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舞との時間
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保育園もあと半月で卒園するという頃。
いつもように園にお迎えに行った恵真は、先生から今日の子どもたちの様子を教えてもらっていた。
「翼くんは相変わらず翔一くんとパイロットごっこに夢中でしたよ。舞ちゃんは、美羽ちゃんの面倒をよく見てあげてました。今、卒園の作品集を作っているところなんですけど、舞ちゃん、何を書こうか少し迷っているみたいです。おうちでも話を聞いてあげてください。でも本当は保護者の方には、内容を秘密にしておきたいんですけどね」
そう言ってまだ若い担任の先生は、ふふっと笑う。
「分かりました。それとなく気にかけておきます」
「はい、よろしくお願いします」
マンションに帰って来ると、夕食の支度をしながら、恵真はさりげなく舞を見守る。
テーブルの上にスケッチブックを広げている舞は、どうやら飛行機の絵を描いているようだった。
うーん、と恵真は考えを巡らせる。
(明日は土曜日で、大和さんが海外フライトから帰ってくる。仮眠から起きてきたら、翼をお願いして舞と出かけようかな)
明日は恵真もオフで、保育園もお休みだ。
特にこれがしたいという訳ではないけれど、恵真は舞と二人の時間を作りたいと思っていた。
(大和さんが帰って来たら、聞いてみよう)
3日ぶりに会えるのも楽しみで、恵真は早めにベッドに入った。
◇
「大和さん、おかえりなさい」
翌朝、恵真は玄関で大和を出迎える。
「ただいま、恵真。留守の間ありがとう。寝ててよかったのに」
「ううん、そろそろ子ども達も起きて来る頃だから。大和さん、フライトお疲れ様でした。寝室で休んでくださいね」
「ありがとう」
大和は恵真の頬に優しく口づけてから、寝室へ向かった。
しばらくすると、翼と舞がリビングに入って来る。
「おかあさん、おはよう。おとうさんは?」
「おはよう。お父さん、さっき帰って来たわよ。しばらく休ませてあげてね」
「うん!」
翼と舞も慣れていて、フライトのあとは大和が仮眠を取るのを邪魔せずに待つ。
そろそろお昼ご飯にしようか、と話していると、大和が寝室から出て来た。
「翼、舞、ただいま」
「おとうさん! おかえりなさい」
二人は椅子から下りると、大和に駆け寄って飛びつく。
「あのね、しょうくんに、ひこうきのペーパークラフトもらったんだ。でもむずかしくて……」
「そうか。じゃあご飯を食べたらお父さんと一緒に作ろう」
「やった!」
両手を上げて喜ぶ翼を見てから、恵真が大和に尋ねた。
「大和さん、翼をお願いしてもいいですか? 私、舞と二人で出かけようかと思っていて」
「お、なんだ。デートか? いいな、舞」
すると舞は大きな目を更に丸くして恵真を見つめる。
「おかあさんとおでかけ? いいの?」
「いいわよ。どこでも舞の好きな所に連れて行ってあげる」
「ほんと!?」
「もちろん。ご飯を食べたら出かけようか」
「うん!」
翼も舞もそれぞれわくわくした様子で、あっという間に食事を終えた。
◇
「それじゃあ、行ってきます」
玄関で舞と手を繋ぎ、恵真は大和を振り返る。
「気をつけて行ってらっしゃい。舞、楽しんでおいで」
「うん!」
翼にもバイバイと手を振り、恵真と舞は玄関を出た。
「舞、どこに行きたい? 美味しいものを食べに行くのでもいいし、ほしいものがあったら買い物でもいいわよ」
歩きながらそう聞くと、舞はちょっとためらってから顔を上げた。
「あのね、ひこうきをみにいってもいい?」
「えっ、飛行機を?」
予想外の言葉に恵真は驚く。
翼なら分かるが、舞がそんなことを言うとは思ってもみなかった。
「分かった。じゃあ車で空港まで行って、展望デッキから見る?」
「うん!」
