虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん

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翌日の昼下がり。

応接室に通されたセラフィーナは、深紅のビロードのソファに座っていた。侍女たちが整えた髪は複雑に編み込まれ、真珠の飾りが散りばめられている。淡い青のドレスが病的なまでに白い肌を際立たせ、まるで氷の彫刻のような印象を与えていた。

「お嬢様、本当に大丈夫ですか?」

マリアが心配そうに囁く。今朝から、セラフィーナは何も食べていなかった。緊張で喉を通らないのだ。水を一口飲むのがやっとだった。

「大丈夫よ」

嘘だった。心臓は激しく鳴り、手のひらには汗が滲んでいる。レースの手袋をしているが、その下で指が震えている。

これから起こることを、セラフィーナは知っている。婚約破棄。冷たい言葉。新しい婚約者の紹介。ゲームで何度も見たシーン。

それでも、実際に体験することと知識として知っていることは、まったく違う。

心の準備をしていても、傷つかないわけではない。

扉が開く音。

「アレクシス・フォン・エルデンベルク様のお成りです」

執事の厳かな声が響き、セラフィーナは立ち上がろうとして――立てなかった。足に力が入らない。膝が笑っている。

マリアが慌てて肘を支える。

扉から入ってきたのは、絵画から抜け出したような美青年だった。

プラチナブロンドの髪が柔らかく波打ち、蒼穹の瞳は深く澄んでいる。整った顔立ちは彫刻のように完璧で、完璧な礼装に身を包んだ姿は、まさに乙女ゲームの王子様そのものだ。

だが、その表情は冷たかった。

氷のように冷たく、感情の読めない表情。セラフィーナを見る目には、同情も愛情も、何の感情も宿っていない。

「セラフィーナ嬢」
「アレクシス様……」

セラフィーナはどうにか声を絞り出した。喉が渇いて、声が掠れる。

二人の婚約は、両家の合意で幼い頃に決められたものだ。セラフィーナの記憶の中で、アレクシスと会ったのは数えるほどしかない。社交界に出られないセラフィーナと、多忙な公爵嫡男。二人の間に恋愛感情などなかった。

それでも。

それでも、セラフィーナは彼を婚約者として受け入れていた。いつか結婚し、妻として支えられればと、そう思っていた。淡い期待を抱いていた。

「本日は、重要なお話があって参りました」

アレクシスは単刀直入に切り出した。感情のない、事務的な声。まるで商談を行うかのような口調。

「我々の婚約について……解消させていただきたいのです」

言葉が胸に突き刺さる。

分かっていた。知っていた。それでも、実際に言われると、こんなにも痛い。

呼吸が苦しくなる。視界が僅かに歪む。だが、セラフィーナは必死に平静を保った。

「理由を……お聞かせ願えますか」
「貴女の体調のことです」

アレクシスは淡々と続けた。まるで天気の話でもするかのように。

「公爵家の嫡男として、私には跡継ぎを残す責務があります。しかし、貴女の虚弱な体質では、懐妊も出産も困難でしょう。王宮医師を含む複数の医師たちがそう診断しています」
「それは……」
「加えて、公爵夫人としての社交界での役割を果たすことも難しい。夜会への出席、慈善活動の主催、他国の賓客との交流。これらすべてが、公爵家にとって重要な責務です。しかし、貴女の体調では……」

アレクシスは言葉を切った。

「これは公爵家にとって、そして王国にとっても、重大な問題なのです」

一つ一つの言葉が、冷たいナイフのようにセラフィーナを切り刻む。

「もちろん、貴女を責めているわけではありません」

アレクシスは付け加えた。まるで慈悲深い言葉のように。だが、その目には何の感情もない。

「これは運命です。生まれつきの体質は、誰にも変えられません。しかし、私には公爵家を守る責務がある。ご理解いただけますね?」

セラフィーナは何も言えなかった。

反論しようとしても、言葉が出てこない。この身体の状態では、彼の言うことは正しいのだ。現状では、跡継ぎを産むことも、公爵夫人として振る舞うことも不可能だろう。

医学的にも、社会的にも、彼の判断は合理的だ。

それが、余計に辛かった。

「それでは、新しい婚約者をご紹介します」

アレクシスが手を挙げると、扉が再び開いた。

入ってきたのは、薔薇色のドレスに身を包んだ美しい女性。豊かな栗色の髪が艶やかに輝き、健康的に紅潮した頬、自信に満ちた笑顔。宝石のように輝く緑の瞳。

すべてが、病弱なセラフィーナとは正反対だった。

生命力に溢れ、華やかで、社交界の花形になれるような女性。

「エリーゼ・フォン・ハルテンベルク伯爵令嬢です」
「初めまして、セラフィーナ様」

エリーゼは優雅にカーテシーをした。その動きは完璧で、何年もの訓練の成果が見て取れる。

だが、その目には勝利の色が浮かんでいた。セラフィーナを見下すような、憐れむような視線。

「このたびはお気の毒ですわ。でも、アレクシス様のためには、これが最善なのですもの。お分かりいただけますわよね?」

言葉は丁寧だが、その奥に隠された嘲りをセラフィーナは感じ取った。「病弱な貴女には無理なこと」そう言外に伝えている。

「私は……」

何を言えばいい? 

抗議する? 懇願する? 泣き崩れる?

いや。

セラフィーナは深く息を吸った。

前世で、看護師として多くの患者と向き合ってきた。理不尽な病、避けられない死、そして人間の尊厳。

どんな状況でも、尊厳を失ってはいけない。それを、患者たちから学んだ。

ここで取り乱せば、それこそ「病弱で感情的な令嬢」として記憶されるだけだ。憐れみの対象として、笑い話の種として。

「分かりました」

セラフィーナは静かに言った。声は震えていたが、はっきりと。

「婚約解消、受け入れます」

アレクシスの目が僅かに見開かれた。おそらく、もっと激しい反応を予想していたのだろう。泣き叫ぶか、懇願するか。

「エリーゼ様、アレクシス様のことを……どうぞよろしくお願いいたします」

セラフィーナは、できる限りの優雅さでカーテシーをした。足が震えていたが、マリアが支えてくれた。

「アレクシス様のお幸せを、心からお祈りしております」
「まあ、お優しいこと」

エリーゼは甘い声で笑った。だが、その笑顔には満足げな色が浮かんでいる。

「では、これで」

アレクシスは一礼し、エリーゼと共に部屋を出ていった。

扉が閉まる。

静寂。

そして――

「お嬢様!」

マリアが慌ててセラフィーナを支えた。膝から力が抜け、崩れ落ちそうになる。

「大丈夫……大丈夫よ……」

涙は出なかった。

ただ、胸の奥に冷たい何かが沈んでいく感覚だけがあった。

それは悲しみでも怒りでもなく、ただ――虚無。

窓の外では、春の陽光が変わらず降り注いでいる。鳥たちは囀り、花々は咲き誇っている。

世界は何も変わらない。

変わったのは、セラフィーナの人生だけ。

だが、同時に――

「これで、自由になったのね」

セラフィーナは呟いた。

「え?」

マリアが驚いて顔を上げる。

「もう、病弱な公爵夫人候補である必要はない。もう、無理に社交界に出る必要もない」

セラフィーナは窓の外を見つめた。

「私は、私のために生きられる」

その言葉には、小さな、しかし確かな希望が込められていた。
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