虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん

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数日後の朝。

セラフィーナは薬草園で、泥だらけになっていた。

淡い緑のドレスの裾は土で汚れ、手袋をした手には土が付いている。額には汗が滲み、頬には健康的な紅みが――いや、それは労働による火照りだった。

「お嬢様、お手が……」

マリアが心配そうに声をかけるが、セラフィーナは構わず雑草を引き抜いている。

「大丈夫よ。これくらい」

実際、手袋はしているし、適度に休憩も取っている。前世の看護師経験から、自分の身体の限界は理解していた。

無理をすれば倒れる。だが、適度な運動は健康増進に繋がる。そして、何より――身体を動かすことが、心を前向きにしてくれる。

「トマスさん、この植物は何ですか?」

セラフィーナは、青い小さな花を咲かせている草を指差した。星形の可愛らしい花。

老庭師は目を細めて見る。

「ああ、それはボリジ。古くは憂いを忘れさせるハーブとして……」
「鎮静作用があるのですね」

前世の知識と、トマスの経験が結びつく。ボリジは確かに、気分を落ち着かせる効果があるハーブだ。

二人は薬草園を一つ一つ調べていった。

そして、セラフィーナは驚くべきことに気づいた。

この荒れ果てた庭に、驚くほど貴重な薬草が残っている。まるで、誰かが意図的に植えたかのように――いや、実際に母がそうしたのだ。

「トマスさん、これは……バレリアン?」
「左様です。不眠に効く根を持つ……」
「こっちはエキナセア。免疫力を高める……」

セラフィーナの声が震えた。これらの薬草の価値を、前世の知識で理解していたから。

「これらの薬草、現在の市場でも需要があるはずです」

バレリアンは睡眠薬の原料として。エキナセアは風邪予防として。セントジョーンズワートは気分を整えるハーブとして。

前世の日本でも、ヨーロッパから輸入されたハーブサプリメントとして人気があった。健康志向の人々が、薬ではなく自然の力を求めて使っていた。

「お嬢様、まさか……」

マリアが何かに気づいた。

「ええ。これらの薬草を、適切に栽培して販売すれば……」

侯爵家の新しい収入源になる。そして何より、セラフィーナ自身が、これらの薬草を使って健康を取り戻せる。

「でも、お嬢様。薬草の栽培と調合には、高度な知識が必要です」

トマスが心配そうに言う。素人が適当に薬草を扱えば、逆効果になることもある。

「私には、母から――いえ、母の日記から学んだ知識があります」

セラフィーナは、父から受け取った日記を胸に抱いていた。

「この日記には、薬草の栽培方法や調合法が詳しく書かれています。そして……」

彼女は前世の医学知識を思い出す。

「私なりに、研究してみたいのです」

トマスの目が輝いた。

「それは素晴らしい。先代の奥方様も、きっとお喜びになるでしょう」

老庭師は、温室の方を指差した。

「あちらに、奥方様が使っていた作業場があります。少し荒れていますが、掃除すれば使えるはずです」

セラフィーナは、トマスと共に温室へ向かった。割れたガラスを注意深く避けながら中に入ると――

そこには、小さな作業台と棚があった。棚には、色とりどりのガラス瓶が並んでいる。中には乾燥した薬草が残っているものも。

作業台の上には、古いノートが置かれていた。母の実験記録だ。

「これは……」

セラフィーナはノートを開いた。丁寧な文字で、薬草の調合実験が記録されている。

『バレリアン3、カモミール2、ラベンダー1の配合で、不眠症の改善が見られた』

『エキナセアとセージの組み合わせは、風邪の初期症状に効果的』

母は、科学者のように詳細な記録を残していた。それぞれの薬草の量、効果、副作用。まるで、前世の病院で見た臨床試験の記録のようだ。

「お母様は……素晴らしい方だったのですね」

セラフィーナは、会ったこともない母に対する尊敬の念を抱いた。

この世界で、科学的な方法論を持っていた女性。きっと、セラフィーナと同じように、前世の記憶を持っていたのではないか――

いや、それは分からない。ただ、聡明で、探究心のある女性だったのだろう。

「さあ、まずはこの温室を修理しましょう」

セラフィーナは袖をまくった。

「ガラスを新しくして、作業台を清掃して、薬草を整理して……やることはたくさんあるわ」