目を輝かせる舞に、恵真は更に不思議な気がした。
(いつも翼につられて飛行機の話をしてるんだと思ってたけど、舞もこんなに飛行機が好きだったなんて)
舞と二人だけの時間を持たなければ、知らないままだっただろう。
改めてよかったと思いながら、恵真は舞を車に乗せてハンドルを握る。
「おかあさんってすごいわね! おりょうりもできるし、おそうじやおせんたくもできるのに、くるまもうんてんできるなんて」
「そ、そう? そんなにすごい?」
「うん。すごーくかっこいい!」
「え、ありがとう、舞」
そんなふうに褒めちぎられるとは、と恵真はなんだかむずかゆくなった。
羽田空港の駐車場に着くと、恵真はフライトレーダーのアプリで現在の離発着の様子を確認する。
「んー、今は第1ターミナルからの方が飛行機たくさん見られそうね」
舞の手を引いて第1ターミナルの展望デッキに向かった。
「すごい! たくさんあるね、ひこうき」
「そうね。色んな種類の飛行機が並んでるね」
「あ、あれ! おとうさんとおかあさんのひこうきだ」
え?と恵真は、舞が指差す先を見る。
日本ウイング航空のボーイング787が地上走行していた。
「ええ!? 舞、どうして分かったの?」
「だって、かたちがちょっとちがうでしょ?」
会社のロゴだけならまだしも、機種まで見分けられるとは……。
子どもの観察力に思わず感心する。
「すごいわね。大人でもなかなか見分けられないわよ」
「おとうさんとおかあさんのひこうきだもん。とくべつかっこいいよ」
「舞……」
なんだか今日は、舞に嬉しい言葉をかけてもらってばかりだ。
(私の方が舞を励ましたかったのに)
恵真は、クスッと笑みをこぼす。
「ありがとう、舞」
「ん? なあに?」
「ううん、なんでもない。お母さんの子でいてくれて、ありがとう」
え?と首をかしげてから、舞はにっこり笑う。
「おかあさんも、わたしのおかあさんでいてくれて、ありがとう」
「もう、舞ったら……。お母さんが舞に色々してあげたいのに。そうだ、この下のカフェで飛行機見ながらジュース飲まない?」
「わあ、いいの? うん、行きたい!」
「よし、決まりね。行こう、舞」
「うん!」
二人で笑顔で頷き合い、手を繋いで歩き出した。
◇
「おかあさん、ここすてきなところね。ジュースはおいしいし、ひこうきもみえるし。はあ、うっとりしちゃう」
カフェの窓際のカウンターに並んで座り、しみじみと呟く舞に、恵真は笑いを堪える。
「そうでしょう? お母さんのお気に入りの場所なの。舞が生まれるずっと前にも、よくここに来てたのよ」
「そうなの? ひとりで?」
「一人の時もあったけど、お父さんとばったり会ったこともあるの」
かつてクロスウインドランディングの勉強をしていた時に、大和と偶然会ったことを思い出した。
(まさにこの席だったわよね。あの頃の私って、大和さんの顔を見ただけであたふたしてたっけ。かっこ良くて優秀な、憧れのキャプテンだったから)
すると舞が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「おかあさん、ほっぺがりんごみたいにあかいよ?」
「え、そう?」
「うん。おねつあるの?」
「ないない、大丈夫だから」
まさか娘にまで突っ込まれるとは、と恵真は慌てて表情を引き締めた。
それにしても、今こうして娘と一緒にあの時の席に座っているなんて、と感慨深くなる。
「舞。お母さんね、舞と翼が生まれて来てくれて、本当に幸せなの。いつもありがとう、舞。大好きよ」
そう言うと、舞はハッとしたように恵真の顔を見上げた。
その目がみるみるうちに涙で潤んでいく。
「どうしたの? 舞」
ギュッと抱きついてきた舞を抱きしめ、恵真は優しく頭をなでた。
「なにか悲しいことがあったの?」
「ううん、ちがうの。おかあさんがだいすきっていってくれたから、うれしくてなみだがでたの。わたしもおかあさんがだいすき」
