様」

セバスチャンが満足そうに頷いた。

「では、エリアーナ様のお部屋にご案内いたします。今日はゆっくりお休みください。明日から、城の案内をさせていただきます」

「ありがとうございます」

セバスチャンに導かれ、エリアーナは城の中へと入った。廊下は広いが、装飾は質素だった。絵画や彫刻もあるが、古く、手入れもされていない。

階段を上り、二階の部屋に案内された。

「こちらが、エリアーナ様のお部屋です」

扉を開けると、広い部屋が現れた。ベッド、机、椅子、クローゼット。家具は古いが、丁寧に掃除されている。窓からは、城下町と遠くの山々が見えた。

「お気に召しますでしょうか」

「ええ、とても素敵です」

エリアーナは本心から言った。侯爵家の豪華な部屋と比べれば質素だが、ここには温かみがあった。

「お荷物は、後ほどお持ちいたします。何かご入用のものがございましたら、遠慮なくお申し付けください」

「ありがとう、セバスチャン」

執事が去った後、エリアーナはベッドに腰を下ろした。

長い旅が、ようやく終わった。

窓を開けると、夕暮れの風が入ってきた。遠くで、鐘の音が鳴っている。城下町の人々が、一日の終わりを告げているのだろう。

エリアーナは深く息を吸った。

ここが、これから自分の暮らす場所。

老伯爵ではなく、若いルーカスと。

彼は優しかった。誠実だった。彼女の気持ちを考えてくれた。

もしかしたら、本当に幸せになれるかもしれない。

その時、扉がノックされた。

「エリアーナ様、お荷物をお持ちいたしました」

「どうぞ」

若い侍女が入ってきた。栗色の髪を三つ編みにした、愛らしい娘だった。

「初めまして、エリアーナ様。私はマリーと申します。これから、あなた様のお世話をさせていただきます」

「よろしくね、マリー」

マリーは荷物を置くと、にこりと笑った。

「エリアーナ様、お美しいですね。ルーカス様にお似合いです」

「あら、ありがとう」

エリアーナは少し照れた。美しいと言われたのは、生まれて初めてかもしれない。

「夕食は一時間後です。お疲れでしたら、お部屋にお持ちすることもできますが」

「いえ、食堂でいただきます」

「かしこまりました。では、後ほどお迎えに参ります」

マリーが去った後、エリアーナは荷物を開け始めた。わずかな服と、トマスがくれた薬草の種。それが、彼女の全財産だった。

薬草の種を手に取り、しばらく見つめた。

トマスの言葉が蘇る。「お嬢様の幸せを、わたくしは祈っております」

ありがとう、トマス。私は、ここで幸せを掴んでみせる。

エリアーナは種を大切に仕舞い、窓の外を見た。夕日が城下町を照らしている。

長い旅が終わり、新しい生活が始まる。

老伯爵ではなく、若いルーカスと。

彼は優しく、誠実で、彼女の気持ちを考えてくれた。

もしかしたら、本当に幸せになれるかもしれない。

その希望が、エリアーナの胸に小さく灯り始めていた。
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