Sランク冒険者の受付嬢

絵本と少女と受付嬢と

第10話

「特別依頼ですか？」

　屋敷を出る前、ルーシーが準備をしに部屋を出た後、ローラと2人きりになったシルヴィアは言われた事を聞き返した。
　要望をしたローラは小さく笑い、話を続ける。

「そう。今ここでお願い出来ないかしら？」

「今日は先程引き受けた依頼の準備しかしていないので、依頼内容を記入する用紙と受理のハンコがありません。今度、ギルドで代理人の方に依頼されてみてはどうでしょうか？」

「それだといろいろダメなのよ」

「ダメ…とはどういう意味でしょうか？」

　真顔で首をかしげるシルヴィアを見て、ローラは少し恥ずかいのか頰に手を当てた。

「だから…依頼内容が子供っぽいし、あなたにしかお願い出来ないの。それと、ルーシーにバレたくない」

「…話の意図が見えないのですが」

「依頼内容は、今から行く森に埋めた物を探す事なのよ」

「そういう事でしたか」

　シルヴィアは何となく理由を察して少し考え込んだ。おそらくローラは、今回の依頼と並行して埋めた何かを探して欲しいのだろう。
　シルヴィアが何も言わなくなったせいか、ローラは少し不安そうにその様子を伺った。だが急に無表情の顔を向けられ、少し驚いて固まる。

「それは…本当に今回の依頼期間中に見つけた方が良いものですか？」

「そ、そうなの！だからお願い出来ないかしら？」

　少し希望が見えてローラは必死に頼み込むが、シルヴィアはどうしたものかと悩んだ。　　
　『ギルドの規定を重視して正規の方法で依頼させる』か、『依頼後にギルドに帰ってから依頼書を勝手に作成し、受理と達成のハンコを同時に押す』という2つの方法が頭に浮かんだ。ちなみに、『今からギルドに帰って依頼書とハンコを取ってくる』という案もあったが、それだと特急鳥の時間に間に合わないので即却下された。

　シルヴィアはほんの少し考え込んだ後に、小さく息を吐いて口を開いた。

「やはり、受付嬢としてギルドの規定を破るわけにはいきません」

　その答えに、ローラは『そうよね…』と言って悲しそうに俯く。
 
「ですが…」

「え？」

「…偶然通りかかった冒険者が埋めた物を見つけるのは、問題ないかと思います」

　誰かの真似をしてほんの少しだけ恥ずかしいのか、目をそらして話すシルヴィアを見てローラは子供のように顔を輝かせた。


（まさか、山の頂上にある樹の根元に埋めてあるとは思いませんでしたが）

　ローラは、『えっと…森にある小さな池の中心に生える、小さな樹の根元に埋めてあるはずよ』と言っていたので、森に入ってからずっと地下に蔦を伸ばし、それらしい物を探していた。
　だが一向に見つからず困っていた所に、あの湖を見つけ気づいたのだ。あるとしたら、ここしかないと。結果シルヴィアの憶測は当たっていたようで、隣に座る少女は黙って絵本を読んでいた。

（樹も成長していたのですね）

　シルヴィアは目の前の絶景にどこか既視感があるような気もしたが、しばし目を細めその景色に心を奪われた。



『こんにちは、ルーシー』

　絵本を開いた最初のページには、母の笑った顔と短い挨拶が記されていた。ルーシーは少し驚きながらも、ゆっくりページをめくっていく。

『この絵本は、未来にいるあなたにのこすメッセージのようなものです。大切にしてくれたら、お母さん嬉しいな』

　捨てるはずないと思いながら、黙って読み進める。
　その先には、母の日常では伝えられないメッセージが書かれていた。『私はあなたと長い間すごせないかもしれません』や、『あなたの花嫁衣装を見たい』など、読んでいて辛くなり手を止めたくなる。
　だが少し進んだところで、『でもね、ルーシー』と書かれており、ゆっくり次のページに移った。

『あなたが産まれてきてくれて、お母さんは嬉しいの』

　視界が涙でぼやけ、手が震える。

『もしかしたら、誰かがあなたの事をせめるかもしれない。でも忘れないで、あなたは私の大事な娘だから。あなたがいてくれるだけで、お母さんは幸せなのよ』

　嫌な記憶が、少しずつ上書きされていく。

『私は遠くに行ってしまうかもしれないけど、それはあなたのせいじゃないわ。あなたはルーシー、私に幸せを運んでくれるかけがえのない存在。産まれてきてくれて、ありがとう』

　小さな体をきつく縛っていた無数の鎖が、音を立てて壊れていったー。



　涙を少しでも我慢しようとするルーシーの頭を、シルヴィアはそっと撫でた。そしてつい先日、友人から貰った言葉を思い出す。

「泣くのを我慢する必要はないのです」

「…でも…ゔぅっ…」

　少し前まで暗かった空を見上げて、シルヴィアはポツリと呟いた。空は赤く、淀みなど何処にもない。


「涙の雨も、いつかはやみますよ」


　少女の泣く声が、シルヴィアの耳に小さく響いた。




　その人は、つまらない人なんかじゃなかったの。とても純粋な心を持った、私だけの妖精さんだったんだ。だって彼女は私の涙を受け止めて、曇った空を…心を晴らしてくれたのだからー。


　


　翌日の昼過ぎ、シルヴィアは屋敷までルーシーを送り届けた。朝に山を降り始め、最初は元気に歩いていたが、すぐに疲れたのかシルヴィアが背負った直後に眠ってしまったのだ。
　そして今もまだ、ルーシーは母に抱っこされたままスヤスヤ眠っている。手にはあの絵本が握られたままだ。

「本当にありがとう。あなたが依頼を受けてくれて助かったわ。あと目、大丈夫なの…？」

「問題ありません。明日にでも、義眼を用意してもらいますので」

　シルヴィアが眼帯をさすると、ローラは大きめの袋を差し出した。受け取って中を覗けば、金色の硬貨が何枚も入っていた。

「少し多い気がしますが、気のせいでしょうか？」

「それは、偶然探し物を見つけてくれたお礼よ。気にせず受け取って」

　そう言われてシルヴィアはじっと袋を見つめたが、何を思ったのか袋をローラに返した。

「えっと、足りなかったかしら？」

「いえ…受け取りたくありません」

「え？」

「自分でも不思議なのですが、これを受け取りたくないのです。それに、報酬は既にお嬢様からたくさん頂いています」

　シルヴィアは安心したように眠るルーシーを見て、報酬を受け取るのを再度拒んだ。

「なので達成報酬はいりません」

「でも、本当にいいの？2日も護衛をしてもらってタダなんて…気がひけるわ」

「それでしたら、1つお願いをしてもよろしいでしょうか？」

「何？なんでも言って」

　シルヴィアはもう一度ルーシーを見て、優しく微笑んだ。

「お嬢様と、出来る限り一緒に過ごして下さい。お嬢様が『私はお母さんの幸せなんだ』と、仰っていました。それは、逆もまた然りだと思いますので」

「…そうね、そうするわ。本当にありがとう」

　ローラはルーシーをそっと抱きしめ、愛おしそうに娘の頭を撫でた。ルーシーも『んん…』と小さく声を漏らす。

「この度は、当ギルドに依頼して頂きありがとうございました」

　シルヴィアは様々な感情に触れる機会をくれた少女に小さくお辞儀をして、屋敷を後にした。


　
　その日、受付嬢は『幸せ』に初めて触れたー。