「……そう、それならよかった」
「おとうさんもおにいちゃんもだいすき。わたし、かぞくよにんがだいすきなの」
「お母さんもよ。4人でいる時が一番幸せ」
「うん」
「4人でいれば寂しくない。元気をもらえるし、味方になってくれる。舞、いつもみんながついてるからね」
「うん!」
恵真の胸に顔をうずめて頷く舞を、恵真はいつまでも愛おしそうに抱きしめていた。
◇
「おかあさん、ひこうきってどうやってとばすの?」
やがて気持ちが落ち着いたのか、再び滑走路に目をやりながら舞が尋ねた。
「あのひこうき、びゅーんってはしってから、ふわってとぶでしょう? おかあさんもできるの? おんなのこなのに」
女の子?と恵真は苦笑いする。
「そうね、女の子でも出来るわよ。飛行機の操縦は、力がいる訳でもないからね」
「え、そうなの? ちからもちじゃなくても、だいじょうぶなの?」
「大丈夫よ。舞は、パイロットは力持ちじゃないとダメだと思ってたの?」
「うん。おんなのこはふつうCAさんでしょ? だからおかあさん、ほんとにパイロットなのかなって、ずっとふしぎだったの。ものすごく、ちからもちなのかなって」
「ええ!?」
まさか、ずっと舞に疑われていたとは……と恵真は焦る。
「そっか、実際に見たことないと信じられないわよね」
「うん。コスプレはみたことあるけど」
「コ、コスプレ!?」
これはいけない、と恵真は真顔で考えた。
(今どきの子どもって、コスプレって言葉を知ってるのね。だけどパイロットの制服姿をコスプレだと思われていたなんて)
よーし!と恵真は拳を握りしめる。
「舞、お母さんが操縦するところ、見てみたい?」
「うん! みたい、みたい!」
「実際に飛行機のコックピットに入ることは出来ないんだけど、本物そっくりのコックピットなら大丈夫なの。今から行ってみる?」
舞は目をキラキラさせながら、うん!と大きく頷いた。
◇
カフェを出ると、恵真は舞を連れて通路のすぐ先にあるお店に入る。
「こんにちは。予約してないんですけど、今からフライトシミュレーター、出来ますか?」
そこは一見グッズを取り扱っているショップに見えるが、実はマニアの間で有名な、本格的なフライトシミュレーターを体験出来るお店だった。
「大丈夫ですよ。機種とコースはお決まりですか?」
爽やかな笑顔の若い男性スタッフが対応してくれる。
ここは迷わずナナハチでしょう、と恵真はキリッと答えた。
「機種はボーイング787でお願いします。タキシングからランウェイに進入して離陸するコース、ありますか?」
「はい、ございます。お客様は当店のご利用は初めてですか? オートパイロットも選べますが、いかがでしょう」
「あ、えっと、ここは初めてなのですが……」
しどろもどろになってしまうが、実機を飛ばしているのだからきっと大丈夫なはず……。
何より、舞にしっかりパイロットらしいところを見せないと!と恵真は意気込んだ。
「マニュアルで大丈夫です」
「かしこまりました。では早速、シミュレーターにご案内しますね。こちらです、どうぞ」
ドアを開けて促され、恵真と舞はシミュレーターの中に足を踏み入れる。
「すごい、本格的ですね。わっ、ヘッドアップ・ディスプレイまである」
思わず呟くと、ああ、とスタッフは苦笑いした。
「実はこのハッド、まだ形だけなんです」
「そうなんですね。でも本当にすごいです。ねえ? 舞」
恵真と手を繋いだまま、舞も圧倒されたようにたくさんのスイッチや計器類を見渡している。
「すごいね、ほんとうのひこうきみたい」
「じゃあ、舞はこっちに座って見ててね」
「うん。おかあさん、ほんとにとぶの?」
「ほんとには飛ばないけど、飛んでるみたいな気分になるわよ。楽しみにしてて」
「わかった。がんばってね!」
「ありがとう!」
舞に微笑むと、恵真は左席に座る。
(えーい、キャプテンでもないのにごめんなさい!)
