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絵本と少女と受付嬢と
おまけ
しおりを挟む窓の外の景色をぼーっと眺めながら、私は子供の頃の事を思い出していた。少し前まで岩みたいに重かった体も、今は少し落ち着いている。
シルヴィアとの旅が終わってから数ヶ月後、母は静かに息を引き取った。突然の事などではなく、幼心でもなんとなく察していたので心構えはある程度していた。
だから母の笑顔が見れなくなっても、泣く事はあまり無いと思い込んでいた。実際、葬儀の時も泣いていた父の隣でぐっと我慢していたし、何より母に泣いた顔を見せたくなかった。
でも数日後にギルドに行ってシルヴィアに報告した時、彼女は私の頭をそっと撫でてくれた。そしたら緊張の糸があっさりと切れたのか、騒がしいギルドの隅で声を上げて泣いてしまった。シルヴィアは周りの人にあまり見られないよう、私をそっと抱きしめてくれたが、それも相まって沢山泣いた。そのせいで、彼女の制服を濡らしてしまったが、彼女は何も言わず私が泣き止むまで抱きしめ続けてくれた。
それ以来、私はたびたびシルヴィアのいる受付を訪れるようになった。1人で寝る前に絵本を読み返して寂しくなった次の日、学院で賞を貰った日の帰りなど、事あるごとに理由をつけて彼女を訪ねた。
正直、自分でも通いすぎて我ながらしつこいかと思ったが、彼女は嫌な顔せずむしろ小さく笑って私を迎えてくれた。周りからすれば無表情に見えたかもしれないが、彼女と旅をした私ならわかる。あれは絶対に笑っていた。
「最後に会ったのはいつだったっけ…」
子供の頃は何度も彼女の所へ行ったが、それもここ数年で減ってきていた。それは決して飽きたとかそういう理由ではなく、単に私の生活が忙しくなったからだ。
人間歳をとれば、自分のためだけではない時間も増えてくる。それは貴族同士の付き合いだったり、友人とのお茶会など様々だが、1番の理由はー
「お母さん!」
「あら、どうしたの?」
「絵本読んでー!」
ドタドタと足音がしたと思ったら、絵本を持った少女が部屋に突撃してきた。
今年で8歳になる娘は、暇さえあれば私の後をついて回る。子供の頃は全くわからなかったが、母親という立場になると改めて親としての日々の大変さを身をもって感じる。
妊娠や出産は当然で、赤子の夜泣きなども睡眠不足につながるし、駄々をこねて泣く子を説得するなど全てが大変だった。ただ不思議なのは、それらが全く嫌では無いと言う事。それはきっと自分の子だからだとか、可愛いからというのも理由のうちかもしれないが、1番の理由はこの平和な日々が心から幸せと思える事かもしれない。
娘がいてくれる、それ以上に望む事などなかった。…こんな事を言ったら、夫は拗ねてしまうかもしれないが許してほしい。あなたの事は愛しているし、夕飯にハンバーグのリクエストもしておくわ。
「お母さん…?」
「あ、ごめんね。ってまたこれなの?他にも沢山描いてあげたじゃない」
「これがいいの!」
もう何度読んだかわからない絵本を受け取ったが、ある事を思い出して読むのをやめた。そろそろ来客の時間のはずだ。
「ごめんね、サチ。今からお客様が来るから、絵本の時間はまた今度ね」
「えー!せっかくお母さんと遊べると思ったのに…。そんなに大事なお客様なの?」
「そうよ。私にじゃなくて、サチのお客様よ」
「私…?」
そんな話をしていると、件のお客様が来たのかメイドが顔をのぞかせる。
「奥様、お客様がいらっしゃいました」
「えぇ。今行くわ」
少し気分が高まって足が速くなるが、ここは焦らずゆっくりと歩く。転んだりでもしたら大変だ。
娘の手を繋いで一回の応接室に行けば、お客様でもある彼女は見慣れた無表情で座っていた。整った顔立ちに舞台女優顔負けのスタイル、同性でも嫉妬を通り越して見惚れてしまう。
