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「地味すぎる」と婚約破棄された図書館司書は公爵に見初められる
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王都の中心部に建つ王立図書館は、数百年の歴史を誇る荘厳な建物だった。その最奥の書庫で、カタリナ・ロレンツは古文書の整理に没頭していた。
栗色の髪を後ろで簡素にまとめ、地味な茶色のドレスに身を包んだ彼女は、今年で二十四歳になる。伯爵家の三女として生まれたものの、華やかな社交界よりも書物に囲まれた静かな時間を愛してきた。
「カタリナ様、お客様がいらっしゃっています」
若い見習い司書の声に、カタリナは古文書から目を上げた。
「どなたですか?」
「エドワード・ハートレー様です。応接室でお待ちです」
カタリナの胸が、嫌な予感でざわついた。エドワードは彼女の婚約者——正確には、形式的にはまだ婚約者である子爵家の三男だった。
応接室に入ると、金髪を丁寧に整えたエドワードが立っていた。整った顔立ちだが、どこか軽薄な印象を与える男だ。
「やあ、カタリナ。相変わらず地味な格好だね」
挨拶代わりの言葉に、カタリナは小さくため息をついた。
「それで、ご用件は?わざわざ図書館まで来るなんて珍しいですね」
「単刀直入に言おう。婚約を解消したい」
予想していた言葉とはいえ、実際に口にされると胸が痛んだ。だが、カタリナは冷静に答えた。
「理由をお聞かせいただけますか?」
「君は良い人だよ、カタリナ。でも、あまりにも地味すぎる。社交の場でも隅にいるし、ドレスも宝飾品も興味がない。僕にはもっと華やかで、社交界で輝くような女性が必要なんだ」
エドワードは申し訳なさそうな表情を作ったが、その目には明確な決意があった。
「実は、先月のパーティーで素晴らしい女性と出会ってね。バロネス・クララ・ヴィヴィアンというんだが、彼女は本当に美しくて、社交的で、僕の理想そのものなんだ」
「それで、私との婚約が邪魔になったと」
「そういうことだ。もちろん、君の名誉は傷つけないよう配慮する。婚約解消の理由は『性格の不一致』ということで、双方合意の上、ということにしよう」
カタリナは静かに微笑んだ。
「わかりました。私も異存ありません」
エドワードは明らかにほっとした表情を浮かべた。
「そうか、わかってくれて助かる。君なら理解してくれると思っていたよ」
「ただし、一つだけ条件があります」
「条件?」
「婚約解消の書類には、『カタリナ・ロレンツからの申し出による婚約解消』と記載してください。そして、解消の際に用意していただく慰謝料は不要です」
エドワードは目を丸くした。
「それは君にとって不利じゃないか?世間からは君が振られたと思われるぞ」
「構いません。それが私の条件です」
実のところ、カタリナには考えがあった。エドワードからの申し出で婚約解消となれば、確かに体裁は良い。だが、それでは彼に恩を着せられることになる。自分から身を引いた形にすれば、完全に自由になれる。世間体など、もうどうでもよかった。
「わかった。それで構わないなら、そうしよう」
エドワードは満足そうに頷き、応接室を後にした。
一人残されたカタリナは、窓の外を眺めた。王都の街並みが、いつもと変わらず広がっている。
婚約していた三年間、エドワードとの会話で心が弾んだことは一度もなかった。彼は書物の話をしても退屈そうにするし、カタリナの仕事に理解を示すこともなかった。社交の場に連れて行かれても、「もっと笑顔を作れ」「もっと華やかに振る舞え」と注文ばかりだった。
むしろ、これで良かったのかもしれない。
そう思おうとしたが、胸の奥に残る寂しさは消えなかった。自分は本当に、誰かに愛される価値のない人間なのだろうか。
翌日、王立図書館の館長室に呼び出されたカタリナは、初老の館長・ベルンハルト卿の前に立っていた。
「カタリナ君、実は君に重要な話がある」
「はい、何でしょうか」
「王国は今、新しい教育改革を進めている。その一環として、王立大学が新設されることになったのだ」
カタリナは驚いた。王立大学——それは長年、学者たちが望んでいた機関だった。これまで王国には、貴族の子弟が通う士官学校や神学校はあったが、純粋な学問のための大学は存在しなかった。
「その大学に併設される図書館の館長として、君を推薦したい」
「私が、ですか?」
「そうだ。君の知識、整理能力、そして古文書の扱いにおける専門性は、この図書館でも随一だ。新しい図書館には、若く有能な人材が必要だ。君以上の適任者はいない」
カタリナの心臓が高鳴った。婚約破棄で落ち込んでいた心に、新しい光が差し込んできた。
「光栄です。ぜひ、お引き受けさせていただきます」
「よろしい。ただし、大学の設立準備委員会との調整があるから、正式な辞令が出るまでは内密に頼む」