心の中で詫びると、スタッフの簡単な説明を聞いてから、いよいよスタート。
動き出したリアルな映像に、舞は目を丸くして息を呑んだ。
「うごいた! おかあさんって、ほんとにすごいのね」
「え、そう?」
タキシングだけでこんなに感激されることなどない。
恵真はすっかり気を良くしていた。
「よーし、舞の為にお母さん張り切っちゃうよ」
「うん、がんばって!」
「ではコーパイの舞さん、いよいよ離陸しますよ。Cleared for takeoff」
スラストレバーを押し進め、恵真は実機さながらに「Stabilize」とコールした。
続いてTO/GAスイッチを押すと同時にブレーキをリリース。
ゆっくりと機体が動き出し、オートスロットルのモードが変わるのを確認すると「Thrust Ref」とコール。
目の前に広がる映像は、滑走路の上をどんどん加速していった。
「わあー、すごいすごい!」
舞の興奮も最高潮に達する。
対気速度計が80ノットに達した。
「Eighty」
「V1」
「VR」
コールしながら、恵真はゆっくりと操縦桿を引く。
「舞、飛んだよ」
「わー、とんだとんだ!」
「Positive」
「Gear up」
最後に恵真は、管制官のセリフで締めた。
「J Wing 001. Contact Departure. Good day!」
◇
「はあ、たのしかった!」
シミュレーターから出ると、舞は興奮冷めやらぬ口調で恵真を見上げた。
「おかあさん、ちゃんとパイロットなのね! ひこうきとばせるんだね! すっごくかっこよかった」
「ありがとう。舞に褒められると、お母さんもすごく嬉しい。楽しかった?」
「うん! とってもたのしかった」
舞のこんなに生き生きとした表情を見るのは、随分久しぶりだ。
来てよかったと、恵真は心から思った。
「じゃあ、お兄ちゃんとお父さんにお土産買って帰ろうか」
「うん! おにいちゃんのすきなチーズケーキと、おとうさんのすきなチョコケーキ」
「あとは、舞の好きなイチゴのケーキもね」
「やったー!」
はしゃいだ声を上げる舞に頬を緩めてから、恵真は舞と手を繋いで2階のショッピングエリアに向かった。
◇
「ただいま!」
「おっ、舞、おかえり」
満面の笑みでリビングに入って来た舞に、大和は顔を上げて声をかける。
「随分ご機嫌だな、舞。楽しかったか?」
「すごくたのしかった! あのね、おかあさんがひこうきとばしたんだよ」
ええー!?と翼が仰け反って驚く。
「まい、おかあさんとそらとんできたの?」
「うん! そんなきぶんだった」
「いいなー。おれもとびたかった」
大和は、続いてリビングに入って来た恵真に、どういうこと?とばかりに目で問いかけた。
「ふふっ、空港でフライトシミュレーターをやってきたんです」
「ああ! あの、カフェの近くにある?」
「ええ。想像以上に本格的でしたよ」
「そうか。じゃあ今度俺も、翼を連れて行ってみようかな」
大和の言葉に、翼は待ち切れないとばかりに身を乗り出す。
「おとうさん、ぜったいにつれてってね」
「分かった、約束な」
「やったー!」
翼は、大和と作ったペーパークラフトの飛行機を、ブーン!と飛ばす真似をする。
「おにいちゃん、おみやげあるよ。チーズケーキ!」
「おおー、ありがと! まい」
恵真は早速ケーキをお皿に並べて、紅茶を淹れた。
「大和さんも、ショコラケーキどうぞ」
「ありがとう。おっ、これ空港で人気のケーキ屋さんだろ?」
「そうなの。空港って、改めて見て回ると楽しくて」
「ははっ、確かに。いつもは時間に追われて通り過ぎるだけだもんな」
「ええ。私もいい気分転換になりました。大和さん、翼を見ててくれてありがとう」
「こちらこそ。舞がこんなに明るい表情で帰って来たのは、恵真のおかげだ」
ソファの前のローテーブルで、仲良くケーキを食べている翼と舞を、二人は微笑ましく見守る。
「舞、よほど恵真とのデートが楽しかったんだな。なんか……、ちょっと妬ける」
「はい!? 妬けるって、誰に?」