マリアとトマスは顔を見合わせ、そして笑った。

令嬢の目には、生命力が宿っていた。婚約破棄で絶望していた少女の姿はもうない。

その日の午後。

セラフィーナは、初めて収穫した薬草で簡単な薬草茶を作った。

母のノートに従って、バレリアンとカモミールとラベンダーを調合。熱湯で淹れると、優しい香りが立ち上る。

「マリア、これを飲んでみて」
「え、私がですか?」
「ええ。不眠に悩んでいるって言っていたでしょう?」

マリアは恐る恐るカップを受け取り、一口飲んだ。

「……美味しいですわ。優しい味」

その夜、マリアはぐっすり眠れたという。

翌朝、興奮した様子でセラフィーナの部屋を訪れた。

「お嬢様! 本当に効きました! 久しぶりに朝まで眠れたんです!」
「それは良かったわ」

セラフィーナは微笑んだ。小さな成功。だが、確かな一歩。

数日後、マリアが他の使用人たちにも薬草茶を配った。すると――

「頭痛が治まりました!」
「肩こりが楽になりました!」
「お通じが良くなりました!」

屋敷中で評判になった。

そして、その噂は――

「ヴァレンシュタイン侯爵家で、素晴らしい薬草茶を作っているらしい」

屋敷の外へと広がり始めた。

ある日の午後。

セラフィーナが温室で作業していると、侍女が慌てて駆けてきた。

「お嬢様、お客様です」
「お客様?」
「社交界の……マルグリット夫人が」

セラフィーナの表情が曇った。

マルグリット夫人は、社交界の有力者だ。五十代の貴婦人で、社交界の噂を広める中心人物。婚約破棄の件で、おそらく興味本位で訪ねてきたのだろう。

「行かなければならないわね」
「でも、お嬢様……その格好では……」

確かに、泥だらけのドレス、土で汚れた手、額の汗。とても客人を迎える状態ではない。

「急いで着替えます。マリア、手伝って」

三十分後。

応接室で、セラフィーナは完璧に身繕いを整えて座っていた。薄紫のドレスに身を包み、髪は優雅にまとめられている。

向かいには、豪奢なドレスに身を包んだ五十代の婦人。マルグリット夫人は、鋭い目でセラフィーナを観察している。

「まあ、意外と元気そうね」

開口一番、そう言った。遠慮のない物言い。

「噂では、婚約破棄でショックのあまり寝込んでいるとか」
「噂は誇張されるものですわ」

セラフィーナは穏やかに答えた。動じない態度。

「確かにショックでしたが、人生は続きますもの」
「ほう……」

夫人は興味深そうにセラフィーナを見つめた。

「随分と大人びた考え方ね。十七歳とは思えないわ」
「苦難は人を成長させます」
「……そうね」

夫人は紅茶を一口飲み、そして言った。

「実は、お願いがあって来たの」
「お願い?」
「ええ。私、最近不眠に悩まされていて。王宮医師の薬は効果がないし、副作用で朝起きられない」

夫人は溜息をついた。目の下には隈があり、確かに疲れているように見える。

「噂で聞いたの。ヴァレンシュタイン家には、かつて素晴らしい薬草園があったと。そして、お嬢様が薬草茶を作っていると」

セラフィーナの心臓が高鳴った。これはチャンス。社交界の有力者に認められれば――

「夫人、少しお待ちください。私に良い考えがあります」

彼女は侍女を呼び、トマスに伝言を頼んだ。

十分後。

マリアが、小さな布袋を持ってきた。薄紫のリボンで結ばれた、上品な袋。

「夫人、これを」

セラフィーナは袋から乾燥させたハーブを取り出した。淡い紫と白の花びらが混ざっている。

「バレリアンとカモミール、少量のラベンダーを調合したものです。就寝前に熱湯で淹れてお飲みください。五分ほど蒸らすと、より効果的です」
「これが?」
「まずは一週間お試しください。効果がなければ、代金は不要です」

夫人は半信半疑で袋を受け取った。香りを嗅ぐと、優しい花の香り。

「ありがとう。では、試してみるわ」

それから一週間後。

マルグリット夫人から、興奮した手紙が届いた。

『素晴らしい! あの薬草茶のおかげで、久しぶりにぐっすり眠れました。朝も爽やかに目覚められます。もっと譲っていただけませんか? そして、友人にも紹介したいのですが』

セラフィーナは手紙を読み、静かに微笑んだ。

窓の外では、薬草園で働くトマスの姿が見える。マリアは新しいガラスの発注をしている。

新しい人生が、確実に動き始めていた。

婚約破棄は、終わりではなかった。

それは、始まりだったのだ。
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