「シルヴィア!久しぶり!」
「お久しぶりです」
毎度の事ながら抱きつこうとするが、真顔で顔を押し返され拒否される。昔はいくらでもさせてくれたのに、いつからか、『もう大人ですから』と拒まれるようになってしまった。女の子同士のハグは軽いスキンシップだというのに。
「ルーシー様、特別依頼で間違い無いですか?」
「ルーシーでいいって言ったじゃない。私とシルヴィアの仲でしょ?」
「…わかりました。それで、詳しい依頼内容を教えて頂けますか?」
久しぶりの再会だというのに、シルヴィアは平常運転だった。少し不満だが、私は依頼の説明を始める。
「依頼は…この子の護衛をして欲しいの」
「この子、とはお嬢様の事でしょうか?」
「そうよ。この子と一緒に、ある所に行ってきてくるかしら?」
「わかりました」
娘はシルヴィアに会うのが初めてだからか、私の後ろでお客様をこっそり見ていた。きっとこの銀髪の女性が危険な人なのか査定でもしているのだろう。昔の私みたいに。
「場所はファーブラの森よ。覚えてる?」
もう随分前の事なので少し心配だったが、シルヴィアはこくりと頷いた。
「はい。忘れる事などありません」
「ふふっ、良かった」
「お母さん…」
安心したのも束の間、隣から不安たっぷりの声がした。見れば、娘は表情の変わらないシルヴィアが怖いのか、私の服をぎゅっと掴んでいる。なんだが見た事があるような光景で可笑しくなるが、私はそっと娘の頭を撫でた。
「大丈夫よ、シルヴィアは悪い人じゃないから。むしろ絵本の妖精さんみたいな、凄い人なのよ」
「そうなの…?」
「いえ、私は人間です」
「例えの話よ。でも安心して、サチにもきっと凄い景色を見せてくれるはずだから」
勝手にハードルを上げたせいか、シルヴィアの方から不服なオーラが出ているが、気づかないふりをしておく。ハグを断った軽い仕返しのようなものだ。
一方で私の言葉に少し安堵したのか、サチは私の後ろに隠れながらも小さな声を出した。
「よ、妖精さん…よろしくお願いします」
「…わかりました」
シルヴィアは諦めたのか頷くと、鞄と一緒に持ってきていた袋を私に差し出してきた。
「何これ?」
「お祝いです。ご懐妊なさったと、風の噂で聞きました」
「わぁ…ありがとう!」
「いえ、おめでとうございます」
まだ言ってなかったのに突然のお祝いをされ、私はその場で舞い上がりそうだった。本人はサプライズのつもりなど微塵ないのかもしれないが。
私は受け取ったお祝いを片手に、娘に準備をするよう促した。ちなみにお祝いは、赤ちゃん用の高級タオルだった。中々に選ぶセンスが良い。
「さぁ、もうすぐお出かけの時間よ。準備なさい」
「うん…」
「ごめんね。お母さんも一緒に行きたいけど、今は激しい運動とか出来ないの。だからお腹の子が産まれたら、その時はお父さんにも声をかけて4人で行きましょ?あ、もちろんシルヴィアも一緒よ?」
「…約束?」
「うん、絶対ね」
娘は少し泣きそうになりながらも、準備に取り掛かった。今は不安で一杯なのかもしれないが、きっと帰ってくる頃にはその顔にいつもの笑顔が浮かんだいる事だろう。
私も行きたくて少し嫉妬してしまうが、今回だけはお預けだ。こうして我慢出来るのも、今度ギルドに行けば彼女が受付にいるという安心感があるからだろうか。
「シルヴィア、今回は行けないけど次はまた一緒に行ってくれる?また、あなたとあの景色が見たいの」
子供のようにお願いをすれば、彼女は笑っていて。あぁ、やっぱりあなたはー
「はい。その時は、依頼をして下さい。受付でお待ちしております」
私の特別な受付嬢は、そう言って小さく微笑んだ。
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