「舞に。だって恵真、俺とデートなんて随分ご無沙汰じゃない」
「それは、まあ。でもだからって、娘にヤキモチなんて」
「じゃあ今度俺ともデートしてくれる?」
真剣な表情の大和に真っ直ぐ見つめられ、恵真は一気に頬を赤らめた。
「そんな、改まって言わないでください」
「言わないとしてくれないじゃない。俺とデート」
「し、しますよ。しますとも、はい」
「よし! 約束だぞ?」
「ですからそんな、念を押さなくても……」
「じゃあ指切りする?」
「しません!」
赤い顔をごまかすように、恵真はうつむいてケーキをパクパク頬張った。
いつもように園にお迎えに行った恵真は、先生から今日の子どもたちの様子を教えてもらっていた。
「翼くんは相変わらず翔一くんとパイロットごっこに夢中でしたよ。舞ちゃんは、美羽ちゃんの面倒をよく見てあげてました。今、卒園の作品集を作っているところなんですけど、舞ちゃん、何を書こうか少し迷っているみたいです。おうちでも話を聞いてあげてください。でも本当は保護者の方には、内容を秘密にしておきたいんですけどね」
そう言ってまだ若い担任の先生は、ふふっと笑う。
「分かりました。それとなく気にかけておきます」
「はい、よろしくお願いします」
マンションに帰って来ると、夕食の支度をしながら、恵真はさりげなく舞を見守る。
テーブルの上にスケッチブックを広げている舞は、どうやら飛行機の絵を描いているようだった。
うーん、と恵真は考えを巡らせる。
(明日は土曜日で、大和さんが海外フライトから帰ってくる。仮眠から起きてきたら、翼をお願いして舞と出かけようかな)
明日は恵真もオフで、保育園もお休みだ。
特にこれがしたいという訳ではないけれど、恵真は舞と二人の時間を作りたいと思っていた。
(大和さんが帰って来たら、聞いてみよう)
3日ぶりに会えるのも楽しみで、恵真は早めにベッドに入った。
◇
「大和さん、おかえりなさい」
翌朝、恵真は玄関で大和を出迎える。
「ただいま、恵真。留守の間ありがとう。寝ててよかったのに」
「ううん、そろそろ子ども達も起きて来る頃だから。大和さん、フライトお疲れ様でした。寝室で休んでくださいね」
「ありがとう」
大和は恵真の頬に優しく口づけてから、寝室へ向かった。
しばらくすると、翼と舞がリビングに入って来る。
「おかあさん、おはよう。おとうさんは?」
「おはよう。お父さん、さっき帰って来たわよ。しばらく休ませてあげてね」
「うん!」
翼と舞も慣れていて、フライトのあとは大和が仮眠を取るのを邪魔せずに待つ。
そろそろお昼ご飯にしようか、と話していると、大和が寝室から出て来た。
「翼、舞、ただいま」
「おとうさん! おかえりなさい」
二人は椅子から下りると、大和に駆け寄って飛びつく。
「あのね、しょうくんに、ひこうきのペーパークラフトもらったんだ。でもむずかしくて……」
「そうか。じゃあご飯を食べたらお父さんと一緒に作ろう」
「やった!」
両手を上げて喜ぶ翼を見てから、恵真が大和に尋ねた。
「大和さん、翼をお願いしてもいいですか? 私、舞と二人で出かけようかと思っていて」
「お、なんだ。デートか? いいな、舞」
すると舞は大きな目を更に丸くして恵真を見つめる。
「おかあさんとおでかけ? いいの?」
「いいわよ。どこでも舞の好きな所に連れて行ってあげる」
「ほんと!?」
「もちろん。ご飯を食べたら出かけようか」
「うん!」
翼も舞もそれぞれわくわくした様子で、あっという間に食事を終えた。
◇
「それじゃあ、行ってきます」
玄関で舞と手を繋ぎ、恵真は大和を振り返る。
「気をつけて行ってらっしゃい。舞、楽しんでおいで」
「うん!」
翼にもバイバイと手を振り、恵真と舞は玄関を出た。
「舞、どこに行きたい? 美味しいものを食べに行くのでもいいし、ほしいものがあったら買い物でもいいわよ」
歩きながらそう聞くと、舞はちょっとためらってから顔を上げた。
「あのね、ひこうきをみにいってもいい?」
「えっ、飛行機を?」