「承知いたしました」
館長室を出たカタリナは、久しぶりに心からの笑顔を浮かべていた。新しい人生が、自分を待っている。エドワードとの婚約が終わったことは、もしかしたら祝福だったのかもしれない。
栗色の髪を後ろで簡素にまとめ、地味な茶色のドレスに身を包んだ彼女は、今年で二十四歳になる。伯爵家の三女として生まれたものの、華やかな社交界よりも書物に囲まれた静かな時間を愛してきた。
「カタリナ様、お客様がいらっしゃっています」
若い見習い司書の声に、カタリナは古文書から目を上げた。
「どなたですか?」
「エドワード・ハートレー様です。応接室でお待ちです」
カタリナの胸が、嫌な予感でざわついた。エドワードは彼女の婚約者——正確には、形式的にはまだ婚約者である子爵家の三男だった。
応接室に入ると、金髪を丁寧に整えたエドワードが立っていた。整った顔立ちだが、どこか軽薄な印象を与える男だ。
「やあ、カタリナ。相変わらず地味な格好だね」
挨拶代わりの言葉に、カタリナは小さくため息をついた。
「それで、ご用件は?わざわざ図書館まで来るなんて珍しいですね」
「単刀直入に言おう。婚約を解消したい」
予想していた言葉とはいえ、実際に口にされると胸が痛んだ。だが、カタリナは冷静に答えた。
「理由をお聞かせいただけますか?」
「君は良い人だよ、カタリナ。でも、あまりにも地味すぎる。社交の場でも隅にいるし、ドレスも宝飾品も興味がない。僕にはもっと華やかで、社交界で輝くような女性が必要なんだ」
エドワードは申し訳なさそうな表情を作ったが、その目には明確な決意があった。
「実は、先月のパーティーで素晴らしい女性と出会ってね。バロネス・クララ・ヴィヴィアンというんだが、彼女は本当に美しくて、社交的で、僕の理想そのものなんだ」
「それで、私との婚約が邪魔になったと」
「そういうことだ。もちろん、君の名誉は傷つけないよう配慮する。婚約解消の理由は『性格の不一致』ということで、双方合意の上、ということにしよう」
カタリナは静かに微笑んだ。
「わかりました。私も異存ありません」
エドワードは明らかにほっとした表情を浮かべた。
「そうか、わかってくれて助かる。君なら理解してくれると思っていたよ」
「ただし、一つだけ条件があります」
「条件?」
「婚約解消の書類には、『カタリナ・ロレンツからの申し出による婚約解消』と記載してください。そして、解消の際に用意していただく慰謝料は不要です」
エドワードは目を丸くした。
「それは君にとって不利じゃないか?世間からは君が振られたと思われるぞ」
「構いません。それが私の条件です」
実のところ、カタリナには考えがあった。エドワードからの申し出で婚約解消となれば、確かに体裁は良い。だが、それでは彼に恩を着せられることになる。自分から身を引いた形にすれば、完全に自由になれる。世間体など、もうどうでもよかった。
「わかった。それで構わないなら、そうしよう」
エドワードは満足そうに頷き、応接室を後にした。
一人残されたカタリナは、窓の外を眺めた。王都の街並みが、いつもと変わらず広がっている。
婚約していた三年間、エドワードとの会話で心が弾んだことは一度もなかった。彼は書物の話をしても退屈そうにするし、カタリナの仕事に理解を示すこともなかった。社交の場に連れて行かれても、「もっと笑顔を作れ」「もっと華やかに振る舞え」と注文ばかりだった。
むしろ、これで良かったのかもしれない。
そう思おうとしたが、胸の奥に残る寂しさは消えなかった。自分は本当に、誰かに愛される価値のない人間なのだろうか。
翌日、王立図書館の館長室に呼び出されたカタリナは、初老の館長・ベルンハルト卿の前に立っていた。
「カタリナ君、実は君に重要な話がある」
「はい、何でしょうか」
「王国は今、新しい教育改革を進めている。その一環として、王立大学が新設されることになったのだ」
カタリナは驚いた。王立大学——それは長年、学者たちが望んでいた機関だった。これまで王国には、貴族の子弟が通う士官学校や神学校はあったが、純粋な学問のための大学は存在しなかった。
「その大学に併設される図書館の館長として、君を推薦したい」
「私が、ですか?」
「そうだ。君の知識、整理能力、そして古文書の扱いにおける専門性は、この図書館でも随一だ。新しい図書館には、若く有能な人材が必要だ。君以上の適任者はいない」
カタリナの心臓が高鳴った。婚約破棄で落ち込んでいた心に、新しい光が差し込んできた。
「光栄です。ぜひ、お引き受けさせていただきます」
「よろしい。ただし、大学の設立準備委員会との調整があるから、正式な辞令が出るまでは内密に頼む」
「承知いたしました」
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