予想外の言葉に恵真は驚く。
翼なら分かるが、舞がそんなことを言うとは思ってもみなかった。
「分かった。じゃあ車で空港まで行って、展望デッキから見る?」
「うん!」
目を輝かせる舞に、恵真は更に不思議な気がした。
(いつも翼につられて飛行機の話をしてるんだと思ってたけど、舞もこんなに飛行機が好きだったなんて)
舞と二人だけの時間を持たなければ、知らないままだっただろう。
改めてよかったと思いながら、恵真は舞を車に乗せてハンドルを握る。
「おかあさんってすごいわね! おりょうりもできるし、おそうじやおせんたくもできるのに、くるまもうんてんできるなんて」
「そ、そう? そんなにすごい?」
「うん。すごーくかっこいい!」
「え、ありがとう、舞」
そんなふうに褒めちぎられるとは、と恵真はなんだかむずかゆくなった。
羽田空港の駐車場に着くと、恵真はフライトレーダーのアプリで現在の離発着の様子を確認する。
「んー、今は第1ターミナルからの方が飛行機たくさん見られそうね」
舞の手を引いて第1ターミナルの展望デッキに向かった。
「すごい! たくさんあるね、ひこうき」
「そうね。色んな種類の飛行機が並んでるね」
「あ、あれ! おとうさんとおかあさんのひこうきだ」
え?と恵真は、舞が指差す先を見る。
日本ウイング航空のボーイング787が地上走行していた。
「ええ!? 舞、どうして分かったの?」
「だって、かたちがちょっとちがうでしょ?」
会社のロゴだけならまだしも、機種まで見分けられるとは……。
子どもの観察力に思わず感心する。
「すごいわね。大人でもなかなか見分けられないわよ」
「おとうさんとおかあさんのひこうきだもん。とくべつかっこいいよ」
「舞……」
なんだか今日は、舞に嬉しい言葉をかけてもらってばかりだ。
(私の方が舞を励ましたかったのに)
恵真は、クスッと笑みをこぼす。
「ありがとう、舞」
「ん? なあに?」
「ううん、なんでもない。お母さんの子でいてくれて、ありがとう」
え?と首をかしげてから、舞はにっこり笑う。
「おかあさんも、わたしのおかあさんでいてくれて、ありがとう」
「もう、舞ったら……。お母さんが舞に色々してあげたいのに。そうだ、この下のカフェで飛行機見ながらジュース飲まない?」
「わあ、いいの? うん、行きたい!」
「よし、決まりね。行こう、舞」
「うん!」
二人で笑顔で頷き合い、手を繋いで歩き出した。
◇
「おかあさん、ここすてきなところね。ジュースはおいしいし、ひこうきもみえるし。はあ、うっとりしちゃう」
カフェの窓際のカウンターに並んで座り、しみじみと呟く舞に、恵真は笑いを堪える。
「そうでしょう? お母さんのお気に入りの場所なの。舞が生まれるずっと前にも、よくここに来てたのよ」
「そうなの? ひとりで?」
「一人の時もあったけど、お父さんとばったり会ったこともあるの」
かつてクロスウインドランディングの勉強をしていた時に、大和と偶然会ったことを思い出した。
(まさにこの席だったわよね。あの頃の私って、大和さんの顔を見ただけであたふたしてたっけ。かっこ良くて優秀な、憧れのキャプテンだったから)
すると舞が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「おかあさん、ほっぺがりんごみたいにあかいよ?」
「え、そう?」
「うん。おねつあるの?」
「ないない、大丈夫だから」
まさか娘にまで突っ込まれるとは、と恵真は慌てて表情を引き締めた。
それにしても、今こうして娘と一緒にあの時の席に座っているなんて、と感慨深くなる。
「舞。お母さんね、舞と翼が生まれて来てくれて、本当に幸せなの。いつもありがとう、舞。大好きよ」
そう言うと、舞はハッとしたように恵真の顔を見上げた。
その目がみるみるうちに涙で潤んでいく。
「どうしたの? 舞」
ギュッと抱きついてきた舞を抱きしめ、恵真は優しく頭をなでた。
「なにか悲しいことがあったの?」
「ううん、ちがうの。おかあさんがだいすきっていってくれたから、うれしくてなみだがでたの。わたしもおかあさんがだいすき」
「……そう、それならよかった」
「おとうさんもおにいちゃんもだいすき。わたし、かぞくよにんがだいすきなの」
「お母さんもよ。4人でいる時が一番幸せ」
「うん」
「4人でいれば寂しくない。元気をもらえるし、味方になってくれる。舞、いつもみんながついてるからね」
「うん!」
恵真の胸に顔をうずめて頷く舞を、恵真はいつまでも愛おしそうに抱きしめていた。
◇
「おかあさん、ひこうきってどうやってとばすの?」
やがて気持ちが落ち着いたのか、再び滑走路に目をやりながら舞が尋ねた。
「あのひこうき、びゅーんってはしってから、ふわってとぶでしょう? おかあさんもできるの? おんなのこなのに」
女の子?と恵真は苦笑いする。
「そうね、女の子でも出来るわよ。飛行機の操縦は、力がいる訳でもないからね」
「え、そうなの? ちからもちじゃなくても、だいじょうぶなの?」
「大丈夫よ。舞は、パイロットは力持ちじゃないとダメだと思ってたの?」
「うん。おんなのこはふつうCAさんでしょ? だからおかあさん、ほんとにパイロットなのかなって、ずっとふしぎだったの。ものすごく、ちからもちなのかなって」
「ええ!?」
まさか、ずっと舞に疑われていたとは……と恵真は焦る。
「そっか、実際に見たことないと信じられないわよね」
「うん。コスプレはみたことあるけど」
「コ、コスプレ!?」
これはいけない、と恵真は真顔で考えた。
(今どきの子どもって、コスプレって言葉を知ってるのね。だけどパイロットの制服姿をコスプレだと思われていたなんて)
よーし!と恵真は拳を握りしめる。
「舞、お母さんが操縦するところ、見てみたい?」
「うん! みたい、みたい!」
「実際に飛行機のコックピットに入ることは出来ないんだけど、本物そっくりのコックピットなら大丈夫なの。今から行ってみる?」
舞は目をキラキラさせながら、うん!と大きく頷いた。
◇
カフェを出ると、恵真は舞を連れて通路のすぐ先にあるお店に入る。
「こんにちは。予約してないんですけど、今からフライトシミュレーター、出来ますか?」
そこは一見グッズを取り扱っているショップに見えるが、実はマニアの間で有名な、本格的なフライトシミュレーターを体験出来るお店だった。
「大丈夫ですよ。機種とコースはお決まりですか?」
爽やかな笑顔の若い男性スタッフが対応してくれる。
ここは迷わずナナハチでしょう、と恵真はキリッと答えた。
「機種はボーイング787でお願いします。タキシングからランウェイに進入して離陸するコース、ありますか?」
「はい、ございます。お客様は当店のご利用は初めてですか? オートパイロットも選べますが、いかがでしょう」
「あ、えっと、ここは初めてなのですが……」
しどろもどろになってしまうが、実機を飛ばしているのだからきっと大丈夫なはず……。
何より、舞にしっかりパイロットらしいところを見せないと!と恵真は意気込んだ。
「マニュアルで大丈夫です」
「かしこまりました。では早速、シミュレーターにご案内しますね。こちらです、どうぞ」
ドアを開けて促され、恵真と舞はシミュレーターの中に足を踏み入れる。
「すごい、本格的ですね。わっ、ヘッドアップ・ディスプレイまである」
思わず呟くと、ああ、とスタッフは苦笑いした。
「実はこのハッド、まだ形だけなんです」
「そうなんですね。でも本当にすごいです。ねえ? 舞」
恵真と手を繋いだまま、舞も圧倒されたようにたくさんのスイッチや計器類を見渡している。
「すごいね、ほんとうのひこうきみたい」
「じゃあ、舞はこっちに座って見ててね」
「うん。おかあさん、ほんとにとぶの?」
「ほんとには飛ばないけど、飛んでるみたいな気分になるわよ。楽しみにしてて」
「わかった。がんばってね!」
「ありがとう!」
舞に微笑むと、恵真は左席に座る。
(えーい、キャプテンでもないのにごめんなさい!)
心の中で詫びると、スタッフの簡単な説明を聞いてから、いよいよスタート。
動き出したリアルな映像に、舞は目を丸くして息を呑んだ。
「うごいた! おかあさんって、ほんとにすごいのね」
「え、そう?」
タキシングだけでこんなに感激されることなどない。
恵真はすっかり気を良くしていた。
「よーし、舞の為にお母さん張り切っちゃうよ」
「うん、がんばって!」
「ではコーパイの舞さん、いよいよ離陸しますよ。Cleared for takeoff」
スラストレバーを押し進め、恵真は実機さながらに「Stabilize」とコールした。
続いてTO/GAスイッチを押すと同時にブレーキをリリース。
ゆっくりと機体が動き出し、オートスロットルのモードが変わるのを確認すると「Thrust Ref」とコール。
目の前に広がる映像は、滑走路の上をどんどん加速していった。
「わあー、すごいすごい!」
舞の興奮も最高潮に達する。
対気速度計が80ノットに達した。
「Eighty」
「V1」
「VR」
コールしながら、恵真はゆっくりと操縦桿を引く。
「舞、飛んだよ」
「わー、とんだとんだ!」
「Positive」
「Gear up」
最後に恵真は、管制官のセリフで締めた。
「J Wing 001. Contact Departure. Good day!」
◇
「はあ、たのしかった!」
シミュレーターから出ると、舞は興奮冷めやらぬ口調で恵真を見上げた。
「おかあさん、ちゃんとパイロットなのね! ひこうきとばせるんだね! すっごくかっこよかった」
「ありがとう。舞に褒められると、お母さんもすごく嬉しい。楽しかった?」
「うん! とってもたのしかった」
舞のこんなに生き生きとした表情を見るのは、随分久しぶりだ。
来てよかったと、恵真は心から思った。
「じゃあ、お兄ちゃんとお父さんにお土産買って帰ろうか」
「うん! おにいちゃんのすきなチーズケーキと、おとうさんのすきなチョコケーキ」
「あとは、舞の好きなイチゴのケーキもね」
「やったー!」
はしゃいだ声を上げる舞に頬を緩めてから、恵真は舞と手を繋いで2階のショッピングエリアに向かった。
◇
「ただいま!」
「おっ、舞、おかえり」
満面の笑みでリビングに入って来た舞に、大和は顔を上げて声をかける。
「随分ご機嫌だな、舞。楽しかったか?」
「すごくたのしかった! あのね、おかあさんがひこうきとばしたんだよ」
ええー!?と翼が仰け反って驚く。
「まい、おかあさんとそらとんできたの?」
「うん! そんなきぶんだった」
「いいなー。おれもとびたかった」
大和は、続いてリビングに入って来た恵真に、どういうこと?とばかりに目で問いかけた。
「ふふっ、空港でフライトシミュレーターをやってきたんです」
「ああ! あの、カフェの近くにある?」
「ええ。想像以上に本格的でしたよ」
「そうか。じゃあ今度俺も、翼を連れて行ってみようかな」
大和の言葉に、翼は待ち切れないとばかりに身を乗り出す。
「おとうさん、ぜったいにつれてってね」
「分かった、約束な」
「やったー!」
翼は、大和と作ったペーパークラフトの飛行機を、ブーン!と飛ばす真似をする。
「おにいちゃん、おみやげあるよ。チーズケーキ!」
「おおー、ありがと! まい」
恵真は早速ケーキをお皿に並べて、紅茶を淹れた。
「大和さんも、ショコラケーキどうぞ」
「ありがとう。おっ、これ空港で人気のケーキ屋さんだろ?」
「そうなの。空港って、改めて見て回ると楽しくて」
「ははっ、確かに。いつもは時間に追われて通り過ぎるだけだもんな」
「ええ。私もいい気分転換になりました。大和さん、翼を見ててくれてありがとう」
「こちらこそ。舞がこんなに明るい表情で帰って来たのは、恵真のおかげだ」
ソファの前のローテーブルで、仲良くケーキを食べている翼と舞を、二人は微笑ましく見守る。
「舞、よほど恵真とのデートが楽しかったんだな。なんか……、ちょっと妬ける」
「はい!? 妬けるって、誰に?」
「舞に。だって恵真、俺とデートなんて随分ご無沙汰じゃない」
「それは、まあ。でもだからって、娘にヤキモチなんて」
「じゃあ今度俺ともデートしてくれる?」
真剣な表情の大和に真っ直ぐ見つめられ、恵真は一気に頬を赤らめた。
「そんな、改まって言わないでください」
「言わないとしてくれないじゃない。俺とデート」
「し、しますよ。しますとも、はい」
「よし! 約束だぞ?」
「ですからそんな、念を押さなくても……」
「じゃあ指切りする?」
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赤い顔をごまかすように、恵真はうつむいてケーキをパクパク頬張った。
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